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第1章 果ての世界のマイナスナイフ
第2話 シスター・オルファ
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「……へえ? 興味あるな、そのすごいギフトっていうの」
「じゃあ教えてあげるよ、プロミネンスって言うんだ! 剣の形をしててね、かっこいいんだ。しかも炎がぶわーって出てきて、もっとかっこよくなる!」
さっきの不安などすっかり忘れ、イドラは興奮した様子でまくしたてる。
イーオフのことは、嫌なやつだとは思っていたが、嫌いなやつだとは思っていなかった。その理由が、自分と違い派手で強力なギフトの存在にある。
「剣に炎……ふふ、まさしく少年の憧れそうなギフトじゃないか。いいね、それはすごい」
そう頷きを返すウラシマだったが、優しい目の奥には、かすかに失望めいた色がよぎる。が、頭は悪くないものの、まだ人の細かな機微を察するには幼さが強いイドラは、そんなことには露ほども気付かなかった。
「ああ、僕もああいうすごいギフトだったらなぁ……そしたら自慢できるし、ザコギフトだなんてイーオフにも馬鹿にされずに済んだのに。母さんだってもっと喜んでくれたに違いないんだ」
「ザコギフト、ね。けれど単純な強弱で測れるものでもないだろう、イドラ君のギフトはどんななのかな?」
「え? あぁ……僕のは本当に、イーオフの言う通りハズレだよ。なんなら見る? 一応、なくさないように肌身離さず持ってるんだ。そのせいでイーオフには未練……まがまがしい? あれ? 未練まがしい?」
「未練がましい、かな? キミのギフト、ぜひワタシに見せてほしいな。見てみたい」
「そう、それ。未練がましいってよく言われるんだけど……うん、ウラシマ先生なら馬鹿にもしないだろうし。はい」
イドラは言われたまま、無造作に腰の左に提げたケースからその柄を引き抜く。
そして、その青い刃をウラシマに見えるよう掲げた。
「これは……ナイフ?」
「うん。マイナスナイフ、って言うみたい。天恵試験紙に書いてた」
ラピスラズリで象ったようなその短剣は、日に透かすといくらかの陽光を通して輝いた。
「綺麗だね」
「僕も見た目だけはちょっと気に入ってるんだ。でも——」
「あっ」
ウラシマが止める間もなく、イドラはそのナイフでそばにある木の幹を斬りつけた。
かすかに驚いた表情で、ウラシマがイドラを見て、そのあと木の方に視線を移す。
「……? 傷がない?」
そこには、今しがた斬りつけられたのが嘘のように、そんな痕跡を一切残さず佇み続ける幹の姿があった。
「僕のナイフはなんにも切れないんだ。木も草も石も、どれだけ力を込めたって傷ひとつ付けられない。だから、ザコギフトなんだ」
「なる、ほど。いきなり木を傷つけるから、軽率なことをした——だなんて叱ろうとしたけれど。そういうことだったんだね」
「これじゃ魔物と戦ったりなんてできっこない。役に立たないハズレだって言われても、僕だってその通りだと思う。……ねえ、先生は? 先生のギフトはどんななの? 旅をするってことは、魔物と戦うこともあるんでしょ? やっぱりイーオフみたいな、すごいギフトを持ってるの?」
「ん……ワタシのギフトは……刀だよ」
「カタナ? なにそれ?」
「細めの剣みたいなものさ。物々しいし邪魔になるから、今は住ませてもらってる部屋に置いてる。三日前村に来たときは佩刀してたよ」
「そうでしたっけ? 全然覚えてない……」
「あはは。人前だとローブの内側で隠すようにしてるし、あの時のイドラ君は興奮していたからね」
「ぅ……」
旅人という稀な来客、未知の来訪者に当時のイドラはかなり浮かれていた。つい昨日も一昨日も、遠い旅の話を何度もねだった。なんなら今日もそのつもりだった。
——そのせいで、憧れの先生が持つ唯一無二のギフトを見逃していたとは!
とんだ失態にイドラは恥ずかしいやら悔しいやらで、奥歯を噛んで下を向きかける。それをまたしてもぽん、と頭を撫でたウラシマの手が止めた。
「気になるなら、また今度いつでも見せてあげるさ。諸事情から触らせたりはできないけどね。それより、もうちょっとキミのギフトを見せてほしいな」
「僕の? でも、見せた通りなんの役にも立たないようなギフトだよ? 天恵試験紙で見たパラメータでも、変な数値だったし。レアリティは高いんだけど」
「変な数値だって? どういうこと?」
「なんだっけ、ATKが六万? となんとか……最初はすっごくすっごく高いって喜んだんだけど、なんか数字の隣に横棒みたいなのがついてて……結局、ぬか喜びだった。なんにも切れないザコギフトだった。数値がおかしいのはよくわからないけど、そういう能力なのかもしれないし、どの道役立たずなのは確かだよ」
「横棒——マイナス? まさか……まさか、攻撃力がマイナスのギフト? そんなものが……いや、けれど、もしそうだったら」
「……先生?」
天からこのナイフが落ちてきて、三年。イドラはその恵みが原因でイーオフに馬鹿にされ続けてきた。
が、ギフトにもっとも失望したのは、ほかならぬイドラ自身だった。
無能。ハズレ。役立たず。ザコ。
どれも正しい。紙の一枚も切れない以上、こんなオモチャには意味がない。旅の役にも立たなければ、魔物にも勝てない。
どこにも、行けはしない。
(なのに……)
どういうわけか、ウラシマはじっとイドラを見つめる。
今度はイドラにも、その瞳の奥に普段の優しさとは別種の感情が揺れていることが読み取れた。
熱。揺れているのは、炎のような強い想いだ。それも今、突如として生まれたものではなく……長らく心の底で熾火として継続してきた火が、イドラの言葉をきっかけに勢いを増したかのような。
「もっと。もっと詳しく……そうだ、天恵試験紙を見せてほしい。保管してあるかい? できればすぐに確認させてほしい」
その言葉は、目の中の炎を出来る限り抑え込んだ、しかしそれでも端々に熱のにじんだものだった。
どういうわけか。
どういうことなのか、イドラには本当に見当もつかない。
ただ、ウラシマはイドラのギフトに興味を抱いている。それも強く。これまで見せたことのないくらいの感情で。そのことだけはわかる。
その想いには答えたい。
「なら、今からオルファさんのところに行きましょう。これも未練がましいって言われるんですけど、家にはまだ当時の天恵試験紙があります。でもここからなら、家に行くよりそっちの方が近いです!」
「オルファさん?」
「シスターさんです、村のちょっとだけ外れにお家があるんです」
「ああ、アサインドシスターズ……このメドイン村にもいるんだね」
アサインドシスターズ。ロトコル教の教えを伝えるため、教会から世界各地に派遣されるシスターたちのことだ。
彼女らの職務は主にロトコル教の教会——この大陸におけるそれは葬送協会とも呼ばれる——への寄付を募ること、派遣された町々村々において魔物の被害を防ぐべく専用の聖水を用いて魔物避けするなどがある。加えてこのランスポ大陸では魔物以上に恐ろしい不死の怪物も存在するため、その対処も戦闘専門の者らほどではないが、ある程度叩き込まれる。
しかし、もっぱらの役割は、天恵試験紙を無償で使わせることだった。
「ここからならすぐだよ、行こう!」
「うん。案内を頼むよ」
怪我の功名ではないが、イーオフから逃げて村の中心部から離れたおかげで、結果的にオルファの住む家に近づいていた。
よその町では簡易教会と呼ばれる施設に住むアサインドシスターズもいるそうだが、この小さな村にそんな大層なものはない。
イドラはウラシマを連れ、やや踏み慣らされた土の道を行く。
少し歩けば、小高い丘に二階建ての家屋がすぐに見えてきた。とても教会とは呼べないが、丘にあるおかげで微かに森の向こうの果ての海まで見える立地といい、大きさといい、小さな村ながら、そんな場所に派遣されたシスターにせめて出来るだけいいところに住まわせてやろう、という村人の気遣いが窺える家だった。
「あっ、オルファさん! すみませーんっ」
「はい?」
その女性は、そんな家の広い庭に立っていて、普段通り花壇の色鮮やかな花たちに水をあげていた。
陽光に輝く、亜麻色の長い髪。白い布地に体の中心で藍色のラインが入った、ロトコル教会の修道服に身を包んだシスター、オルファは今日ものんびりと過ごしているようだ。
呼びかけが届き、水差しを持ったオルファがその手を止め、イドラの方を見る。
「イドラくん? どうしたんですかぁ、こんな昼間に」
淡いグリーンの丸い瞳がイドラを捉えた。
オルファの薄く黄色がかった髪を見るたびに、イドラは小さいころに母が王都かどこかのちょっとしたお土産で持ってきてくれた、似たような色をした果皮の果物を思い出す。わざわざあのフルーツの名を母に訊いたこともないが、とても甘く、ジューシーでおいしかったことを覚えている。
また、うまくイドラには言い表せないが、オルファの声にも、あの果肉に通ずるものがあるように感じていた。
要は甘ったるい声色ということだ。
「あ、そうだ、せっかくだからお花を見てくれません? ちょうど今、綺麗なサンダーソニアの花が——あら? そちらの方は……」
「初めまして。シスター・オルファさん……だね? ワタシはウラシマ。三日前からメドイン村でお世話になっている、流れの旅人だ」
「ウラシマさん? そうなんですかぁ、初めまして! あたし、オルファって言います。アサインドシスターとしてこの村で過ごさせてもらってます、そういう意味ではウラシマさんと同じですねー」
「ふふ、ただの旅人のワタシと、村に必要とされるシスターは同じじゃないさ。それにしても素敵なお庭だ、花が生き生きとしていて癒される。海は遠くないはずだけど……森林があるおかげで潮風は届かないのかな?」
「ありがとうございますー。そうなんです、自慢のお花さんたちです! あたしの故郷は雪国だったので、こんな風に自然に囲まれるのは楽しいです。これもロトコル神が下さった恵みですねえ……感謝感謝です」
ロトコル神が人に恵んだのは、なにもギフトだけではない。
平坦な海原だけが無限に広がるこの世界に、自然豊かな大地を与えた。元はひとつだったその大地が、永い時とともに七大陸に分かれていった。その、一枚だった大陸の中心部にあった部分が、現在トワ大陸と呼ばれる大陸の部分だったとされており、それゆえにロトコル教の本部である大聖堂はトワ大陸に存在する。
創造神。この説話から人々は、雲の上にあるとされるロトコル神に感謝の祈りを忘れない。
「わわっ、お祈りしてる場合じゃなかった! 余計なことばっか話してますね、あたし……えとえと、そうだ、ご用件! あ、え、まさか村の中に魔物でも出たんですか!? はわ、どうしましょうっ、聖水どこやったかな、ええとバイナリとアトラクタと——」
アサインドシスターズから戦闘専門のエクソシストまで、教会の人間に広く使われるのが様々な用途の聖水だ。
聖水とは名ばかりで、二種の液体を混ぜて爆発や危険なガスを発生させるものや、魔物を人の住む土地から離すときに使用する誘引剤のようなものまである。前者がバイナリ、後者がアトラクタと呼ばれていた。
どちらも間違いなく、少なくともこの場では必要のない代物だった。
「じゃあ教えてあげるよ、プロミネンスって言うんだ! 剣の形をしててね、かっこいいんだ。しかも炎がぶわーって出てきて、もっとかっこよくなる!」
さっきの不安などすっかり忘れ、イドラは興奮した様子でまくしたてる。
イーオフのことは、嫌なやつだとは思っていたが、嫌いなやつだとは思っていなかった。その理由が、自分と違い派手で強力なギフトの存在にある。
「剣に炎……ふふ、まさしく少年の憧れそうなギフトじゃないか。いいね、それはすごい」
そう頷きを返すウラシマだったが、優しい目の奥には、かすかに失望めいた色がよぎる。が、頭は悪くないものの、まだ人の細かな機微を察するには幼さが強いイドラは、そんなことには露ほども気付かなかった。
「ああ、僕もああいうすごいギフトだったらなぁ……そしたら自慢できるし、ザコギフトだなんてイーオフにも馬鹿にされずに済んだのに。母さんだってもっと喜んでくれたに違いないんだ」
「ザコギフト、ね。けれど単純な強弱で測れるものでもないだろう、イドラ君のギフトはどんななのかな?」
「え? あぁ……僕のは本当に、イーオフの言う通りハズレだよ。なんなら見る? 一応、なくさないように肌身離さず持ってるんだ。そのせいでイーオフには未練……まがまがしい? あれ? 未練まがしい?」
「未練がましい、かな? キミのギフト、ぜひワタシに見せてほしいな。見てみたい」
「そう、それ。未練がましいってよく言われるんだけど……うん、ウラシマ先生なら馬鹿にもしないだろうし。はい」
イドラは言われたまま、無造作に腰の左に提げたケースからその柄を引き抜く。
そして、その青い刃をウラシマに見えるよう掲げた。
「これは……ナイフ?」
「うん。マイナスナイフ、って言うみたい。天恵試験紙に書いてた」
ラピスラズリで象ったようなその短剣は、日に透かすといくらかの陽光を通して輝いた。
「綺麗だね」
「僕も見た目だけはちょっと気に入ってるんだ。でも——」
「あっ」
ウラシマが止める間もなく、イドラはそのナイフでそばにある木の幹を斬りつけた。
かすかに驚いた表情で、ウラシマがイドラを見て、そのあと木の方に視線を移す。
「……? 傷がない?」
そこには、今しがた斬りつけられたのが嘘のように、そんな痕跡を一切残さず佇み続ける幹の姿があった。
「僕のナイフはなんにも切れないんだ。木も草も石も、どれだけ力を込めたって傷ひとつ付けられない。だから、ザコギフトなんだ」
「なる、ほど。いきなり木を傷つけるから、軽率なことをした——だなんて叱ろうとしたけれど。そういうことだったんだね」
「これじゃ魔物と戦ったりなんてできっこない。役に立たないハズレだって言われても、僕だってその通りだと思う。……ねえ、先生は? 先生のギフトはどんななの? 旅をするってことは、魔物と戦うこともあるんでしょ? やっぱりイーオフみたいな、すごいギフトを持ってるの?」
「ん……ワタシのギフトは……刀だよ」
「カタナ? なにそれ?」
「細めの剣みたいなものさ。物々しいし邪魔になるから、今は住ませてもらってる部屋に置いてる。三日前村に来たときは佩刀してたよ」
「そうでしたっけ? 全然覚えてない……」
「あはは。人前だとローブの内側で隠すようにしてるし、あの時のイドラ君は興奮していたからね」
「ぅ……」
旅人という稀な来客、未知の来訪者に当時のイドラはかなり浮かれていた。つい昨日も一昨日も、遠い旅の話を何度もねだった。なんなら今日もそのつもりだった。
——そのせいで、憧れの先生が持つ唯一無二のギフトを見逃していたとは!
とんだ失態にイドラは恥ずかしいやら悔しいやらで、奥歯を噛んで下を向きかける。それをまたしてもぽん、と頭を撫でたウラシマの手が止めた。
「気になるなら、また今度いつでも見せてあげるさ。諸事情から触らせたりはできないけどね。それより、もうちょっとキミのギフトを見せてほしいな」
「僕の? でも、見せた通りなんの役にも立たないようなギフトだよ? 天恵試験紙で見たパラメータでも、変な数値だったし。レアリティは高いんだけど」
「変な数値だって? どういうこと?」
「なんだっけ、ATKが六万? となんとか……最初はすっごくすっごく高いって喜んだんだけど、なんか数字の隣に横棒みたいなのがついてて……結局、ぬか喜びだった。なんにも切れないザコギフトだった。数値がおかしいのはよくわからないけど、そういう能力なのかもしれないし、どの道役立たずなのは確かだよ」
「横棒——マイナス? まさか……まさか、攻撃力がマイナスのギフト? そんなものが……いや、けれど、もしそうだったら」
「……先生?」
天からこのナイフが落ちてきて、三年。イドラはその恵みが原因でイーオフに馬鹿にされ続けてきた。
が、ギフトにもっとも失望したのは、ほかならぬイドラ自身だった。
無能。ハズレ。役立たず。ザコ。
どれも正しい。紙の一枚も切れない以上、こんなオモチャには意味がない。旅の役にも立たなければ、魔物にも勝てない。
どこにも、行けはしない。
(なのに……)
どういうわけか、ウラシマはじっとイドラを見つめる。
今度はイドラにも、その瞳の奥に普段の優しさとは別種の感情が揺れていることが読み取れた。
熱。揺れているのは、炎のような強い想いだ。それも今、突如として生まれたものではなく……長らく心の底で熾火として継続してきた火が、イドラの言葉をきっかけに勢いを増したかのような。
「もっと。もっと詳しく……そうだ、天恵試験紙を見せてほしい。保管してあるかい? できればすぐに確認させてほしい」
その言葉は、目の中の炎を出来る限り抑え込んだ、しかしそれでも端々に熱のにじんだものだった。
どういうわけか。
どういうことなのか、イドラには本当に見当もつかない。
ただ、ウラシマはイドラのギフトに興味を抱いている。それも強く。これまで見せたことのないくらいの感情で。そのことだけはわかる。
その想いには答えたい。
「なら、今からオルファさんのところに行きましょう。これも未練がましいって言われるんですけど、家にはまだ当時の天恵試験紙があります。でもここからなら、家に行くよりそっちの方が近いです!」
「オルファさん?」
「シスターさんです、村のちょっとだけ外れにお家があるんです」
「ああ、アサインドシスターズ……このメドイン村にもいるんだね」
アサインドシスターズ。ロトコル教の教えを伝えるため、教会から世界各地に派遣されるシスターたちのことだ。
彼女らの職務は主にロトコル教の教会——この大陸におけるそれは葬送協会とも呼ばれる——への寄付を募ること、派遣された町々村々において魔物の被害を防ぐべく専用の聖水を用いて魔物避けするなどがある。加えてこのランスポ大陸では魔物以上に恐ろしい不死の怪物も存在するため、その対処も戦闘専門の者らほどではないが、ある程度叩き込まれる。
しかし、もっぱらの役割は、天恵試験紙を無償で使わせることだった。
「ここからならすぐだよ、行こう!」
「うん。案内を頼むよ」
怪我の功名ではないが、イーオフから逃げて村の中心部から離れたおかげで、結果的にオルファの住む家に近づいていた。
よその町では簡易教会と呼ばれる施設に住むアサインドシスターズもいるそうだが、この小さな村にそんな大層なものはない。
イドラはウラシマを連れ、やや踏み慣らされた土の道を行く。
少し歩けば、小高い丘に二階建ての家屋がすぐに見えてきた。とても教会とは呼べないが、丘にあるおかげで微かに森の向こうの果ての海まで見える立地といい、大きさといい、小さな村ながら、そんな場所に派遣されたシスターにせめて出来るだけいいところに住まわせてやろう、という村人の気遣いが窺える家だった。
「あっ、オルファさん! すみませーんっ」
「はい?」
その女性は、そんな家の広い庭に立っていて、普段通り花壇の色鮮やかな花たちに水をあげていた。
陽光に輝く、亜麻色の長い髪。白い布地に体の中心で藍色のラインが入った、ロトコル教会の修道服に身を包んだシスター、オルファは今日ものんびりと過ごしているようだ。
呼びかけが届き、水差しを持ったオルファがその手を止め、イドラの方を見る。
「イドラくん? どうしたんですかぁ、こんな昼間に」
淡いグリーンの丸い瞳がイドラを捉えた。
オルファの薄く黄色がかった髪を見るたびに、イドラは小さいころに母が王都かどこかのちょっとしたお土産で持ってきてくれた、似たような色をした果皮の果物を思い出す。わざわざあのフルーツの名を母に訊いたこともないが、とても甘く、ジューシーでおいしかったことを覚えている。
また、うまくイドラには言い表せないが、オルファの声にも、あの果肉に通ずるものがあるように感じていた。
要は甘ったるい声色ということだ。
「あ、そうだ、せっかくだからお花を見てくれません? ちょうど今、綺麗なサンダーソニアの花が——あら? そちらの方は……」
「初めまして。シスター・オルファさん……だね? ワタシはウラシマ。三日前からメドイン村でお世話になっている、流れの旅人だ」
「ウラシマさん? そうなんですかぁ、初めまして! あたし、オルファって言います。アサインドシスターとしてこの村で過ごさせてもらってます、そういう意味ではウラシマさんと同じですねー」
「ふふ、ただの旅人のワタシと、村に必要とされるシスターは同じじゃないさ。それにしても素敵なお庭だ、花が生き生きとしていて癒される。海は遠くないはずだけど……森林があるおかげで潮風は届かないのかな?」
「ありがとうございますー。そうなんです、自慢のお花さんたちです! あたしの故郷は雪国だったので、こんな風に自然に囲まれるのは楽しいです。これもロトコル神が下さった恵みですねえ……感謝感謝です」
ロトコル神が人に恵んだのは、なにもギフトだけではない。
平坦な海原だけが無限に広がるこの世界に、自然豊かな大地を与えた。元はひとつだったその大地が、永い時とともに七大陸に分かれていった。その、一枚だった大陸の中心部にあった部分が、現在トワ大陸と呼ばれる大陸の部分だったとされており、それゆえにロトコル教の本部である大聖堂はトワ大陸に存在する。
創造神。この説話から人々は、雲の上にあるとされるロトコル神に感謝の祈りを忘れない。
「わわっ、お祈りしてる場合じゃなかった! 余計なことばっか話してますね、あたし……えとえと、そうだ、ご用件! あ、え、まさか村の中に魔物でも出たんですか!? はわ、どうしましょうっ、聖水どこやったかな、ええとバイナリとアトラクタと——」
アサインドシスターズから戦闘専門のエクソシストまで、教会の人間に広く使われるのが様々な用途の聖水だ。
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