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過去との決別 side
過去との決別 side:香賀
しおりを挟む最近、北島と八重野の距離が前より近くなった気がする。
多分北島は八重野の事が好きで距離を縮めている最中なのだろう。
あの年頃はきっと誰もが純粋に人を好きになれる時期だ。
相手の年齢とか家柄とか、そんな些細な事に囚われず、好きなものを好きと言える正直さがある。
無謀とも呼べる行動や言動は深く考えない子供時代だからこそ出来た事で、大人には真似出来ない芸当だ。
俺はあの場に偶然八重野がいたから前を向く事が出来た。
八重野がいなければずっと後ろを向いて腐ったままだっただろう。
だから俺はあの日から、八重野の力になれるなら何だってしてやりたいと思っていた。
しかしそんな機会に恵まれる事はそうそうなくて、職場でちょっとした手助けをするくらいが関の山だった。
休日、博允と遊んだ帰りに街をぶらついていると、何やら男に言い寄られているらしい八重野の姿を見つけた。
遠目から見てもやばそうな空気を感じて、八重野の元カレだろうかと邪推する。
すると八重野が男によって壁に押さえ付けられた。
痛みに歪む八重野の顔を目にしたら、俺は気付けば走っていた。
邪魔な男を突き飛ばして八重野の手を引く。
まっすぐ走って曲がり角を三回曲がると、行き止まりだったため足を止めた。
大丈夫か問いかけると、八重野は目から一粒の涙をこぼして慌てて手で顔を隠した。
きっと泣き顔を見られたくないのだろう。
俺があの時、情けない姿を見てほしくないと思っていたように、八重野も今同じ事を思っているはずだ。
——見られたくないなら、俺を視界から外してしまえばいい。
そう考えた俺は八重野の頭を撫でると、自分の胸へ押し付けた。
八重野は声を殺して静かに泣いている。
普段の凛とした姿からは想像つかないほど、弱くて小さな姿だった。
しばらくして八重野は泣き止むと、開口一番に俺に謝った。
腫れた瞼が痛々しい。
どうせ乾くからと言って八重野の頭を撫でると、八重野は唇を引き結んだ。
さっきのは元カレかと率直に聞くと、八重野は首を縦に振った。
俺は続けて男に何を言われたのか尋ねる。
八重野は言いたくないのか、困ったような顔をした。
俺は八重野の手にポケットティッシュを握らせると、言いたくないなら無理に聞かない事と、俺が八重野の話を聞けば八重野自身が楽になるかと勝手に思った事を伝えた。
八重野は言葉につかえながらも静かに男の事を話し始めた。
全てがわかる訳ではなかったが、あの男の行動、言動が八重野を深く傷付けたのは理解出来た。
もう既に泣いているのに、涙を堪えようとして肩を震わせる姿は痛々しかった。
よく頑張ったなと月並みな言葉を言って、頭を優しく撫でる。
こぼれそうになる涙を指先ですくうと、八重野は情けないからあまり見ないでほしいと言った。
俺は情けなくなんかないと言い返す。
でもと言う八重野に今までずっと我慢してきたんだろと指摘すると、俺の情けないところを見ているのだからおあいこだと口にした。
すると八重野は俺を優しいと言うと、優しくされたら泣きそうになるからやめてくれと訴えた。
なんだかいじらしくて、俺はつい笑ってしまった。
やはり八重野は人に甘えた事がないらしい。
甘える練習だと言って、普段甘えない八重野を今だけは甘えさせてようと力いっぱい抱き締める。
いい匂いが鼻先を掠めて、胸が変に高鳴った。
じわじわと顔に集まる熱に自分でも戸惑って、慌てて平静を装う。
出来るだけ遠くを眺めていると、顔を上げた八重野と目が合って、抱き締めるのはだいぶ駄目だと顔を赤くしながら言ってきたものだから、俺はやっぱりかと笑って誤魔化すしかなかった。
離れた後も八重野は険しい顔をしていて、慰めたかったからとはいえ、女のこいつを抱き締めたのは考えが浅はかだったと反省した。
ほんの少しの嘘を織り交ぜて八重野に抱き締めた事を謝罪すると、八重野は俺に抱き締められた事に関しては嫌ではなく、むしろ有り難かったと話した。
俺は八重野の返事に安堵すると、同時によくわからない感情に苛まれた。
勢いで元カレを突き飛ばした事を謝罪しても、八重野は気にしていない様子で、俺がやらなければ自分がやっていたと笑う。
ぎこちない笑顔は八重野が無理をしているのが見て取れて、頼られない事に少し悲しくなった。
無理して笑うなと言うと、八重野はすぐに否定した。
沈黙を破るようにカラスの鳴き声が辺りに響き渡る。
送ると言うと断られたが、また絡まれたらどうするんだと言い返すと、八重野は口を噤んだ。無言は肯定だ。
俺は八重野の手を取ると、さっさと歩き始めた。
八重野が俺の名前を呼んで、ここまで来てまだ遠慮するつもりかと思ったが、原因は俺が無意識に繋いだ手にあった。
指摘された手を離して、妹と同じ感覚でやっていたと言い訳する。
今でも手を繋いで歩くのかと聞かれて即座に否定してまた謝ったが、八重野は何を勘違いしたのか子供扱いしているのかと聞いてきた。
子供というよりは年下の職場仲間の一人として、妹みたいな存在として扱ったつもりだ。
だが、それは所詮俺の“つもり”だった。
——俺は八重野に惹かれ始めている。
きっとあの日の出来事がきっかけだろう。
でもこれは恋と呼べるような代物ではなくて、もっと淡い感情だ。それこそ名前などない。
さっき俺が八重野の手を引いたのも、八重野を放っておけなかったからだ。
そういう意味で好きになれたら幸せなのだろうが、今の俺には土台無理な話である。
黙り込んだ八重野の顔を下から覗くと、八重野はまた険しい顔をしていた。
声をかけると、真顔で返事をされて俺は少し混乱した。
不意にスマホが通知を知らせて震える。
確認すると妹から連絡が来ていて、内容が八重野と遊びたいから俺の方から誘ってくれというものだった。
俺はある意味で空気を読んだ妹のメッセージに笑った。
返信を済ませると、ついさっき来た知与のメッセージの内容を伝える。
八重野は社交辞令かと思ったと言っていたが、あの知与がそんな回りくどい真似をする訳がない。
「あいつ良くも悪くも正直だから、友達そんな多くねーぞ。見た目コミュ強に見えるけど」
「そうなんですか?」
「そーそー。案外ちゃんと線引いてるタイプ。博允みたいな」
八重野は眉を下げて言葉に迷っている。
俺は変に気を遣われるのも嫌だったため、嫌なら断っていいと言ったが、自分は面白い事が言えないけどそれでも大丈夫かと八重野は言ってきた。
面白さを求めるのは芸人くらいだろうに、変なところを気にする八重野に思わず噴き出して笑う。何の心配してんだ。
その後は妹の好きな物、博允と遊んだ事、長窪さんに頼まれて店内のBGMを作っている事を話した。
八重野は俺の話を真剣に聞いてくれて、曲作りを応援してくれた。
話題も尽きかけた頃に北島の告白の件を何気なく聞くと、何故知っているのかと八重野に驚かれた。
博允に聞いた話だと言うと、八重野は目を細めたが、博允の口の軽さに苦い顔はしても博允を責める事はなかった。
北島の告白は断ったらしい。
相手が本気なら自分も本気で返さないと失礼な気がしてと話す八重野はやっぱり真面目で、だから好かれるのだろうなと思った。
納得していると、八重野は俺はどうなんだと聞いてきた。
わざとらしくとぼけると、かっこいいんだからモテモテじゃないのかと博允みたいな事を言い出したため、適当に笑って誤魔化す。
かっこいいという言葉は嬉しかったが、八重野の問いには答えようがなかった。
そこで俺はやっと、相手が本気なら自分も本気で返さないと失礼という八重野の言葉の意味がわかった。
俺は千里を言い訳にしている。
八重野に惹かれ始めているのに、千里が好きなままでいるから、八重野を好きになれないと決め付けている。
この気持ちに折り合いがつく日など一生来ないような気がしてならないが、だからと言って自分の感情を見て見ぬ振りをするのは違うだろう。
——俺はずるい。
八重野の優しさに甘えて、まだ自分を誤魔化し続けている。
それでも今の自分を根こそぎ変えるのは無理があって、俺はまた嘘と本当を織り交ぜた言葉を口にした。
八重野を好きになりたいと思ったのは“本当”だ。
でも俺には足りないものが多すぎる。
誰かと付き合う気はないと言いながら好きになれたらいいなと思う人がいるなんて、他人の目には滑稽に映るだろう。
八重野は一歩前進だと言ったが、俺にはそうは思えなかった。
好きな人が出来るといいなと思ってもいない事を言って善人のフリをしている自分では、一歩進んだとしても瞬く間に置いて行かれてしまう。
俺は奥底にあるぐちゃぐちゃの感情を笑顔で隠して、八重野と別れた。
その日から俺は本格的に曲作りに励んだ。
足りない自分でも何かを成し遂げてみたくて、ずっと考えていなかった未来にようやく目を向けた。
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