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第3章 断裂眼球
第39話 なくはないかもです
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次の日、話した通りイドラたちはプレベ山の方角を目指し、朝から行動を開始する。
門からデーグラムを出る時、イドラの目は建てられた銅像に止まった。先に蓮の花のような意匠の付いた杖を掲げる、大男の像だ。
先日白い塵となって消滅した、大蛇にして原初のイモータル。その怪物を氷に閉じ込め、五百年以上保たれた聖封印を施した英雄。名はハブリと言ったか。手に持つのは、今も協会に保管されているというギフト・アイスロータス。
なんだかイドラは、ベルチャーナにあの銅像とヴェートラルについて教えてもらったのがひどく以前のことのように思えた。それだけ聖殺作戦が大変だったのだろう。
「今日は晴れてていい天気ですね! とっても暖かです」
「ああ」
「ああ、って。反応が薄いですイドラさんっ。それとも晴れが嫌いとか?」
「ん……いや、嫌いとかではないんだけど。晴れより雨の方が安心できるのは確かだな……イモータルは雨の方が動きが鈍るから。晴れの日こそやつらを警戒するべきだ」
「うわ、職業病ですよそれ完全に」
「別に不死殺しを職業にしたつもりはないんだが」
「じゃあ不死殺し病ですっ」
——より外聞が悪くなった気がする。
まっすぐ南下するイドラたちの視線の先には、大陸の中ではそれなり程度に大きな山が聳えている。山嶺に雪はなく、雲ひとつない晴天の青を色の薄い山頂が穿つ。
ここからだと、麓まで遮るものもない。時折ちょっとした丘陵はあるものの、それも含めてずっとずっと緑の草原が広がるばかりだ。
穏やかな風が脛ほどまである草たちを揺らす。その中を、ただ真っすぐに歩いていく。
天気も相まってうんざりするほど見晴らしはよく、これで魔物やイモータルを見落とすような間抜けはそういまい。それでもイドラが警戒を捨てきらないのはイモータルがどこからともなく現れるとされているからだが、それでもこの場にこの瞬間、あの白と黄金の怪物が現れる確率というのは度外視していいくらいに小さいものだろう。
見えてはいても、山との距離は中々縮まらない。なまじ初めからしっかりと見えているだけに、その距離的な隔たりは必要以上に大きく感じる。
しかし馬を使うほどの距離でもない。あれを借りると金もかかるし、なにより面倒を見るのが手間なのでイドラは旅中でも好んで利用しなかった。馬とは生き物であるからして、一度タンクに油をぶち込んでやれば文句も垂れず従順に何日も走り続けてくれる、物言わぬ鉄の箱のような便利な乗り物とはまるで勝手が違うのだ。
「……岩壁が見えてきたな。それでソニア、洞窟の入口がどんなかわかるか?」
「うーん、あんまり……出る時も無我夢中でそこまで見る余裕はなくって。あの、今さらなんですけど、ひょっとしたらもう入口ごと中も崩れちゃってるかも……」
「そういえば、地震に乗じて抜け出せたんだったな。あれもヴェートラルが復活する前兆だったんだったか」
最近多発していた地震。ソニアが閉じ込められてた洞窟を出たのは一年前、その場所はそれから何度も揺れに晒されていたことだろう。
「まあ、崩れてたらその時はその時だ。ともあれ、それらしきものを探すだけ探してみよう。ダメだったらダメだったで別の方法を考えればいいさ」
「は、はいっ」
あくまで、ソニアをさらった男の手がかりが残っているかも……程度の淡い希望だ。裏切られたとて、嘆くほどではない。
しかしそんな予防線とは裏腹に、岩壁に沿って山の周囲を歩いていると、目的の入口はあっさりと見つかった。
「あ……あそこ、です。やっぱりわたし覚えてます……あの辺りから出て……そうだ、ぼんやりとしながら、星の方角を見て集落に帰ったんです。今は星は見えませんけど、薄っすら景色を覚えてます」
「本当か? 洞窟らしきものは窺えないが」
とにかく近づいてみると、出っ張った岩の下に呆気なく暗闇が口を開けていた。簡素な木の戸が取り付けてあったが、開けっ放しになってしまっている。
「不用心だな。いや、もう放棄されたってことなんだろうが」
「もしかすると、わたしが開けてそのまんまなのかもしれません……ドアがあったことさえ忘れてました。そういえばあったような気がします」
「入ってみる、か。明かりを持ってきてよかった」
「あ……それもしかして、ミロウさんの真似ですか?」
「よく見てるな。そう、聖殺作戦の時にあいつがやってたやつ。あれ便利そうだったんでパクらせてもらった」
「腰のポーチのところに輪を通して、カンテラを下げられるようにしたんですね——」
ソニアを連れ出したあの集落の岩屋は、明かりを携行する必要のある広さではなかった。しかし今度はソニアの話からしても複数部屋があるくらいには大きな洞窟だそうなので、イドラはきちんと明かりを持ってきていた。
カンテラに火をつけ、腰に吊るす。ソニアが指摘した通り、作戦の時、ミロウが両手が塞がらないようにとしていた工夫の真似だった。簡単なことだが、こうしたひと手間に目を向けられない人間は多い。
「……なんだソニア、人のことジロジロ見て。意外と器用だ、なんて思ったか?」
「——え。あ、えっと、そ……んなことは」
「そんなことは?」
「ぅ……なくはないかも、です」
「旅をしてれば嫌でもできるようになるもんだよ。針と糸と友達になるのが旅人の第一歩だ、なんて言う人もいる。さ、行くぞ」
「そ、そうなんですか……針と糸と友達……」
戸の状態から見て中はもぬけの殻である可能性が高かったが、念のための警戒は欠かせない。イドラはイモータルというより魔物、それから野盗や野生動物の類を意識し、天恵ではない通常のナイフを逆手に持ちながら洞窟に足を踏み入れる。ソニアも背負ったワダツミを下ろしはしたが、この閉所では使いづらいだろう。
入口は狭かったが、すぐに広まったY字路に出た。しかし、その片側はとてもじゃないが通行できない有り様だ。
懸念通り、地震で崩れたらしい。いくつもの岩の塊が片方の道を完全に封鎖してしまっている。無理やりどけようとしたら、最悪さらに天井が崩れて生き埋めになる可能性さえある。
「この向こう、わたしが閉じ込められてた方です。……い、いつ崩れたのかわかりませんが、抜け出せててよかったですっ」
「まったくだ」
運よく抜け出せず、向こう側で閉じ込められていたかもしれない自分を想像したのか、イドラのそばでソニアが身を震わせる。
「こっちに用はないな。とは言っても、もう一方の道もどこまで無事かわかったもんじゃないが……」
——せめて、僕たちがいる間は崩れてくれるな。
祈るような心持ちで、崩れていない方の道を進んでみる。生物の気配は皆無と言ってよかった。
「ここは?」
「わかりません……でも、もう完全に放棄されてるみたいですね」
ひとつ、明らかに部屋らしき体裁が整えられた空間があった。
地面も比較的平らで、机と椅子が置かれている。なにか書き物でもしていたのだろうか。壁際には小さな棚もあり、手がかりはないかとイドラはカンテラを近づけて見回してみたものの、なにも置かれてはいなかった。
——なにかありそうな雰囲気なのはここくらいだったが、空振りに終わったか。
若干の徒労感に息を吐き、イドラはカンテラを腰のリングに吊るし直す。外れだったかと踵を返そうとしたところで、服の裾をくいと小さく引かれた。
「イドラさん、これ……」
「ビン? どこにこんなの」
「床に落ちてましたっ。中もまだちょっと入ってるみたいです」
ソニアに手渡されたのは、ラベルも貼られていない透明の小瓶だった。
門からデーグラムを出る時、イドラの目は建てられた銅像に止まった。先に蓮の花のような意匠の付いた杖を掲げる、大男の像だ。
先日白い塵となって消滅した、大蛇にして原初のイモータル。その怪物を氷に閉じ込め、五百年以上保たれた聖封印を施した英雄。名はハブリと言ったか。手に持つのは、今も協会に保管されているというギフト・アイスロータス。
なんだかイドラは、ベルチャーナにあの銅像とヴェートラルについて教えてもらったのがひどく以前のことのように思えた。それだけ聖殺作戦が大変だったのだろう。
「今日は晴れてていい天気ですね! とっても暖かです」
「ああ」
「ああ、って。反応が薄いですイドラさんっ。それとも晴れが嫌いとか?」
「ん……いや、嫌いとかではないんだけど。晴れより雨の方が安心できるのは確かだな……イモータルは雨の方が動きが鈍るから。晴れの日こそやつらを警戒するべきだ」
「うわ、職業病ですよそれ完全に」
「別に不死殺しを職業にしたつもりはないんだが」
「じゃあ不死殺し病ですっ」
——より外聞が悪くなった気がする。
まっすぐ南下するイドラたちの視線の先には、大陸の中ではそれなり程度に大きな山が聳えている。山嶺に雪はなく、雲ひとつない晴天の青を色の薄い山頂が穿つ。
ここからだと、麓まで遮るものもない。時折ちょっとした丘陵はあるものの、それも含めてずっとずっと緑の草原が広がるばかりだ。
穏やかな風が脛ほどまである草たちを揺らす。その中を、ただ真っすぐに歩いていく。
天気も相まってうんざりするほど見晴らしはよく、これで魔物やイモータルを見落とすような間抜けはそういまい。それでもイドラが警戒を捨てきらないのはイモータルがどこからともなく現れるとされているからだが、それでもこの場にこの瞬間、あの白と黄金の怪物が現れる確率というのは度外視していいくらいに小さいものだろう。
見えてはいても、山との距離は中々縮まらない。なまじ初めからしっかりと見えているだけに、その距離的な隔たりは必要以上に大きく感じる。
しかし馬を使うほどの距離でもない。あれを借りると金もかかるし、なにより面倒を見るのが手間なのでイドラは旅中でも好んで利用しなかった。馬とは生き物であるからして、一度タンクに油をぶち込んでやれば文句も垂れず従順に何日も走り続けてくれる、物言わぬ鉄の箱のような便利な乗り物とはまるで勝手が違うのだ。
「……岩壁が見えてきたな。それでソニア、洞窟の入口がどんなかわかるか?」
「うーん、あんまり……出る時も無我夢中でそこまで見る余裕はなくって。あの、今さらなんですけど、ひょっとしたらもう入口ごと中も崩れちゃってるかも……」
「そういえば、地震に乗じて抜け出せたんだったな。あれもヴェートラルが復活する前兆だったんだったか」
最近多発していた地震。ソニアが閉じ込められてた洞窟を出たのは一年前、その場所はそれから何度も揺れに晒されていたことだろう。
「まあ、崩れてたらその時はその時だ。ともあれ、それらしきものを探すだけ探してみよう。ダメだったらダメだったで別の方法を考えればいいさ」
「は、はいっ」
あくまで、ソニアをさらった男の手がかりが残っているかも……程度の淡い希望だ。裏切られたとて、嘆くほどではない。
しかしそんな予防線とは裏腹に、岩壁に沿って山の周囲を歩いていると、目的の入口はあっさりと見つかった。
「あ……あそこ、です。やっぱりわたし覚えてます……あの辺りから出て……そうだ、ぼんやりとしながら、星の方角を見て集落に帰ったんです。今は星は見えませんけど、薄っすら景色を覚えてます」
「本当か? 洞窟らしきものは窺えないが」
とにかく近づいてみると、出っ張った岩の下に呆気なく暗闇が口を開けていた。簡素な木の戸が取り付けてあったが、開けっ放しになってしまっている。
「不用心だな。いや、もう放棄されたってことなんだろうが」
「もしかすると、わたしが開けてそのまんまなのかもしれません……ドアがあったことさえ忘れてました。そういえばあったような気がします」
「入ってみる、か。明かりを持ってきてよかった」
「あ……それもしかして、ミロウさんの真似ですか?」
「よく見てるな。そう、聖殺作戦の時にあいつがやってたやつ。あれ便利そうだったんでパクらせてもらった」
「腰のポーチのところに輪を通して、カンテラを下げられるようにしたんですね——」
ソニアを連れ出したあの集落の岩屋は、明かりを携行する必要のある広さではなかった。しかし今度はソニアの話からしても複数部屋があるくらいには大きな洞窟だそうなので、イドラはきちんと明かりを持ってきていた。
カンテラに火をつけ、腰に吊るす。ソニアが指摘した通り、作戦の時、ミロウが両手が塞がらないようにとしていた工夫の真似だった。簡単なことだが、こうしたひと手間に目を向けられない人間は多い。
「……なんだソニア、人のことジロジロ見て。意外と器用だ、なんて思ったか?」
「——え。あ、えっと、そ……んなことは」
「そんなことは?」
「ぅ……なくはないかも、です」
「旅をしてれば嫌でもできるようになるもんだよ。針と糸と友達になるのが旅人の第一歩だ、なんて言う人もいる。さ、行くぞ」
「そ、そうなんですか……針と糸と友達……」
戸の状態から見て中はもぬけの殻である可能性が高かったが、念のための警戒は欠かせない。イドラはイモータルというより魔物、それから野盗や野生動物の類を意識し、天恵ではない通常のナイフを逆手に持ちながら洞窟に足を踏み入れる。ソニアも背負ったワダツミを下ろしはしたが、この閉所では使いづらいだろう。
入口は狭かったが、すぐに広まったY字路に出た。しかし、その片側はとてもじゃないが通行できない有り様だ。
懸念通り、地震で崩れたらしい。いくつもの岩の塊が片方の道を完全に封鎖してしまっている。無理やりどけようとしたら、最悪さらに天井が崩れて生き埋めになる可能性さえある。
「この向こう、わたしが閉じ込められてた方です。……い、いつ崩れたのかわかりませんが、抜け出せててよかったですっ」
「まったくだ」
運よく抜け出せず、向こう側で閉じ込められていたかもしれない自分を想像したのか、イドラのそばでソニアが身を震わせる。
「こっちに用はないな。とは言っても、もう一方の道もどこまで無事かわかったもんじゃないが……」
——せめて、僕たちがいる間は崩れてくれるな。
祈るような心持ちで、崩れていない方の道を進んでみる。生物の気配は皆無と言ってよかった。
「ここは?」
「わかりません……でも、もう完全に放棄されてるみたいですね」
ひとつ、明らかに部屋らしき体裁が整えられた空間があった。
地面も比較的平らで、机と椅子が置かれている。なにか書き物でもしていたのだろうか。壁際には小さな棚もあり、手がかりはないかとイドラはカンテラを近づけて見回してみたものの、なにも置かれてはいなかった。
——なにかありそうな雰囲気なのはここくらいだったが、空振りに終わったか。
若干の徒労感に息を吐き、イドラはカンテラを腰のリングに吊るし直す。外れだったかと踵を返そうとしたところで、服の裾をくいと小さく引かれた。
「イドラさん、これ……」
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