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第八話 恋心の行く先
第八話 恋心の行く先
しおりを挟むいつだって人は前にしか進めない。
過去を懐かしむ事は出来ても、時間を遡る事は出来ない。
過ぎ去った時間はいつの間にか美化されて思い出となり、先の見えない未来の不安と期待はいつしか不安の割合の方が大きくなる。
大人になればなるほど、夢や希望の眩しいものが棘を持って、己の心を刺していく。
私は香賀さんを偏った目で見ていた。
香賀さんの好きな人は千里さんのままで、香賀さんの千里さんに対する思いはずっと変わらないものと思い込んでいた。
だから香賀さんが好きになれたらいいと思う人がいると言った時、私は勝手に裏切られたような気持ちになった。
人を好きになるのは喜ばしい事であるはずなのに、彼が千里さん以外を好きになる事は当分ないと決め付けていたのだ。
変わらないと思っていた人の変わっていく様を見て、置いていかれた子供みたいな言いようのない虚無感を味わった。
要するに、私は馬鹿だった。
——この世に変わらないものなんて、ある訳ないのに。
勝手に羨望して、勝手に裏切られたような気持ちになって。
私は自分がいかに無知で愚かな人間かを思い知った。
このままではいけないし、良い方向に変わらなければならない。
しかし、人生は前途多難である。
「文恵先輩ぃぃいいい~~」
夜、インターホンが鳴って液晶画面を確認すると、玄関先で大泣きしている沙也香ちゃんの姿があった。
いったい何があったのだろう。
さっき香賀さんと福田さんと一緒に帰ったのではないのか。私の家を知っているのは何故なのか。
聞きたい事は色々あったが、私はそれら全てを飲み込むと、ひとまず沙也香ちゃんを部屋の中へと招き入れた。
沙也香ちゃんは泣きながらもお邪魔しますと私の後をついて来た。
座布団を用意してそこに座るよう促す。
すると何かの琴線に触れたのか、沙也香ちゃんは大粒の涙をこぼした。
「ううう……ずびばぜん……」
「いいよ。はいティッシュ」
「ありがどうございましゅ……」
「何か飲み物作るから待ってて」
私は沙也香ちゃんの返事を聞く前に、キッチンへ行ってお湯を沸かした。
戸棚からココアとミルクティーを取り出して、スプーンで目分量をすくってそれぞれのマグカップに入れる。
沸かしたお湯を入れて、ダマにならないようにティースプーンでかき混ぜると、二つのマグカップを持ってリビングに戻った。
沙也香ちゃんは盛大に鼻をかんでいる。少しは落ち着いたらしかった。
私はテーブルにマグカップを置くと、沙也香ちゃんの向かい側に座った。
「ココアとミルクティーどっちがいい?」
「……ココアで」
「はい」
「ありがとう、ございます……」
ココアの入っている方のマグカップを沙也香ちゃんに差し出すと、ズズッと鼻をすする音が聞こえた。
私はミルクティーを一口飲むと、そっと息を吐き出した。
じんわりとした温かさが身体の内側から広がっていく。
沙也香ちゃんはティッシュで涙を拭うと、顔を俯かせた。
「……先輩は、何も聞かないんですね」
「……まあ。話したくない事もあるだろうから」
二口、三口と続けてミルクティーを飲んでいると、しばらくして沙也香ちゃんはぽつりぽつりと話し始めた。
「今日……香賀先輩に、はっきり振られたんです」
「!」
「あたし、最初は冗談かなって……っ、思って、たんですけど……」
「……うん」
「今まで曖昧にしててごめん、笠の気持ちには、応えられないって、い、言われて……それで……っ」
「……うん」
「どうしてって聞いたら、理由言ってくれなくて……好きな人でも出来たんですかって聞いたら、そうだって、言われ、ちゃって……」
嗚咽交じりに言葉を吐き出す沙也香ちゃんは、その時の光景を必然的に思い出してしまったようで、見ていて胸が痛かった。
今までの香賀さんであれば沙也香ちゃんの気持ちを否定せずに聞き流していたのだろうが、今回はそうはいかなかったらしい。
香賀さんの中の"好きになれたらいい人"は、"好きな人"にいつの間にか変化を遂げていたようだ。
下手な励ましは余計に沙也香ちゃんを傷付けるだけで、私は返す言葉に迷った。
下を向いていた沙也香ちゃんが顔を上げる。
沙也香ちゃんは今にも泣きそうな顔で、無理やり笑ってみせた。
「……でも香賀先輩、最近楽しそうなんです。前は、なんか空気が張り詰めてて、ちょっと怖い時があったんですけど……多分、その好きな人が出来てから、香賀先輩、すっごく優しい顔するようになってて……」
「……そうなんだ」
「だからあたし、好きな人の……香賀先輩の事応援したいなって、思うんですけど、でも……っ簡単に割り切れなくて……!!」
作った笑顔がくしゃりと歪んで、涙が落ちる。
沙也香ちゃんは肩を震わせた。
「今まで、こんな事なかったのに! すぐ切り替えられたのに……!!!」
「……それは、きっと沙也香ちゃんが……本気で香賀さんの事、好きだからじゃないかな」
何気なく言った私の一言に沙也香ちゃんは息を飲むと、箍が外れたようにわんわん大声で泣き始めた。
話を聞くと沙也香ちゃんは失恋をした経験が今までなくて、告白すれば大抵は良い返事が貰えたそうだった。
付き合っていた彼に振られた時も、自分の事を好きじゃないならいいやと別れを惜しむ事なく、すぐに新しい彼に気持ちを移せたらしい。
ところがよくよく考えてみると、今まで付き合った彼らは決まって沙也香ちゃんに“別に俺の事好きじゃないでしょ”と同じ台詞を言ったらしかった。
その時の沙也香ちゃんは本気で好きだった自分の気持ちを否定されたとひどく腹を立てたが、今になって振り返ってみると、彼らの言う通りそれほど相手を好きではなかった事に気付いたそうだ。
本気で好きになったのは香賀さんが初めてだったと、さっき私に言われて気付いたと沙也香ちゃんは言葉を詰まらせながら話した。
「あはは、あたし……馬鹿みたいですよね……こんなんじゃ、香賀さんどころか、誰にも好かれる訳ないのに」
「……何で?」
「なんでって……あたし性格悪いし、可愛くないし……」
「私はそうは思わないけどなあ……だいたい性格悪い人は自ら性格悪いなんて言わないよ。それに私は沙也香ちゃんの事、すごく可愛い子だと思ってるよ」
沙也香ちゃんの丸くて大きな瞳が、見開かれてもっと丸くなった。
私はぽかんと口を開けたままでいる沙也香ちゃんを見つめながら話を続ける。
「まあ最初会った時から可愛い子だとは思ってたけど、皆沙也香ちゃんが素直でいい子だって事は知ってるからねえ」
「ま、ちょっと! っ待って! 待ってください文恵先輩!!」
「うん? 何?」
「文恵先輩ってあたしの事そんな風に思ってたんですか……? てっきりあたし嫌われてるもんだと思ってたんですけど……」
今度は私が目を丸くする番だった。
私が首を横に振ると、沙也香ちゃんは長い溜め息をついてテーブルにずるずると突っ伏した。
「あたしすんごい馬鹿じゃないですか……」
そう言って落ち込む沙也香ちゃんの表情は見えないが、声はかなり落ち込んで掠れていた。
私が沙也香ちゃんを嫌う理由なんてないのに、沙也香ちゃんは私が沙也香ちゃんを嫌いだと勘違いしたらしい。
最近よそよそしい態度だったのはそのせいだったのかと私は一人で納得した。
「……馬鹿っていうか、仮にも自分を嫌ってるかもしれない人の家に訪ねてくるって結構度胸あるよね」
「ゔっ! もうその話は置いといてください……」
思った事を言うと、沙也香ちゃんは顔を伏せたまま首を横に振った。
自分を嫌う人間には近付きたくないと思うのが私は普通だと思っているから、沙也香ちゃんが私の家に訪ねて来たのはある意味賞賛に値する行動力だ。
黙っていると、沙也香ちゃんは下を向いたまま聞き取れるか聞き取れないかの声量でぽそぽそと話し始めた。
「本当は、あたし……今日ここに来たの、文恵先輩に聞きたい事があったからなんです」
「聞きたい事?」
「……はい」
沙也香ちゃんの言葉に私は首を傾げたが、話の流れから香賀さんの事だと察しがついた。
「文恵先輩って、香賀先輩の事どう思ってるんですか?」
「どうって……まあ、いい人だよね」
「そうじゃなくて! そうじゃなくて……好きなんですよね?」
「人として好きな部類には入るよ」
——予想通りだった。
沙也香ちゃんは、私が香賀さんを恋愛的な意味で好きだと勘違いしていた。
北島くんといい、沙也香ちゃんといい、香賀さんと私の仲を邪推しすぎだ。
「じゃあ恋愛的な意味で好きじゃないの?」
「うん」
頷いて返事をすると、沙也香ちゃんは勢いよく顔を上げて私を睨んだ。
「——嘘つき」
「え」
「香賀先輩の事好きなくせに!! 文恵先輩が優しい目で香賀先輩の事見てたの知ってるんだから! 香賀先輩だって……香賀先輩だって! 文恵先輩の事……っ!!」
丸い目に涙の膜が張られて、見る見るうちにそれが決壊してこぼれていく。
沙也香ちゃんの話だと、まるで私と香賀さんが両想いみたいに聞こえるが、実際にはそんな事はない。
私はすぐに首を横に振って否定した。
「それはないよ」
「なんでないって言い切れるんですか?」
「それは……」
「あたし、自分の好きな人の事なら、ちょっとくらいわかってるつもりですよ。好きな人が、誰を見てるかって事ぐらい」
ぽたり。
涙の一粒がテーブルに落ちた。
「あたしだって、気付きたくなかった! でも香賀先輩のあんな顔見たら、ああ本気なんだなって思っ、て、あたし——」
「沙也香ちゃん、」
「綺麗に全部忘れたいのに! 香賀先輩の事応援したいのに!! なんで文恵先輩ばっかり……っ!! あたしの方がっ! あたしの方が!! っかわいいのに……!!!」
ぽた、ぽた、とテーブルに落ちる涙の粒が増えていく。
私は何も言えなかった。
中途半端な私が何か言ったところで、人にまっすぐ向き合おうとする沙也香ちゃんには届かないと思ったから。
「けどっ! けど、そんな風に思っちゃう、自分がほんとは、一番嫌いで……っ!! あたし、あたしはぁ……!!」
言葉を詰まらせて、肩を震わせてしゃくりあげる沙也香ちゃんに、私は無言で数枚ティッシュを取ると押し付けた。
沙也香ちゃんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにティッシュで涙を拭った。
私を嫌いになってしまえば楽なのに、それをしないでいるのは、沙也香ちゃんが優しい証拠だ。
私は緩みそうになる口元を抑えて、言葉を選んだ。
「沙也香ちゃんは、いい子だよ。優しくて可愛くて、人を一途に好きになれる素敵な女の子だよ」
「またそういう事言う……っそんな事言うから、あたしは文恵先輩の事嫌いになれないんですよ!? どうしてくれるんですか!!」
「嫌いになってもいいよ」
「なっていい訳ないでしょ馬鹿ですか!! 文恵先輩の馬鹿!!!」
沙也香ちゃんは器用にも泣きながら怒った。
嫌いになったとしても私がちょっと傷付くくらいで沙也香ちゃんにとって問題ないはずなのに、私の事を気にかけてくれる彼女はやっぱり優しくて心が綺麗だ。
抑えていた笑みがついこぼれる。
「何笑ってるんですか! もう!」
「ごめんね。沙也香ちゃんが可愛くて」
「だ~か~ら~!! も~~!!! 文恵先輩わざと言ってません!? あたし怒ってるんですけど!!?」
沙也香ちゃんは目をつり上げると、テーブルを叩いて怒っていたが、怒っていても可愛かった。
笑う私に、沙也香ちゃんは私に愛想がない、いつも怒っているみたい、何を考えているかわからない、冷たい、怖いと文句を言った。
それらは過去に私が人によく言われてきた事だった。
だが沙也香ちゃんはそれだけでは終わらなかった。
私の事を散々罵った後、何故か私の事を褒め始めたのだ。
たまに笑う顔が可愛い、仕事でミスしたらフォローしてくれる、依怙贔屓しない、普通の人なら怒るのに笑って許してくれる、と。
沙也香ちゃんは指折り数えると、自分の手を見て溜息をついて、うさぎのように赤くなった目を私に向けた。
「……文恵先輩がすっごく嫌な奴だったら嫌いになれたのに。ずるい」
「……そうだね。ずるい大人でごめんね」
「謝らないでくださいよ。文恵先輩はすぐ謝るんだから」
頬を膨らませて拗ねたような顔をする沙也香ちゃんの目にはもう、涙は浮かんでいなかった。
「好きにならなきゃ良かったって、」
「うん」
「こんな苦しい思いするくらいなら、好きにならなきゃ良かったって思うんですけど、でも結局好きになっちゃったもんは好きだからしょうがないって思うんですよ」
「そう、だねぇ」
相槌を打つと、沙也香ちゃんは大きく頷く。
「文恵先輩が元カレを嫌いになれない理由が今なんとなくわかった気がします」
「……そっか」
「あたし香賀先輩の事、嫌いになりたくないですもん」
どんな形であれ、好きな人は好きなままでいたいし、嫌いになりたくない。
そう思うのは、私も沙也香ちゃんも一緒だったようだ。
沙也香ちゃんは唇を尖らせると、しばらく香賀さんのかっこよさについてを語った。
「文恵先輩」
「なあに? 沙也香ちゃん」
「文恵先輩、今は香賀先輩の事好きじゃなくても、きっと香賀先輩の事好きになりますよ」
「えええ……なんで?」
「だって香賀先輩かっこいいし、何よりあたしが好きになった人だもん」
沙也香ちゃんは胸を張ってそう言うと、笑った。輝かしい笑顔だ。
——私も沙也香ちゃんみたいに、好きな人が出来たら変われるだろうか。
恋愛に対して明るい感情を持てない私が、希望を見出せるだろうか。
でも私がそうなるのはまだまだ先になりそうな気がした。
あの人に言われた事は今も鮮明に覚えているし、忘れる事はない。
あの日の出来事がいつか過去となり、あの人の事も思い出の一部となりえれば、きっとその時の私は全てを笑い話に出来るはずだ。
ただ、それまでには時間を要するだろう。
沙也香ちゃんは私が香賀さんを、いずれ好きになると言っていた。
香賀さんの事は嫌っていないし、人として尊敬出来る人だと思っている。
好きか嫌いかの二択で言えば、確実に好きな方だ。
それに大袈裟に聞こえるかもしれないが、香賀さんは幸せになるべき存在だと思っている。
でもそこに恋愛感情があるかと問われると、わからなかった。
ちくりと痛む胸の痛みには気付かないふりをして、永遠に回り続けそうな思考を端に追いやる。
すっかりぬるくなったミルクティーに口をつけると、甘ったるく感じた。
ふと部屋の時計が目に入った。
「……時間平気?」
「えっ」
「家族さんには連絡した? さっきそれどころじゃなくて聞けなかったけど……」
沙也香ちゃんは顔を青くした。
連絡は一切していなかったらしい。
慌てて沙也香ちゃんはスマホを手に取ったが、着信音が鳴り響くと、挙動不審になりながらもそれに応答した。
電話の向こうにいる相手は大きな声で沙也香ちゃんを責め立てている。
しかし、きつい言葉の中には沙也香ちゃんを心配しているのが汲み取れたため、通話相手が沙也香ちゃんの家族である事がすぐにわかった。
沙也香ちゃんは最初は素直に相槌を打って話を聞いていたが、後の方になってくると不機嫌そうな受け答えに変わっていた。
通話が切れると、沙也香ちゃんは盛大な溜め息をついてそのまま床にゆっくりと倒れた。
「もーうるさいししつこい、お母さんは……」
「まあまあ、心配してるんだよ沙也香ちゃんを」
「それはわかってるんですけど……あんな言い方されたらおこですよ」
「おこなの」
「おこです」
若者言葉で怒りを表現した沙也香ちゃんは、もぞもぞとクッションに顔を押し付けてよくわからない言葉を吐き出した。
そして何もなかったかのように身体を起こして、残りのココアを飲むと、スマホを操作した。
「お姉ちゃんが迎えに来てくれるみたいで、多分三十分くらいしたら着くって」
「そっか。じゃあ良かったね」
「はい。お母さんがお迎えだったら喧嘩でした。でも結局家帰ったら怒られるんでしょうけど……あー考えたくない! 文恵先輩、やっぱ今日泊まっていっちゃ駄目ですか?」
「いや明日学校でしょ」
「別に一日くらい休んでも……嘘です行きますだからその怖い顔やめてください」
怖い顔をしたつもりはなかったが、学生の本業は勉強なのだから、それなりの理由がない限りは学校に行ってほしい。
大人になって、学生の時もっと勉強しておけば良かったと思う人はたくさんいる。
学生の頃はこんな勉強何の役に立つんだと斜に構える子もいたが、きっとその子も後々になってそれが間違いだった事に気付くだろう。
大切な事に気付くのはいつだって遅いのだ。そうして気付いた時に後悔する。
沙也香ちゃんも、もう少し大人になればそれがわかる日が来るだろう。
——優しさには色んな形がある事も。
その日がきた時は、きっと沙也香ちゃんが大人になった時だ。だから今は無理にわかろうとしなくていい。
まだ見ぬ未来の沙也香ちゃんを想像して、私は自然と笑みがこぼれた。
若いとそれだけで希望があると、しみじみしているといきなり沙也香ちゃんが小さく吹き出した。
「どうしたの?」
「んふっ、いやー、なんか文恵先輩お母さんみたいだなって」
「そんなに所帯染みてる?」
「そうじゃなくて、なんていうか……なんだろ。よくわかんないけど、あたしの事考えてくれてるところとか嫌いになれない感じとか、そっくりだなーって……その……まあ、思っただけ、です」
沙也香ちゃんは言い終わると唇を引き結んだ。
私は目を細めると、わざとらしく溜息をついた。
「ちゃんとお母さんと仲直りしなよ」
「わーかってますー。あーなーんで文恵先輩にはバレるかなー」
「歳の差と経験の差だよ」
「むうう」
ふてくされる沙也香ちゃんは、やはり年相応で可愛かった。
私は冷めたミルクティーを飲み干すと、沙也香ちゃんの空になったマグカップを手に取った。
「もう一杯飲む? さっきのぬるかったでしょ」
「え! じゃあココアください!」
もう一度お湯を沸かしてココアを入れて持っていくと、私の飲む分がないと首を傾げられた。
沙也香ちゃんは私も飲むと思って、ついでのつもりで頼んだらしい。
熱いココアにふうふう息を吹きかけると、沙也香ちゃんはちびちびとココアを飲み始めた。
飲み終わった頃にはちょうどいい時間になるはずだろう。
スマホのアプリを立ち上げて未読のメッセージを確認すると、沙也香ちゃんの居場所を尋ねる文面が多くあって固まった。
知らない間に大事になっていたようだ。
私は長窪さんに色々あって沙也香ちゃんは私の家にいる事と、沙也香ちゃんの家族さんには連絡を取ってある事を伝えた。
すぐに返事が来たが、この様子だとはなまる亭の皆にも連絡がいっている事が予想出来る。
あまり大事にすると香賀さんも責任を感じてしまうだろう。
私は沙也香ちゃんが泣いていた事は伝えずに、連絡が遅れた事をひたすら長窪さんに謝罪して、沙也香ちゃんの家族さんには私から説明すると長文を打って送信した。
「沙也香ちゃん」
「はい?」
「私も謝るけど、長窪さん達に後日謝ろうね。心配かけたみたいだから」
「うえっ!? そこまでうちの親電話かけてたんですか!!? ウワーッごめんなさい!!」
ペコペコと頭を下げる沙也香ちゃんに私は苦笑すると、詳細は皆に伏せている事を伝えた。
沙也香ちゃんがココアを飲み終えると、私は一緒に外に出てアパートの階段を降りた。
道の端で沙也香ちゃんのお姉さんの車が来るのを待っていると、肌に纏わりつくような嫌な風が吹いた。
「ねえ、文恵先輩」
「うん?」
「あたしが高校生じゃなくて、もっと大人の女の人だったら、香賀先輩はあたしのこと好きになってくれたかなぁ」
「……かも、しれないね」
たいした慰めにはならなかった。
気の利いた言葉一つ言えない自分に嫌気が差す。
「へへ、ありがと先輩」
でもそれでも沙也香ちゃんは、感謝の言葉を口にして笑った。
「あー未練タラタラだよもおおおおお!! 悔しいいいいい!!」
「大丈夫だよ。沙也香ちゃんは人を見る目あるし……むしろ私が見習わないと」
じ、と見つめる沙也香ちゃんの目がまっすぐすぎて、私は目を逸らしたい衝動に駆られた。
「…………もしや元カレさんと何かありました?」
「…………まあ」
「ええっ!!? それ何で早く教えてくれないんですか!!」
「聞かれなかったから」
「ずるい! ずるいですよそういうの! ねえ!!」
沙也香ちゃんは詳細を教えてとねだったが、ちょうどそこにお姉さんの車が到着して、話は有耶無耶になった。
沙也香ちゃんのお姉さんは綺麗な人で、迷惑かけてすみませんと笑顔で言いながら、沙也香ちゃんの頭をしきりに小突いた。
私が遅い時間まで妹さんを借りて申し訳ないと謝罪すると、沙也香ちゃんのお姉さんはいえいえと言ってまた沙也香ちゃんを小突いた。
小突かれた沙也香ちゃんは、怒ってはいたが抵抗らしい抵抗はしていなかった。
皆を心配させた事は悪いと思っているようだ。
私はお姉さんに御両親にもよろしくお伝えくださいと頭を下げて、走り行く車を見送ると部屋に戻った。
気安い姉妹のやり取りが少し羨ましくて、テーブルに置かれたままのマグカップをしばらく見つめてしまった。
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