皇后陛下の御心のままに

アマイ

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 それから一週間後、私はアルセンからの招待状を受けアンドレ家を訪れていた。
 いつかのようにアルセンが出迎えてくれ、案内されたのは彼の私室のようだった。
 ソファに腰を下ろし、私はアルセンに向かって頭を下げる。

「アルセン、お忙しいでしょうに私のために時間を割いてくださりありがとうございます」
「やめてくれ、君のためならいくらでも時間を作ると言っただろう」
「そう……でしたね」

 どうしてだろう。
 アルセンの言葉の端々から感じられるさり気ない気遣いと好意のようなものに、妙に心が揺さぶられる。

「早速だがカトル・マロンドの件だったな。何が知りたい?」
「あ……その、まだ内密ながら獄へ繋がれたと聞きました。もしかしたらあなたはその件に関わっているのではありませんか?」

 アルセンは組んだ足の上に頬杖をつくと、口の端を上げた。

「どう思う?」
「ど、どうって……タイミング的にもあなたの関与は否めないと思っています」
「うん、君の想像通り俺が潰した」

 さも当然とばかりの態度に、私は二の句が告げずにいた。
 有力者との繋がりも深いカトル・マロンドを潰すなど、並大抵のことではない。
 そんなことは私にだって分かる。
 それをこの短期間でどうやって――

「蟻の一穴であっという間に瓦解した。奴には味方以上に敵が多かったということだ」

 些細な綻びから壊滅へと導くなど、やはりアルセンは並な男ではない。
 そんな人を相手取りどうにかしようとしていただなんて、私は本当に愚かだった。

「お礼を言うべきなのか……実はよく分かりません。実家の問題も振り出しに戻ったということですし」

 私が苦笑すると、アルセンは懐から折り畳まれた紙を取り出し私に差し出した。
 なんだろうかと受け取って、すぐに中を検め息を呑む。

「こ、れは……」

 オブリー公爵家の当主変更に関する届出書だった。既に父は署名済みで、次の当主には私の名が記されていた。

「君にオブリー家の全権限を譲ることを条件に、アンドレ家が借金の肩代わりを申し出た」
「なっ……! どう、して……」
「俺なりの贖罪だと思ってくれればいい」
「そんな……こんなに受け取れません……既に謝罪はいただいているのに……」
「友達……だろ? 少しでも君の力になりたいんだ」

 ぎこちなく笑うアルセンの瞳を見た瞬間、張り詰めた糸が切れた気がした。
 もう、我慢できなかった。
 途轍もない後悔と自責の念が込み上げて、とめどもない涙となって溢れ出た。

「エレイン?」
「ごめ、なさい……ごめんなさい、アルセン……」

 アルセンは私の隣に座り、躊躇いがちに肩に手を置いた。

「迷惑、だったか?」

 私は俯いたまま首を横に振る。

「あなたは、こんなにも誠実に私に向き合ってくれていたのに、わた、私は……」

 嗚咽が込み上げて、その先を言葉にすることができなかった。
 顔を覆って泣きじゃくる私の背を、アルセンは落ち着くまで優しく撫で続けてくれた。
 やがて激しい感情の波が引き、ほのかな倦怠感が体を包む。
 私はゆっくりと顔を上げ、アルセンを見上げた。

「アルセン、今日私はあなたに別れを告げにきたのです」

 アルセンは大きく目を見張り、私の肩を強く掴んだ。

「何故……どうしてだ?」
「私は……自分のちっぽけな自尊心を満たしたいがためにあなたに近付きました。あなたを籠絡し、手酷く振ったなら……過去の溜飲を下げられるのではないかと思っていたのです」

 アルセンの顔が苦しげに歪む。
 私は、その顔が見たいはずだった。
 なのに……心は晴れるどころか悲痛なまでの苦しみに心が千切れてしまいそうだった。

「もう、友達ごっこは終わりですね」

 そう告げると、再び涙が溢れた。
 たとえ偽りでも彼との時間は楽しかった。
 もっと卑怯で狡猾な男だったなら、きっと最後まで非情に徹し任務を遂行できていただろうに。
 アルセンがあまりに誠実だったのが、私にとって最大の誤算だった。

「……何故だエレイン」
「え?」
「何故最後まで俺を騙さなかった」

 突如冬空のように冷たい眼光に射抜かれ、背筋がゾクリと粟だった。
 本能的に後ずさる腰を抱かれ、顎を掴んで上向かされた。

「答えろエレイン」

 逃げ場を封じられ、わなわなと唇が震えだす。
 射殺さんばかりの殺気を纏った碧眼が容赦なく迫り、鼻先が触れた。
 ぎゅっと心臓を掴まれたように息が苦しい。
 この瞳を前に、もはや嘘も言い逃れも通じはしない――そう観念した。

「……から……」
「聞こえないな」
「あ、あなたを……本当に、好きになってしまった、から……」

 真情を吐露すると同時にボロボロと涙が零れる。
 一生告げるつもりなどなかった。
 誰に知られることもなくこの胸に永遠に封じ込めておきたかった。
 それを無理やりこじ開け曝け出され、悲しくて苦しくて胸が張り裂けそうだった。

「エレイン……」

 不意にアルセンの唇が優しく重ねられた。
 その柔らかな感触が現実のものに思われなくて、私はぼんやりとアルセンの碧眼を見つめ続けていた。
 どうして、こんなことをするのだろう。
 同情か哀れみか、単に私を落ち着かせようとしているだけなのか――
 二度三度啄んでから、アルセンは唇を離し、コツリと額を合わせた。

「すまない……一方的に別れを告げた君が許せなくて……大人気ないことをした」
「どういう、ことですか」

 アルセンは胸ポケットから小さな箱を取り出し、私の目の前で開いて見せた。
 そこに光るのは、台座に大粒のダイアが嵌められた指輪だった。

「これって……」
「俺は君に結婚を申し込むつもりでいた」
「う、そ……」
「本気だ、俺は君との結婚を望んでいる」

 返事も聞かないまま私の左手を掴むと、アルセンは強引に指輪を嵌めてしまった。

「そ、そんな……無理です」
「俺を好きだと言ったのは嘘だったのか」
「嘘じゃありません。ですが、急にそんなことを言われても……」

 戸惑う私を見下ろしふっと目を細めると、アルセンは耳元に唇を寄せた。

「こんなに俺を好きにさせておいて、逃げるなんて死んでも許さない」

 そのまま強く抱きすくめられた。
 全身に彼のぬくもりを感じながら、私の頭はなおも混迷を極めていた。
 アルセンも私を好き?
 これこそ何かの冗談ではないの?

「エレイン、お願いだ。俺と結婚してくれ」

 真剣な眼差しが懇願するよう小さく揺れる。
 吸い込まれそうなほど美しいその輝きに、ドクリと胸が大きく鳴った。
 父を使って婚姻を命じさせることだってできたのに、アルセンは敢えてそれをしなかった。
 それはきっと、あくまでも私の意思を尊重してくれている証なのだろう。
 そんなアルセンだからこそ、たとえ恐ろしい裏の顔を晒されようと、どうしようもなく惹かれてしまったのかもしれない。

「……あなたは、私を赦すのですか?」
「俺への好意が本物なら」
「アルセン……」

 堪らない愛おしさが込み上げ、私はアルセンの背に腕を回した。

「あなたのことが好きです。だから……そのお話、お受けします」
「エレイン……!」

 次の瞬間強い力で抱きしめ返された。
 その腕の熱さにドクドクとさらに胸が高鳴ってゆく。
 まだ信じられない。
 色を仕掛けたわけでもなかったのに、まさかアルセンも私を思ってくれていただなんて。
 はたして皇后陛下はこの結婚をお許しくださるだろうか。
 籠絡といえば最高の籠絡といえなくもなさそうだけれど……
 私はアルセンの腕の中で幸せに浸りつつも、これからのことをあれこれと考えていたのだった。
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