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第六話 純粋な好意
第六話 純粋な好意
しおりを挟むあれから香賀さんは、よく笑うようになった。
勿論今までも笑っていたが、今の香賀さんの表情は以前と比べると晴れやかだ。
香賀さんは怖くて自分では読めなかったと後日話をしてくれた。
彼女さんのお墓参りをする事で香賀さんは現実と向き合って一歩前進したらしく、ずっと書けなかった曲も今は試行錯誤を重ねてなんとか書いているそうだ。
また、リハビリも兼ねてはなまる亭のBGMを作ってくれるらしい。
私は香賀さんのこれからが楽しみになった。
今日は久しぶりに、いつものメンバーでまかないを食べた。
まかないはカツ丼で、男性陣はおかわりをしていた。
香賀さんは長窪さんと話がしたいそうで、二人を残して私達は解散した。
帰りは福田さんが沙也香ちゃんを、北島くんが私を送る事になった。
高校生である北島くんに送って貰うのは色々問題があるから断ったが、武道の経験がある北島くんなら危ない目に遭っても大丈夫だと沙也香ちゃんと福田さんに口を揃えて言われた。
北島くんには俺じゃ頼りにならないんですかと凄まれて、結局断りきれなかった。
北島くんとこうして一緒に帰るのは、三ヶ月ぶりくらいだろうか。
変わった話題は特になく、北島くんはこの間のテストの結果や今日の福田さんの絡みがやけに鬱陶しかった事を話した。
他校の生徒との喧嘩が減った事や、学校の友達が増えた事も教えてくれて、温かい気持ちになった。
気心の知れた友達が増えるのは良い事だ。
北島くんはまだ一匹狼の気質が抜けていないようだが、時間が経てば皆の中心的存在になるだろう。
元々根は優しくていい子だから、女の子にもモテるはずだ。
「……八重野先輩って、香賀先輩と仲いいっすよね」
「そう? 別に普通だと思うよ」
「仲いいっすよ。今日だって、なんか楽しそうに話してたし」
第三者からは私と香賀さんが仲良さそうに見えるらしい。
最近のシフトは香賀さんと被る事が多かったから、もしかしたらそのせいかもしれない。
時々香賀さんは職場にノートパソコンを持ってきて、作った曲の感想を私に聞いてきた。
でもそれは私だけに聞いているのではなく、福田さんにも他の皆にも聞いているはずだ。何も私だけが特別という訳ではない。
それなのに北島くんは眉間に皺を寄せている。
私は嫌な予感がして、話題を変えようと口を開いた。
「——俺、八重野先輩が好きです」
私が言葉を発する前に、北島くんがはっきりとした言葉を告げた。
——好き? 北島くんが、私を?
開きかけていた口を閉じてまた開く。
私の声は、間抜けにもただの吐息にしかならなかった。
私は口に出す言葉に迷って、必死に思考を巡らせた。
「……えっ、と……それは、恋愛的な意味で?」
「そうっす」
「無理だよ。だって私は年上だし、北島くんより六つも上なんだよ? 私が犯罪者になっちゃう」
「じゃあ卒業したらいいんですか?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあどういう意味すか」
言い淀む私に、北島くんは容赦なく言葉を浴びせた。
私にとって北島くんははなまる亭での仲間だ。それ以上でも以下でもない、ただの仕事仲間。
でも北島くんはいい子だから、私の言葉で不用意に傷付けたくなかった。
上手い返事は見当たらない。
何を選んでも、北島くんを傷付けてしまうような気がした。
「私なんかより……もっといい子が、いっぱいいるよ」
「俺は先輩がいいんです」
「どうして、私なの」
「八重野先輩は、俺の事ちゃんと見てくれたから。ただの不良の高校生とかじゃなくて、“俺”を“俺”として見てくれたから。だから俺は八重野先輩を好きになったんだ」
返した言葉の分だけ、倍になって自分に返ってきた。
不良だからといって怖がる事も見下す事もせず、一人の人間として接した私を北島くんは好きになったらしかった。
北島くんの気持ちは嬉しいが、正直私は困った。
だって北島くんはまだまだ若いのだ。
わざわざ私みたいな面倒くさい人間を選ばなくても、可愛くて性格のいい女の子をこの先選べばいい。
おそらく北島くんは盲目的になっているのだろう。
私は北島くんの未来を潰さないためにも、ここできちんと断らなければならない。
小さく息をつくと、不意に北島くんに肩を掴まれた。
「先輩は、俺が嫌いですか」
「嫌いじゃないよ。可愛い後輩だと思ってる。でも北島くんのそれは、きっと違うよ。初めて優しくされたのが私だから、好きだって錯覚したんだと思う」
「……俺の、勘違いって言いたいんですか」
強い眼差しが私を射抜く。
勘違いは言いすぎかもしれないが、概ね合っている。
ゆっくり頷くと、私の肩を掴む北島くんの手に力が入った。
「フッてもいいけど、でも……っ俺の、気持ちまで、否定すんのやめてくださいよ……!!」
「ごめ、」
「謝んな!」
泣きそうな顔で言われたら、もう何も言えなかった。
私がもう少し若かければ北島くんの好意にちゃんと向き合って応えられたのだろうが、今の私には北島くんの想いを受け取れるような器がなかった。
過去の恋愛を清算出来てない私が、他の誰かを好きになるなんて無理だ。私は器用な人間じゃない。
北島くんの顔がぐっと近くなる。
唇が触れそうになって、私は慌てて手でやめるよう制した。
「それは駄目。北島くん後悔するよ」
「しないっす。俺、八重野先輩の事好きだから」
「するよ。それにこういうのは……好き同士がするものだからね」
「……先輩、ずりぃ。んな顔されたら、出来ねーじゃん」
いったい私はどんな顔をしていたのだろう。
あっさり引き下がる北島くんを不思議に思いながらも、私は北島くんが間違いを犯さなかった事に安堵した。
まだうるさい心臓をどうにか落ち着かせて北島くんの方に目を向ける。
北島くんは懲りずに私との距離を詰めた。
正直逃げてしまいたい。でもここで逃げてもどうせ職場で会うのだから結局は意味がない。
私は後ずさりしそうになるのを堪えると、逃げそうな足を無理やり踏みとどめた。
私の冷たい頬に、北島くんの温かい手が触れる。
まっすぐな視線が痛いほど注がれて、息が苦しくなった。
「先輩が好きっていう気持ちに嘘はないっすよ。疑うなら何回でも言います。“好きだ”って」
「き、たじまくん……」
「返事、ちゃんと考えといてください。一週間後もう一回聞くんで」
「待っ——」
北島くんは言いたい事だけ言うと、さっさと帰ってしまった。
断ったのに返事を来週まで持ち越されるなんて気が重い。
北島くんの事は人として好きだが、異性として好きになる事はない。
私は誰とも恋愛する気がないのだ。
だから私は北島くんをそういった意味で好きになれない。
きっと北島くんは、私がどんな返事をしても真正面から全部受け止めるのだろう。
どんな結果になろうと、自分がした事に間違いはないと自信を持って言えてしまうような子だ。
北島くんのあの目は覚悟を決めた目だった。
どこまでもまっすぐで、嘘を見透かしてしまいそうな目だ。それこそ私の言い訳など通用しないだろう。
——嗚呼、まっすぐすぎて、嫌になる。
私はなるべく北島くんを傷付けずに穏便にいきたいが、北島くんは自分が傷付いてもちゃんとした返事を望んでいる。
私は意識しなかった事を変に意識してしまいそうで、自分が心底嫌になった。
♢
北島くんから告白されて四日が経った。
気まずさから若干の距離を置かれるかと思ったが、北島くんの私への態度は変わらなかった。
むしろ変わらなさすぎてこっちが拍子抜けした。
なんだか私だけがあの告白を意識しているみたいで納得出来なかった。
職場の人間関係を崩さないのは良い事で、普通にしてくれている方が仕事もしやすいから北島くんの態度は有難いはずだ。それなのに、そんな北島くんの態度を気に入らないと思ってしまう私がいる。
私はまっすぐで何があっても狼狽えない心を持った北島くんが、少し羨ましかった。
どうやってやんわり断ろうと私は頭を悩ませているのに、当の本人は素知らぬ顔で接してくるから困る。
土曜日の昼食のピークタイムが終わった頃、皿洗いをしながら物思いに耽っていると、後ろから肩を叩かれた。
「やーえのちゃんっ」
「……福田さん」
肩を叩いたのは福田さんだった。
福田さんはニコニコと楽しそうに笑っている。
「どしたー? 今日なんか顔怖いぜ?」
「そうですか? いつもと同じですよ」
「ふーん。あ、それ終わったら休憩入っていいってよ」
福田さんは人を見ていないようで見ているから、こういう時困るのだ。
私はなるべく福田さんと目を合わせないように皿洗いに没頭した。
福田さんの視線を感じながらも平常心を保って、食器乾燥機に洗った食器を並べる。
今回のお客様は凝った料理を選ぶ方が多く、必然的に食器も凝った物になった。
料理が見目麗しく見えるのは利点だが、如何せん洗いにくいのがこの食器の難点だ。
丁寧に汚れを落としていくと、食器本来の色が顔を覗かせて、綺麗になった。
「北島に告白でもされた?」
「っ!」
「お、当たりか」
びっくりして皿を落としそうになった。
心臓はバクバクと痛いくらい大きな音を立てている。
——いきなり何を言い出すんだこの人は。
振り返って福田さんを睨む。
福田さんはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるだけで、あまり堪えていなかった。
私は口から自然と溜め息がこぼれた。
「……流石に下世話ですよ、福田さん」
「やー悪い悪い。八重野ちゃん思いの外わかりやすいから面白くて」
「面白がらないでください」
福田さんはニヤニヤした笑みから引き笑いに変わっていった。殴りたくなる笑顔だった。
しかし私はまだやるべき仕事が残っている。
掴んだ皿にもう一度傷がないか確認すると、それを食器乾燥機に入れた。
全ての食器を洗い終えて乾燥機のスイッチを入れる。
手をハンドソープで洗っていると、福田さんが隣に並んだ。
「八重野ちゃんはさー、北島の事傷付けないように頑張って考えてんだろうけど、多分何したって北島は傷付くよ」
「……わかってますよ、それくらい」
「曖昧な態度だと、余計傷付くからはっきり言ってやんのも優しさだぜ」
……それも、わかっている。でもだからって、他人を不用意に傷付けていい訳じゃない。
私は言おうとした言葉を飲み込むと、福田さんの次の言葉を待った。
福田さんはとりあえず付き合ってみるのも手だと言ったが、私にはその"とりあえず"が出来ないため、その案は却下した。
経験豊富らしい福田さんは、相手がどんな女の子でも告白を断った事がないらしい。
何でも、付き合ってみないとわからない事もあるとか。正直あまり参考にはならなかった。
「ま、断る常套句としては好きな人がいるから~とか、付き合ってる人がいるから~とかだわな」
「……そういう嘘はつきたくないです」
「真面目だねぇ」
福田さんの言う通り、そういった類いの嘘をついてしまえば、こうやってあれこれ考えて頭を悩ませなくても済むのかもしれない。
だが北島くんが真剣に考えて出した答えに、私がいい加減な答えを返して良いものかと問われると、それは否だ。
北島くんが曖昧な態度で好意を告げてきたなら、私もそれ相応の態度が出来たし、嘘もつけただろう。
でもあの時の北島くんは真剣だった。
彼のあの言葉も、あの行動も"嘘"は一つとしてなかった。
それならば私も嘘のない、ちゃんとした返事をするのが最低限の礼儀というものだろう。
「八重野ちゃんてさ、」
「なんですか」
「結構不器用だよな」
「……それは、福田さんもじゃないんですか」
「……あーそう来るか。マジか」
福田さんは少し驚いた後、笑みを浮かべた。
口元を手で隠して顔の表情を見られないようにしているのは、私がさっき言った“不器用”を誤魔化すためだろう。
でも私は深く追及する気はなかった。
福田さんを置いて休憩に行こうと扉の方へと向かう。
すると何故か福田さんに腕を掴まれた。
「あー……まー、アレよ。あんま考えすぎないようにな。これ先輩からのアドバイス」
「……ありがとうございます」
福田さんは何だかんだ言いながらも、私と北島くんの仲を心配していたらしい。
御礼を言うと、福田さんは得意げに笑って私の頭を撫でた。
「八重野ちゃんの髪サラサラだなー」
「……はあ。福田さんの方がサラサラしてると思いますよ。それより休憩行きましょう」
「んーもうちょい! 沙也香と北島は俺のスキンシップ嫌がるからさぁ」
「沙也香ちゃんの場合は、香賀さんの前でするから駄目なんじゃ……」
「それに智之だけずりーよ。俺も八重野ちゃん触って愛でたい」
「各方面に誤解を招く言い方はやめてください」
注意しても福田さんは私の頭を撫でるのをやめなかった。
いい加減手を離してほしい。
そろそろやめてくれと目で訴えて、福田さんの手を外そうと頭の方へ手を伸ばす。
それと同時に厨房の扉が開く音がした。
「八重野先輩、休憩入りま、し、た……?」
「あ、うん。今から入るところ」
勢いよく開いた扉の向こうには北島くんがいた。
北島くんは目を見開いて一瞬固まると、ズカズカと中に入ってきて、福田さんの手を思い切り引っ張った。
「いでででっ!! おま、今指変な方向曲がったぞ!? 折る気か!?」
「折れろ」
「何この子怖い!」
「うるせーセクハラ野郎。八重野先輩大丈夫すか?」
「うん、大丈夫だけど……でも一応福田さんに謝ってね」
「チッ……はい、すんませんした」
「おい聞こえてんぞクソガキ」
生意気な後輩には教育的指導だと意気込む福田さんを、北島くんはどこ吹く風で聞き流す。
これもコミュニケーションの一環として見れば微笑ましいのだろうが、飛び交う言葉はとても仲が良さそうには聞こえなかった。
……もう休憩行っていいかな。
しばらく口論の様子を眺めていると、福田さんが私の隣に移動した。
肩に腕が回される。
「だいたい彼氏でもねーのに独占欲ありまくりかよ北島くんよー」
「悪いですか? 余裕ないくらい好きなんすよ。だからあんまベタベタ触んないでください」
おおうと福田さんが焦ったような声を漏らした。
まっすぐな北島くんの言葉は福田さんにも刺さるものがあったらしい。
北島くんは、間髪入れずに私と福田さんを引き離した。
「——あと三日。逃げないでくださいよ」
そう一言私の耳元で言うと、北島くんは何事もなかったかのように厨房から出ていった。
沈黙の後に、福田さんがようやく口を開く。
「八重野ちゃん」
「なんですか」
「なんか……ごめん」
福田さんが火に油を注いだのは明らかだったが、もはや責める気にもならなくて私は溜め息をついた。
本当に前途多難である。
♢
あれから三日経って、ついに約束の日が来てしまった。
北島くんと付き合うか、付き合わないか。
私の答えは最初から変わっていない。
——私は北島くんとは付き合えない。
北島くんはこれからもっと色んな人と関わって、その中で素敵な女の子と出会うだろう。
それなら私なんかと付き合うのではなく、その子と付き合うべきだ。
それに私は自分の夢を叶えるまでは、恋愛はしないと決めている。
どうしようもなく好きになってしまったら仕方ないかもしれないが、自制出来る内はそういう感情を抱きたくなかった。
相手と恋人関係になって夢が実現しなかった時、夢が叶わなかったのを相手のせいにしてしまいそうで嫌なのだ。
だから私は誰とも付き合えないし、付き合っちゃいけない。
自分の事で手一杯の私だ。
誰かと関係を持ったとしても相手を傷付けない保証はないし、仮に付き合ったとしても自分にも相手にもメリットがない。
第一、北島くんはまだ学生なのだ。
未来ある若者の将来を考えれば、断る理由は明白である。
きっとこんな話をしたって、北島くんは納得してくれないだろう。私に食ってかかるはずだ。
向こう見ずな彼の言動や行動は若いからこそ出来る。
先の"未来"より"今"を取って行動するのは、簡単なように見えて実はそうではない。
大人になるとどこか保守的になって、変化を恐れる。
それは大人になった私がよく知っている事だった。
——北島くんは、私に何を望んでいるのだろう。
その事ばかりが頭に浮かんで、今日は仕事にあまり集中出来なかった。
長窪さんは私の様子がいつもと違うのに気付いているようだったが、深く言及はされなかった。
長窪さんはまだやる事があるからとはなまる亭に残った。
あの日と同じで、帰りが北島くんと一緒になった。
事情を知っている福田さんには、去り際に口パクで頑張れよと言われたが、今更何を頑張れと言うのだと文句を言いたくなった。
暗い夜道を北島くんと並んで歩く。
沈黙の重さに、私は息が詰まりそうだった。
「あの、八重野先輩……この前の返事、聞かせてください」
「ああ、うん。……ごめんね。北島くんとは付き合えない。気持ちは嬉しいんだけど」
「……理由、聞いてもいいすか」
断る理由ならたくさんあった。
しかし問題は北島くんを納得させるだけの理由があるかどうかだった。
「……そういう対象として見れないから」
「俺が年下だから?」
「まあ、そうだね」
「じゃあ俺が八重野先輩より年上だったらそういう対象として見てくれました?」
北島くんはそう言うと、歩きながら私を見つめた。
「前見て歩きなよ。危ないから」
「いいから答えて先輩」
急かされて私はムッとすると、もしもの話をするなんて北島くんらしくないと思った。
だってそんな話をしたところで、私が北島くんの告白を断った事実は消えない。
北島くんはまだ私を見つめている。
私は止まりそうになる足を動かして、刺さる視線を無視すると、小さく息を吐き出した。
「北島くんが年上でも、そういう対象としては見れなかったと思う」
「——嘘つき」
正直に話したのに、嘘つきと言われた挙句に睨まれた。
北島くんは明らかに怒っている。
嘘だと思いたい北島くんの気持ちはわからなくはないが、嘘つき呼ばわりされた私は若干の苛立ちを感じた。
「嘘じゃないよ」
「嘘だよそんなん。じゃあ聞くけど、八重野先輩は何に怯えてんの」
「怯えてなんか——」
「怯えてるよ。俺じゃない"何か"に。なあ、八重野先輩、それって"人を好きになる事"なんじゃねぇの?」
歩く足が止まる。
北島くんが言った事は、図星だった。
私はあの人を好きになってから、それ以降人を好きになれないでいる。
家族の事も自分の夢の事もあるが、所詮それらは建前で、根底にはあの人の事があった。
盲目的に信じて恋しても、結局裏切られるなら、恋なんてしない方がいいと思ったのだ。
私は震える指先に自嘲《じちょう》して拳をつくると、北島くんを負けじと見つめ返した。
「……そう、だよ。悪い?」
「ううん、全然。でも良かった」
「……何が?」
「それって俺にも、まだ可能性があるって事っすよね」
開いた口が塞がらなかった。
北島くんは私の話をちゃんと聞いていたのだろうか。
ついさっき北島くんとは付き合えないと、そういう対象として見れないと、はっきり私は言ったはずだ。
北島くんは私の反応にクツクツと笑っている。
「先輩、俺の事嫌いじゃないでしょ」
「そりゃ嫌いじゃないけど、それとこれとは話が別で……」
「俺諦め悪ぃからさ、先輩に好きな人出来たら諦めるわ」
私の反論に耳を貸さないで、北島くんはちゃんとした理由がないと断った事にならないと付け足して言った。
叶いもしない恋に夢みるより、諦めた方がずっと楽になれるのに、北島くんはまだ私を好きでいる選択をした。
期待を抱いてもそれにそぐわない結果だったら、一番傷付くのは自分なのに。
——なんで、北島くんは。どうして。
北島くんの言葉が信じられなくて呆然としていると、不意に北島くんに手を握られた。
北島くんの手は私より大きくて骨張っている。
「何で? って顔ですね、先輩」
「……うん。だって北島くんを好きにならない私を、北島くんが好きでいるメリットなんてないでしょ」
「……先輩って変なとこ抜けてますよね。まあそんなとこも可愛いけど」
全く意味がわからなかった。
何がどうしてどうなって、私が可愛いという答えが導き出されるのだろう。実は頭が悪いのではないだろうか。
私は混乱する頭を落ち着かせるため、一旦目を閉じて視界からの情報を断絶した。
目を開けると同時に、北島くんが距離を縮めてきて後ずさる。
「なあ、先輩。好きな人を好きでいる事に、メリットもデメリットもねーんすよ」
耳元で聞こえたのは、普段の北島くんからは想像出来ないほどの優しい声だった。
驚いて目を丸くすると、北島くんはしてやったりと笑う。
私は反射的に目を細めた。
確かに北島くんの言う通り、人を好きになるのにメリットもデメリットもない。
でも自分を好きにならない相手をずっと好きでいるよりかは、自分を好きでいてくれている相手を好きになる方がまだ幸せになれるような気がした。
「俺が諦めきれないのは、先輩をまだ好きだから。それとも俺の気持ちは先輩にとって迷惑すか?」
私は言葉に詰まった。
あんな寂しげな顔をして、掠れた声で問われてしまったら、迷惑だなんて口が裂けても言えなかった。
私はゆっくりと首を横に振る。
北島くんは私の返事に目を丸くすると、すぐに嬉しそうに私の手を強く握った。
北島くんの笑顔に、私のわずかな良心が痛んだ。
「……ごめんね、北島くん」
「いーっすよ別に。てか八重野先輩隙ありすぎ。男の前で目ぇ瞑るとか……」
北島くんの声がだんだん小さくなっていく。
目を瞑ったのは一瞬なのにそれすらも駄目なんて、それじゃ瞬きすら出来ないのでは。
疑問を口にしようとすると、腕を引かれて口に出すはずの言葉が消えた。
北島くんは脇目も振らず、そのまま一直線に走り出した。
私の足はもつれながらもどうにか後を追いかける。
「北島く、ん、ちょっと! っ早い、よ!」
「すんません! でもなんか、むっしょーに走りたくて!」
北島くんは振り返らずにそう言うと、もっと早く足を動かした。
顔は見えないが声は楽しげで、私はなんだかいつもより北島くんの背中が大きく見えた。
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