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第12話 希望サンライズ
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市場での偶然の再会から、数日が過ぎた。
私は、あの日の出来事を忘れるようにいつも以上に仕事に没頭していた。
もう会うことはない。それでいい。そう自分に言い聞かせていたはずなのに、心のどこかで、彼のたくましい背中と、瞳に宿った安堵の光を探してしまっている自分がいた。
そんなある日の夕暮れ時、商会の仕事を終えて帰路についていると、店の前で見慣れた人影が私を待っていることに気づいた。
「え? ……ルカ君」
彼は、私の姿を認めると、少し緊張した面持ちでこちらへ歩み寄ってきた。その手には、小さな紙袋が握られている。
「ミリアさん。この間は、すみませんでした。仕事中だったものですから……。あの。これ、よかったらどうぞ」
そう言って、彼は私に紙袋を差し出した。中には、この近くにある市場で評判の焼き菓子が入っていた。聞けば、彼は北の街からこちらの王都へ拠点を移し、本格的に家業を継いでいるらしい。市場での再会は、決して偶然ではなかったのだ。
その日をきっかけに、私たちは時々、言葉を交わすようになった。彼は仕事の合間に私の商会を訪れ、他愛もない話をしては、何かと理由をつけて小さな贈り物を置いていった。新鮮な果物だったり、珍しい花の種だったり。その不器用な優しさは昔のままで、私が張り巡らせていたはずの氷の壁が、少しずつ、彼の温かさで溶かされていくのを感じていた。
彼は、決して昔のことを蒸し返したり、私を責めたりはしなかった。ただ、私が一人で重い荷物を運んでいると、どこからともなく現れて、黙ってそれを半分持ってくれた。私が仕事で疲れた顔をしていると、そっと温かいお茶を差し入れてくれた。
彼の変わらない優しさに触れるたびに、私は自分が犯した過ちの大きさを思い知らされた。そして同時に、今まで感じたことのない、穏やかで、じんわりと温かい感情が胸の中に芽生えていることにも気づいていた。これは、アレクシスさんといた時のような、刺激的で背徳的な感情とは全く違う。もっと、陽だまりのように、心安らぐ感情だった。
ある雨の日の夕方、私は彼の仕事場で雨宿りをさせてもらっていた。2人きりの倉庫の中、屋根を叩く雨音だけが響いている。
「私は……後悔、しています」
沈黙を破ったのは、私の方だった。もう、この気持ちから目を背けることはできなかった。
「あの時の私は、ルカ君をとても傷つけてしまったわ。私は自分のことしか考えていなかったの。本当に……本当にごめんなさい」
ずっと言えなかった謝罪の言葉。それを口にすると、堪えていた涙が溢れてきた。
彼は、黙って私の話を聞いていた。そして、私が泣き止むのを待って、静かに口を開いた。
「俺の方こそ、子供でした。自分の気持ちばかりをあなたに押し付けて、ミリアさんを追い詰めてしまっていました。謝るのは、俺の方です」
彼は、そっと私の濡れた頬に手を伸ばし、親指で優しく涙を拭ってくれた。
「でも、後悔はしていません。ミリアさんを好きになったことも、そしてあなたに振られたことも。全部、俺にとっては、大切な時間でしたから」
その言葉に、私はハッとした。
私は今まで、自分の恋愛を「過ち」や「失敗」の歴史としか捉えていなかったのではないか? けれど、彼にとっては、それすらも「大切な時間」だったのだ。
「ミリアさん。俺、まだ、あなたのことが好きです」
彼は2年前と同じ、いや、あの頃よりももっと深く、真剣な瞳で私を見つめていた。
「もちろん、すぐに答えが欲しいなんて言いません。でも、もう一度だけ、チャンスをくれませんか? 今度こそ、あなたの隣で、あなたを支えたいんです。あなたの悲しみも、過去も、全部まとめて、俺が受け止めますから」
彼の言葉は、雨上がりの虹のように、私の心に温かい光を差し込んだ。
私は、気づいたのだ。
私がずっと求めていたのは、完璧な男からの情熱的なプロポーズでも、貴族というきらびやかな地位でもなかった。ただ、こんな風に、私の弱さも、醜さも。
過去の過ちも、全てを包み込んでくれるような、ひたむきで、どこまでも温かい愛情だったのではないか?
それは、さんざん「拗らせた」私の心が見つけ出すには、あまりにも真っ直ぐで、眩しすぎたのかもしれない。馬鹿みたいに遠回りをして、多くの人を傷つけ、自分も深く傷ついて、ようやくたどり着いた、たったひとつの本当の答え。
私は、涙で濡れた顔のまま、精一杯の笑顔を作った。
「……ありがとう、ルカ君」
今度こそ、素直な私で、彼の手を取ろう。
もう、雰囲気に流されない。もう、自分に嘘はつかない。
「私で、いいの?」
「あなたがいいんです」
そう言って頷いた私を、彼は力強く、そして壊れ物を抱きしめるかのように優しく抱きしめた。彼の胸の中は、やっぱり、太陽みたいに温かい匂いがした。
転生しても治らなかった私の拗らせ体質は、きっと、これからも時々、顔を出すかもしれない。けれど、私はもう一人じゃない。
彼の隣でなら、きっと、どんな困難も乗り越えていける。
本当の恋は、甘くて、少しだけ苦くて、そして、どこまでも温かい。
私は、その温もりを噛み締めながら、固く閉じていた瞼を、ゆっくりと開いた。
私は、あの日の出来事を忘れるようにいつも以上に仕事に没頭していた。
もう会うことはない。それでいい。そう自分に言い聞かせていたはずなのに、心のどこかで、彼のたくましい背中と、瞳に宿った安堵の光を探してしまっている自分がいた。
そんなある日の夕暮れ時、商会の仕事を終えて帰路についていると、店の前で見慣れた人影が私を待っていることに気づいた。
「え? ……ルカ君」
彼は、私の姿を認めると、少し緊張した面持ちでこちらへ歩み寄ってきた。その手には、小さな紙袋が握られている。
「ミリアさん。この間は、すみませんでした。仕事中だったものですから……。あの。これ、よかったらどうぞ」
そう言って、彼は私に紙袋を差し出した。中には、この近くにある市場で評判の焼き菓子が入っていた。聞けば、彼は北の街からこちらの王都へ拠点を移し、本格的に家業を継いでいるらしい。市場での再会は、決して偶然ではなかったのだ。
その日をきっかけに、私たちは時々、言葉を交わすようになった。彼は仕事の合間に私の商会を訪れ、他愛もない話をしては、何かと理由をつけて小さな贈り物を置いていった。新鮮な果物だったり、珍しい花の種だったり。その不器用な優しさは昔のままで、私が張り巡らせていたはずの氷の壁が、少しずつ、彼の温かさで溶かされていくのを感じていた。
彼は、決して昔のことを蒸し返したり、私を責めたりはしなかった。ただ、私が一人で重い荷物を運んでいると、どこからともなく現れて、黙ってそれを半分持ってくれた。私が仕事で疲れた顔をしていると、そっと温かいお茶を差し入れてくれた。
彼の変わらない優しさに触れるたびに、私は自分が犯した過ちの大きさを思い知らされた。そして同時に、今まで感じたことのない、穏やかで、じんわりと温かい感情が胸の中に芽生えていることにも気づいていた。これは、アレクシスさんといた時のような、刺激的で背徳的な感情とは全く違う。もっと、陽だまりのように、心安らぐ感情だった。
ある雨の日の夕方、私は彼の仕事場で雨宿りをさせてもらっていた。2人きりの倉庫の中、屋根を叩く雨音だけが響いている。
「私は……後悔、しています」
沈黙を破ったのは、私の方だった。もう、この気持ちから目を背けることはできなかった。
「あの時の私は、ルカ君をとても傷つけてしまったわ。私は自分のことしか考えていなかったの。本当に……本当にごめんなさい」
ずっと言えなかった謝罪の言葉。それを口にすると、堪えていた涙が溢れてきた。
彼は、黙って私の話を聞いていた。そして、私が泣き止むのを待って、静かに口を開いた。
「俺の方こそ、子供でした。自分の気持ちばかりをあなたに押し付けて、ミリアさんを追い詰めてしまっていました。謝るのは、俺の方です」
彼は、そっと私の濡れた頬に手を伸ばし、親指で優しく涙を拭ってくれた。
「でも、後悔はしていません。ミリアさんを好きになったことも、そしてあなたに振られたことも。全部、俺にとっては、大切な時間でしたから」
その言葉に、私はハッとした。
私は今まで、自分の恋愛を「過ち」や「失敗」の歴史としか捉えていなかったのではないか? けれど、彼にとっては、それすらも「大切な時間」だったのだ。
「ミリアさん。俺、まだ、あなたのことが好きです」
彼は2年前と同じ、いや、あの頃よりももっと深く、真剣な瞳で私を見つめていた。
「もちろん、すぐに答えが欲しいなんて言いません。でも、もう一度だけ、チャンスをくれませんか? 今度こそ、あなたの隣で、あなたを支えたいんです。あなたの悲しみも、過去も、全部まとめて、俺が受け止めますから」
彼の言葉は、雨上がりの虹のように、私の心に温かい光を差し込んだ。
私は、気づいたのだ。
私がずっと求めていたのは、完璧な男からの情熱的なプロポーズでも、貴族というきらびやかな地位でもなかった。ただ、こんな風に、私の弱さも、醜さも。
過去の過ちも、全てを包み込んでくれるような、ひたむきで、どこまでも温かい愛情だったのではないか?
それは、さんざん「拗らせた」私の心が見つけ出すには、あまりにも真っ直ぐで、眩しすぎたのかもしれない。馬鹿みたいに遠回りをして、多くの人を傷つけ、自分も深く傷ついて、ようやくたどり着いた、たったひとつの本当の答え。
私は、涙で濡れた顔のまま、精一杯の笑顔を作った。
「……ありがとう、ルカ君」
今度こそ、素直な私で、彼の手を取ろう。
もう、雰囲気に流されない。もう、自分に嘘はつかない。
「私で、いいの?」
「あなたがいいんです」
そう言って頷いた私を、彼は力強く、そして壊れ物を抱きしめるかのように優しく抱きしめた。彼の胸の中は、やっぱり、太陽みたいに温かい匂いがした。
転生しても治らなかった私の拗らせ体質は、きっと、これからも時々、顔を出すかもしれない。けれど、私はもう一人じゃない。
彼の隣でなら、きっと、どんな困難も乗り越えていける。
本当の恋は、甘くて、少しだけ苦くて、そして、どこまでも温かい。
私は、その温もりを噛み締めながら、固く閉じていた瞼を、ゆっくりと開いた。
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