不死殺しのイドラ

彗星無視

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第1章 果ての世界のマイナスナイフ

第5話 選択

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 舞の時間は長くなく、そうしてイドラが物思いに耽っていると、いつの間にか踊り終えたリティが衣装のまま手を挙げて近づいてくる。

「オルファちゃんもいっしょだったのね。どうだった?」
「完璧でしたよー! もう夢中でしたよ、イドラくんもボーッとしてたくらいです!」
「え、それは……」
「あらあら。ママに見とれちゃダメよ?」
「は——!?」
「できることならもっと観たかったですー。毎回、あんまり長くやりませんよね? 櫓の方はしばらく燃え続けるんですし、きっと村のみんなも思ってますよ」
「う……気持ちは嬉しいんだけどね? その、最近ちょっと腰が……もう何年もやってるし……」

 リティはしどろもどろになりながら目を逸らし、なにやら別の話題を探しているようだった。子であるイドラは何度も同じような姿を見たことがあったので、すぐにわかった。

「そ、そういえばオルファちゃんがこの村に来たのもちょうど感謝祭の直前の時期だったわね? あれからええと、いちにいさん……六回目のお祭りだから、もう三年も経つことになるのかしら。やあねぇ、時が経つのって早くて」
「——、あはは。お世話になってます」

 アサインドシスターズは通常、派遣された先が廃れでもしない限り、七年の間派遣された村や町で過ごす。
 しかし余談ではあるが、勤めを終えたアサインドシスターズが次に大きな役職を得られることはほとんどない。本部——このランスポ大陸であればメドイン村より北側にある、デーグラムという大きな町の中心部にある聖堂——の人手は足りている。変わるのは役職名くらいのもので、あとは少し規模のある町に飛ばされてほとんど同じことをやらされるのが大半だ。

 そもそもアサインドシスターズなどというのは、各地に天恵試験紙を配る代わりに寄付を募るだけの、戦闘に適さないギフトを引いてしまった者の役職に過ぎないのだ。
 紙を配り金を得る。こういった僻地の村では特に、貨幣というのは教会に寄付するためだけの代物と言っていい。そのくらいの仕事は誰でもできる。
 力があれば、最初からアサインドシスターズなどにはならず、祓魔師——エクソシストとして魔物を狩ることで人々に貢献する。加えてこの大陸ではそれ以外の怪物までいるために、本部の人手は足りていると言ったものの、戦闘要員だけはいつでも引っ張りだこだ。

 とはいえ戦闘要員になれないから、アサインドシスターズはこれをやっている。どうせ任期を終えても大したことはできず、別の町に飛ばされるか、大きめの教会の雑務に回されるか。それともちょうどエクソシストの人員が足りていない時などは、中途半端に強力なギフトを持っているとそちらに配置されることもあるが、七年試験紙配りで過ごした戦闘知識のごく浅いアサインドシスターズ上がりがろくに戦えるわけもなく、これはかなり不運な例とされていた。
 多少聖水は使えようが、魔物と正面からやり合うのは簡単なことではない。……それ以上の怪物が闊歩するこの地では、なにをかいわんや、だ。
 なので、七年過ごすうちに任地やそこに住む人々に愛着を覚え、任期の延長を願うアサインドシスターズも珍しくはなかった。別のどこかに飛ばされたり怪物と戦わされるくらいであれば、すっかり住み慣れたそこにいたい、と。教会にしても都合がよいので、その申し出は基本的に通された。

「任期の終了まであと四年、まだまだよろしくお願いしますね!」
「お世話になってるのはこちらの方よ。それにオルファちゃんが望むのなら、任期を終えてもこの村に……いえ、これは自分で決めることね。でももしそうなったら、私はとっても歓迎しちゃうわ」
「リティさん。……はいっ、もしそうなったら是非、仲良くしてください」
「もちろんよ。村のみんなだってオルファちゃんがいてくれれば喜ぶわ」
「あは、ありがとうございますー。でもあたし、あんまり村のために役立ててませんよ? 周りは森と海で、聖水だけ撒いておけば魔物がやって来るようなこともないですし。お花育ててばっかりです!」
「その聖水がありがたいんじゃない。それにオルファちゃんがいるだけで、なんにもない村が華やかになるもの。あなたは立派な村の一員よ、困ったことがあったらなんでも言ってちょうだいね」

 リティの言葉に、オルファはにこりと人懐っこい笑顔を浮かべる。
 会話する二人をよそに、手持ち無沙汰になりつつあったイドラは、ふと視線をさまよわせた先に見慣れた人影を発見した。
 広場から離れた、羊小屋のそば。この前も話したあそこで、今度はウラシマが、椅子代わりに岩の上にそっと腰を下ろしている。ここからでは表情までは窺えないが、顔の向きからしてその視線は夜空に向けられているらしかった。

(——先生だ!)

 思えば、感謝祭だというのに今日は姿を見ていなかった。
 どういうわけか大人の女性というのは、路傍で会うとずっと話をする。母と付きっ切りでなければいけないような歳でもなし、おそらくあと二、三十分はお喋りであろう二人を置いて、イドラはウラシマの方へと小走りに駆け寄った。

「……ん?」
「先生!」

 イドラに気づき、ウラシマが振り向く。その拍子に長い髪が揺れた。

「やあイドラ君、いい夜だね。さっき踊ってたのリティさんでしょ? 遠目でも素晴らしい舞いだった」
「やっぱり先生、母さんと面識あったんだ」
「まあ、ちょっとね。それよりほら、おいで。今夜は星がよく見える」

 言いながら彼女は、そっと岩から降りた。二人で立ちながら並ぶ形になる。
 促された通り、イドラが上に顔を上げる。

「わあ……!」

 そこにはまさしく一面の星空があった。
 高い高い夜の藍色に、小さな光の粒がたんと散りばめられている。まるで輝く海のようだ。
 果ての海。七つの大陸を囲う海原。それは、どこまでも続くのだという。
 だとすれば、果ての海が無限に広がるように、この天に広がる星の海もずっとずっと続くのだろうか。そんなことをイドラは思う。

「この村はいいところだね。村の人たちはおおらかで、自然がたくさんあって、星もよく見える」
「星なんて、どこでだって見えるものじゃないの?」
「そうでもないさ」

 不意にぽん、と頭に手を置かれる。ウラシマの方を見ると、優しい瞳と視線が合う。

「イドラ君。旅の話、聞きたいかい?」
「えっ? また聞かせてくれるの? 聞きたい、聞かせて!」
「うん。これまでは遭難をしないようにする仕方とか、野営の方法とか中心だったけど、今夜は旅先で巡った素敵な場所について話そう」
「うわーッそういうの聞きたかった! この前の、川で水浴びしてたら服全部イヌ型の魔物に持ってかれたやつもすごかったけど!」
「あれは忘れてほしいな」

 こほん、と咳ばらいをひとつ。
 それからウラシマは、大陸の各所を回った大筋を話し始めた。イドラは目を輝かせ、一心に耳を傾ける。

「……つまりね。世界には、キミのまだ見ぬ景色がたくさんある。果ての海と見紛うような銀の雪原、雲に迫る霊峰、灼熱と極寒を繰り返す砂漠、石造りの箱が墓標のように並ぶ街。村を出てもすべてを見られるかはわからないけれど、少なくともここに留まったままではどれも見れない」

 安心する声は、どこか子守歌のようでもあった。夜が更けてきたこともあり、睡魔の足音はそろりそろりとイドラに忍び寄ってきている。
——そもそもウラシマ先生は、どうして旅をしているんだろう?
 頭をよぎった小さな疑問も、寄せては返す眠気の波にさらわれて消える。立っているおかげで眠りに落ちきってしまうことはないが、頭にもやがかかたみたいに不明瞭になる。

「だから。キミは、ワタシといっしょに来てほしい」
「——。え?」

 頭のもやは、その一言で消し飛んだ。

「目的がある。そのための旅なんだ。それを、キミならば果たせるかもしれない」
「な、なんで……」
「キミのギフトこそが、ワタシにとっての希望なんだ。長い長い旅で見出した、唯一の」

 今や燃えるような意志を湛えて、優しい瞳はイドラの目を見つめていた。
 聞き間違えようもない。今、ウラシマはイドラのことを誘ったのだ。ともに旅をしないか、と。
 理由などわからない。
 まだ十三歳のイドラを連れてなにができるというのだろう。少々傷を治せるとはいえ、どう考えても足手まといもいいところだ。
 どうして自分を誘うのか、そのわけがイドラにはさっぱりだった。が、同時に、理由などどうでもいい、と胸の底にある熱い感情が訴えかけている。
 先生は確かに、イドラという人間を必要としている。
 肝心なのは、その一点。その事実だけのように思えた。

「ぁ——」

 だから、すぐにイドラは答えようとした。
 はい、と。
 わかりました、僕でよければ力になります、と。
 そうするのが当然に思えた。尊敬する先生に助力を求められている、それだけで胸がいっぱいの喜びで詰まりそうになる。理由になんて頭が回らずとも、それがたとえあからさまな毒キノコの味見だろうが、頼りにされているのだと言われれば喜んで丸かじりにしてしまうに違いない。
 なのに——心の中で、なにかが即答を拒んでいた。鉄のように強固な、壁のようななにかが。

「すぐにとは言わない。まだキミは子どもだ、もう少し体が大きくなってからの方がいいとワタシも思う。それに、ギフトの方もまだ伸びしろがあるかもだしね」

 十歳になると天から届くギフトだが、時に持ち主の成長に合わせてその形態を変化させることがある。パラメータや能力自体は変わらないが、今はナイフの形を取っているイドラのギフトが、数年後にはもっと大きな剣のようになっている可能性は十分にあった。

「ただ、キミが望むなら、だけど」
「僕はっ、先生が許してくれるなら行きます!」
「本当に? それでいいと、心から思える? イドラ君にとって旅への憧れは、リティさんを残してまで叶えたいこと?」
「…………あ」

 心の中にある壁が、突然に明確な輪郭を伴った。
 頭を殴られたような強い気づきの衝撃。『村を出て旅に出たい』という自身の願望を、はっきりと形にすることを避けてきた。
 イドラに父はいない。兄弟もいない。祖父母もいない。
 イドラの家族はリティだけ。ならば、リティの家族も、また——

「キミについてきてほしい。これはワタシの勝手な願いで、それを承知の上で言わせてもらう。キミが向き合うべきはワタシではなく、自分と、その母君だ」

 少年は選択を迫られていることを自覚した。
 自らが望む、世界の果て、狭い村から出るためのこの上ない機会。それを掴むことはすなわち、誰よりも大切な母を、独りここに残していくことになる——
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