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第一章:新しい人生

無垢な赤

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 パパに連れられてやってきたのはミカエリアの広場を抜けた更に先。肌を撫でる風は仄かに塩気を含んでおり、海が近いことを感じさせる。
 戸建ての数は減り、集合住宅の数が目に見えて増えている。中心部に比べれば家屋の作りも粗末なもので、華やかに見えるのは一部だけというのは都会らしいとも言えるかもしれない。

「ケネットさんってこの辺りに住んでるの?」
「そうだぞ。彼らはここに店を構えているんだ、食品や日用品を取り扱う雑貨屋さんだな」

 要するにコンビニ。あまり裕福な区画には見えないこともあり、地域に根付いた店構えなのだろうと思う。常連によって支えられている店という印象を抱いた。

「ほら、リオ。あれよ」

 ママが指差す方を見れば、こじんまりとした二階建ての建物が見える。煉瓦造りで、看板には「ケネット商店」と書かれていた。おそらくチェーン展開されている店ではない。ケネットさんが個人で店を興したと考えるのが妥当だろう。
 窓から店の中を窺うとご老人が多いように見える。杖をついた方も少なくなく、街中まで買い物へ出られない住民に愛されているような印象だ。

 それにしても、レジが混雑しているようだがこのまま挨拶に行って大丈夫だろうか? 時間を改めた方がいいのでは?
 などと心配していたがパパは戸を開けるなり声をかけた。

「ケネットさん、ご無沙汰してます!」

 パパが声をかけると、レジに立つ女性――オーナーの奥様と思しき人が大きな声をあげた。

「ターナーさん!? ご無沙汰ですね! いま忙しいので上がっちゃってください! アリスちゃんも大きくなりましたのでね!」
「わかりました! さ、こっちだよ」
「お、お邪魔します」
「オジャマシマス!」

 パパに案内され、レジの裏にある階段を登っていく。顔パスが利くなんて相当深い仲なのだろうか? でなければ子供を預けたりはしないか。
 階段を上がり切ると住居スペースに出る。広いリビングにはキッチンと長いテーブル、ソファにテレビ。異世界でも変わらない一般家庭の装いだ。
 そしてテレビを見ているのは二人の子供。一人は毛先が元気に跳ねた赤い髪の男の子、もう一人はピンク色の髪をしているが私よりも色素が薄くて長い。後頭部で束にしている女の子だった。
 ママが二人の背後に忍び寄り、抱き寄せるように腕を回した。

「アレンくん、アリスちゃん、久し振り」
「わあ、アリアおばさん!? 久し振りだー!」

 驚いたような声をあげる男の子。ケネットさんの反応を見るにアポなしであることはわかっていた。当然、この子たちも知らなかっただろう。テレビに釘付けだった視線はすっかりママ……アリアさんに向いている。よほど懇意にしていたのだと理解した。
 パパも二人に近寄り、女の子をひょいと抱き上げる。

「アリスも大きくなったなぁ」
「久し振り、パパ。あたし大きくなってる?」
「ああ、可愛くなったし綺麗になってるよ」
「ふふ、そう。……あれ、リオ?」

 ママの肩からひょこっと顔出すのは異世界由来の美少女。淡いピンク色の髪、若干吊り上がった目には紅玉のような深い輝きを放つ瞳。顔立ちは九歳にしては大人びているように見える。
 あの子がアリス? 本当に私と姉妹なのかが疑わしい。似通った部分はあるのかもしれないが、自分の顔をじっくりとは見ていないため血の繋がりを感じられはしない。
 アリスはママの腕をすり抜けると私の傍に駆け寄ってくる。表情から感情が窺えず、つい一歩退いてしまう。しかしアリスは構わない、ずんずんと距離を詰めてくる。そして――

「会いたかった!」
「ええっ!?」
「ぐぎゅう!?」

 抱き締められた。チグサごと。すごい、九歳児とは思えないほど力強い。巨大過ぎる無償の愛を感じる。こんなに無条件に愛されていいのか? 二度目の人生、イージー過ぎる。

「ああもうこんなに大きくなって! 可愛い、すごい、可愛い~! はー……いい匂いする、好き……あたしの妹ほんっと可愛い、たまんない……」

 私たちのことなど意にも介さず、アリスは思いの丈を吐き出し続ける。首の辺りからすんすんと音がする。匂いを嗅がれている? ちょっと待って、これ本当に愛? なにかこう、ほんのりと歪さを感じる。

「ア、アリスちゃん! ごめんね、ちょっと痛い!」
「え、あ、ごめんね。久し振りに会えて嬉しくて……って、ん? なにこれ」

 離れてようやく気が付いたのか、チグサと目を合わせるアリス。そういえばチグサってこの世界ではなんていう種族なんだろう? 犬猫とは全く違う生き物のようだし、適当にごまかしておくのが吉か。

「野良……野良妖精? のチグサっていうの。パパが拾ってきたんだって」
「そ、そう! ノラヨウセイのチグサ! ハジメマシテ!」

 チグサは元気いっぱいな声音で挨拶する。しかしアリスから返事はない。聴こえていないわけではないだろうに。
 顔を見て、血の気が引いた。恐ろしいほどの能面。なんの感情も読み取れない不気味な表情。初めてのものを見てわくわくするわけでもなく、気色悪いと嫌悪感を露にするでもなく。ただじっとチグサを見詰めていた。

「エーット……ハジメマシテ!」
「ねえチグサ。なんでリオに抱かれてるの? ずいぶん仲が良さそうだね。野良妖精ってなに? パパが拾ってきたっていうけど、リオのペットにでもなったつもり?」
「アッ、アノ、エット……」
「あのとかえっとじゃないの。質問に答えて。どうしてリオに抱かれてるの? ペット気分なの? パパにはくっつかないの? なんでリオなの? ほら、答えて」
「ア、アリスちゃん! ちょっと待っててね!」

 これはまずい。なにがまずいって、チグサの中のミチクサさんが出てきてしまう。上司に詰められると頭が真っ白になって意味のない謝罪が無限に零れるはずだ。容易に想像がつく、私もそうだったのだから間違いない。
 慌ててアリスとチグサを引き離し、キッチンの方へ身を隠す。声を殺して作戦会議を始める私たち。

「い、如何致しますか牧野様? アリス様、お怒りなのでは? なぜでしょうか?」
「わかりません。とりあえず私が宥めます。ちょっと様子がおかしいので、ミチクサさんは黙ってて。いいですね」
「かしこまりました」
「かくれんぼならそう言ってくれればいいのに」
「ヒェッ!?」

 いつの間にか背後に立っていたアリス。やはり表情は窺えず、九歳ながら迫力がある。いったいチグサのなにが彼女の逆鱗に触れた? 皆目見当がつかない。

「ねえ、リオ? その野良妖精、どうしよっか」
「どどどどうするってねぇそんな……」
「アリス、その子がリオ?」

 助け舟は無邪気な声。アリスの顔に心が戻り、振り返る。
 赤毛の男の子は弾むような足取りで駆け寄ってきて、私の手を取った。まじまじと顔を覗き込み、満面の笑みを浮かべる。

「初めまして、リオ! オレはアレン! 会えて嬉しいよ!」

 あ、なんだこの眩しさ……社交辞令なんて言葉とは無縁、心の底から会えて嬉しいと思っているのが伝わる。
 こんなに感情をダイレクトに刺激するピュアさ、前世では見たことがない。現実世界の小学生が捻くれているように見えるほど真っ直ぐな眼差し。

 きっとこういう子がアイドルになるんだな、なんて。いるはずもない偶像に想いを馳せる。もしこの世界にアイドルみたいな存在がいるのなら、この子はセンターに立ってほしい。
 在りし日の推しに姿を重ね、いつかこの子を推せたらいいな、などと考えるのであった。
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