魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ

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 やがて辿り着いた休憩室のベッドに私を寝かせ、ルアはグラスに水を注いでくれた。

「ありが……っ」

 受け取ろうとするものの、手が震えて上手く受け取ることができなかった。
 どこか他人事のように震える手を眺めていると、ルアは水を自らの口に含み口移しで私に流し込む。

「ん……」

 口の端から溢れた滴をルアの指先がそっと拭った。

「ルア、紅が……」

 ルアの唇が私の紅で赤く濡れていた。慌ててハンカチを取り出して拭おうとするも阻むように手を掴まれた。

「ルア?」
「どうしてやりたいですか」
「え?」
「あの女の失言に対する制裁です」
「な……私は制裁など望みません。彼女が言ったことは事実なのですから」

 ルアは明らかに不快感を滲ませながら唇を歪める。

「多分に含まれた悪意に気づかぬわけではないでしょう。あれほど馬鹿にされて腹が立たないのですか」
「それは……」

 ペトラ令嬢の放つ棘には当然気付いていた。
 でも動揺が大きすぎたせいか怒りは感じなかった。
 それに……彼女はルアが好きなのだ。私に対する妬心は痛いほど理解できる。
 私は緩く首を振りつつ苦笑した。

「何故でしょう、私よりあなたのほうが怒っているようですね」

 そこでルアはハッとしたように目を見張った。

「ペトラ令嬢のような分かりやすい方はまだマシなほうです。それに彼女はルアの大切な方ではないのですか?」
「大切?」
「ええ、先日お二人の素晴らしいダンスを拝見しました。とても……素敵でした」

 クロードと二人うっとりと見惚れていたことを思い出す。
 しかし当のルアは珍しく苛立たしげに髪を掻き上げた。

「あの日は彼女に請われ、適当に相手をしたまでです。女性との社交は気まぐれであったり義務であったり……そんな程度のものですから」

 気怠げな横顔が憂鬱そうに嘆息する。
 どうやらルアにとってペトラ嬢は特別な女性ではないようだ。
 あれほどルアと全てが釣り合う女性も稀だというのに。

「それでは……私を誘ってくださったのも義務や気まぐれの一環なのですか?」

 ふと浮かんだ疑問を何気なく言葉にすると、ルアはこちらへ向き直り目を合わせた。

「さあ、どう思いますか?」

 嗜虐的な色を滲ませた宝石のような瞳。
 その禍々しいばかりの美しさに魅せられ、瞬きすらできない。

「……気まぐれだと、思います」
「何故?」
「私達はあくまでも契約上の関係ですから」
「あなたがそう思うのなら、そうなのでしょう」

 不意に小突くように肩を押され、私の体は再びベッドの上に沈み込む。
 大して力が加えられているようには見えなかったのに、全く逆らうことができなかった。
 何が起こったのか分からず、上から見下ろすルアを呆然と見詰める。
 ルアは冷笑を浮かべると、私に覆いかぶさるようにベッドに身を乗り上げた。

「ルア?」

 ルアは無言のまま私の首を撫で、片手で握るように掴んだ。
 そのまま力を加えられたら、私は死ぬ。
 ゾクっと冷たいものが背を伝う。
 何かが気に障ったのだろうか。
 焦りと恐怖で働かない頭を必死に巡らせる。
 先程ルアは女性との社交は気まぐれや義務だと言った。
 この言葉が真実だとしたら、ルアは好色という世評とは全く別の顔を持っているのかもしれない。
 けれど真意がどうあれ私との契約を選んだのはルア自身だ。
 それ以上のことは何も望まないと約束もしたし、私はこれまで契約を逸脱したことはないはずだ。
 ならばここにきて契約が煩わしくなったとか? いや、それならわざわざ私をパートナーに誘ったりはしないだろう。
 ああ……ルアという男がまるで分からない。
 少なくとも嫌われてはいないと思ってはいたけれど、今はそれすら自信がない。
 怖い、私は得体の知れないルアが恐ろしい――

「何故震えているのです?」
「あ、なたが……怖いから、です」

 ルアはククッと喉を鳴らし、目元を柔らかく細めた。

「知っていますか? あなたの怯えた顔は非常に嗜虐心を唆るんですよ」
「そん、なの……知りません……」
「だからつい、虐めてしまいたくなるのでしょうね」

 つつとうなじを撫で上げられ、声も体も情けないくらいにガタガタと震えだす。
 私が強い恐怖を感じるたび、ルアが愉しげに笑う理由が怯えた顔のせいだなど……なんて歪んだ性癖なのだろう。

「抱いてもいいですか、クロエ」
「あ……ごめんなさい、今は、月のものが……」
「ああ、それは残念でしたね」
「縁のものと、思っておりますので……」
「大丈夫、またいくらでも注いで差し上げますよ」

 耳元で睦言のように囁かれ、ぶるっと背筋が震えた。
 そのまま唇を吸われ、ジンと脳が甘く痺れる。
 ルアという男は、存在そのものが女を惑わす甘い媚薬のようだ。
 心などなくとも、触れられれば体の奥底が震え情欲が呼び覚まされる。
 魔性の大公殿下――まさにその二つ名が示すとおりの人。
 少し前までは、まさか自分が身をもって知ることになるとは思わなかった。

「ん……」

 ちゃっちゅと啄むような口づけが、徐々に深くなってゆく。
 縋るように首に手を回せば、唇を触れ合わせたままルアはふっと笑った。

「可愛いですね、クロエ。俺を恐れながらこんなにも求めるだなんて」
「怖くても……今はあなたしかいません。私はあなたに縋るほかないんです」

 ルアは愉しげに肩を揺らすと、ぬるりとした舌を捻じ込み絡めてきた。
 熱い舌が犯すように口内を蹂躙し、下腹から脳天へ走る甘い疼きにじわりと体の芯に熱が灯る。
 見えなくたって分かる。
 今の自分がどれだけ浅ましく淫らな顔をしているかなど。
 そんな頃合いを見計らったかのようにルアは唇を離すと、薄っすら笑みながら私を見下ろした。

「すっかり紅がとれてしまいましたね」
「あ……」

 ルアの唇が私の紅で赤く染まっている。
 その様は誘惑者のように淫らで、悪魔のように美しかった。
 私は吸い寄せられるようにその唇に指先で触れる。
 作り物のように整い、優美な曲線を描く唇。
 柔らかな感触を不思議に感じてポツリと呟く。

「あなたは本当に、人……?」
「さあ?」

 そこでハッと我に返った。私は今何を口走ったのかと。

「申し訳ありません……私、おかしなことを……」
「申し訳ないと思うのなら聞かせてください。人でないなら俺はなんだというのです?」

 私は唇を開いたものの、言葉を発することができなかった。

「クロエ、言いなさい」

 赤い瞳が絶対者の威を纏って私を追い詰める。
 いやだ、言いたくない。
 でもルアに命じられるがまま、唇が勝手に言葉を紡ぐ。

「あ……あく、ま……」
「……悪魔ですか、なるほど」

 ルアは気分を害するどころか褒美のように私の頭を撫で、美しく微笑した。

「あなたにだけは危害を加えませんよ。たとえ俺が悪魔だとしても、ね」

 私は震える手でハンカチを掴み、ルアの唇を辿々しく拭った。
 ルアはされるがまま、ジッとその様子を見ている。

「そのままでは表に出られませんね。まるで事後のような乱れようです」
「私は、どう思われても……」
「宮殿でパーティーを抜け出し俺と情事に耽った淫らな女と噂されても?」
「それは……」

 流石に陛下のお膝元での醜聞は控えたい。
 力なく首を振ると、ルアは袖机の上に備えられた鈴を鳴らした。
 するとすぐに侍女が現れ深々と一礼する。

「何なりとお申し付けを」
「彼女の身支度を」
「かしこまりました」

 侍女はベッドの傍らまで歩み寄り、私の手をそっと握った。

「こちらへお越し頂けますか、お嬢様」

 私は頷き彼女に従った。
 それから侍女はテキパキと髪やドレス、化粧の乱れを直し、二十分ほどで作業は完成した。
 流石は宮殿の侍女だ、素早くも鮮やかな手並みに感心する。

「素晴らしい仕事ぶりに感謝します」

 心からの礼を述べると、侍女ははにかむように目を伏せ部屋を辞した。

「お待たせして申し訳ありませんでした」
「あなたが美しく彩られてゆく様は中々愉しめましたよ」
「ご冗談を……そろそろ戻りましょうか」
「戻る必要などないでしょう」
「ですが……」
「帰りましょう、送りますよ」

 ルアの言葉にホッと胸が軽くなる。
 正直あの場へ戻りたくなどなかった。
 皆が私をどんな目で見ているのか――考えただけで憂鬱に目が眩みそうだ。
 ルアはそんな私の心を汲んでくれたのだろうか……

「ありがとうございます……それでは申し訳ありませんがお言葉に甘えさせて頂きます……」

 ルアは私の手を取り、歩幅を合わせるようゆっくりと馬車までエスコートしてくれた。
 馬車に乗り込むと、ルアは当然のように私の隣に座る。
 正直少し横になりたかった私は、あちらへ行ってなどとは言えず困って視線を泳がせた。

「クロエ……具合が悪いときくらいわがままになってもいいのですよ」

 察してくれたのかルアは苦笑交じりに囁き、私の頭を自らの肩にもたせかけた。

「あの……」
「膝のほうがいいですか」
「いえ……お気遣いに感謝します。あなたは私のことなどなんでもお見通しなのですね」
「いいえ、あなたのことなど何一つ知りませんよ」

 妙な話だけれど、突き放すような物言いに何故かホッとする私がいた。それがいつものルアらしく感じられたからだ。
 梯子を掛けたと思ったら次の瞬間何食わぬ顔で外される――それが私の知るルアという人だ。
 猫のように気まぐれで残忍で、本音が掴めず翻弄される。
 そんな私は、ルアの目にどれだけ滑稽に映るのだろう。

「ルア、何も聞かないのですね」
「何をでしょう」
「ペトラ令嬢がおっしゃっていた噂の件です」
「話したいのなら聞きますが……そうでないなら無理に話す必要はありません」
「……ありがとうございます、ルア。まだ心の整理がついていないようで……いつか話したくなったら聞いてもらえますか?」
「それも契約に含まれるのでしょうか」

 ルアの揶揄うような物言いがなんだかおかしくて、私はふふっと笑いながら首を横に振る。

「いいえ、契約外のことなので聞かなかったことにしてください」
「冗談ですよ、話したくなったらいつでもご自由に」
「分かりました、その時は……お願い、します」

 心地よい揺れとルアの温もりに、抗い難い睡魔が押し寄せる。

「おやすみ、クロエ」

 優しく頭を撫でる大きな手の感触を心地よく感じながら、私はストンと眠りの底に落ちていった――

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