皇后陛下の御心のままに

アマイ

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 こんな最悪のタイミングで出くわすだなんて、彼とはとことん星回りの悪い相性に違いない。
 涙で顔はぐちゃぐちゃだし、髪もドレスも尋常ではないほど乱れている。
 これでは誘惑以前に軽蔑され、蔑まれても仕方がない。

「何か、あったのか」

 アルセンは慎重にこちらへ歩み寄り、私にハンカチを差し出した。

「あ……ありがとう……ござい、ます」

 素直に受け取って涙を拭う。
 彼の労わるような眼差しから害意がないことを感じ取って、ようやくホッと体の力を抜くことができた。

「あなたがいるなんて知らなくて……申し訳ありません……もう少しだけ、ここに居てもいいですか?」
「人を避けてここに居ただけだから構わない。俺はそろそろ出るから――」

 そう言ってドアノブに手をかけたアルセンの手を阻むように握った。

「エレイン?」
「だ、駄目! 実は男に追われていて……まだ外にいるかもしれないので開けないでください」

 必死に懇願するよう見上げると、アルセンは困ったように髪を掻き上げ、ふうっとため息を零した。

「分かった。だが……」
「な、何か?」
「控え室で男と二人……俺とそういう仲だと見られて君は構わないのか?」

 いずれは誘惑するつもりでいたのだし、むしろ私にとっては好都合だ。

「構いません……あなたとなら」

 まっすぐ彼の目を見つめると、アルセンは開きかけた口元を手で覆って目を逸らした。
 その反応に、覚悟はしていても意気消沈する。
 ただでさえ彼の目に映る私は家畜程度なのだ、今の酷い有様では尚更目を背けたくもなるだろう。
 でも――皇后陛下のご期待に応えるためにも、そして私自身の思惑のためにも諦めるわけにはいかない。

「アルセン……よかったら少し話をしませんか」

 え、と驚いたようにアルセンは目を見開いた。
 これまで散々避け続けてきたのだし、あまりにも身勝手極まりない申し出であることは重々承知の上だ。
 けれどアルセンは私の手を取って立ち上がらせると、気遣うような足取りでソファまでエスコートしてくれた。
 さらに彼手ずから紅茶まで入れてくれたことには意表をつかれた。

「あまり、美味くはないだろうが……」
「……ありがとうございます」

 そのまま味わうように口に含む。
 確かにお世辞にも美味しいとはいえないけれど、その温かさが胸に染みるような不思議な心地がした。

「美味しいですよ」

 カップを両手で包んで微笑むと、アルセンはホッとしたように笑った。

「アルセン、その……これまであなたに酷い態度を取って……申し訳ありませんでした」
「何故……君が謝るんだ」
「え?」
「謝るのは……俺のほうだろう」

 ジッと私を見つめるアルセンの瞳の奥には、悲痛なまでの苦悩が垣間見えたような気がした。
 もっと蔑むような視線を覚悟してきたのに、どうしてこんな目で私を見るのだろう。

「君を貶める意図は欠片もなかったんだ。だが……過去の自分が君を傷つけてしまったことをどうか……赦してほしい」

 頭を下げるアルセンに慌てて駆け寄り、その肩を掴んで顔を上げさせた。

「その言葉を聞けただけで十分です。もうお互い、過去のことは水に流しませんか」
「エレイン……俺を、赦してくれるのか?」

 惑うように揺れる彼の瞳に嘘が感じられなかったせいだろうか、私は自然と頷いていた。

「本当はずっと、あなたとこうして話をしてみたかったのです」
「それなら、どうして……」
「私などは相手にもされないと思っていましたから」
「そんなはず、ないだろう」
「今日、ようやく話ができて良かったです」

 にっこり笑うと、アルセンは眉根を寄せ、切なげに睫毛を震わせた。

「……今日を最後みたいに言わないでくれ」
「それなら……私と友達になってはくれませんか?」
「友達? 君と俺が?」
「ええ、お嫌でなければ――」
「嫌なものか、むしろ……光栄だ」

 どこか苦味を孕んだようなアルセンの笑みが、何故かずきりと胸に突き刺さった。
 もしかしたら、彼はずっと私に対し謝罪の機会を伺っていたのだろうか。
 もっと軽薄な人だと思っていたのに、今目の前にいるアルセンは愚直なまでに誠実そのものに見えた。
 私は過去の痛みに囚われすぎて、アルセンという人を見誤っていた?

「あらかじめ聞いておきたいのだが、友達とは……具体的には何を?」
「そうですね……時折こうしてお茶を飲みながらお話をしてくれるだけで構いません」

 アルセンと友人として少しずつでも信頼関係を築けるのなら、私にとっては大きな前進だ。
 やはりいきなり恋人関係に持ち込む方法は、私にはハードルが高すぎる。
 皇后陛下は明確な期限を設けられなかったのだし、多少時間がかかっても今の私にはこのやり方が最善だろう。
 恋愛プロのリナであれば今頃はベッドの上で愛を囁き合っていたのかもしれないけれど。

「それなら……今度君をアンドレ家へ招待してもいいだろうか」
「まあ……特別な仲でもないのに宜しいのですか?」
「構わない、君が本当に俺を友として受け入れてくれるのなら」
「それでしたら喜んで」

 思いの外とんとん拍子に話が進み、自然と顔が綻ぶ。
 個人的な屋敷への招待は最上級のもてなしだ。
 アルセンは形ばかりでも私を友として扱ってくれるようだ。
 それが仮に過去の贖罪のつもりだとしても構わない、その気持ちを喜んで利用させて頂くまでだ。

「後日正式に手紙を送らせてもらう。受け取って……くれるだろうか?」

 そこでアルセンは自嘲的な笑みを浮かべた。
 何故アルセンがこのような表情をするのか――私がその意味を知ったのはもう少し後のことだ。

「もちろんです。楽しみにお待ちしていますね」

 そう言って微笑むと、アルセンはホッとしたように表情を緩めた。

「必ず送るよ、エレイン」

 絡み合う視線と二人の間に流れる微かなぎこちなさ、そして緊張の糸――友と呼ぶにはあまりにも他人行儀なこの距離を、これからなんとしても詰めていかなければならない。
 私は立ち上がり、宮殿仕込みの礼と微笑とをアルセンに向けた。
 アルセンは眩しげに目を細めると、私の手の甲に口付けた。
 この時その口付けに込められた意味が、私の思う通りのものであればいいと心から願った。
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