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夢は語らない side
夢は語らない side:福田
しおりを挟むはなまる亭のバイトはかなり楽しい。
智之を誘って一緒に始めたけど、職場も家から割と近いし、何より人間関係が良かった。
店長の長窪さんもいい人だ。
八重野ちゃんはたまに何考えてるかわからない時があるけど、基本的には優しい。
現役高校生の沙也香は智之に熱を上げていて、同じ高校生の北島は最近八重野ちゃんが気になっているらしかった。
そこだけ聞くと初々しくて可愛らしいモンだが、あいつらは俺に対してなかなか生意気だ。もっと俺を敬ってほしい。
今日は智之と待ち合わせをしていたけど、電車が一本遅れたせいで智之に置いて行かれた。
待っててくれてもいいのに薄情な奴である。
八重野ちゃんに挨拶してから智之に詰め寄ると、煙草が吸いたかったからと平然と言った。
俺だって吸いたかったわと智之にツッコミを入れる。
すると沙也香が元気よく休憩室に入ってきた。
相変わらず猪突猛進だ。
猪娘と口にすると、沙也香に何か言ったかと睨まれたため、適当に誤魔化した。
沙也香の次は北島が出勤して、いつものように沙也香に絡まれていた。
ぼーっとしている八重野ちゃんに沙也香が声をかけると、高校生組を見て若いなとしみじみしていたらしく、思わず婆さんかよとツッコミを入れる。
八重野ちゃんは怒る事も笑う事もなく、微妙な反応だった。
智之が長窪さんの居場所を聞くと、八重野ちゃんは厨房で試作品を作っていると言う。
俺は長窪さんの作る試作品に興味があって、早速厨房に見に行った。
ノックをして厨房の扉を開ける。
挨拶をすると、長窪さんは出来上がったばかりの試作品を見せてくれた。
テーブルに置かれたラテアートは定番のハートやリーフがあって、3Dのあざらしもある。
すごいと声を上げると、後ろから邪魔だと沙也香に背中を押された。
沙也香は可愛いと目を輝かせると、長窪さんを天才だと褒め称えた。
長窪さんはそんな事ないよと謙遜したけど、絶対そんな事ある。
長窪さんは3Dの兎と熊を真剣な顔をして作り始めた。
——やっぱりこの人は職人だ。
俺はまたすごいと長窪さんを賞賛した。
沙也香も興奮気味に叫んでいる。
智之がラテアートもメニューに加えるのか聞くと、長窪さんはもう少し上手になったらと答えたけど、もう今のままで充分上手い。
俺は長窪さんのすごさを八重野ちゃんと北島に伝えるため、沙也香と結託して休憩室へ走った。
興奮のままに思った事を口にすると智之にもうちょい静かにしろと言われたけど、それより長窪さんのすごさを伝えるのが最優先事項だ。
勢いよく扉を開けて休憩室に入る。
「や、マジすごかったんだって。長窪さんのラテアート!」
「超可愛かったんですよ!! あっ! 写真撮れば良かった~!!」
長窪さんの話をすると、八重野ちゃんは少し得意げな顔をした後、今日もよろしくと開店準備に向かった。
俺と智之も制服に着替えて、厨房の開店準備へ急いだ。
♢
今日は貸切で魚の持ち込みが一件。
でもその魚がマグロという事は誰も知らされていなかった。
まな板をはみだすマグロの塊は見るからに新鮮で美味そうだった。
しかも持ってきたお客さんは、調理に時間がかかってもいい上に余ったら俺達にくれるとの事だった。神である。
今日のまかないがマグロなのは純粋に嬉しかった。
盛り付けをこだわると長窪さんに褒められて、ますます俺はテンションが上がった。
厨房はなかなか忙しかったけど、長窪さんが的確な指示をしてくれたおかげでちゃんと回った。
刺身やサラダの他にステーキや竜田揚げ、照り焼きを作って、最後はお茶漬けを作った。
智之と一緒に味見をさせて貰ったけど、味見の時点で美味すぎた。
担当場所の片付けを済ませると、先に片付けを終えた長窪さんと智之がまかないのマグロ丼を作っていた。
退勤するスタッフにお疲れ様ですと言って見送る。
「運ぶの手伝ってくれ」
「あいよ」
智之に運べと頼まれたマグロ丼を一緒に休憩室へ運んでテーブルに並べると、なかなか圧巻だった。
こんなにマグロが載ったどんぶりを目にしたのは初めてかもしれない。
ちょうどホール組も戻って来て、俺が美味そうと感想を口にすると全員が首を縦に振った。
長窪さんがわさびはどうするか聞くと、沙也香がいち早く手を挙げてわさび抜きと言った。
すかさず沙也香をガキとからかうと、八重野ちゃんもわさび抜きを希望したからびっくりした。意外すぎる。
沙也香は八重野ちゃんにお揃いですねと言った後、俺に勝ち誇ったような笑みを向けると手を洗いに行った。
ちょっと苛ついたけど、まあ大目《おおめ》に見てやろう。
俺も手を洗いに行くと、空いた席に座った。
智之が女子二人に挟まれていて文句を言うと、長窪さんは両手に花だと笑う。
北島が片方ゴリラと言ったせいで沙也香に殺すと言われていたけど、北島は全く気にしていないようだった。
八重野ちゃんに至ってはやるなら外でやってと投げやりだった。
どうも皆早くマグロ丼を食べたいらしい。
箸とお茶が全員に行き渡ったところで、俺は手を合わせた。
偶然にも声が揃って小学校の給食を思い出した。
マグロを口に運ぶ。
滅茶苦茶美味くて、醤油とわさびがやっぱり相性抜群だった。
……これを茶漬けにしたらまた美味いんだろうなぁ。
半分くらい食べ進めたマグロ丼を見つめる。
食べたいと言って周りを見ても誰も動いてくれなくて、俺は優しい長窪さんの名前を呼んでおねだりした。
長窪さんは快く出汁を作るのを引き受けてくれたけど、八重野ちゃんが俺の返事を遮って、出汁を作ってくると休憩室から出ていった。
休憩室が無音になる。
俺はさっきの八重野ちゃんの声色を思い返して、怒ったかと呟いた。
すると沙也香は俺が長窪さんをパシろうとするからと言った。
続いて北島が最低だと俺を罵る。
長窪さんにお願いしようとしただけだと反論しても、沙也香と北島は俺に冷たい目を向けてきた。
友達であるはずの智之は完全にスルーしている。俺の味方は長窪さんだけだった。
長窪さんは八重野ちゃんは怒っていないからと言うと、感情表現がわかりづらいだけで元々誤解されやすいのだと説明した。
納得するように北島が確かに八重野ちゃんはあんまり笑わないと言う。
長窪さんは歳の近い俺達といると八重野ちゃんは楽しそうにしているから、いつもありがとうと俺達に御礼を言った。
思いもよらない感謝に北島が頭を下げると、沙也香がすぐに自分達も楽しいからと俺に同意を求めた。
俺はそれに便乗して頷くと、長窪さんにいつもありがとうと御礼の言葉を返す。
何も言わない智之に目を向けると、智之は何故か不思議そうな顔をした。
何か言えと智之に言うと、智之は何をと聞き返した。
八重野は長窪さんに休んでほしいから席を立っただけだと言うと、暗に気にするなと俺に告げた。
それはそれとして馬鹿って言うなと反論する。
箸で人を指すなと正論が返ってきて、俺は思いきり顔を歪めた。
行儀が悪いと煽る沙也香にお前こそ肘を付くなと言い返す。
笠は舌を出すと、小学生みたいに浮いていると反論した。
沙也香に言い返そうとすると、北島がどっちもどっちだと失礼な発言をしてきて、俺はカチンときた。
「なんか夕樹クールぶってるけどアンタもアンタだからね!」
「そうだよお前スカしやがって!」
笠と一緒になって文句を言っても、北島は眉ひとつ動かず沈黙を貫《つらぬ》いている。
ちょうど八重野ちゃんが戻ってきて、俺は開きかけた口を閉ざした。
八重野ちゃんは鍋敷の上に出汁の入った鍋を置くと、平然と俺のどんぶりに出汁を注いだ。
出汁の良い匂いが食欲を刺激する。
パシリに使ってごめんと八重野ちゃんに謝ると、八重野ちゃんは私も食べたかったからと自分のどんぶりに出汁を注いだ。怒ってはいないようだ。
「ありがとな八重野ちゃん」
「いえ」
茶漬けになったマグロ丼を口に運ぶと、それは俺に新たな美味さを提供した。
丼の時とはまた違うマグロの味が口に広がる。
こっちの方が好きかもなと食べていると、智之も沙也香も北島も長窪さんも、結局皆八重野ちゃんに出汁を注いで貰っていた。
それを指摘すると、生意気な後輩共は俺みたいに図々しく頼んでないとか、俺みたいにパシったりしてないとか言って反論した。
智之にどう思うとフォローを求めても、智之は妥当な扱いだと言い切る。
俺は思わず何かしたかと突っ込んだけど、智之は笑うだけだった。
なんだか年々扱いが雑になっている気がする。
俺は小さな不満を抱きながらも残りの茶漬けを味わうと、空腹を満たした。
皆が食い終わった頃に長窪さんに電話がかかってきた。話を聞くに友達と飲みに行く日だったのを忘れていたらしい。
断ろうとする長窪さんを八重野ちゃんが目で威圧するところを見て、俺はちょっとした恐怖を感じた。
長窪さんも八重野ちゃんには勝てなかったようで、俺達に挨拶するとすぐに出ていった。
「じゃあお疲れ様でしたー」
いそいそと退勤する智之を追いかけて、更衣室前で片付けをしてから帰ると告げる。
一応後片付けは大人の誰かがやる事になってはいるけど、八重野ちゃんも連勤だから今日くらいは早めに帰してやった方がいいだろう。
俺は休憩室から出てきた八重野ちゃんを捕まえると、持っていたトレーを取り上げた。
八重野ちゃんは急な出来事にぽかんとすると、我に返って手を振った。
「や、でも悪いですよ。これは私の仕事ですし」
「大人なら別に俺でもいいっしょ。鍵閉めも長窪さんから許可貰ってるし」
「福田さんの帰りが遅くなるじゃないですか」
「だから俺明日なんもないんだって」
八重野ちゃんはなかなか手強かった。
責任感の強さなのか遠慮なのか、いっこうに頷こうとしない。
俺は小さく息をつくと、わざと困った顔をした。
「……俺、信用されてない?」
「っそんな事ないです!」
「んじゃ片付けて帰るね。いつもやって貰ってるし、今日は出汁も作って貰ったからさ」
そう言うと八重野ちゃんは渋々ながらも納得して、俺に甘えて帰ると言った。
またねと八重野ちゃんに片手を振って厨房へ向かう。
シンクにどんぶりを置いてぬるま湯で浸すと、早速スポンジに洗剤を付けて洗った。
水で泡を流して水切りラックの上に置く。
休憩室に忘れた台拭きを取りに行くと、沙也香がちょうど更衣室から出てきた。
「よ、お疲れー」
「お疲れ様でぇす」
「何お前その顔」
「いやー今日お迎え頼むの忘れてたから歩いて帰らなきゃいけなくて……」
「? 電話すりゃいいだろ」
「やだ、怒られたくない」
沙也香はブンブンと勢いよく首を横に振った。
気持ちはわかるけど、この時間に高校生を一人で帰らせるのもなと思った俺は、更衣室から出てきた智之を引っ張って沙也香の送迎を頼んだ。
北島はと聞かれて一瞬クエスチョンマークが浮かぶ。
アイツは家が近いし男だから大丈夫だろう。
適当に言って休憩室に行くと、既にテーブルが拭かれた後で、俺は台拭きを掴んで厨房へと戻った。
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