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夢は語らない side
夢は語らない side:笠
しおりを挟むはなまる亭のバイトは楽しい。
店長の長窪さんは優しいし、先輩達も優しい。
夕樹はたまにむかつくけど、まあいいバイト仲間だ。
それに何より、はなまる亭にはあたしの好きな人がいる。
正直一目惚れだった。まず香賀先輩は顔がかっこいい。次にスタイルがいい。そしてなんと性格も抜群にいいのだ。
亡くなった彼女さんを一途に好きでいるのも推せる。
もっと香賀先輩の事を知りたいから色々話を聞くけど、香賀先輩はあんまり自分の事を話すのが得意じゃないみたいで、いまいち成果を得られないでいた。
出勤すると早速香賀先輩の後ろ姿が見えて、あたしは元気よく挨拶をした。
するとヒロ先輩があたしをイノシシ娘と言ってきたため、逆に聞き返して睨んでやった。
ヒロ先輩はいい人だけど、たまに調子に乗るから困る。
あたしの次は夕樹が出勤してきた。
冗談でジュース奢ってと夕樹に言うと、夕樹はざけんな馬鹿女と暴言を吐いた。
イラッとしたから香賀先輩には見えない位置で夕樹の足を踏ん付けておいた。
文恵先輩を見るとかなりぼーっとしていて、あたしは大丈夫かと声をかける。
文恵先輩はあたし達が若いから見ていたと謎の発言をした。婆さんかよというヒロ先輩のツッコミは失礼だったけど、あたしも同じ事を思った。
あたしはこっそり香賀先輩の近くに移動した。
香賀先輩は文恵先輩に長窪さんの居場所を聞くと、納得した顔をした。
ヒロ先輩が試作品を見てくると休憩室から出ていく。
香賀さんも厨房に行くと言ったため、あたしもついて行く事にした。
隣を歩くのは今日はちょっと恥ずかしくて、途中で先輩を追い越して厨房に向かう。
厨房に着くと邪魔な位置にヒロ先輩がいた。
ヒロ先輩の背中を押して前に行くと、そこには長窪さんの作ったラテアートが並んでいた。
ハートもリーフも可愛かったけど、一番可愛いの3Dあざらしだった。
長窪さんに天才だと言うと謙遜されたけど、あたしには謙遜する意味がわからなかった。
長窪さんは今度は3Dの兎と熊を真剣な顔で作り始めた。
黙って作業を見守っていると、ヒロ先輩がどうやんのそれと興奮気味に声を上げる。
あたしはやばい可愛いすごいしか言葉が出てこなかった。
香賀先輩がメニューに加えるのか聞くと、長窪さんはもう少し上手になったらと答えた。
今のままで充分すごいと言うヒロ先輩に、あたしは頷いて同意する。
そしてそのまま流されて、長窪さんが神である事を伝えに休憩室に戻った。
香賀先輩にはちょっと怒られたけど、今はあまり気にならなかった。
休憩室の扉を開けてヒロ先輩とさっきみたラテアートを語る。
「てか動画撮れば良かった……」
「それな」
「そんなすごかったんすか?」
「北島は見てねーからわかんねぇんだろうけど、あれめっちゃ芸術だったから」
「そうそう! あれは見た方がいいよ!!」
力説すると夕樹はちょっと引きながらも首を縦に振った。
文恵先輩はあまり興味がないのか、今日もよろしくと言って開店準備に向かった。
あたしも制服に着替えて開店前のホールの準備を夕樹とする。
途中見かけた長窪さんにラテアートの写真を撮り忘れたと落ち込むと、また今度と許可を貰った。
♢
今日は貸切の団体さんが来た。
持ち込みは魚だったけど、でっかいマグロの塊を持ってきたみたいで、厨房のメンバーはバタバタしていた。
ホールのメンバーのあたし達もまあまあ忙しかったけど、お客さん達が皆いい人な事もあって、順調に仕事が終わった。
後片付けをして休憩室に戻ると、テーブルに今日のまかないのマグロ丼が置いてあった。
美味そうと言うヒロ先輩の声に皆が頷く。
長窪さんにわさびはどうするかと聞かれて、あたしは手を挙げてわさび抜きをお願いした。
するとヒロ先輩がガキとからかってきたけど、その直後文恵先輩があたしと同じわさび抜きを長窪さんにお願いした。お揃いである。
あたしは手を洗うと、すぐに香賀先輩の隣の席に座った。
椅子に座るとヒロ先輩は香賀先輩にハーレムを築くなと文句を言っていたけど、長窪さんは両手に花だと笑っている。
……もしかして、文恵先輩も香賀先輩の事好きなのかな。
顔を見ようとすると、夕樹にゴリラと言われて反射で殺害宣告してしまった。
睨んでも夕紀は無反応だ。
文恵先輩はやるなら外でやってと投げやりだった。
たいした会話はじゃないのに香賀先輩から文恵先輩が話しかけられていて、あたしは少し寂しくなった。
箸とお茶が皆に配られて、手を合わせる。
試しに一切れだけマグロを食べてみると、めちゃめちゃ美味しくて自然とご飯が進んだ。
隣の香賀先輩も美味しそうにマグロ丼を頬張っている。ビジュがいい。
あたしは横顔を盗み見たのがバレないように、目を伏せてまたご飯を口に運んだ。
ぶっちゃけまかないは食べなくても支障はないけど、こうして香賀先輩と一緒の時間を過ごしたいから頼んでいる。
どんぶりの三分の一くらいを食べたところで、ヒロ先輩がお茶漬けが食べたいと言い出した。
あたしは無視していたけど、長窪さんは優しいからちょっと待っててと返事をした。
だけど文恵先輩がヒロ先輩の言葉を遮って立ち上がると、不機嫌な様子で長窪さんの代わりに出汁を作りに出ていった。
長窪さんが声をかけても文恵先輩は振り返らなかった。
ヒロ先輩は文恵先輩が怒ったか心配していたけど、あれは完全に怒っていただろう。
長窪さんをパシろうとするからと言うと、夕樹も最低だと応戦した。
でもヒロ先輩は自分の非を認める気はないらしい。
夕樹と一緒に冷たい目をヒロ先輩に向けると、長窪さんは苦笑した。
長窪さんは文恵先輩は怒っていないとヒロ先輩に気を遣って言っていたけど、絶対に嘘だ。
確かに文恵先輩は自分の事では怒らない。でも先輩は他人の事になると結構怒るのだ。
前にあたしが痴漢されたと話した時も、自分の事みたいに怒っていた。
夕樹は文恵先輩があまり笑わない事に納得している。
長窪さんは文恵先輩があたし達といると楽しそうだと話すと、御礼を言った。
特に何もしていないのに感謝されるなんて変な感じだ。
夕樹はこちらこそなんて言って頭を下げている。
あたしは慌てて自分も楽しいと言うと、ヒロ先輩に同意を求めた。
こういう真面目な話は苦手なのだ。
ヒロ先輩はあたしの気持ちを汲み取ってくれたみたいで、全力で同意すると長窪さんにありがとうを言い返した。
香賀先輩が何も言っていなくてつい目を向けると、先輩は不思議そうな顔をした。
何か言えとヒロ先輩に言われて、香賀先輩は何をとまた不思議そうな顔をする。
そして香賀先輩は文恵先輩は長窪さんに休んでほしかったから席を立っただけと淡々と言った。
ヒロ先輩をさりげなく馬鹿にすると馬鹿って言うなと怒られていたけど、香賀先輩は箸で人を指すなとヒロ先輩に指摘した。お茶を飲んでいる香賀先輩は優雅だ。
行儀が悪いとヒロ先輩をからかうと、ヒロ先輩はあたしに肘を付くなと言った。
舌を出して肘は付いていないし浮いていると反論する。
夕樹がどっちもどっちと失礼な事を言ってきて、思わず可愛くない声を出してしまった。
「だいたい夕樹はさ、ムスッとしすぎ!」
「あと生意気な! もうちょい先輩敬えよ!」
ヒロ先輩と一緒になって言っても、夕樹は素知らぬ顔でマグロ丼を食べていた。腹立つ。
もう一言言ってやろうと思ったけど、そこに文恵先輩が帰ってきた。
文恵先輩はこっちの様子を気にする事なく、鍋敷きを置いて、その上に出汁の入った鍋をテーブルの真ん中に置いた。
お腹の空く匂いがする。
ヒロ先輩は文恵先輩にパシった事を謝ると、出汁をどんぶりに入れて貰っていた。
文恵先輩が自分の分に出汁を入れると、香賀先輩はその様子をじっと見ている。
文恵先輩が聞くとどうやら香賀先輩は出汁が欲しかったようで、人数分あるか気にしていたらしい。可愛い。
不意にきゅるりと自分のお腹が鳴って、あたしは誤魔化すようにテーブルに突っ伏して文恵先輩に出汁をお願いした。
——食べているのにお腹が鳴るなんて恥ずかしすぎる。
あたしは文恵先輩に出汁を注いで貰うと、早速お茶漬けのマグロ丼を口に運んだ。
ヒロ先輩はあたし達もお茶漬けを食べている事に不満を言っていたけど、あたしはヒロ先輩みたいに図々しく頼んでいないと言い返した。
夕樹もパシったりしていないと反論している。
流石に分が悪かったみたいでヒロ先輩は香賀先輩に助けを求めていたけど、あっさり見捨てられていた。ウケる。
お茶漬けは今まで美味しいと思った事がなかったけど、この日のお茶漬けは過去一美味しかった。
まかないを食べ終えると、長窪さんは約束を忘れていたみたいで珍しく早く退勤した。
早く帰るようにと文恵先輩に言われて、夕樹と適当に返事をして更衣室に向かう。
家族の送迎もだけど、ここの人達も心配しすぎだ。まだ十時半だし、家も割と近いのに。
香賀先輩と上手く一緒に帰れないかなーと考えていると、ふと今日家族に送迎の時間を言い忘れていたのを思い出して憂鬱になった。
今の時間だとお母さんかお姉ちゃんがいるけど、ワンチャン寝ている可能性もある。
あたしは着替えを済ませると、廊下でヒロ先輩と会った。
何その顔と突っ込まれて、お迎え頼むのを忘れててと答える。
電話すりゃいいだろとヒロ先輩は言ったけど、うちの連中は寝起きがすこぶる悪いのだ。
あたしは怒られたくないと首を横に振った。
するとヒロ先輩は何を思ったのか、更衣室から出てきた香賀先輩を捕まえると、どういう訳かあたしの送迎を頼んだ。そんな展開、聞いてない。
パニクっているといつの間にか裏口から出ていて、香賀先輩にこっちかと道を聞かれた。
返事の声が緊張で裏返って死にたくなった。絶対変に思われた。
近いんだっけと言われて、まあまあと答える。
イメージでは完璧だったのに、現実となると上手いコミュニケーションが取れなくてちょっと泣きそうになった。だって二人きりは初めてなのだ。
徒歩七分の道のりを歩くと遠く感じたけど、家に着いてしまうと短く感じて、もっと家が遠ければ良かったと思った。
全然話せなかったけど、あたしはまっすぐ香賀先輩に向き直ると御礼を言った。
香賀先輩はあたしに手を振ると、駅の方に歩いていった。
——こっちの方向じゃないのにわざわざ送ってくれたんだ。
そう思うと、あたしはますます香賀先輩が好きになった。
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