皇后陛下の御心のままに

アマイ

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「え、婚姻ですか?」

 父から急な呼び出しを受け、何事かと実家へ戻った途端、私は婚姻の話を突きつけられた。
 驚く私に父はニンマリと満面の笑みを浮かべる。
 この顔は……余程父の意に沿う相手のようだ。

「そうだ、帝国の商人ギルドを牛耳るカトル・マロンド卿だ」

 カトル・マロンド――主に悪いほうで名の知れた帝国一の大富豪だ。
 こんな借金だらけの落ちぶれた家門の娘を貰い受けようだなんて、どう考えてもこの爵位が目当てとしか思えない。
 それに、彼は確か妻を亡くしたばかりのはずだ。
 大商人の後妻……そうか、それが父が私に用意した最上にして最善の地位というわけか。

「先方はお前を見たことがあるらしくてな、とても乗り気なんだ。借金も全て無償で肩代わりすると言ってくれている」
「そう、ですか」

 父が事業の失敗で抱えた莫大な借金を、無償で肩代わりするなどあまりにも破格な話だ。
 これは私の一存で断ることなどできはしない――反抗する気力など一気に削がれ、私はこの婚姻話に対し首を縦に振った。
 その瞬間ふとアルセンの顔が頭をよぎったけれど、貴族にとって婚姻と恋愛は別物だ。
 皇后陛下の命を遂行し続けるのにしても、この婚姻は障害にはなりえない。
 だから、問題はない。
 けれどもう、逃げられない――
 絶望にも似た諦念がじわりと胸を満たす。
 でも、この時いったい何を諦めたのか……私には分からなかった。




 それから一週間後、私は宮殿に割り当てられた自室にアルセンを招いた。
 最上のもてなしをとこの日のために皇后陛下の助言も頂き、ティーセットから茶葉、茶菓子から食器に至るまで念入りに選び抜いた。
 最後の仕上げに全身鏡の前に立ち身だしなみをチェックする。
 大丈夫、悪くない。
 テーブルセットも完璧だ。
 やがて約束の時間通り案内役に連れられやってきたアルセンは、驚くほど大きな花束を抱えていた。
 そして少しはにかみながらそれを私に差し出す。
 不覚にも可愛いと思ってしまうのだから、私はアルセンのこの表情にどうも弱いらしい。

「よかったら……受け取ってほしい」
「まあ! なんて綺麗……ありがとうございますアルセン。こんな素敵なプレゼント、頂いたのははじめてです」
「花をもらったのがはじめてなのか?」
「はい、親しい男性など今ままでおりませんでしたから」
「花が好きなら、俺がいくらでも贈ろう」
「お気持ちだけで十分ですよ。あなたの大切な誰かに誤解をさせては大変ですから」

 早速花を花瓶に生けながら困ったように笑うと、アルセンはむすっと眉根を寄せた。

「そんな相手はいないから、君が気にすることはない」
「そうですか。あ、どうぞこちらにお掛けになってください」

 テラスのテーブルまでアルセンを案内して、席をすすめる。
 アルセンは大人しく従い、目の前のテーブルセットに視線を巡らせた。

「凄いな、これは全部君が?」
「実は皇后陛下にもご助言を頂きました。アンドレ公爵閣下はお目が高いでしょうから、手が抜けませんもの」
「気持ちは嬉しいが……生憎審美眼のほうは壊滅的なんだ」

 アルセンはおどけたように肩をすくめたけれど、彼の目を見ればそんなことは嘘だと分かる。
 ここに取り揃えたのは一流の品ばかりで、彼はそれらの価値を全て正確に見抜いている様子だった。
 私はアルセンのカップに紅茶を注ぎ入れ、席に着いた。

「アルセン、今日は私なりにできる精一杯のおもてなしをあなたにさせていただきたいのです」
「どういう意味だ?」
「せっかく友達になっていただけたのですけれど……しばらくお会いできなくなりそうなんです」
「……何故」

 私はアルセンから貰った鮮やかな花々に目を移し、無理矢理口角を上げた。

「婚姻が……決まりそうなのです」

 はっとアルセンが息を呑む音がハッキリと聞こえた。

「相手は、誰だ」
「カトル・マロンド卿と聞いています」
「カトル・マロンドだと……親子ほども年の離れた男ではないか」

 アルセンの片眉が不快げに吊り上がる。

「オブリー家の借金のせいだな」
「ええ、お恥ずかしい話ですが……無償で肩代わりを申し入れられ、父は大層乗り気のようです」
「エレイン、君はそれでいいのか」
「私の感情など、問題にもなりませんから」

 そう苦笑まじりに告げた刹那、アルセンが勢いよく立ち上がった。
 そして驚いて固まっている私の元へツカツカと歩み寄ると、アルセンは私の手を掴みぎゅっと握った。

「あ、アルセン?」
「……俺でもいいだろう」
「え?」
「オブリー公爵の命なら君は、相手がたとえ俺でも従うんだろ」
「な、なんの冗談ですか?」
「冗談?」

 さあっと場の空気が一気に冷える。
 これまで見たこともない冷ややかな蒼い瞳に射抜かれ、私は恐怖のあまり身動ぎもできない。

「冗談かどうかは……いずれ分かる」
「そ、それはどういう……」

 アルセンはゾッとするような冷笑を浮かべると、私の手の甲に口付けた。
 その唇の冷たさを妙に生々しく感じ、ドクリと心臓が鳴った。
 彼から醸し出される酷薄な気配が恐ろしく、けれど何故か目が離せない。

「あ……アル、セン……」

 唇を震わせながらどうにか名を紡ぐと、アルセンは手の甲に唇を押し当てたまま、目線だけこちらへ向けた。
 ひっと息が止まる。
 そこにあったのは人心を惑わす魔性のごとき蒼き輝き。
 私は瞬きもできないまま、その眼差しに囚われる。
 やがてアルセンの手が優しく私の頬を撫でた。
 つっと汗が顎から膝に滴り落ちる。

「エレイン……何故そんな目で俺を?」

 アルセンは愉しげに瞳を細めた。
 今の私は、どんな目でアルセンを見つめているのだろう。
 恐怖に怯えているのか、それとも――
 蜘蛛の巣に囚われた羽虫のように、この時の私はアルセンの獲物だった。
 何が彼の言動を変えてしまったのか、彼はいったい何をするつもりなのか――人の顔色を読むのは得意だと豪語していながら、アルセンの心だけは最後までどうしても分からなかった――
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