不死殺しのイドラ

彗星無視

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第1章 果ての世界のマイナスナイフ

第3話 マイナスナイフ

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「違うよオルファさんっ。天恵試験紙をもらいにきただけ、魔物なんて出てないよ!」
「——へ? ああ、なんだ……そうなんですか。あたしてっきり、村が襲われたのかと」
「相変わらず天然ですね、オルファさん……魔物なんてずっと見てないじゃないですか。こんな大陸の端っこにある村に来る物好きな魔物もいませんよ」
「む、それはあたしの魔物避けの聖水の効果もあるはずなのですがっ」
「ふふ。それにイドラ君、そうは言ってるけれど、三日前ワタシが村に来た時は当初、魔物かと思って慌てふためいてたじゃないか」
「う……それは……」

 気付かれていたらしい。オルファのいつもの天然を笑おうとしたイドラだったが、思わぬウラシマの指摘に赤面する。

「あはは、お二人はもう仲良しさんなんですね。それでは少しだけ待っててください、すぐに部屋から試験紙を一枚持ってきます」
「……お願いします」
「どうもありがとう、シスター・オルファ」
「いえいえー、これがアサインドシスターズの役目ですから!」
 
 花壇を囲う赤褐色のレンガの上に水差しを置くと、オルファはぱたぱたと家の中へと駆けていった。

「愉快なひとだね。少し抜けてるところもあるみたいだけれど」
「……そうですね」
「それともやっぱり、男の子としてはああいう、かわいらしい女性の方が子のみなのかな? ねえ、イドラ君としてはどうなの?」
「知りません、これ以上からかわないでください」
「あらら。嫌われちゃった」
「…………まあ、先生とはちょっとタイプの違う人だとは思う」

 花壇で綺麗に咲くオレンジ色の花を眺めながら、二人で待つことしばし。入っていった時と同じように、ぱたぱたとオルファがドアから出てきた。

「お待たせしましたっ! 天恵試験紙と、血を出すためのナイフです。気を付けてくださいね」
「うん。でも大丈夫だよ、三年前もやったんですし」
「そういえば……あたしがこの村に着任してすぐでしたね、イドラくんが十歳を迎えて空からギフトを授かったのは。まだ三年、いえ、もう三年……あれ? じゃあなんでまた試験紙を使うんですかー? ギフトは持ち主といっしょに成長することはありますけど、パラメータは変わりませんよ?」
「知ってるよ。ウラシマ先生が僕のギフトのことを知りたいって言うんだ」
「先生? むむ、なんだかお二人の関係が気になってきましたね……」

 緑の瞳にじとっと見つめられるのを意図的に無視しながら、イドラはごわごわとした紙と小さな銀色のナイフを受け取る。天恵試験紙は一見なにも書かれていない、ただのメモ用紙サイズのパピルスでしかないが、これにも教会特製の聖水が染み込まされている。
 血を付着させることで、その人間が持つギフトの詳細を暴き出すのだ。神に名付けられたとされる絶対の名称と、二度とは変動しない数値を出力して。
 なお、ギフトを手にしていない十歳未満の人間の場合はなにも起こらない。

「じゃ、見ててね先生」
「わかった。切りすぎないようにね」
「先生まで心配性だなあ。……そりゃあ、僕のギフトのナイフよりは、こっちの方が危ないんだけどさ」

 イドラは今年で既に十三歳の誕生日を迎えている。その身に授かったギフトは、マイナスナイフ。
 それは今は腰のケースに仕舞ったまま、普通のナイフで指先を浅く刺す。チクっとした痛みの後に、傷口から赤い血が玉のようにぷくっと現れた。ナイフをオルファに返し、指先の血をぐっと天恵試験紙のごわっとした表面に押し付け——

「……!」

——パピルスの表面に、その天恵の名と数値が記される。聖水は正しく作用した。
 そこには、三年前とまったく同じように、こう書かれていた。

・マイナスナイフ
 ATK:-65535/DEF:0/INT:0/RES:0/RARITY:1

 ギフトのパラメータ。天恵試験紙は、固有の能力まではわからないものの、その人間のギフトが持つポテンシャルを数値化させることができた。
 しかし、この数値は——
 ウラシマは息を呑み、数秒なにも言わなかった。
 言えなかったのだ。イドラのマイナスナイフは端的に言って、異常なギフトだ。数値の上でもそれがはっきりと表れている。

「相変わらず、レアリティだけは高いんだけどなぁ。ATKも、数字自体はおっきいのに……なんでなんにも切れないんだろう。おかしいなあ」

 その形状の特性などから、DEFやINT、特にRESが0なのはよくあることだ。ATKが0のギフトも数多く存在する。
 だがレアリティは低ければ低いほど珍しい。1は、最低値だった。
 大陸中、いや、世界中を探してももう一人いるかどうか。百年に一人生まれ落ちるかどうか、そんなレベルだ。普通に考えればイドラ以外に存在しない。
 だが、それよりもありえないのは。

「マイナス……マイナスだ、これは」
「え?」
「ATKの隣にある横棒。まさかとは思ったけれど……マイナス記号だ。こんなものが、パラメータに付くことがあるのか……? 信じられない——しかし、天恵試験紙は決して嘘をつかない」
「その、マイナス記号ってなんなんですか? 先生。マイナスナイフっていう名前もよくわからなくて」
「マイナスは、ゼロよりも小さいってことだ。キミのナイフがなにも切れない理由がわかった。イドラ君のギフトは、負の数を帯びている」
「ゼロよりも……小さい? ゼロって、なんにもないってことですよね? それより小さい…………??」

 イドラの頭は瞬時にして綿あめのごとくこんがらがった。
 金持ちの貴族でもなし、学校に通ったことのない十三歳の少年にその概念は難解すぎた。
 なにも置かれていないテーブルに、果物を置くことはできる。しかし、なにも置かれていないテーブルから、果物をどけることはできない。
 なにもないゼロの状態から、なにかを増やすことはできても、なにかを減らすことなどできるはずがない……。

「? なんだかよくわかりませんけど、レアリティが1なのはすごいですよねー」

 オルファもさっぱりわかっていなかった。そもそも深く考えていなかった。ぶっちゃけ興味もなかった。

「イドラ君。キミはマイナスナイフで自分を切ったことはある?」
「自分を? いや……たぶん切れないとは思うけど、一応刃物だから怖くて」
「気持ちはわかる。けど、今傷つけた指先、ちょっとだけ切ってみてくれないかな。キミのマイナスナイフで」
「うぇ、傷口を? ……せ、先生がそう言うなら」

 ケースから今度はギフトのナイフを引き抜く。先のそれと刃渡りこそそう変わらないが、刀身はまるで水晶のような透き通る青の色を湛えている。
 その水晶の刃先を、まだじわりと血を漏らす指先へあてがう。
 傷口の上から、さらに傷を重ねる形になる。
 しかしそうはならないことをイドラは既に知っている。三年間付き合った、自分のギフトのことだ。

 マイナスナイフとはなにも切れない短剣の名。紙も石も傷つけられない、魔物退治や旅の役には決して立たぬ、無能の刃。
 さっきだって、木の幹を斬りつけてもまったくその跡は残らなかった。
 少なくとも見た目上は刃物だし、切っ先は尖ってもいるので、わざわざ自分を切ろうとしたことはないが。仮に、思いっきり力を込めて手のひらに突き刺そうとも、そこから血の一滴も出ることはないだろう。
——そう思っていたのに。

いたっ」

 そこには、さっきと同様、かすかに走る痛みがあった。
 マイナスナイフはなにも切れない、なにも傷つけられないはず。疑問に思いイドラは自身の手に目を落とすと、その指先にはやはり傷ひとつなかった。

(傷ひとつ……あれ? 天恵試験紙を使うための傷口も消えてる?)

 奇怪な現象だった。
 マイナスナイフは新たに傷口を作らなかった。が、それだけではない。先に出来た、通常のナイフで切った傷がきれいさっぱり消失している。

「傷が消えた……!」

 顔を近づけてまじまじと見ても、皮膚には傷のあった痕跡さえない。
 傷があったという証拠は、傷口にあてがった際に付着したらしい、切っ先に残ったごくわずかな血液のみ。

「わー、こんなことできたんですね、イドラくんのギフト。傷を治す能力ですか? 便利そうです、いいなぁ」
「いや、これはきっと……ともすればこのギフトなら……マイナスの力でなら、ワタシの旅は——」
「すごい、僕のギフトは役立たずなんかじゃなかったんだ……! ありがとう先生っ、こんなのまるで思いつかなかった! やっぱり先生はすごいや!」
「——ん、あぁ……ううん、すごいのはイドラ君のギフトだよ」

 イドラはウラシマの手を取り、無意味にぴょんぴょんとジャンプする。
 そのくらい、はしゃぎたくなる出来事だった。なにせまったく無意味で役に立たないと思っていたギフトには、明確な使い道があった。
 傷を治す。
 自分のことにしか使えないのか。他人の傷も治せるのか。物に対してはどうか。動物は。治せる程度は。
 わからないことの方がまだまだ多い。こればかりは天恵試験紙でもわからない。自分で、色々と試してみなければならない。

 その課題が、イドラにはたまらなく嬉しかった。
 三年間、なんの役にも立たない代物だと思い込んでいたのだ。実際のところ、自分の簡単な傷しか治せないとなれば、使い道はそうないのかもしれないが……それでもなにひとつ用途がないのとでは大きな違いだ。可能性を模索できる、試せることがあるというだけで胸が弾むような想いだった。
 可能性を示してくれた、先生と慕う彼女を見上げる。強い信頼を込めた視線に、ウラシマは普段通りの温和な表情で頷く。

「キミのナイフは決してハズレなんかじゃない。人の……世の役に立つものだよ、それは。本当に。ザコギフトだなんて、そんなことは絶対にない」

 言い切るウラシマの瞳の奥には、イドラの彼女に対する信頼よりもなお強く輝くような、真っ赤な意志の炎が燃えていた。
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