不死殺しのイドラ

彗星無視

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第3章 断裂眼球

第45話 正義のために

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「意思は問わない。空けられた牢は貴様らの席だ、感謝と枷を送ってやろう!」
「——っ、やる気か、ここで」

 レツェリの赤い眼が不死殺しを射抜く。左右には手を伸ばせば届くほど近い、目の細かい格子。
 不死殺しのイドラ。不死宿しのソニア。二人はレツェリの言うところの、人間が悲劇を克服するための糧だ。そもそもがソニアのイモータル化自体がレツェリの研究の産物であり、レツェリに言わせればやがて不死に呑まれて命を落とす失敗作。
 よしんば命が持ったとしても、自我は失うだろう。オルファのように。自意識を失うのは、レツェリにとって死と同義だ。肉体だけ保ったとて意味はない。

 その失敗作。一年すればオルファのように正気を蝕まれるはずのソニアが、今も無事でいる。体は確かにイモータルに近づき、頑強さを手にしているにもかかわらずだ。
 確かにこれは、レツェリの望む結果へと近づいていた。不老不死を手にしているわけではないにしても。
 要因が不死殺しのギフトであることは状況から察するに余りある。

「イドラさん!」
「くそっ……!」

 赤い眼球が起動する。ギフトには、それに備わる能力がある。
 イドラは突如として選択を突きつけられた。狭いこの空間で、未知の能力に先手を打たれればどうすることもできない。先手必勝はいつどこで、なにが相手だろうと変わらないルールだ。
 焦燥が四肢を突き動かす。瞬時に距離を詰め、同時に右手でマイナスナイフを引き抜き、くるりと手の内で半回転させる。
 そして、打たれる前に先手を打つべく、迅速に右腕を振り抜く——

「うッ!?」

——直前、足を止めて全力で身を引いた。
 限りなく絶命に近い場所だけに漂う死神の気配。あのヴェートラルの魔法とも似通った悪寒。直感に従い、先手を捨てる。
 すると、イドラの右腕の内側から鮮血がほとばしった。

「斬られた——?」

 痛みはない。だが確かに服ごと皮膚が切られ、血が出ている。
 目を落とせば、傷口は想像以上に深かった。遅れてずきずきとした痛みが神経で響き出す。
 ともすれば傷は骨まで届いている。手の力は一瞬で抜け、イドラは落としそうになるマイナスナイフを左手に持ち替え、即座に傷口に差し込んだ。激痛とともに傷が治り、その激痛も引いていく。

「ふむ、惜しい。あと少し踏み込んでくれていれば、そのナイフを持つ右腕を落とせたのだが」

 酷薄な声色でレツェリは言う。
 まんまと誘われたらしい。身を引いていなければ腕は切断されていただろう。
 レツェリは体を動かしてさえいない。ただ、あの赤い目で視ていただけだ。——なにをされた?

(やられた瞬間、痛みさえ感じなかった。鋭利なんてもんじゃない……なにで斬ればそんな風になる?)

 イドラは勘考する。袖の切断面も、糸の一本さえほつれていない。
 思い出すのは聖殺作戦、ロパディン渓谷への道中。夜の森で襲ってきた魔物をなますにしたミロウのギフトだ。
 十の糸。微細なる輝きが、不可視に近い斬撃を繰り出していた。
 現象だけを見ればあれに近しい。しかし、レツェリのギフトは明らかにあの目。眼球だ。糸や刃物を振り回してなどいない。

「……ソニア。逃げるぞ。ここはいったん、引く」
「は——はいっ」

 後ろで、背負ったワダツミを抜きかけていたソニアへ告げる。
 わからない。現象の理由を推察できない。身動きの取れない状況で、これほど恐ろしいこともない。
 罠にかかった獲物も同然だ。

「フ、逃がすと思うか? 階段に足をかけた瞬間、扉に手をかけた瞬間。その腕か脚がちぎれ飛ぶことになる。あまり抵抗されると危うく殺してしまうかもしれないから、できれば大人しくしてほしいものだな」

 ゆえに狩人が、罠から抜け出す獲物をむざむざと見過ごすわけもない。
 それでも逃げる必要がある。本格的な戦闘に及んでもこの閉所ではソニアとの挟撃は叶わないし、人数は有利でも状況的には不利極まりない。ギフトの情報を一方的に握られているのが最悪だ。

 じり、と後退する。視界の端で、シスターだった誰かがうずくまりながらブツブツと断片的な単語を繰り返し呟いていた。
 一か八か。マイナスナイフを持ったまま、逆の手で右腰の通常のナイフを抜き放ち、そのまま投擲。妨害と同時に背後へ逃走……。
 数秒は稼げる。
 これしかない。腹をくくり、イドラが足裏に力を込めたその瞬間。

「やはりレツェリ司教、あなたがソニアを……その目的が不死? あなたはまるで狂った暴君です。不死を葬送するべき協会がこんなことをするなんて、絶対に許されてはならない」

 背後、階段の先。開け放たれた、司教室とを隔てる扉の位置に見知った女が立っていた。

「ミロウ……!?」

 金の髪が揺れる。眼下を見る青い瞳は確かに、イドラとソニアを見て憂慮を浮かべた。
 その目を見て確信する。やはりミロウは決して悪意を持ってレツェリに情報を告げたわけではない。彼女の行動原理に嘘偽りはなかった。
 ならば、それを穢したのは。

「ミロウ君か……話を聞いていたな。なぜここに来た? 私を手伝いに来てくれたわけではなさそうだが」
「確かめるため。わたくしはもうこれ以上、わたくしを見失いたくはないのです。あなたの願いがどんなものであれ、それが誰かを犠牲にするのであれば、わたくしの正義に背いている」
「なんだと?」

 ミロウは修道服の内側から、試験管のようなものを取り出した。栓を抜くこともせず、それを即座にレツェリとイドラの間に向かって投げつける。

「これは——聖水。それもけむしか!」

 硬質な床に激突したガラスの筒は哀れにも砕け、白く濁った中の液体が飛び散る。それらは空気に触れると一瞬にして気化し、白の海に室内を沈める白煙となってわだかまった。

「お二人とも、今のうちに! 早く!!」
「……! 行きましょうイドラさんっ!」
「ああ!」

 一も二もなく、煙の中心から背を向けて階段を駆け上がる。先にソニアを昇らせながら、イドラは一度だけ後方の白を確認した。
 ……追撃の気配はない。代わりに、怨念じみた声が投げかけられる。

「こんなことは明確な裏切りだぞミロウ! わかっているのか……家族がどうなってもいいのかッ! 母が父が、愛する弟が! イモータルにすり潰されるエクソシストどもより残酷な死にざまを迎えることになるぞ!!」

 恨みを背に、三人は地下室を出る。そしてすぐ司教室からも飛び出ると、聖堂の正面玄関の方向へと白い廊下をひた走る。
 イドラは先導する彼女に問いかけた。

「ミロウっ、レツェリは一体何者なんだ!? あの眼はギフトなのか、不老不死が目的だって知ってたのか!?」
「目的については知りませんでした。ですが、わたくしが彼について個人的に協会の資料を探った結果……ほとんどの記録は抹消されていましたが、少なくともあの方は司教を五十年は続けています。ひょっとすると、その倍以上も」
「五十……!? おかしいだろ、顔はまだ若いぞ! とっくに不老じゃないか!」
「ええ。そこがわからないのです。ですが、そんなことを起こせるのはギフトの力以外にありえません。おそらくギフトの能力は若さを保つもので……それでも不老などありえない。だからこそ、イモータルを使って真なる不老不死を求めているのではないでしょうか」
「それはおかしい。僕はさっき、あいつにギフトで攻撃をされた。右腕を切断されかけた……あれは斬撃を飛ばすとか、そういう類のはずだ」
「え……?」

 そんなはずがない、と青い目が軽くだけ振り返る。
 五十、下手をすれば百年も司教の座に就いている男。なのに姿はまだ二十代のそれだ。
 ギフトの力以外にそんなことはありえない。しかし、イドラは確かにあの赤い眼が発したと思しき攻撃によって右腕を負傷した。傷自体は既に跡形もない。破れた服の袖だけがその証明だ。
 二つの能力を持つギフトなど、聞いたこともない。ならばあり得るのは——?
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