3 / 80
1巻
1-3
しおりを挟む多少、覚悟していたとはいえ、応接間に通されたメリッサとアンリエッタは、藤重邸に入って即座にカルチャーショックを受けた。
家屋の大部分が木製なのにも、靴を脱いで上がるのにも、あちこちで見かける奇妙な家具にも、床に直接座るのにも、戸惑った。
「とりあえず、座っててください。今、弟を連れてきますから」
「私はお茶を入れてきますねー」
敵とも味方とも判断しきれない相手を残して、二人は部屋を出ていく。
ぎこちない動きで、座布団の上に並んで座ったメリッサとアンリエッタは、このざっくりとした対応にさらに困惑する。
「やけにあっさり二人きりにするのですね。特にあの男の子――爽悟さんには、警戒されているとばかり思っていたのですけれど」
「ああ、さほど警戒されているわけではないのかも知れない」
「そうですね。じっとわたくしたちの背中を観察していたように見えたのですが――」
「妙に老成しているようにも見えるし、あの人数を相手にあの立ち回り、謎の多い少年だな。透子殿の方はまだ与しやすそうだが」
「管理者代理と仰っていましたね。ただあの二人を見る限り、実権を握っているのは爽悟さんでしょう」
「あら、内緒話ですか。それにしてはお声が大きいようですが」
おっとりした声で二人の会話に割り込んできたのは、木製のトレイに、持ち手のないティーカップ――まあ、湯呑なのだが――を五つ載せた透子だった。
「ごめんなさい。お菓子を切らしていて、お茶だけなんですが――」
透子は丁寧な所作で茶の入った湯呑を並べていく。香ばしい煎茶の香り。メリッサとアンリエッタの二人には馴染みのないものだが、質のよいものであることはわかった。
「お気遣い、痛み入ります」
「いいえそれより、この建物は音が筒抜けなので、内緒話ならもう少し声を抑えた方がいいですよ。さすがに、爽悟くんたちのいる二階には聞こえていないでしょうけど」
にっこり笑って釘を刺すと、透子は上座に座った。
どうやら、きっちり二人の会話を聞いていたらしい。試していたのは、爽悟ではなく、透子の方だったというわけか。意外と食えない女だ。なんにしても、気まずい。
「あ、ええと、爽悟さんたちはまだなんでしょうか」
メリッサが思いっきり動揺しながら、当たりさわりのないことを言う。
「雷矢くんがちょっと寝起きの悪い子なので。もうそろそろかとは思いますけど。あ、爽悟くんもそうですけど、雷矢くんはもっと変わった子なので、驚かないでくださいね」
「「あれより、ですか」」
「何気に失礼ですよね、あなた方」
メリッサとアンリエッタの反応に少々気を悪くしたらしい爽悟が、いつの間にかジロリとこちらを睨んでいた。怒気は篭っていても殺気はないので、二人とも怖気づくようなことはないが。
「あ、いえ、その、なんといいますか――ねえ?」
「変わっているというか、きょうあ……特殊というか」
まだ若いのに、歴戦の傭兵も顔負けの迫力がある。二人は顔を見合わせてあたふたと言い訳をする。
「ああもう結構。西洋の方はもっとはっきりものを言うものだと思っていましたよ。それよりご紹介します。弟の雷矢です」
そこでメリッサとアンリエッタはようやく気が付いた。爽悟の後ろから、ちらちらとこちらを窺っている小さな人影。八歳か九歳くらいの男の子だ。
顔立ちはまるで爽悟のミニチュアだが、爽悟のような強烈な覇気はない。
メリッサのローブやアンリエッタの鎧が珍しいのだろうか。雷矢は好奇心で大きな瞳を一杯にしてじっとこちらを見ている。いや、違う。見ているのはメリッサたちの後ろだ。
「何かいる」
雷矢少年は、二人の背後を指さして言った。その言葉に、メリッサとアンリエッタは強烈な悪寒を覚えた。
「こら、雷矢、人を指さすんじゃない」
爽悟が弟の不作法を窘める。メリッサとアンリエッタは、問題はそこじゃないと、心の中で突っ込んだ。
「申し訳ない。人見知りの激しい子で。座れ、雷矢」
言われて、素直に透子の後ろに座る雷矢。爽悟が続いて透子の隣に座った。透子がアンリエッタと、爽悟がメリッサと向かい合う。
じぃっと、自分の背後に注がれる視線がなんとなく不気味で、生きた心地のしないメリッサとアンリエッタ。
「それでは、お聞きしましょう。今、俺たちが置かれている状況について」
口火を切ったのは、やはり爽悟だった。……そういえばこの少年も、さっきからちらちらとメリッサとアンリエッタの背後を見ている。
「ええと……端的に申しますと、あなた方がいた世界から見ると、ここは『異世界』ということになります」
「い、異世界ですか」
「それはまた、事実は小説よりも奇なりといったところでしょうか」
目を見開いて驚く透子と、澄ました顔をして驚いた風もなく言う爽悟。雷矢は相変わらず、二人の背後にいる何かを見ている。
視線の不気味さを追い払うように空咳をすると、メリッサは再び口を開いた。
「あくまでわたくしたちに伝わっている範囲ですが、少なくともアルティス聖教会の聖典においては、『この世』と『あの世』、二つの世界が存在するとされています。こちらで死した者はあちらへ、あちらで死した者はこちらへ。忘却の大河に立つ審判者アルティスの裁定を受け、魂は永遠に巡り続ける――」
メリッサは、そこで少し冷めた湯呑に口を付けて、「う、いい香りなのに渋いです」と、どうでもいいことを言った。
「二つの世界はコインの裏と表であり、そこには死という大きな境界線があるわけです。ここまではよろしいでしょうか?」
メリッサが話を区切り、異世界人三名の顔を見渡す。三者三様のリアクションだが、三人とも頷いた。
「忘却の大河、死の境界線を超えたとき、魂はその記憶の全てを失うのですが、例外もあります。ごく稀に、ではありますが、生きたまま忘却の大河を超え、この世界に現れる人がいるのです。それを、アルティス聖教会では《迷い子》と呼び、アルティスの祝福を受けたものとして、丁重に保護しているのです」
「保護、ですか」
透子が、その言葉を噛みしめるように反芻した。顔には複雑な色が宿っている。
「仰りたいことはわかります。彼らの持つ知識は、わたくしたちにとって革命的なものであることが多く、その、世間に混乱を招くことが」
言いよどんだメリッサの言葉を、アンリエッタが引き継いだ。
「まあ、要は保護という名目で、《迷い子》を軟禁してきたわけだ」
「アンリエッタさん!」
あえて過激な言葉を選んだアンリエッタを、メリッサが咎める。
「メリッサ。爽悟殿はそのような物言いは好かんだろう。はっきり言った方がいい。『教会の権威を守るために協力してくれ』とな」
「わ、わたくしは決してそのような!」
「と、本人はこう言っているが、現実は違う。無論、私個人としては、軟禁などということはしたくない。私も全力でそういう事態を避けるつもりだ。だが、そんな言葉、信じてくれ、と言っても信じられんだろう?」
アンリエッタは、ちらりとメリッサの顔を見る。これは、藤山春日神社の三名よりも、メリッサを諭しているような調子だった。
向かい合う三名は、やはり三者三様の表情をしているが、言葉の続きを、促すでもなく待っている。
メリッサも腹をくくった様子で、声を絞り出した。
「生きながら忘却の大河を超えた《迷い子》は、審判者の祝福を受けた者とされています。そうでなければ生きながらこの世界を訪れることはできないでしょう。ましてや、言葉を誰にも教えられず、いつの間にか身につけているなどあり得ません。間違いなく神の恩寵でしょう。しかし《迷い子》は例外なく、異教徒なのです」
それは、ある種当たり前のことである。むしろ異世界で同じ神が崇められているほうが不自然だ。
「異教徒が、わたくしたちの神の祝福を受けている。アルティス聖教会でも《迷い子》に祝福を施しているのが審判者であると、確かめた者はおりません。ただ、真実がどうであったとしても――」
もし《迷い子》への祝福が審判者によるものならば、敬虔さと神の恩寵とが無関係であることの証明になり、祝福が審判者以外の手によるものであるなら、審判者の力が絶対でないことの証明となる。
教会が信仰を集めているのは、つまるところ『利』によるところも大きいので、些事と言えばそれまでだ。
それでも信心深い者はいる。アルティスの教えは、なんだかんだ言っても人々の世界観の礎。混乱を避けるためには完全に隠すことができずとも、《迷い子》もまたアルティス聖教徒であることにしておかなくてはならない。
だから、アルティス聖教会は《迷い子》を保護という名目で軟禁するしかないのだ。
「でも、この度の事態は――異教徒の宗教施設が、まるごと『この世』に現れるというこの事態は――もし、これが審判者の意思だとしたなら」
メリッサは、刑の執行を待つ死刑囚のような口調だった。深く俯き、瓶底眼鏡をかけている彼女の表情は、他の者にははっきりと窺い知れない。
「わたくしたちの信仰のあり方に対する、審判者アルティスの警告――わたくしはそう考えるのです」
沈黙の帳が下りる。しばしののち、爽悟が口を開いた。
「――《掛けまくも畏き、藤山春日神社の大前に
恐み恐みも白さく
今日の朝日の豊栄登に
日別の御食つ物献奉りて
拝奉る状を
平らけく安らけく諾ひ聞食して
天皇の大御代を
弥遠永に立栄え奉らしめ給ひ
御氏子崇敬者を始め
遍く世の人々が
負持つ職業に勤み励みつつ
家内安く穏に
身健に心正しく
在らしめ給ひ守恵み幸へ給へと
恐み恐みも白す》」
神職に携わる者が、毎朝神饌とともに捧げる祝詞――日供詞である。
「《神聖語》……」
これを聞いて愕然としたのは、メリッサもアンリエッタも同じだ。
これまでの文献に、《迷い子》が《使徒》の言葉である《神聖語》を解したという記録はない。
だが、目の前の少年は、清水のせせらぎのように美しい声と発音で、アルレシャ大陸の言語とは異質で文法も複雑な《神聖語》による文句を、諳んじてみせた。
「今日も朝日が昇ったように、世の中の全ての人々が勤勉に、安寧に、心正しく過ごせるよう、見守ってくださるよう、恐れ多くも申し上げます――大まかに言うと、こういう意味です」
それだけ言うと、爽悟は黙って立ち上がった。
「そ、それはどういう――」
メリッサも反射的に立ち上がって、その意味を問い質そうとした。
「あなたも宗教家なら、後は自分で考えてください」
爽悟は、そのまま出ていってしまった。弟も彼の後を追う。残されたメリッサとアンリエッタは、訳がわからず呆然とする。
立ち去っていく二つの背中を見送ってから、透子がおかしくてたまらないという風に、くすくすと笑いはじめた。
「まったく偏屈よねぇ。もう少し、わかりやすく言えばいいのに」
「「は、はあ……?」」
楽しげな言葉に、メリッサもアンリエッタもそう答えるしかない。
「まあ、私も爽悟くんと同じ気持ちです。あなたたちの誠意は確かに受け取りました」
よろしくお願いします、と透子は頭を下げた。
「あ、あの、わたくしたちはむしろお願いする側なのですからっ、頭をお上げください。それより、さっきのは一体どういう?」
「あなたも宗教家なら、ご自分で考えなさい――なんてね、冗談よ」
わたわたと立ち上がるメリッサに、透子は面白そうに笑いながら言った。
思わずドキリとするような、大人の女性の笑みだった。
「私たちにできることはさせてもらうわ。それに、そうしないと元の世界に帰れそうにない気がするのよねぇ」
あまりに軽い調子に、メリッサもアンリエッタも呆気にとられるしかなかった。
「とりあえず協力は、まあ、主に爽悟くんがするから、ここでの生活の面倒を見てほしいのよね」
「は、はい。それはもちろん!」
「警護についても、聖騎士の誇りにかけて、今日のような不埒者は寄せつけないと誓おう」
二人の力強い返答に、透子はにっこりと笑った。
「ああ、良かった。正直どうしようと思ってたのよね。ほら、一応私、この子たちの保護者じゃない?」
――この女、これが目的だったのか。やっぱり食えない。
《迷い子》というのは、どうも皆一筋縄ではいかない相手のようだ。メリッサとアンリエッタは、自分たちの手には余る務めだったのではないかと、心の中で重いため息をついた。
間章一
セロン=ウル=ランシードとセファス=ウル=ランシードは、お互い複雑な縁故であったが、仲の良い兄弟だった。二人は騎士上がりの地方貴族の息子で、セロンは正妻の子、セファスは正妻が身籠っている間に、夫が他所で作ってきた子供であった。
セファスの母親は産後の肥立ちが悪く、セファスが生まれて間もなく亡くなった。後の火種にしかならぬであろうこの赤ん坊を、二人の生家であるランシード家は進んで引き取った。セロンが生まれつき足が悪く、生涯満足に歩くことができない、とわかったからだ。
セロンは次代の当主として、セファスはそれを支える右腕として、幼い頃から教育を受けた。セロンは内向的だが文に長け、セファスは社交的で武に長けていた。
たとえ足が思うように動かなくとも、セロンには領主を務めるだけの器量があった。だからセファスは、セロンが次期当主となることに何ら疑問を抱いていなかったし、庶子である自分を厭うことなく受け入れてくれたランシード家に深い感謝の念を抱いていた。
セファスは表を歩けないセロンの代わりに、よく外に出かけた。街の人々と話し、野の花や獣や鳥を見て、セロンに話して聞かせた。セファスは端整な顔立ちと明るく人好きのする性格とも相まって、誰からも好かれた。
だがこれがよくなかった。いつの頃からか人々は、足の不自由な出来損ないの嫡子より、健康で明るい庶子の方が、跡継ぎとして相応しいのでは、と噂するようになった。市井での噂話は、領主の屋敷にも広まっていった。使用人たちも、口々にセロンを悪く言った。どんなに文に長けていようとも、器量に優れていても、彼らは出来損ないのセロンを次期当主とは認めなかった。
市井での話はともかく、使用人までそのような話をしていて、セロンの耳に入らないはずがない。というより、地獄耳でなければ、政は務まるまい。
セファスはセロンを悪く言う者を許さなかった。跡を継ぐべきはセロンであって自分ではないと公言して憚らなかった。年の数が十を超えた頃には、領地経営を行うに必要な頭と器が自分にはないのだ、と既にセファスは自覚していた。
二人の内、どちらが欠けていても、不完全なのだと彼らは知っていた。彼らの絆は血よりも濃く、恋慕よりも深かった。彼らは互いを愛していたし、必要としていた。
しかし日の当たる場所に立ち、人々から好男子と称される弟と、出来損ないと、陰気くさい男と蔑まれる兄が、同じ思いであるはずがない。セファスが兄を思う以上に、セロンは弟に執着していた。
その心の内を知ったなら、誰もが異常だと言う程度には。
***
それは、二人が十三歳のときのこと。
「おいセフ、ノックもせずに入ってくるなっていつも言ってるだろう」
いつものように、車椅子の上で書物に目を通していたセロンは、ノックもせずに私室に入ってきた弟に眉をひそめつつも、口元には柔らかな微笑を浮かべて言った。
「硬いこと言うなって。俺とセロンの仲だろ? なんだ、見られちゃまずい本でも読んでたのかよ?」
「近頃のセフは発想が下品でいけない。そんなもの、父上や母上が許すわけがないじゃないか」
そりゃあそうだと言うと、セファスはケラケラと笑った。理屈っぽくて陰気な兄と違って、セファスは根本から明るい。ちょっとでも面白いことがあれば、ケラケラと笑うことを我慢しない。ましてや匙が転がってもおかしい年頃である。
もちろん社交の場では良いことではないから、セファスが歯を見せて笑うたび、両親や家庭教師にキツいお叱りを受けるのだが、セロンは弟のこうした性分を愛していた。
「それで? 今日は何をやらかして来たんだ、セフは」
「なんだよそれ! それじゃまるで、俺が悪ガキみたいじゃないか!」
「だから、そう言ってるんだよ」
やれやれ、と物わかりの悪い弟に嘆息する。いつもならここでぎゃんぎゃんと喚き散らす短気な弟だが、今日ばかりは皮肉を言われても反発することなくへらへらと笑っている。
「すごく気持ち悪いよ。一体何があったんだい?」
「ふへへ。俺はセロンより先に大人の階段を上るんだぜ」
「わけわかんないこと言ってないでさ」
相変わらず阿呆のようにへらへらしている弟に冷たい口調で言うが、当の弟は気にした様子もない。
「セロンさぁ、お前、恋って知ってるか?」
「……陽気に当てられて脳がおかしくなったのか?」
セロンは異なことを言うセファスの頭を、割と本気で心配して言った。
「ちっげーよ! 本ばっか読んでるからお前は恋もできないんだ。せっかくそんないいのがあるんだから、お前も街に下りればいいのに」
「遠慮しとくよ。それで恋がどうしたって?」
「ふんっ、まあボクネンジンのセロンにわかるとは思えねーけどな! 街にすっげぇ可愛い女の子がいたんだ! ジプシャンの女の子でさ、エルナト語はあまり上手じゃないみたいだったんだけど、それがかえって可愛くてさぁ。笑うとすっごく可愛いんだ」
夢見るようにうっとりと、異民族の少女の笑顔を思い浮かべながら、セファスは乏しいボキャブラリで街で出会ったジプシャンの少女のことを話す。
「ふぅん、ジプシャンの女の子ねぇ。初恋は叶わないって常套句を知ってるかい、セフ」
心なしか不機嫌な声で、セロンはそんな風に水を差す。
「言ってろっ、身分の差くらい越えて見せるぞ。どのみち俺は、セロンが結婚して世継ぎができるまで結婚しないつもりだからな。誰と恋しようがそのくらいいいだろ?」
力強く宣言するセファスに、セロンはもう一度書物に目を戻すと、くだらないことを言うな、とばかりにすげなく返した。
「セフがよくてもその子がよくないだろ。ジプシャンは街から街に旅するはぐれ者だよ。ほんの一時娯楽を提供するなら街の人も大目に見るだろうけど、あんまり長く居座ればそれこそ針のムシロだ。石を投げられたって文句は言えない」
セロンが言うのは全くの正論である。エルナト王国でのジプシャンの扱いは、それでもまだマシな方なのだ。けれど若い――というより幼いセファスに、それは受け入れがたい正論だった。
「なんだよ、さっきから意地悪なことばかり言いやがって! 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまうんだぞ!」
「そうかい。じゃ、せいぜい厩に近づかないよう気をつけるとしよう」
どうしたって口喧嘩でセファスがセロンに勝てることなどありはしないのだ。右から左に反論を受け流されて、セファスは半分涙目だった。これはまあ、いつもの光景であって、微笑ましいと言えば微笑ましいものである。
「ふんっ。理屈っぽいんだよセロンは――そんなんじゃ、美人の許嫁に愛想尽かされ――」
そこまで言いかけて、セファスはセロンの足元にまとわりついている生き物を見て悲鳴を上げる。
「ぎゃあ! ヘビ!」
思わずセファスは、ドアの方へと後退った。
それは大型の、紅い瞳の白い蛇だった。
セファスは蛇が苦手だった。涼しい顔をしているセロンに、壁を背にしておずおずと口を開く。
「おい、セロン。蛇なんていつから飼ってたんだ? 俺は知らないぞ」
「母上がくださったんだ。白い蛇は瑞兆らしいよ」
「それにしたって悪趣味じゃないか!? 俺が蛇嫌いだって知ってるだろ!」
セファスの大げさな抗議に、セロンは苦笑する。
「蛇なんて怖がってちゃあ、領主軍をまとめられないよ、セフ。それによくご覧よ、すごく綺麗な生き物じゃないか」
「うーん、そう言われてみれば、そう見えなくも――ひっ、こっち見んな」
蛇が鎌首をもたげ、視線をセファスの方へ向けてきたので、セファスは壁にめり込むんじゃないか、という勢いでさらに後退ろうとする。もっとも、既に壁に張りついていたので、これ以上後退りようもなかったのだが。
「ま、蛇のことなんていいじゃないか。些細なことさ。なんにしても、その女の子のことは諦めた方がいいよ。貴族の息子に惚れられたって、あっちも困るだけだろうさ。時には相手のことを思って潔く身を引くのも、男らしさってもんだとは思わないか?」
そう言われると、セファスはそれ以上反論することができなかった。男らしさ、という言葉に、この年頃の少年は往々にして弱い。
わかったよ、と力なく口にするセファスに、セロンは満足げに頷く。それから二人の話は剣の稽古のこととか、王国や教会政治の諸問題のこととか、メイドたちの中で誰が一番可愛いか、とか、全く違う話題に移っていった。
その日の夜、街でジプシャンの少女が一人、姿を消したことを知る者は、あまり多くない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。