これが恋だというのなら、

池代智美

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純粋な好意 side

純粋な好意 side:北島

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——八重野文恵。俺の好きな人だ。

 最初はお節介な、ちょっと変わった年上の女の人くらいにしか思っていなかった。
 世間一般では不良という普通なら近寄り難い存在である俺に、臆する事なく話しかけて、あれこれ世話を焼く不思議な人。
それが俺の八重野先輩に対する第一印象だった。

 俺は年上の人間に、いい思い出がなかった。
 "先輩"という立場を利用して暴力を振るう連中や、子供だからと俺をないがしろにする"大人"が多かったからだ。
だけど八重野先輩は俺の考えを切り捨てないで受け止めて、その上で悪い事は悪いと言った。
それも学校の先公共せんこうどもみたいに恩着せがましい言い方じゃなくて、本当に俺の事を思っているような優しい言い方だった。

 先輩は俺が喧嘩して傷を作る度に手当てをしてくれた。
 売られた喧嘩は買う主義である俺は知らず知らずの内にその界隈で有名になってしまったらしく、以前負かした奴らが報復にやって来る事もあった。
そういう奴らに遭遇して、いつものように迎撃したけど、その日は数が多すぎて逆に追い詰められた。
 俺はそこで一方的な暴力を振るわれた。
その時ふと思い出したのは、先輩が言っていた"良い事も悪い事も全部自分に返ってくる"という言葉だった。
 どんな理由があったとしても所詮しょせん暴力は暴力だと、自分がしてきた行いはこういう事なのだと思い知らされた。
 俺は殴られながら過去の自分の行動を後悔した。
 結局その後は反応がなくなった俺に飽きた連中が帰って事なきを得たけど、後日先輩や長窪さん達にかなり心配された。
顔に怪我をしていたから福田先輩と交代して、厨房の仕事に回された。
 八重野先輩はわざわざ俺の休憩時間にガーゼを取り替えてくれたりして、優しかった。
その一件があってから、ただのバイト先の先輩が気になる存在に変わっていった。

——そうしていつの間にか、俺は先輩を好きになっていた。

 でも最近、八重野先輩は香賀先輩と仲がいい。心なしか距離も近い気がして、二人の間に何かあったと思った。
 先輩とシフトが合わなくて、一緒に帰れるタイミングを逃していたけど、ようやく今日そのチャンスが巡ってきた。

「俺は沙也香送るから、北島は八重野ちゃん送れよ」
「そうですね!」
「いや、高校生に送って貰うのは……」
「何言ってんですか文恵先輩! 夕樹なら武道の腕あるから万が一でも大丈夫ですよ!」
「そーそー。それに時間まだ早いから送って貰えって」

 八重野先輩は困った顔をしている。
 
「でもやっぱり遅い時間だから……」
「……俺じゃ頼りにならないって事ですか」
「えっ、いや、そういう訳じゃ……」
「ならいいじゃないすか。黙って送られてください」

 先輩は不満そうだったけど、俺は満足だった。  
 押しに弱いからこうやってつけ込まれるのに、なんだかんだで先輩は甘い。

 帰り道、俺は先輩に学校のテストの事や友達の事を話した。
 一番気になっていた香賀先輩との仲を言うと、普通だとよくわからない返事をされた。
 誤魔化されているみたいでムッとなって、今日だって楽しそうに話していたと指摘する。
 気付けば俺は勢い余って八重野先輩に告白していた。
 好きだと言うと、先輩は驚いた後明らかに戸惑っていた。
 先輩は俺の告白に恋愛的な意味での好きなのかと聞いた。
そうだと頷くと、今度は俺より年上だから自分が犯罪者になってしまうと言う。
じゃあ卒業したらいいのかと聞くと、そうじゃなくてと言葉を濁された。
 はっきりしない先輩の態度に少しイラついて、どういう意味だと聞くと先輩は沈黙した。
 挙句の果てに自分よりいい子はたくさんいるんだからと眉を下げる。

——だから何なんだ。

 俺は先輩のその言葉を、告白の返事だと思いたくなかった。
 先輩がいいと言うとどうしてと聞かれたため、 俺自身を見てくれたからだと答える。
 逃げられないように八重野先輩の細い肩を掴むと、俺は自分が嫌いかと問いかけた。
 先輩はそうじゃないと否定したけど、俺の好意は勘違いだと話した。
 俺はどうしようもなく腹が立った。
でもそれ以上に胸の奥が苦しくて痛くてたまらなかった。

 俺の告白を断るのは別にいい。
でも好きになった事自体を否定されるのは、いくら好きな人でも許せなかった。
 俺は謝ろうとする先輩の言葉を遮った。
 唇を塞いでしまえば本気度が伝わるかと、先輩の顔に自分の顔を近付ける。
 先輩は手でそれを止めると、後悔するよと俺に言った。
 好きだから後悔しないと言い返しても、先輩はこういうのは好き同士がやる事だからと言う。
 苦しそうな顔をしていたから、俺には強硬手段は取れなかった。先輩はずるい。
 目が合うとどうしても近付きたくなって、俺は八重野先輩の頬に触れると、じっとその目を見つめた。
 俺が先輩を好きな気持ちに嘘はない事と、疑うなら何回でも好きだと言ってやる事を告げる。
 一週間後にまた返事は聞くと言って、俺は先輩の返事を待たずに走った。
送るのが中途半端になってしまった事に気付いたけど、今更もう戻れなかった。



 後日はなまる亭で八重野先輩と一緒のシフトになると、先輩が少しぎこちない態度だった。
 告白しても意識されないかと思っていたけど、先輩のそれは俺にとって一つの収穫だった。
 
——もしかしたら、俺の事を好きになってくれるかもしれない。

 俺は希望を持つと、いつもと同じように普段通りの態度を心がけた。
 声をかけると先輩はたまに肩を跳ねさせてびっくりしていて、笑っちゃ駄目だけど少し面白かった。
 意識しているのが可愛くて、俺はにやけそうになるのを我慢しながら目の前の業務をこなした。

 しばらくして休憩室に行ったはずの長窪さんと廊下ですれ違った。
 どうやら福田先輩が八重野先輩を呼びに行って帰って来ないらしい。
 俺はついでに厨房に行くからと言って長窪さんに休憩に戻って貰うと、厨房へ急いだ。
 厨房の扉を開けると八重野先輩は食器を洗っていたけど、福田先輩は先輩の頭を馴れ馴れしく触っていた。
 セクハラ野郎から先輩を遠ざけようと福田先輩の手を引っ張る。
 折る気かと文句を言われたけど、折れればいい。
 怖いと言うセクハラ野郎を無視して、八重野先輩に大丈夫かと声をかける。
でも先輩は、大丈夫だけど福田先輩には謝れと言った。
仕方なく謝ると、福田先輩にクソガキと言われたけどそんなの今更だ。

「だいたいお前は生意気すぎ! 腕力で何もかも解決しようとすんな!」
「はあ」
「こんの野郎……」

 福田先輩は俺の態度にごちゃごちゃ言ってきたけど、俺は適当に聞き流して反論すべきところは反論した。
するといきなり福田先輩が、脈絡なく八重野先輩の肩を抱き寄せた。
彼氏でもないのに独占欲ありまくりかと挑発してきたため、俺は悪いかと開き直って八重野先輩にベタベタ触るなと言い返す。
 福田先輩は俺が八重野先輩を好きな事を見抜いているようだったけど、そんなもの何の脅しにもならなかった。だいたい、好きな人を好きで何が悪いんだ。
 俺は福田先輩から八重野先輩を引き離すと、三日後逃げないように忠告してから厨房を出た。
 先輩の反応が見れなかったのは残念だったけど、三日後に知れると思えば我慢出来た。



——ついに約束の日がやって来た。

 返事を待っている間の三日間は短いようで長かった。
 八重野先輩は俺を意識しているみたいで、たまに目が合うとわかりやすく逸らした。

 帰り道、先輩と並んで歩く。
 沈黙が続いたけど、いい加減答えが欲しかったため、俺は直球に告白に対する返事を聞いた。
 先輩の返事は"ごめん"だった。
 もしかしたらという期待があった。
でも同時にあったのは、やっぱりという思いだった。
 理由を聞くと、先輩は俺が年下だからそういう対象としては見れないと言う。
 じゃあ仮に俺が年上だったらその対象に入っていたのかと問いかけると、先輩は前を見て歩きなよと話を逸らした。
 俺はいいから答えてと返事を急かした。
 先輩は溜息をつくと、俺が年上でもそういう対象としては見れなかったと言った。
 別に悲しくはなかった。
ただ先輩が嘘をついているのが、俺はなんだかすごく嫌だった。
 先輩は気付いていないかもしれないけど、俺に嘘をついて誰かの影に怯えている。

——八重野先輩は、人を好きになる事を怖がっているのだ。

 それはおそらく先輩が前に話した、あの最低男のせいだろう。
 曖昧な関係を引き延ばして、別れすら告げずに先輩から離れていった男だ。そいつが先輩を過去に縛り付けている。
だけど自分の気持ちを無視して俺に良いように言う先輩に、俺はむかついた。
 嘘つきだと言うと、先輩はちょっとムッとした顔で嘘じゃないと言い返した。
今までで見た事のない新鮮な反応だった。
 まだ先輩はそいつを好きでいるかもしれないけど、肝心な時に傍にいなかった奴に俺は負ける気はなかった。
 畳みかけるように俺じゃない何かに怯えていると指摘する。
 人を好きになる事に怯えているだろうと言うと、先輩は足を止めた。どうやら図星だったようだ。
 先輩は俺を睨みながら、それの何が悪いんだと開き直った。
 良かったと言うと先輩は不思議そうな顔をする。
 まだ可能性があるという事だと話すと、先輩は呆気に取られていて、俺は子供っぽい先輩の反応に笑ってしまった。
 先輩に俺の事嫌いじゃないでしょと言うと、案の定嫌いじゃないけどという答えが返ってきたため、俺は八重野先輩に好きな人が出来るまでは諦めないと言った。

「ちゃんとした理由がないと断った事にはならないですよ」

……俺を嫌いだって言ったら、それで終わっていたのに。

 他人に冷たく出来ないのは、先輩が優しいからだ。俺は先輩のそういうところを好きになった。
 先輩の手を握る。
 小さくて柔らかくて、力を入れてしまえば折れそうな手だ。
 先輩は好きでいるメリットがないと言ったけど、それは違う。
 男の前で無防備に目を瞑る先輩にドキッとして、一歩距離を縮める。
 俺は聞こえるように先輩の耳元で、好きな人を好きでいる事にメリットもデメリットもないと言った。
 俺が先輩を好きになったのは“先輩”が“先輩”だったからで、そこにメリットもデメリットも存在しない。
 諦めきれないのは先輩をまだ好きだからだ。
告白を断られたからといって、簡単に好きの気持ちは捨てられない。
 迷惑か聞くと、先輩は観念したように首を横に振った。
 俺は嬉しくて、思わず握る手に力が入った。
 謝る先輩に隙がありすぎだと忠告する。
 色々言いたい事はあったけど、込み上げてくるこの感情をどうにか発散させたくて、俺は先輩の手を引いて走った。
 八重野先輩は早いと文句を言ったけど、俺の足は止まらない。

 この感情を何と呼ぶか、俺は知らない。
 先輩を諦めなくていいのは素直に嬉しかったし、先輩に今度こそ好きな人が出来たらいいと思ったのも本当だ。
 俺は八重野先輩が俺を好きになってくれる未来を想像して、先輩の手をぎゅっと強く握り締めた。
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