不死殺しのイドラ

彗星無視

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第3章 断裂眼球

第47話 絶対なる天恵

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「……行きましたわね」

 瓦礫の向こうでかすかに足音が聞こえ、ミロウは小さく息を吐く。
 体の調子はいい。聖殺作戦では頼りになる仲間たちと肩を並べて戦った。あの白い大蛇を打倒した経験が、自分をエクソシストとしてさらに上の段階へ推し進めてくれたように感じる。
 あの時、聖封印が破れてしまうなど、レツェリさえ予想できなかったに違いない。想定ではもう五年は持つと思われていた。
 しかし作戦は完遂された。協会の誇るエクソシストと、そうではない二人のおかげで。

「イドラ、ソニア……どうか、幸せに」

 希望を求めて寄り添う、兄妹よりも親しい二人に。
 それから不遇に負けじと無邪気にふるまう、誰より強く誰より健気なベルチャーナに。常に死の危険が間近に潜む、葬送に挑む同志たちに。
 幸多からんことを。大いなる神の祝福を。
 ミロウがそんな祈りを胸の内で呟くのと同時に、追手は白い外套を揺らしてやってきた。

「——許しを請うため待っていた、という顔ではないなァ。ミロウ!」

 赤い瞳に死神を幻視する。
 司教レツェリが闇の向こうから廊下を渡って現れる。その深紅の左眼でミロウを見据えて。

「なんだ? 家族がどうでもよくなったか? 親や弟が、どの部分が誰のものかわからぬほど細切れになり、小鳥パーケトの餌にでもなってしまって構わないと?」
「……ずいぶん醜悪なことを口にしますのね。長年、神への忠誠を誓ってきたその口で」
「神に背いたつもりはない。ただ、神は我々に指針を与えはしないのでな。ならば私は私の意思で行動するのみだ」
「そうですか。ならば、わたくしの意思を教えて差し上げましょう。——あなたのような悪魔にこれ以上従いはしない。この聖堂が、あなたの墓場です」
「墓場。フ、殺すつもりか。私を」

 素手になり、ミロウのギフトはとうに臨戦態勢だ。それを知りながら、彼女を前にレツェリは愉快そうに肩を震わせて笑う。ローブの裾もつられて揺れた。

「なにがおかしいのです。あなたがわたくしに与えた名、忘れたわけでもないでしょう」
「精密十指。ああ、君は素晴らしく優秀だ。協会の誇る随一の人材で……替えの利かない大切な駒。安心したまえ、君が私を殺すつもりでも、私は君を殺さない」
「……っ! 舐めたことを!」

 ミロウの腕に力がこもる。手のしなやかな十本の指先、そのすべてにくくりつけられたかすかに輝きを持つ糸は、彼女の稀有なる天恵。彼女の意思によって操作され、魔物の肉を切断し、イモータルを縛る十本の輝糸レイ
——ここで殺す。巨悪を討つ!
 今となってはなんの特権も有さない、没落した貴族の生まれ。それでも父は誇りを失わず、『正義と責任を持って行動しなさい』と幼い日から言われ続けてきた。
 その正義に背き、不死を求める悪の走狗となる——
 そんな愚かな毎日は今日で終わりだ。胸によぎるのは、守らなくてはならない幼い弟の顔。
 悪を討つのが正義であり。家族を、仲間を守ることが責任だ!

「はぁ——ッ!」

 絶対の殺意を指先と糸に注ぎ込み、両腕を振るう。対し、レツェリはなんの警戒もしていないというように、悠然と廊下を進んでくる。

「貴様の思い上がりを正してやろう。この私が目をかけてやっていたというのに、よくも信頼を裏切ってくれたなァ」
「裏切りなどと、あなたが口にするな——!」

 宙を舞う糸が、意思を持って動き出す。十の糸のうち八本が、螺旋を描くようにして距離を縮めながらより合わさっていく。
 ミロウのギフトは強力だが、なにより優秀なのはそれをコントロールするミロウ自身だ。
 十本の糸を同時に、並列に操作するのは簡単なことではない。意識を分散させる必要がある。ミロウはそれを十全に近い形でこなす傑物ではあるが、それでもやはり多少の乱れは生じてしまう。
 では、操作する本数を減らせば?
 もし輝糸レイが一本であれば、ミロウは一切の乱れなくそれをコントロールするだろう。

「……ほォ、これには少し驚いたな。こんな技があったとは」

 ねじられる八本の輝糸レイ。互いに巻き付き、強度を増し、威力を増し、切断力を増し——なによりも意思を増す。
 宙で動き出した糸たちは、一瞬にしてより合わさり、太く硬い一本となった。
 これこそミロウの奥の手。そこらの魔物相手に使うまでもなく、どのみち死なないイモータルには十本で拘束を優先した方がよいため、ベルチャーナ以外の誰に見せることもなく秘匿してきた彼女の奥義。

「食らいなさいッ、これが正義の一撃! ——輝糸レイツイスト!!」

 ねじれ狂う一条の輝きがレツェリへ襲い掛かる。
 その威力は個別の輝糸レイの比ではない。天井を貫き、崩落を起こすことさえいともたやすい。人体など、ギロチンで断たれるくびより簡単に千切れてしまうだろう。念のための防御も施している。
 負けようがない。
 勝利の確信を宿し、青い瞳が敵を見る。すると、対照的な真っ赤な瞳と視線が交差した。
——どうして、そんな顔を?

「しかし、なんとも皮肉だな。その技——太くなったぶん、前よりずっと視えやすくなったぞ」

 痛みはなかった。
 ただ、ずるり、というなにかが肩から滑り落ちるような感覚があった。

「…………え?」
 
 つい敵から視線を外し、左肩に目を落とす。床に自分の腕が転がっていた。
 なにかが肩から滑り落ちる、ではない。肩から先そのものが、千切れて落ちたのだ。

「あ、ぁ————あぁあああぁあああああッ!?」

 一体、なにが起きた?
 血が吹き出る。吹き出る。吹き出る。止まらない。バランスを崩した体が血だまりの床に倒れ込む。痛い。輝糸レイのねじれは解けかかっている。痛い。意思をとても維持できない。そもそも片腕が千切れ、五本は制御不能になってしまった。痛い。痛い。血が止まらない。吐き気がする。寒気がする。がんがんと頭が痛む。腕がなくなった。腕がない? 失敗した。負けた。ギフトはもう使えない。痛すぎる。二度と十本の糸は操れない。痛い。彼はずっとこんな痛みを繰り返してきたのだろうか。輝糸レイがばらばらになってしまった。

「おっと。切り落とすつもりはなかった、これは本当だ。私のギフトはどうにも加減が難しい」

 耳鳴りの向こうで、悪魔の声がする。赤い眼球を光らせて、薄笑いを浮かべている。
——こんな。こんな、ろくな時間も稼げず、勝負にさえならないなんて!

「うぅ、ぁ——ッ、づ……! レツェ、リ」
「話す余裕があるとは結構。なに、腕は減ったが気にすることはない。君は片腕でも優秀だ……安心するといい。この私が保証しよう」
「あなた、の保証なんて……いりませんわ。——ッ、この、悪魔が……!」
「君のその反抗心もゆっくりと溶かしてみせようとも。聖封印が五百と十数年の年月をかけ、解けてしまったようにね。不死を手にさえすれば、考えを変えるだけの時間も無限にある」
「できるはずが……ッ、ない!」
「やる前から決めつけるのは間違いだと、親から言われたことはないか? それとも君の親は下らん道徳ばかり口にして、そんな簡単なことも教えてくれなかったか」
「——!」

 怒りが血の足りない頭に活を入れる。無様であろうと、悪あがきであろうと構わない。残った右腕、残った五本の輝糸レイで、せめて一撃だけでも——
 しかしレツェリは用なしだとばかりにあっさりと離れ、射程圏内から遠のいていく。痛みがひどくて糸に意思を伝えられない。

「面白い技だったが、私の万物停滞アンチパンタレイに敵うギフトなど存在しない。君はそこで、残った五本の糸で止血でもしていたまえ。後で手当てをしてやろう」
「待て……待ちなさい、レツェリ……」
「とはいえ、あの二人を逃がされたのは少々面倒だな。大陸からは逃せない、港に閉鎖指示を出させるべきか。フン、またぞろ国王の機嫌を取らねばなるまいが……それに連邦に言うことを聞かせるのも面倒だな。どうしたものか」
「ま……っ」
 
 ミロウはどうすることもできず、痛みと寒気に意識を蝕まれながら、その背が暗い廊下の闇に消えるまでにらみ続けた。
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