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「なんですって!? カトル・マロンドと結婚!?」
アルセンとのお茶会の翌日、皇后陛下に婚姻の報告をしたところ、皇后陛下は目が飛び出そうなほどの驚愕を示された。
何故こんなに驚かれるのか分からず、私は若干たじろぎながらこくりと頷く。
「オブリー公爵め……常々馬鹿なヤツだと思ってはいたが……ああ、そなたは父に似ず聡明で幸いだったわね」
「恐れ入ります」
皇后陛下は父を嫌っていながらも、祖母の伝手で私を受け入れてくださったのだ。
それに父が愚かなことは事実なので、誰にどれだけ悪様に言われようともはや自業自得としか思わない。
「さて、あやつはどう動く?」
「陛下、あやつとは?」
「気にしないで、独り言よ」
ふふっと唇に優美な弧を描き、皇后陛下はイタズラを思いついた少女のように瞳を輝かせていらっしゃった。
カトル・マロンドとの婚姻を告げられ三週間が経った。
父の様子からすぐにでも結婚にまつわる準備が始まると思っていたのだけれど、実家からはなんの便りもない。
どういうことだろう。
気負っていた分拍子抜けしたまま、私はいつもと変わらない日々を過ごすこととなった。
そんなある日の昼下がり、皇后陛下より遣いの命を受け、私は繁華街の中心部にある人気の菓子店に足を運んでいた。
少し街を歩きたかったので、店より手前で停めてもらい私は馬車を降りた。
そこで少し歩いたところで、微妙にいつもとは違う空気を感じ取る。
うまくいえないのだけれど、なんとなくピリピリと張り詰めているような雰囲気だ。
そんな中、数人の婦人達が立ち話をしている場面に遭遇した。
「まさか……マロンド卿が……」
聞き覚えのある名が聞こえてきて私は足を止める。
そしてその集団の中へ迷うことなく突き進んだ。
「すみません、今マロンド卿と聞こえたのですが」
「あ? ええ」
「彼の身に何かあったのですか?」
そう尋ねると、話好きそうな婦人が声を潜めつつ耳打ちをしてきた。
「やだ、知らないのかい? 彼、違法の賭博やら人身売買やら他国との密通やら……とにかく数え切れないほどの罪で牢にしょっ引かれたのさ」
「そうそう、家財の一切も差し押さえられてるし、もう生きてここへは戻ってこられないんじゃないかねえ」
その後の話は耳に入らなかった。
婦人達に丁重に礼を告げ、私は菓子店への道のりを歩き出す。
カトル・マロンドが牢の中へ?
街でこれほど噂になっているというのに、何故宮殿では話題にもなっていないのだろう。
いったい、何が起こっているというのか。
この時、不意にアルセンの顔が頭に浮かんだ。
彼はお茶の席で確かに言った。
冗談かどうかはいずれ分かる、と。
まさか――
私は急いで買い物を済ませ、一路宮殿へ戻った。
早くアルセンに確かめなければ――そう逸る気持ちを懸命に抑えながら。
皇后陛下に菓子をお渡しした際、ダメで元々とカトル・マロンドの件を尋ねてみた。
陛下は少し考え込まれると、おいでと手招きをされた。
それは内密の話がある際の皇后陛下の合図だ。
私はお側に寄り、陛下の足元へ跪いた。
「その様子では街で噂になっているようね」
「はい、ご婦人方が嬉々として教えてくれました」
「そう……まあ派手にやり合って連行したようだし、人の口に戸は立てられないものね」
やれやれと首を振りながら苦笑されると、皇后陛下は唇に人差し指を当てられた。
「宮殿では箝口令が敷かれていてまだ公にはなっていないの。一応マロンドは大物だから、後釜がしっかり手綱を握って軌道に乗るまでは、ね」
「かしこまりました。決して口外は致しません」
「うん、いい子ね。これでめでたく結婚はご破産となった訳だし、私がしかるべき相手を世話をするべきよね」
「そんな……畏れ多いことです。私は許されるなら陛下に一生を捧げても構わないと思っております」
「ふむ……それもいいかも」
「本当ですか、陛下」
「エレインが納得する相手に出会えなければ、そうするといいわ」
「ありがとうございます、陛下!」
裾をつまんで礼をすると、皇后陛下はそれは愉しげに微笑んでおられた。
その夜、私は久方ぶりにアルセンに手紙を書いた。
カトル・マロンドの件はまだ内密とのことだったけれど、私はアルセンがこの件に関わっているような気がしてならなかった。
だから、街で聞いた噂と前置きをして、カトル・マロンドの件を尋ねてみることにした。
すると、直接会って話がしたいと翌日に返事が届いた。
彼と会うのは大分久しぶりのように感じる。
最後に会ったのは三週間も前のこと。
あの日、アルセンは初めて恐ろしいほどの闇を私に見せた。
何が彼の怒りに火をつけたのか……正直今でも分からない。
けれど……私は恐怖を感じると同時に引き込まれたのだ。
彼が内に秘めた底知れぬ深淵に。
「アルセン……」
最早見慣れた彼の文字を指先でなぞる。
まるで早く伝えたいとばかりに所々乱れた走り書きのような字。
どんな思いで彼はこれを書いたのだろう。
そんなことに考えを巡らせている自分を酷く滑稽に感じた。
はじめは皇后陛下の命を遂行するためだけに近付き、弄んで手酷く振ってやろうなんて本気で考えていた。
けれど――彼の意外な面に触れるたび、その心は大きく揺らいだ。
私をこんなにも尊重し誠実に接してくれる彼に対し、果たしてそんな仕打ちができるのだろうか。
考えただけで、心が引き裂かれそうだった。
知れば知るほどアルセンは私の想像から大きく外れた男だったから。
もう、出来るはずがない。
弱い私はそこまで非情にはなりきれなかった。
そして、それ以上に私は……アルセン・アンドレという男に強く惹かれてしまっている。
もう、限界だった。
自分を偽りこの茶番を続けることなどできはしない。
皇后陛下にどんな罰を下されようと、たとえこの命を奪われることになろうとも私は決めたのだ。
今度彼と会う日、この偽りの関係を終わらせるのだと――
アルセンとのお茶会の翌日、皇后陛下に婚姻の報告をしたところ、皇后陛下は目が飛び出そうなほどの驚愕を示された。
何故こんなに驚かれるのか分からず、私は若干たじろぎながらこくりと頷く。
「オブリー公爵め……常々馬鹿なヤツだと思ってはいたが……ああ、そなたは父に似ず聡明で幸いだったわね」
「恐れ入ります」
皇后陛下は父を嫌っていながらも、祖母の伝手で私を受け入れてくださったのだ。
それに父が愚かなことは事実なので、誰にどれだけ悪様に言われようともはや自業自得としか思わない。
「さて、あやつはどう動く?」
「陛下、あやつとは?」
「気にしないで、独り言よ」
ふふっと唇に優美な弧を描き、皇后陛下はイタズラを思いついた少女のように瞳を輝かせていらっしゃった。
カトル・マロンドとの婚姻を告げられ三週間が経った。
父の様子からすぐにでも結婚にまつわる準備が始まると思っていたのだけれど、実家からはなんの便りもない。
どういうことだろう。
気負っていた分拍子抜けしたまま、私はいつもと変わらない日々を過ごすこととなった。
そんなある日の昼下がり、皇后陛下より遣いの命を受け、私は繁華街の中心部にある人気の菓子店に足を運んでいた。
少し街を歩きたかったので、店より手前で停めてもらい私は馬車を降りた。
そこで少し歩いたところで、微妙にいつもとは違う空気を感じ取る。
うまくいえないのだけれど、なんとなくピリピリと張り詰めているような雰囲気だ。
そんな中、数人の婦人達が立ち話をしている場面に遭遇した。
「まさか……マロンド卿が……」
聞き覚えのある名が聞こえてきて私は足を止める。
そしてその集団の中へ迷うことなく突き進んだ。
「すみません、今マロンド卿と聞こえたのですが」
「あ? ええ」
「彼の身に何かあったのですか?」
そう尋ねると、話好きそうな婦人が声を潜めつつ耳打ちをしてきた。
「やだ、知らないのかい? 彼、違法の賭博やら人身売買やら他国との密通やら……とにかく数え切れないほどの罪で牢にしょっ引かれたのさ」
「そうそう、家財の一切も差し押さえられてるし、もう生きてここへは戻ってこられないんじゃないかねえ」
その後の話は耳に入らなかった。
婦人達に丁重に礼を告げ、私は菓子店への道のりを歩き出す。
カトル・マロンドが牢の中へ?
街でこれほど噂になっているというのに、何故宮殿では話題にもなっていないのだろう。
いったい、何が起こっているというのか。
この時、不意にアルセンの顔が頭に浮かんだ。
彼はお茶の席で確かに言った。
冗談かどうかはいずれ分かる、と。
まさか――
私は急いで買い物を済ませ、一路宮殿へ戻った。
早くアルセンに確かめなければ――そう逸る気持ちを懸命に抑えながら。
皇后陛下に菓子をお渡しした際、ダメで元々とカトル・マロンドの件を尋ねてみた。
陛下は少し考え込まれると、おいでと手招きをされた。
それは内密の話がある際の皇后陛下の合図だ。
私はお側に寄り、陛下の足元へ跪いた。
「その様子では街で噂になっているようね」
「はい、ご婦人方が嬉々として教えてくれました」
「そう……まあ派手にやり合って連行したようだし、人の口に戸は立てられないものね」
やれやれと首を振りながら苦笑されると、皇后陛下は唇に人差し指を当てられた。
「宮殿では箝口令が敷かれていてまだ公にはなっていないの。一応マロンドは大物だから、後釜がしっかり手綱を握って軌道に乗るまでは、ね」
「かしこまりました。決して口外は致しません」
「うん、いい子ね。これでめでたく結婚はご破産となった訳だし、私がしかるべき相手を世話をするべきよね」
「そんな……畏れ多いことです。私は許されるなら陛下に一生を捧げても構わないと思っております」
「ふむ……それもいいかも」
「本当ですか、陛下」
「エレインが納得する相手に出会えなければ、そうするといいわ」
「ありがとうございます、陛下!」
裾をつまんで礼をすると、皇后陛下はそれは愉しげに微笑んでおられた。
その夜、私は久方ぶりにアルセンに手紙を書いた。
カトル・マロンドの件はまだ内密とのことだったけれど、私はアルセンがこの件に関わっているような気がしてならなかった。
だから、街で聞いた噂と前置きをして、カトル・マロンドの件を尋ねてみることにした。
すると、直接会って話がしたいと翌日に返事が届いた。
彼と会うのは大分久しぶりのように感じる。
最後に会ったのは三週間も前のこと。
あの日、アルセンは初めて恐ろしいほどの闇を私に見せた。
何が彼の怒りに火をつけたのか……正直今でも分からない。
けれど……私は恐怖を感じると同時に引き込まれたのだ。
彼が内に秘めた底知れぬ深淵に。
「アルセン……」
最早見慣れた彼の文字を指先でなぞる。
まるで早く伝えたいとばかりに所々乱れた走り書きのような字。
どんな思いで彼はこれを書いたのだろう。
そんなことに考えを巡らせている自分を酷く滑稽に感じた。
はじめは皇后陛下の命を遂行するためだけに近付き、弄んで手酷く振ってやろうなんて本気で考えていた。
けれど――彼の意外な面に触れるたび、その心は大きく揺らいだ。
私をこんなにも尊重し誠実に接してくれる彼に対し、果たしてそんな仕打ちができるのだろうか。
考えただけで、心が引き裂かれそうだった。
知れば知るほどアルセンは私の想像から大きく外れた男だったから。
もう、出来るはずがない。
弱い私はそこまで非情にはなりきれなかった。
そして、それ以上に私は……アルセン・アンドレという男に強く惹かれてしまっている。
もう、限界だった。
自分を偽りこの茶番を続けることなどできはしない。
皇后陛下にどんな罰を下されようと、たとえこの命を奪われることになろうとも私は決めたのだ。
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