5 / 12
5
翌日、私は皇后陛下にアルセンとの件を包み隠さず報告した。
皇后陛下は優しく微笑まれると、「そなたのペースで進めれば良い」と温かく励ましてくださった。
この先決して失敗の報告など差し上げたくはない。
恋でも友情でもなんでも構わないから、慎重に確実にアルセンの懐へ入り込まなくては。
そしてその夜。
仕事を終えて部屋に戻ると、なんとアルセンから約束の手紙が届いていたのだ。
すぐに中を検めると、三日後に指定されたアンドレ家への招待状だった。
昨日のアルセンの様子から約束を違えることはないと確信してはいたものの、まさかこんなに早く届くとは思わなかった。
アルセンが心から私と友になりたいと思ってくれている証なのだろうか。
「アルセン……」
昨日のアルセンとならばそれも悪くないように感じられた。
彼はとても紳士的で、終始慎重に言葉を選びながら接してくれた。
部屋を出る際も私の名節を気遣って、時間差で出る配慮もしてくれた。
その上真摯に過去も詫びてくれたのだ、すぐには無理でも、悪気はなかったのだと水に流せるよう私も努力をしよう。
そうして心から歩み寄ることができたのなら、もしかしたら私たちは本当の友になれるのかもしれない――
アルセンから指定された日、私は皇后陛下に休暇と外出の許可をいただき、アンドレ家を訪れていた。
ここへ来るのは苦い記憶を残したあの日以来十年ぶりのこととなる。
「エレイン、ようこそ。来てくれて嬉しいよ」
馬車の降車口ではアルセン自らがわざわざ出迎えてくれた。
差し出された手を躊躇いがちに取ると、アルセンは少しはにかんだように笑った。
その少年のようなどこかあどけない表情にドキリとする。
恋愛百戦錬磨と噂されるアルセンが、不意打ちにこんな屈託のない顔を見せるだなんて反則だ。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「今日は天気がいいから庭園に席を設けたんだ。案内しよう」
「それは楽しみですね」
促されるままアルセンと腕を組み、美しく整えられた庭園を歩く。
そして辿り着いた先が、見覚えのある景色であることにすぐ気づいた。
くっきりと脳裏に焼きついているのだから間違いない。
ここは十年前アルセンと出会った場所だ。
「アルセン……何故、ここに?」
アルセンは憂げに目を伏せ、真っ白なテーブルクロスを指でなぞる。
「君と新たな関係を築くなら、この場所からが相応しいと思ったんだ」
少しでもわだかまりを解き嫌な記憶を払拭するべく、敢えてこの場所を選んだということだろうか。
だとしたら、アルセンは心から真摯に私と向き合おうとしてくれているのかもしれない。
なのに私は、二心を持って彼に近づいた。
そのことに不意に罪悪感を感じ、ずきりと胸が痛む。
この醜い企みを知ったなら、彼は私を憎むだろうか。
「アルセン……ありがとうございます」
アルセンは微笑むと椅子を引いて私を座らせた。そして彼手ずから紅茶を注いでくれたのだ。
給仕はいないのかと辺りを見回すと、彼は小さく笑いティーポットを置いて自らの席に座った。
「できる限り俺の手で君をもてなしたいんだ」
「まあ……アンドレ公爵様からのもてなしだなんて……畏れ多いことです」
「揶揄わないでくれ。しばらく誰も来ないよう言ってあるから、どうか気楽に過ごしてほしい」
それからのアルセンとの時間は、思いの外楽しいものだった。
互いに口数が多いほうではないけれど、沈黙すら気詰まりにならないのが不思議なほどで、時間もあっという間に過ぎ去っていった。
もっと軽薄で嫌味な男だと構えていたのに、なんだか調子が狂ってしまう。
「エレイン、疲れさせてしまったか?」
「え? いえ……」
ハッと顔を上げると、アルセンが気遣わしげにこちらを見下ろしていた。
いつの間にか夕刻となり、そろそろお暇をしようと馬車までの道を歩いている最中、物思いに耽ってしまっていたようだ。
「今日はとても楽しかったと思い返していました」
「俺も……とても楽しかったよ、エレイン」
「私は口下手なので……退屈させてしまわないかと、実は昨日から気が気ではありませんでした」
「エレイン、君は聡明でとても――」
そこでアルセンが口を噤んだので、足を止め彼を見上げた。すると苦くも切実さを孕んだ青い瞳に射抜かれた。
「アルセン?」
「いや……なんでもない。口下手など謙遜も甚だしいな」
「そうですか……皇后陛下にはもっと遊び心を持てとよく叱られるものでして……」
「君には君だけの魅力がある。俺は……そのままの君でいいと思う」
優しく微笑まれ、かあっと顔に熱が昇るのを感じた。
流石は社交界きっての色男だ。
女性の心をくすぐるツボをよく心得ている。
私は顔を見られたくなくて、アルセンの視線から逃れるように先を歩き出した。
「……ありがとうございます。これまでそんなことを言ってくれたのは、亡くなった祖母だけでした」
「なら、これからは俺が何度でも言うよ」
「それはまたの機会があると思っていいのでしょうか?」
「エレイン」
そっと後ろから手首を掴まれた。
振り返ると、熱っぽい眼差しに囚われる。
「俺は……いくらでも君のために時間を作る。君のほうこそ、またこんな時間を俺にくれるか?」
友人としての誘いであるはずなのに、まるでデートの誘いでもあるかのように聞こえるから不思議だ。
どちらの誘いでも私には願ったりなのだけれど、忙しなく鳴り響く心臓の音が煩わしい。
籠絡する前に私が籠絡されるなどあってはならないというのに――
「もちろんですアルセン。私達、いい友達になれそうですね」
「ああ、そう……だな」
「これからも、よろしくお願いしますね」
手を差し出すと、アルセンは優しく握り返してくれた。
「今度は私がおもてなしをさせていただきたいのですが……来て、くれますか?」
おずおずと見上げる私に、アルセンは嬉しそうに目を細めた。
「当然だ、必ず行かせてもらう」
彼から漂う空気が優しく甘やかに感じられるのは気のせいだろうか。
否、好意的なものであるならば、向けられる感情はどんなものであっても構わない。
アルセンは私を嫌ってはいない――それが分かれば今は十分だ。
私はアルセンに笑いかけながら、彼をどんなふうにもてなそうかと頭の中で算段していた。
皇后陛下は優しく微笑まれると、「そなたのペースで進めれば良い」と温かく励ましてくださった。
この先決して失敗の報告など差し上げたくはない。
恋でも友情でもなんでも構わないから、慎重に確実にアルセンの懐へ入り込まなくては。
そしてその夜。
仕事を終えて部屋に戻ると、なんとアルセンから約束の手紙が届いていたのだ。
すぐに中を検めると、三日後に指定されたアンドレ家への招待状だった。
昨日のアルセンの様子から約束を違えることはないと確信してはいたものの、まさかこんなに早く届くとは思わなかった。
アルセンが心から私と友になりたいと思ってくれている証なのだろうか。
「アルセン……」
昨日のアルセンとならばそれも悪くないように感じられた。
彼はとても紳士的で、終始慎重に言葉を選びながら接してくれた。
部屋を出る際も私の名節を気遣って、時間差で出る配慮もしてくれた。
その上真摯に過去も詫びてくれたのだ、すぐには無理でも、悪気はなかったのだと水に流せるよう私も努力をしよう。
そうして心から歩み寄ることができたのなら、もしかしたら私たちは本当の友になれるのかもしれない――
アルセンから指定された日、私は皇后陛下に休暇と外出の許可をいただき、アンドレ家を訪れていた。
ここへ来るのは苦い記憶を残したあの日以来十年ぶりのこととなる。
「エレイン、ようこそ。来てくれて嬉しいよ」
馬車の降車口ではアルセン自らがわざわざ出迎えてくれた。
差し出された手を躊躇いがちに取ると、アルセンは少しはにかんだように笑った。
その少年のようなどこかあどけない表情にドキリとする。
恋愛百戦錬磨と噂されるアルセンが、不意打ちにこんな屈託のない顔を見せるだなんて反則だ。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「今日は天気がいいから庭園に席を設けたんだ。案内しよう」
「それは楽しみですね」
促されるままアルセンと腕を組み、美しく整えられた庭園を歩く。
そして辿り着いた先が、見覚えのある景色であることにすぐ気づいた。
くっきりと脳裏に焼きついているのだから間違いない。
ここは十年前アルセンと出会った場所だ。
「アルセン……何故、ここに?」
アルセンは憂げに目を伏せ、真っ白なテーブルクロスを指でなぞる。
「君と新たな関係を築くなら、この場所からが相応しいと思ったんだ」
少しでもわだかまりを解き嫌な記憶を払拭するべく、敢えてこの場所を選んだということだろうか。
だとしたら、アルセンは心から真摯に私と向き合おうとしてくれているのかもしれない。
なのに私は、二心を持って彼に近づいた。
そのことに不意に罪悪感を感じ、ずきりと胸が痛む。
この醜い企みを知ったなら、彼は私を憎むだろうか。
「アルセン……ありがとうございます」
アルセンは微笑むと椅子を引いて私を座らせた。そして彼手ずから紅茶を注いでくれたのだ。
給仕はいないのかと辺りを見回すと、彼は小さく笑いティーポットを置いて自らの席に座った。
「できる限り俺の手で君をもてなしたいんだ」
「まあ……アンドレ公爵様からのもてなしだなんて……畏れ多いことです」
「揶揄わないでくれ。しばらく誰も来ないよう言ってあるから、どうか気楽に過ごしてほしい」
それからのアルセンとの時間は、思いの外楽しいものだった。
互いに口数が多いほうではないけれど、沈黙すら気詰まりにならないのが不思議なほどで、時間もあっという間に過ぎ去っていった。
もっと軽薄で嫌味な男だと構えていたのに、なんだか調子が狂ってしまう。
「エレイン、疲れさせてしまったか?」
「え? いえ……」
ハッと顔を上げると、アルセンが気遣わしげにこちらを見下ろしていた。
いつの間にか夕刻となり、そろそろお暇をしようと馬車までの道を歩いている最中、物思いに耽ってしまっていたようだ。
「今日はとても楽しかったと思い返していました」
「俺も……とても楽しかったよ、エレイン」
「私は口下手なので……退屈させてしまわないかと、実は昨日から気が気ではありませんでした」
「エレイン、君は聡明でとても――」
そこでアルセンが口を噤んだので、足を止め彼を見上げた。すると苦くも切実さを孕んだ青い瞳に射抜かれた。
「アルセン?」
「いや……なんでもない。口下手など謙遜も甚だしいな」
「そうですか……皇后陛下にはもっと遊び心を持てとよく叱られるものでして……」
「君には君だけの魅力がある。俺は……そのままの君でいいと思う」
優しく微笑まれ、かあっと顔に熱が昇るのを感じた。
流石は社交界きっての色男だ。
女性の心をくすぐるツボをよく心得ている。
私は顔を見られたくなくて、アルセンの視線から逃れるように先を歩き出した。
「……ありがとうございます。これまでそんなことを言ってくれたのは、亡くなった祖母だけでした」
「なら、これからは俺が何度でも言うよ」
「それはまたの機会があると思っていいのでしょうか?」
「エレイン」
そっと後ろから手首を掴まれた。
振り返ると、熱っぽい眼差しに囚われる。
「俺は……いくらでも君のために時間を作る。君のほうこそ、またこんな時間を俺にくれるか?」
友人としての誘いであるはずなのに、まるでデートの誘いでもあるかのように聞こえるから不思議だ。
どちらの誘いでも私には願ったりなのだけれど、忙しなく鳴り響く心臓の音が煩わしい。
籠絡する前に私が籠絡されるなどあってはならないというのに――
「もちろんですアルセン。私達、いい友達になれそうですね」
「ああ、そう……だな」
「これからも、よろしくお願いしますね」
手を差し出すと、アルセンは優しく握り返してくれた。
「今度は私がおもてなしをさせていただきたいのですが……来て、くれますか?」
おずおずと見上げる私に、アルセンは嬉しそうに目を細めた。
「当然だ、必ず行かせてもらう」
彼から漂う空気が優しく甘やかに感じられるのは気のせいだろうか。
否、好意的なものであるならば、向けられる感情はどんなものであっても構わない。
アルセンは私を嫌ってはいない――それが分かれば今は十分だ。
私はアルセンに笑いかけながら、彼をどんなふうにもてなそうかと頭の中で算段していた。
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
三年分の涙を飲み込んで離婚を決めた私に、今さら愛してると言わないでください
まさき
恋愛
「別れてください」
笑顔で、声を震わせずに、澄花はそう言った。
三年間、夫の隣に立ち続けた。残業続きの夫を待ち、不満を飲み込み、完璧な妻を演じた。幼なじみの麗奈が現れるまでは、それが愛だと信じていた。
嫉妬も、怒りも、とうに泣き尽くしていた。残ったのは、静かな決意だけだった。
離婚届を差し出した翌朝、夫・誠は初めて泣いた。
――遅すぎる。三年分、遅すぎる。
幼なじみに夫を奪われかけた妻が、すべてを手放す覚悟をしたとき、夫はようやく目を覚ます。泣き終わった女の強さと、取り戻せないものの重さを描く、夫婦の崩壊と再生の物語。
戦場から帰らぬ夫は、隣国の姫君に恋文を送っていました
Mag_Mel
恋愛
しばらく床に臥せていたエルマが久方ぶりに参加した祝宴で、隣国の姫君ルーシアは戦地にいるはずの夫ジェイミーの名を口にした。
「彼から恋文をもらっていますの」。
二年もの間、自分には便りひとつ届かなかったのに?
真実を確かめるため、エルマは姫君の茶会へと足を運ぶ。
そこで待っていたのは「身を引いて欲しい」と別れを迫る、ルーシアの取り巻きたちだった。
※小説家になろう様にも投稿しています
【完結】私の事は気にせずに、そのままイチャイチャお続け下さいませ ~私も婚約解消を目指して頑張りますから~
山葵
恋愛
ガルス侯爵家の令嬢である わたくしミモルザには、婚約者がいる。
この国の宰相である父を持つ、リブルート侯爵家嫡男レイライン様。
父同様、優秀…と期待されたが、顔は良いが頭はイマイチだった。
顔が良いから、女性にモテる。
わたくしはと言えば、頭は、まぁ優秀な方になるけれど、顔は中の上位!?
自分に釣り合わないと思っているレイラインは、ミモルザの見ているのを知っていて今日も美しい顔の令嬢とイチャイチャする。
*沢山の方に読んで頂き、ありがとうございます。m(_ _)m
貴方に私は相応しくない【完結】
迷い人
恋愛
私との将来を求める公爵令息エドウィン・フォスター。
彼は初恋の人で学園入学をきっかけに再会を果たした。
天使のような無邪気な笑みで愛を語り。
彼は私の心を踏みにじる。
私は貴方の都合の良い子にはなれません。
私は貴方に相応しい女にはなれません。
おさななじみの次期公爵に「あなたを愛するつもりはない」と言われるままにしたら挙動不審です
ワイちゃん
恋愛
伯爵令嬢セリアは、侯爵に嫁いだ姉にマウントをとられる日々。会えなくなった幼馴染とのあたたかい日々を心に過ごしていた。ある日、婚活のための夜会に参加し、得意のピアノを披露すると、幼馴染と再会し、次の日には公爵の幼馴染に求婚されることに。しかし、幼馴染には「あなたを愛するつもりはない」と言われ、相手の提示するルーティーンをただただこなす日々が始まり……?
王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく
木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。
侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。
震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。
二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。
けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。
殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。
「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」
優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎泡雪 / 木風 雪乃
呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました
しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。
そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。
そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。
全身包帯で覆われ、顔も見えない。
所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。
「なぜこのようなことに…」
愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。
同名キャラで複数の話を書いています。
作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。
この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。
皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。
短めの話なのですが、重めな愛です。
お楽しみいただければと思います。
小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!