九月のセミに感情移入してる場合じゃない

はなまる

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第二十一話 人の心はままならない

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「イチさん。なんか……あるんでしょう……。なにを知ってるの? 私に内緒で、克ちゃんとなにかしてるでしょう?」

「私と……克ちゃんに、何が起きるの?」

 美咲が不安そうに、それでいて追い詰めるように、俺をまっすぐに見つめて来る。肩まで伸びた髪が、朝の風に揺れている。

 不意に、美咲と最後に交わした言葉を思い出す。

『髪の毛、伸ばそうかなぁ』

 俺は何と応えたのか。いくら考えても思い出せない。


「美咲……髪、伸びたな。もっと伸ばすんだろう? そしたらさ、ポニーテールしてくれよ。きっと似合う」

 質問に答えずに唐突に違う話を振った俺に、美咲はむっつりしてスタスタと近づいて来て言った。

「そんな風に誤魔化せば、どうにかなると思ってるでしょう! イチさん、私を侮り過ぎだよ!」

 俺の鼻先に、ピッと人差し指を突きつけて来た。

 その腕をつかみ、ぐいっと引き寄せる。

「おまえこそ、俺を侮り過ぎだ。俺はなんだぞ」

 目をまん丸に見開き、パチパチと瞬かせる。

「俺にとって美咲は、今も忘れられないモトカノだ」

「えっ……」

 短くひと声発して、地蔵のように固まった。ハハ! ざまあみろだ。

「……なーんてな!」

 ペチンと美咲の額を叩き、腰に回した手を離すと、美咲はヘナヘナと尻もちをついた。

「ひ、ひどい! イチさん、からかった! びっくりしたよ!」

 怒って足をバタバタとさせる。あーあ、パンツ見えてんぞ!

「美咲、そこにでっかいカメムシいるぞ!」

「えっ、うそ! やだやだ! 臭くなったらバイト行けない!」

「ほらほら立って! 早く行かないと遅れるぞ。俺は先に行くからな」

「あーっ! またからかった⁉︎ イチさんのばかー!」

 美咲の叫び声を背中で聞いて、さっさと自転車に乗って走り去る。きっと今頃、すっかり誤魔化されたことに気づいて悔しがっている。あとで克哉に口を割らないように、釘を刺しておかないとな。

 姉貴の自転車を漕ぎながら、さっきの美咲の怒った顔を思い出して笑いが込み上げて来る。全く……可愛いったらありゃしない。
 まぁ、とは、このくらいの距離が丁度いいな。俺の倫理感が仕事をしてくれる距離だ。

 相手が克哉じゃなかったら……美咲がせめてあと十歳育っていたら、俺は引かなかっただろう。どんな手を使ってでも美咲を俺の方を向かせていた。
 だから、返って良かったとも言える。高校生相手に修羅場を演じるなんて、まっ平ごめんだ。
 そのくせ、美咲が克哉を裏切ってなかったことが、嬉しくて仕方ない。美咲が克哉を好きで良かった。俺も浮かばれる。
 いったい、なんだろうな。この矛盾に満ちた気持ちは。それとも、克哉は過去の俺なのだから、少しも矛盾していないのだろうか?


 美咲の身の潔白は信じていいだろう。あんなチョロいコムスメに、俺をあざむくほどの演技力はない。


 さて。美咲と蓮水の線が消えたとなると……。残る導線はひとつだ。



     * * * *



 俺はあの頃、自分の傷に精一杯で、君の気持ちを思いやる余裕がなかった。

『克哉くんのことがずっと好きだった』

 美咲の一周忌の日に、そんなことを言われても俺は『やめてくれ』としか思わなかった。美咲にみさおを立てているつもりだった。俺が美咲にあげられるものなんて『忘れないこと』だけだったから。
 自分の隣で死んだ親友の男を、好きでいる一年間なんてどんな地獄なんだよ。それだけだって、高校生の女の子が耐えられる状況じゃない。

 俺はこの時間軸に来るまで、君のことをすっかり忘れていた。心を病んでしまったという噂を聞いても、気の毒だとしか思わなかった。

『ごめんね』

 そう言った君の顔すら、俺は憶えていなかったんだ。克哉は、君のものにはならないよ。

 だから。

「もうそのへんでやめておけよ。君のしていることは、君が思っているより、ずっと悲惨な結果に結びつく」

 早川亜紀。

 君が、蓮水を焚きつけていたんだな。

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