Mello Yello ~Do not draw the Sea~

雪村穂高

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6.デート

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 7月20日。記念すべき夏休み初日の今日は、100%の快晴で幕を開けた。

 遮るもののない真夏の陽光が、全力のストレートで箱浦市の海岸へ叩きつけられている。海岸沿いに立つ教会の白い外壁も、水族館の入り口に設置された鼠色のイルカのモニュメントも、そして砂浜の細かい砂も、何もかもがその日差しの中でキラキラと輝いて見えた。

 効率よく太陽から熱を吸収したアルミの自転車と、ちょっとした運動によって火照った私は木陰に入ってぬるい風を浴びていた。

 私の今いるこの木陰は、浜辺の裏に立つ水族館の真横に位置している。そこからはこの街で一番有名な浜辺が見下ろせた。テレビの天気予報で私の住む市の予報が伝えられる際には、必ずと言ってよいほどこの浜辺の映像が使われている。

 こういう、いかにも絵になりそうな場所から人を遠ざけたいがために斎藤先生は「海の絵は描いちゃダメ」と言ったのだろう。それが私と彩の考えた推論だった。

 私たちの推論はさらに飛躍する。

 なぜその海辺から生徒たちを遠ざけたかったのだろうか? 

 それは斎藤先生がその場で人に見られたくない行いをするためだ。そしてその行いとは、危険な薬物の取引であるかもしれない。



 例年このシーズンになると、県の内外から多くの観光客がここを訪れる。とは言え、今はまだ朝の7時前。辺りに人の姿はほとんどない。

 きょろきょろと視線を巡らせていると、一本道路を挟んだ向こうから彩が自転車に乗ってやって来た。

「ごめんね。待った?」

 言いながら私の停めた自転車の隣に彼女のそれを停める。

 彩とこの水族館の近くまで来るのは、だいたい1年ぶりだ。彼女はさわやかな白と紺のワンピースを着ている。足元はスタン・スミスの新しいスニーカーだった。こうして私服姿の彩を見ていると、まるで自分が小学生に戻ったかのような錯覚に襲われた。

「ううん。本当に今来たとこ」

 約束の集合時間は午前7時だったので、どちらもその時間前に着いたことになる。

 この場所に先に着いたのは私だが、家を出たのは彩の方が先だろう。私は家からこの浜辺まで自転車で10分程度で来れるが、彩の家からだと30分弱かかってしまう。



 

 私たちは自転車を水族館の駐輪スペースに停め、階段を通って浜辺へ降りた。

 「海」を画題としたときに、みんなが描きそうな場所を重点的に歩く。斎藤先生はもちろんのこと、ほかに怪しい人がいないかどうか警戒しながら見て回った。そう、これはただの散歩ではなく警邏なのだ。

 浜辺を歩き始めて10分ほどして、早くもパトロールに飽き始めたのか、彩が声をかけてきた。

「そういえばシャロって今好きな人いるの?」

 私は目を丸くした。彩とは色々な話をしたことがあったが、恋愛の話はしたことがなかったからだ。

「どうしたの? 急に」

「別に急でもないでしょ。この前斎藤先生と川口先生が付き合ってることや、真理子と後藤君が付き合い始めたことについてお話ししたじゃない」

 思い返せば、確かにそんな会話もしていた。

「別にいないよ」

 そう言い放った私の口調は、若干ぶっきらぼうだった。

「シャロって嘘をつくとき、頭に『別に』ってつけるよね」

 彩がいたずらっぽく笑う。

 え、そうなの?

「そういう彩は、どうなの? いるの?」

 これ以上いじられてはたまらなかったので、急いで質問の矛先を彩に向け返す。

 すると彩は「ふふふ」と意味ありげに声を漏らした。

「え! いるの?」

「そんな慌てないでよ。私が悪いことしてるみたいじゃない」

 みたいじゃなくて、悪いことをしてるのだ。私の心臓にはとても悪い。

 しかしそう言う彼女はとても上機嫌だったので、そのまま放っておく。

「もしいたらシャロが悲しんじゃうでしょ? だからいないよ」

「別に悲しまないと思うけど……」

 その後に彩が何と言って笑ったかは、よく覚えていない。



 私たちは何度か休憩をはさみながら、たっぷり2時間かけて夏の朝の散歩を楽しんだ。彼女と話していると、その時間はあっという間に過ぎた。

 時刻が午前9時を回ったころ、浜辺には少しずつ人が増え始めてきた。今日は土曜日なので、あと1時間もすれば肩摩穀撃の騒ぎとなるだろう。人気がでてくれば、薬物の取引などを行うことは難しいはずだ。

 私と彩は、散歩から撤収し、近くのマクドナルドに入った。4人掛けのテーブルが6つと、カウンター席が1列あるだけの小さな店舗だ。休日はなかなか店内で食べることができないほど賑わうのだが、時間帯が早かったためか店内はガラガラだった。

 朝に弱い私は、今日も朝食を抜いてきた。チーズバーガーとポテトとコーラのセットを購入してから、手近な4人掛けのテーブルの椅子を引く。

 まだ注文をしている彩が来るのを待たずに、私は今買ったばかりのLサイズのコーラにストローを差し、それを飲む。

 パチパチとした炭酸の刺激を口の中で楽しむ事もせず、急いで喉へとそれを流し込んだ。

 2時間の散歩と、その間のおしゃべりのせいで、私の喉はカラカラだったのだ。

「ぐぷ」

 彩が遅れてやって来たタイミングを見計らったように、私の口からげっぷが漏れた。

「コーラおいしかった?」

 彩がにまにましながら聞いてくる。

「飲む?」

 私は彩に半分ほどまで減ったコーラのコップを差し出した。

 しかし彼女はそれを手では受け取ろうとせず、首を伸ばしてストローを咥えた。コーラがストローをたどって彩の口に入ったその時、

「あら、仲がいいのね」

 誰かにいきなり話しかけられてびっくりした私は、彩に差し出していたコーラを勢いよく自分の手元までひっこめた。

「ん”ん”」

 彩が声にならない声を出す。

「ごめんごめん。驚かせちゃった?」

 そこにいたのは私のクラス担任の川口夏海先生だった。今日も銀縁メガネがよく似合っている。

「先生、いらしゃったんですか」

 彩に小さく謝った後、私は先生に挨拶をした。

「さっき外を通りかかった時にあなたたちが見えて、今入ってきたの」

 普段着の先生は学校で見る時よりもさらに親近感が湧いて見えた。マクドナルドという場所のせいもあるかもしれない。

 口下手な私に代わって、彩が会話を繋いでくれた。

「先生はこれからどこかへお出かけですか?」

「うん。10時に水族館前に集合だったんだけど、少し早く家を出すぎちゃったみたい」

 もしかして、待ち合わせのお相手は斎藤先生だろうか?

「もしかして、斎藤先生とデートですか?」

 私がもじもじして訊けないことを平気な顔して彩が訊いた。

「え」

 川口先生は漫画みたいに固まった。

「やっぱりデートなんですね」

 彩が幸せそうに笑う。

「えーと、デートって言うか、お出かけと言いますか。その、斎藤先生とお出かけをするという事は間違いではないですが、それがデートだと言っていいのかどうかは」

 川口先生がわかりやすく狼狽している。もはやどっちが年上だかわからない。

「先生、大丈夫ですよ。私はつい3日前まで知りませんでしたし」

「シャロちゃんまで知ってるの?」

 川口先生はがっくりと肩を落とした。微妙に失礼なことを言われたような気がするのは私の気にしすぎだろう。

「でもあと1年の辛抱だし、まあいいか」

 川口先生はため息交じりに呟いた。

 ん?

「先生、あと1年って何ですか?」

 気になって私は尋ねた。川口先生が私たちの担任を務めるのもあと1年、という意味だろうか?

 すると先生は露骨に「あ、言っちゃった」みたいな顔をした。

「斎藤先生の北中での任期は今年度までなの。来年度からは箱浦市の別の中学に赴任になるそうよ」

 もはや諦念の面持ちを浮かべた川口先生は、ごまかす努力をやめたようだった。

「あ、そうなんですか」

 私たちの部活の顧問である斎藤先生が今年度限りだという話は、これまで聞いたことがなかった。斎藤先生はいい先生だ。もちろん私も残念だが、川口先生はそのニュースを聞いたときどんな気持ちになったのだろう? 私も彩も、神妙な面持ちになる。

 そんな私たちの表情をどういう風に受け取ったのか、川口先生はことさら明るい調子で語り始めた。

「それで最近そこの水族館の年パスを買ったんだ。実は斎藤先生に告白されたのがそこの水族館なの。もう3年前になるのかな。私たちの思い出の場所でもあるから、斎藤先生が他所の中学に赴任するまでにたくさん通っておこうと思ってね」

 そう惚気た後、川口先生は慌てて付け足した。

「あ、それと斎藤先生が来年度から他所に赴任することは、本当は生徒には伝えちゃいけないことになってるの。だから、その」

「もちろん誰にも口外しません。教えてくださってありがとうございます」

 彩が礼儀正しく約束した。私だってそれを吹聴して回るつもりなど毛頭なかった。

「それと先生、つかぬ事をお伺いしますが、最近斎藤先生のご様子って、どこかおかしなところがあったりしませんでしたか?」

 彩からの問いかけに、川口先生はすぐに食いついた。

「そういえば、少し思い当たることがあるわね。今年の初め、今年度いっぱいで北中を離れることが決定してから、少し上の空になることが増えた気がするな」

 やはり恋人の目線から見てもそうだったのか。

「あとは、そうね。私たちもう付き合って3年になるんだけど、最近急にボディータッチが増えてきたんだよね」

 中1相手に何を言っているのだこの大人は。私は頬が熱くなるのを感じた。

「この前なんか水族館で手を握られちゃって。もう若くないから人前で手とかつなぐの恥ずかしいって前に2人で話しあってたのに」

 真理子の母が目撃したのは、そのときの川口先生たちだったのかもしれない。

「それもただの手のつなぎ方じゃなくて、こう、べたべた指を絡ませてくるから変な感じで」

 下ネタではないはずなのに、なぜか聞いていてすごく恥ずかしい。頭がくらくらして、先生の顔をまともに見ることができない。

「先生、あの、お時間は大丈夫ですか?」

 そこで彩が私を助けてくれた。

「あ、忘れてた。そろそろ行かなきゃ」

 先生は左手に巻いたシルバーの腕時計をちらりと確認すると、急いで店を飛び出してしまった。

 腕時計を確認しているときに見えた先生の左手の爪先は、綺麗な桜色でコーティングされていた。もちろんそんなネイルは、学校では見たことなどなかった。



 信頼感を失った代わりに少しの親近感を得た川口先生を見送った後、私たちは彩の家で夏休みの宿題の消化に努めた。

 あの後すぐに川口先生を追いかけて水族館に行けば、デート中の斎藤先生を見ることができただろう。それはもしかしたら貴重な情報になったかもしれなかった。だが、モラルに欠けた行いをするには、私たちはまだ若すぎた。



 

 夏休み初日はそんな風に終わっていった。
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