九月のセミに感情移入してる場合じゃない

はなまる

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第十三話 二十年前からやり直したいわけじゃない

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「振り上げの重心! もっと上体倒して!」

「抜き足の一歩目が乱れてるぞ! 左手で引き寄せて!」

「もっと低く跳べよ!」

 暗い校庭で、校舎近くの外灯に浮かび上がる克哉のフォームに目を凝らす。いつの間にか遠慮なく声を飛ばしていた。ああ、良いな! どんどん良くなる。

 克哉は俺の記憶よりもずっと良い選手だった。きっとまだまだ伸びる。それは複雑な感覚だった。とうに手放してしまった焦げ付くような想い。

『もっと速く、もっと滑らかに……越えて、越えて、跳び越えてみたい!』

 俺にはもう後ろ姿すら見えないを、克哉はまだ追いかけることができるのだ。
 美咲のことも、克哉の走る姿に似ている。懐かしくて、愛おしくて、抜けないトゲみたいに、見るたび痛みがぶり返す。

 だけどさ……。

 俺はからやり直したいと思ってるわけじゃないんだ。ここへ逃げて来たわけじゃない。
 どんなに懐かしくても、どんなに愛おしくても、ここは俺の戦場じゃない。



 十数本を走り『ちょっと休ませて……』と言いながら、俺の隣にドスンと腰を下ろす。ハアハアと荒い息を吐きながら、Tシャツを腹からまくって顔の汗を拭う。

「イチさん、スパルタ!」

「ああ、すまん。つい楽しくて……」

「あはは! イチさんも跳んでくれば? そろそろやりたくなっただろう?」

 その通りだ。跳んでみたくて、足がうずうずしてる。

「笑うなよ⁉︎」

「笑わないよ」

「倒すぞきっと」

「いいじゃん、倒せば」

「よし! やるか!」


 数年ぶりの全力疾走と、十数年ぶりのハードリングは、端的に言うと散々だった。ほとんど十本全てのハードルを倒し、最後には足を引っ掛けて盛大に転んだ。

 克哉は笑わないと約束したくせに腹を抱えて笑った。でも、笑われても思ったより情けない気分にはならなかった。
 それは、もう俺が選手ではないことのあらわれではあるのだけれど、走るごとに、ハードルを越えるごとに、気分は上向いていく。


 何度か走るうちに身体がフォームを思い出し、最後には一本も倒さずに、まあまあ気持ちよくゴール出来た。

「イチさん、やるじゃん! さすが俺!」

 克哉にそう褒められて、満更でもない気持ちになっていることが照れ臭くて、ヘッドロックをキメてやった。


 ハードルを用具倉庫に片付けて、帰り支度をしていると、俺と克哉の携帯にほぼ同時にメールが来た。俺の方には姉貴から、克哉には美咲からだ。内容もほとんど同じだった。

 姉貴は美咲を自宅には送らずに、一ノ瀬の家へと連れ帰ったようだ。

『美咲ちゃんと二人で餃子を山ほど作ったよ。早く帰って来い!』

 克哉が『イチさん、ハラ減ったな! 早く帰ろう』と言って走り出した。俺は打ち身とすり傷で痛む足を騙しながら追いかけ、きっと明日は全身が筋肉痛だなぁと思った。

 いや、もしかして明後日かも知れないな……!



     * * * *



 その晩の一ノ瀬家で餃子パーティーは、姉貴との酒盛りへと移行した。美咲と克哉は俺の携帯ゲーム機で、二十年後のゲームで盛り上がっていた。
 途中で両親が帰って来たが、姉貴が酔っ払いながら『この人、二十年後の克哉でぇっす!』と紹介したら『何バカなこと言ってるの!』と呆れていた。

 俺も少し酔っていたから『母さん、もうスクーター乗るのやめてくれ。四年後に畑に突っ込んで骨折するんだ! 前歯も折れる! 頼むから自転車にしてくれ!』と、つい未来情報を漏らしてしまった。あとでこっそり姉貴にだけ伝えようと思っていたのに。

 母さんは『ずいぶんノリのいい人ね』と笑っていたけれど、帰り際に『お父さんの若い頃に、あなたちょっと似ているわ』と、少し照れながら言っていた。
 克哉が俺の顔を見ながら、もの凄く嫌そうな顔をしていた。


 明日は祭りの前日だ。なんとか蓮水と接触しなければ。
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