不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2章 鮮烈なるイモータル

第30話 罪と罰と共依存

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「……罰を求めてる、か」
「——? はい?」
「いや、少し前に、似たようなことを指摘された。ああ……認めるべきだ。認めざるを得ない」

 罰を求めているのだとすれば、それは自己満足にすぎない。
 ソニアのことを思うのなら、自分をないがしろにしてはならない。なにせイドラのマイナスナイフが機能しなければ、ソニアはまた生命の危機に晒される。
 認めなくてはならなかった。
 この三年。自分が続けていた行為が、前に進んでいるのだと信じていた行動が、ほとんど足踏みに近いものだったと。

「イモータルを殺すのが僕の義務。そう思い込んで、現実から目をそらしてきた」

 三年に渡る不死殺しの旅。そのすべては、失意から始まり、それを引きずった結果だ。
 ウラシマを失ったあの日。オルファによって村へと誘導されたイモータル。
 あれを——もっとうまく殺していれば。
 一切の躊躇なく。慈悲なく。手早く殺害していれば、ウラシマを助け出す猶予は生まれたのではないか。
 そんな後悔を、同じイモータルに叩きつけているだけだ。救えなかった事実を——罪を。清算するために、人々のため、ギフトを持った責務だという建前で誤魔化してきただけだ。

 そうだ。この身は三年前のあの日から、罪人も同然だった。
 課した義務とは、科した罰だ。自ら不死の怪物に挑み、何度も何度も死に近づくことが、罪深い自身への罰。
 醜悪な自己満足。それを呆気なく見抜かれていたのだから、醜いうえに滑稽と言うほかない。

「でも……ほかにどうすればいいんだ。悔やんでも悔やんでも、死者は還らない。還せなかった!」

 この罪は誰も責めなかった。神も裁かなかった。だったら自らで罰するほかにない。

「イドラさんは、だからわたしを守ろうとするんですね。戦わせず、危険から遠ざけて、もう亡くしたりしないように。……気づいてました。イドラさんの目は黒くてきれいで、だけどわたしを見ていない」
「————っ。あぁ……ああ! そうだ、僕はキミを救ったんじゃない、キミを助けることで自分を救おうとしたんだ!」

 人に優しくすることが、旅のモットーなのだと嘯いて。
 これこそなにより醜い所業だ。少女を連れ出して偽善を貪るばかりか、彼女のことを助けられなかった恩人に重ね合わせた。
 ソニアを、ウラシマの代替にした。そのために助けたのだ。
 畜生にも劣る発想だ。愚劣極まる悪行だ。
 深い罪の慰めを得るために、他人を使って後悔を取り戻す。到底許されるべき行為ではない。ウラシマとソニア、両方の尊厳を汚す行いだ。
 罪の上塗り。決して許されざる——

「許します。たとえイドラさんが自分のためにわたしを助けたのだとしても、わたしは、それを非難したりしません」

 いつの間にか細い手が伸びて、イドラの頭を抱えるように引き寄せていた。
 暖かな体温。それと、とくん、とくんと伝わる鼓動。不死の怪物イモータルには決して無い、今を懸命に生きる心臓の脈打ちだ。

「僕は……最低の人間だ。取り戻せない失態を、イモータルたちを殺して回って取り戻そうとした。それが無意味だとわかると今度は、困った人を助けるなんて口実で、先生の代わりを作って慰めを得ようとした」
「そうだとしても——自分本位でも、偽善でも、巧言でも、わたしはいいんです。だって、わたしがイドラさんに救われたのは本当のことですから」
「……そうなのか?」
「わっ、呆れました。本気で言ってるんですか? そんなに見てなかったんですね、わたしのこと。もう、そんなイドラさんにはこうですっ」
「え——うわっ」

 首に絡む腕が力を増す。容体が落ち着いたとはいえ、ソニアの腕力はイドラを軽くしのぐ。抵抗もできず、イドラはされるがままに頭から抱きしめられた。もし仮に彼女が全力を込めれば、イドラの頭部はひび割れた果実のように大変なことになるかもしれない。

「誰がなにを言おうが、イドラさん自身がどう思おうが、監禁されたわたしを助け出してくれたのはイドラさんです。あの暗くて狭いところから連れ出してくれて……不死憑きの発作を抑えてくれました。わたしの心を、命を救ってくれたのはイドラさんだけなんです」

 ソニアの手が、イドラの母譲りの茶色い髪を撫でる。手のひらは小さくて撫で方も控え目で、三年前にそうしてくれた女性の感触とは明確に異なった。

「イドラさんがわたしを不死憑きじゃないって言ってくれて、とっても嬉しかったです。でもやっぱり、わたしはわたしをまっとうな人間だとは思えない。髪も白くて、力も不自然に強くて、夜中にはおかしくなる……目を閉じれば聞こえるんです。集落のみんなが、わたしを不死憑きだって罵る声が」
「そんなの……幻だ。ソニアはイモータルとは違う。絶対に違う」
「はい、わたしもそう思いたいです。今は無理でも、いつか、わたしもただの人間なんだって、昔となんにも変わってないんだって思えるようになりたいです」

 そのためには、とソニアはひと呼吸おいてから続ける。

「イドラさんが、必要です。わたしはもうイドラさんがいないと生きていけません。わたしの中の不死の疼きを鎮めて、わたしを肯定してくれるのはイドラさんだけですから」

 イモータル化の進行を食い止めることができるのは、イドラが持つ青い負数の刃だけ。それが失われてしまえば彼女は夜ごとに体を不死に浸食される。そして人間の体は不死の力に耐えきれるはずもなく、いずれ破綻して壊れる。肉体と心、どちらが先にそうなるかはわからないが。
 もはや、ソニアが生き続けるには、イドラがそばにいねばならなかった。そこは既に結論の出た前提だ。

「……ああ。前にも言ったけど、責任は取る。キミが僕のマイナスナイフなしで生きて行けるようになる方法を……元の体に戻る方法を必ず見つけてみせる。その、今はちょっと、協会の作戦に参加したりしちゃうけど」
「あ、結局協力することにしたんですね。大丈夫です、イドラさんにはイドラさんの目的があるんでしょうから、わたしのことは後回しにしてください」
「ごめん。明後日の作戦が終わったら、色々調べてみようと思う」

 あの白い面紗の司教……レツェリにも訊いてみるべきだろう。なにせ協会はイモータルたちを葬送するべく、教会の枠を半ばはみ出て変化した組織だ。単独のイドラと違い、彼らには長く重い歴史と多数の構成員による知識がある。その助力を請うべきだとイドラは思った。

「ありがとうございます……ぁ、また脱線しちゃいました。とにかく、わたしはイドラさんを許します。イドラさんがわたしを許してくれるように、イドラさんが自分を許せなくとも、わたしがあなたを慕い続けます」
「僕に許される資格なんて——」
「資格なんて関係ありませんっ。事実、わたしはイドラさんに救われた。それだけでわたしにとっては十分です」
「強引だな」
「イドラさんだって同じですよ。こんなわたしを、ただの人間と変わらないって言い張るんですから」

 同じ。
 そうかもしれない、とイドラは小さく笑った。
 ソニアがなにを言おうが、やはりイドラには自分が許せない。
 あの曇天の庭で胸を裂いた失意は、決して癒えることはない。ウラシマを助けられなかったことを罪と思い、一生涯自分を責め続けるかもしれない。
 それでも。ソニアが、そばにいる彼女が罪を許してくれるのなら、なんとか生き続けることくらいはできるかもしれない。

 イドラは、恩人を、一番に助けたいと思った誰かを助けられなかったことを罪と思い。
 ソニアは、不死憑きと呼ばれ、蔑視されてきた自分が生きていることを罪と思う。
 なるほど同じだ。同じ、罪人だ。少なくとも自身の内でその認識は崩せない。だから助け合う。許し合う。互いに肯定をし合う。
 支え合い? それとも共依存? この関係をなんと呼ぶべきなのか、イドラには見当がつかなかったが、二人にとって前を向いて生きていくには必要だった。
 この仄暗く、甘美な、一蓮托生の泥沼に身を浸すことが。

「……そうだな。どうせ、僕たちはいっしょにいるんだ。だったら今はそれでいい。そうしていつか、お互いに、自分のことを許せる日が来ればいい」
「はい。いつか——きっと」

 会話が途切れ、再び息遣いだけが部屋に響く。
 窓の外は変わらず、暗い。月が顔を出す様子はまるでなく、雲はずっと空に被さったままだった。
——明日は雨かもしれないな。
 真っ黒い池塘のごとく停滞する、外界の深い闇を見るともなしに眺めながら、イドラは思った。

(そういえば、当然のように相部屋だな……いやでもレツェリ司教は僕がひとりだって思ってたんだし、ベッドが二つ用意されてるだけマシか)

 その辺りは、ミロウかベルチャーナがうまくやってくれたのかもしれない。とはいえ今はこうして同じベッドで座り込んでしまっているわけだが。
 
「ところであの、イドラさん」
「?」

 そばで身じろぎし、見上げてくるソニアに、イドラはぼんやりとした思考を打ち切る。
 なんだろうかと耳を傾けると、彼女は訊いていいことなのか判断が付かないようで、若干の迷いをその瞳によぎらせながら言ってきた。

「イドラさんの言う先生って人と、なにがあったんですか? あ、いえ、もちろん言いたくなかったら全然構わないんですけどっ」
「あー……いや、そっか。気になるなら話すよ。聞いててあんまり楽しい話じゃないかもしれないけど」

 三年前の一件は、紛れもない悲劇だ。それだけに話す機会もなかった。
 だがソニアにもやもやを残すのも忍びなく、イドラのギフトが『ザコギフト』と呼ばれていたこと、村の外に心の奥底で憧れていたこと、そんな時に旅人の女性が村に訪れたことを順々に話した。

「えっ! イドラさんの先生って、ウラシマさんのことだったんですか!?」
「…………え。もしかして知ってるのか? 先生を」
「えっと、三年前ですよね。集落に来て、一日だけ滞在してました。そういえばプレベ山を越えるって言ってたような……あの時はわたしもまだふつうの見た目で、旅人さんなんて来るのは珍しくて色々とお話をしてもらったんです。もうほとんど忘れちゃいましたけど……」
「そうだったのか。すごい偶然もあるもんだな」

 とはいえ考えてみれば、ソニアの住んでいたあの集落はプレベ山のすぐ向こう側だ。イドラのいた大陸の南端、山を越えてメドイン村に行くなら確かに通りがかるのは自然と言える。
 イドラ自身旅で大陸中を巡っていたので、特に意識していなかったが、ソニアとは割りと地元が近かった。

「あ……だったらもしかして、ウラシマさんは、もう——」
「続きを話そう」

——想像通りの結末で終わることが、残念でならないが。
 村に派遣されたアサインドシスターズの女性により、村にイモータルが誘導され、それを倒したことが初めての不死殺しだったこと。それからウラシマがその女性に殺されたことを伝える。するとソニアは、途端に目に大粒の涙をにじませてぽろぽろと泣き出し始めた。

「ごめん、聞いてもつらいだけの話だったな。それに先生とも顔見知りだったならなおさらだ」
「いえ、それだけじゃなくて……イドラさんがかわいそうで。三年間も自分を責めてきたイドラさんを思うと胸が痛くて、それが苦しいんです」
「……優しいな、ソニアは。突然日常を壊されて、報われないのはキミの方だろうに」
「そんなことないです」

 手の甲で涙をぬぐう。それからソニアは窓際のテーブルにそっと置かれた、鞘に収められた一振りの刀を見た。

「じゃあワダツミは、ウラシマさんの遺品だったんですね。……あれ、でも、集落に来た時にあんなおっきな剣は持ってなかったような」
「たぶん、ローブの内側で帯びてたから気付かなかったんじゃないか。僕も初めはそうだった」
「あ、なるほど。言われてみればそうかもしれません」

 涙はすぐに止まり、目を潤ませたまま笑顔を向けてくる。
 無音の外。夜はまだ長く、話す事柄はたくさんあった。友人のこと、父母のこと、協会のこと、明日以降のこと——
 砕けた欠片を拾い集めるように、時折無言の間を挟みながら、二人は夜が更けるまでぽつぽつと言葉を交わし続けた。
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