不死殺しのイドラ

彗星無視

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第3章エピローグ 別れと再会の物語

第63話 愛くるしさにくるまれて

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「それで、レツェリ元司教。明日からはいよいよ、ビオス教に伝わる『箱船』の在りかへ向かう船旅になる……んですよね? 船の手配だとか、具体的なところはどうなってるんですか?」
「そういえばそうだ。その辺りどうなってるのか、詳しく聞かせてもらってないぞ。説明しろ眼球おじいちゃん」
「意味不明なあだ名をつけるな」
「元眼球おじいちゃん司教」
「合体させるな!」

 イドラとベルチャーナにはやし立てられ、錠をはめられた両手がドンッとテーブルを叩く。人は少なくとも酒の席はどこも姦しく、周囲の喧噪に呑まれて特にその音が目立つことはなかった。
 レツェリは忌々しげに舌打ちをして椅子に背を預けてから、ともすれば騒がしさにかき消されてしまう、周りの席に聞こえない程度の声量で話し始める。

「船は用意済みだ。……念のためと用意しておいたものを海沿いの岩場に隠してある。ひとりで使うつもりだったものだが、荷物を多く積み込むことを見越してそこそこのものを用意した。詰めればこの人数でも問題あるまい」
「口ぶりからするに、小型の帆船って感じですかー?」
「その通り。とはいえ岩場に隠して……大体三十年になるか? 軽い整備は要るだろうな」
「……なあ、これもずっと訊きたかったんだが。あんたなんで、ロトコル教の人間なのにビオス教に詳しいんだよ。それも箱船の具体的な場所なんて、ビオス教の人間だって知らないだろ?」
「それ、ベルちゃんも気になってた。というかそこがわかんないから、嘘ついてるんじゃないかってずっと疑ってる」
「ハッ。なら少しでも疑いが晴れるよう、話させてもらおうか」

 言いながら、米とひき肉を野菜の葉で包んで蒸した料理を口に運ぶと、想像していたよりおいしかったのかレツェリは少し意外そうに右目を見開いた。
 たっぷり時間をかけて咀嚼し、口内のものを嚥下してから続きを話す。

「私は、不死身の肉体を手に入れることこそが人類にとっての救いであると信じている。無限の時間があれば、人はどんな悲劇もいずれ乗り越えられる」

 レツェリがどんな思想を持っていようが、イドラにとってはどうでもいい。
 ただその思想のために、この男は多くのものを犠牲にしてきた。イドラにはそれがどうしても許せない。
 だが、今無駄に口を挟んでも話が進まなくなるだけだろう。ぐっと堪えた。

「しかし実のところ、イモータルを使うプランに注力し始めたのはそう以前のことではない。私はイモータルに固執しているわけではなく、単に不死になることができればどんなプロセスでも構わなかった。要は、箱船のことも不死の肉体を得る方法について模索している折に知ったのだ」
「箱船……神の国への道が、不死の手段?」
「ああ。なにせ、神ともなれば人を不死身にするくらいわけないだろう? とはいえビオス教についていくら調べようとも、肝心の神の国についての記述はなくてな。実態は謎だ」
「薄々感じてたけど、レツェリ元司教ってば信仰心ないよねー。そんなあっさり他宗教の神に縋ろうとしないでほしいなぁ」
「ハ——今さらだろう。協会など、初めから祈りより化け物狩りが本分だろうに」
「敬虔さより腕っぷしかぁ。うーん、司教がこんなだからエクソシストの半数が神さま信じてないのかなぁ」
「……半分も…………?」

 レツェリが素で驚いていた。
 協会の、特にエクソシストたちが信心第一でないのは有名な話だ。荒くれもの同然の人間さえいる。必要なのはか弱い敬虔な信徒ではなく、神に従順でなくとも魔物退治と、そしてイモータルの葬送をできる屈強な人材なのだ。

「ま、死にかけた時に神さまに祈ったってどうにもなんないからねぇ。そんなのは自力で打開策を用意できない弱者の逃げ道だよ」
「ベルチャーナさん……? そんな言い方は」
「……ん、ごめん。なんか言いすぎちゃったかも。忘れて忘れて」

 祈りを否定したベルチャーナは、声に押し殺した怒りを込めているようだった。
 誤魔化すように米と肉の詰まった蒸し料理を口に運び、思ったよりおいしかったのか「ん~」と顔をほころばせる。
 そんなにおいしいのか——
 ではなく。イドラには、ベルチャーナが具体的に誰のことを罵っているのか察することができた。
 自分のことだ。

(家族がイモータルに殺されて……その間、物置で震えてるしかなかった、弱かったころのベルチャーナ自身)

 その胸の痛みを汲み取ることができたのは、イドラもまた、ウラシマの助けに間に合わなかったからだろうか。旅をしていて何度、自身の無力を嘆いたかわからない。
 きっとその悲劇の日に、ベルチャーナは思ったのだ。この世に神などいない、と。
 エクソシストたちはもしかすると、似たような境遇の人間も多いのかもしれない。

「それでレツェリ、あんたは神の国の実態がわからなかったから箱船には手を出さなかったのか?」
「それもあるがな。神の国への道なんてものが本当に開けば、終わりだ」
「終わり? なにがだよ」
「ロトコル教が、だ。少しは頭を回せ。ビオス教はこのフィジー大陸の、さらに北東部辺りでしか信じられていない。……なんだったか、確かロトコル教のように創造主として神を崇めると言うよりは、自然崇拝的な……生命を育む世界の基盤そのものへの信仰、だったか」
「ああ、そういえばこの大陸の宗教なんだっけ。ロトコル教以外の教えはとんと馴染みがないが」

 レツェリが箱船の場所を知っていると手紙を寄越さずとも、イドラはいずれ、この大陸の土を踏んだだろう。おそらくはソニアとともに。
 フィジー大陸に伝わるビオス教、その伝承にある箱船——
 それについて調べる過程を、本来であれば踏むはずだった。それがこともあろうに、元はロトコル教の司教であったレツェリが知っていると言うのだ。そんなわけで、ビオス教について調べる必要はもうなくなった。
 レツェリに連れられる場所に、本当に箱船があれば、だが。

「手紙でも言ったがこんなものはマイナー宗教もいいところだ。ランスポ大陸に加えトワにプリケ、タリンクと世界中の多くの大陸で広く普及しているロトコル教に比べれば、矮小な蟻の一匹に過ぎん」
「こいつめちゃくちゃ言うな。自分だって信仰心ないくせに……」
「しかももう司教クビになってるのに……」
「あ、あんまり他宗教のホームでそういうこと言わない方がいいと思います……」
「ええい小うるさいぞわっぱども! 考えてみろ、その宗教の人間以外に誰も信じておらん箱船伝説が現実に現れればどうなるか。覚えているか、箱船の示す道は曰く、沈む世界のどこからでも見ることができる」
「あ——」

 聖堂の書庫で読んだ本を思い出す。
——曰く、神の国は彼方にある。
——曰く、箱船は神の国への道を示す。
——曰く、道は沈む世界のどこからでも見ることができる。
 これがすべて事実ならば。ビオス教の伝説が実際に起きて、実際に世界中で目撃されてしまう奇跡となってしまえば。

「ビオス教の信者が……ものすっごい増える?」
「そうだ。ものすっごい増える。それはもうすごいことになる。改宗の嵐だろうよ。雲の上から一向に姿を現さん我々の神とは違い、ビオス教の奇跡は実際に示されるのだから」

 マイナー宗教から一気にメジャー宗教だ。
 それは同時に、これまで圧倒的な一強だったロトコル教の分布を塗り替えることでもある。だからこそロトコル教の終わり、とレツェリは言ったのだ。

「そうならないように秘匿してたってことか」
「ようやく理解できたらしいな。無論、一瞬でロトコル教の権威のすべてが失墜するわけではないだろうが……動きづらくはなるだろう。そう思うと、どうしても箱船には触れたくなかった。不死につながりそうなほかの手立てがすべて潰えたあとの、最終手段といったところか」
「へぇー。でもレツェリ元司教、いいんですか? その秘密にしてた箱船に向かおうとしちゃってますけど」
「フン、監獄を出るために背に腹は代えられん。それにもう協会、ひいては教会を追放された身だ。ロトコル教の権威などどうなろうが知ったことか」
「わー最悪。後ろ足で砂かけまくりだねぇ」
「手を拘束されているのでなァ。足を使うしかあるまい」

 監獄を出るために、レツェリは手紙を送った。
 ならばやはり、そのまま牢の中に戻るつもりもないのだろう。

(……そうおめおめと見逃すつもりもない、が)

 レツェリの脱獄を助けはしない。むしろ、イドラは阻害する気でいる。こんな男は葬送されるイモータルどもと同じように、どこかにずっと閉じ込めておけばいいとさえ思う。
 しかしながら、レツェリのことよりもウラシマの遺言の方が優先度は高い。
 レツェリを逃がさなければ、雲の上に行けないのならば。その時はこの男を野に放つことになるかもしれない。
 とはいえロトコル教の人間でなくなったのだから、不死の研究も手詰まりだろう。しばらくは環境の構築に勤しまなければならないはず。

(……仮にそうなったら、尻ぬぐいは自分でやる。ウラシマ先生の真意がわかったあと、草の根分けても探し出して、今度こそ二度と牢から出られないようにしてやるさ)

 だが同時に、海に出る以上逃げ場などあるはずもない、とも考える。
 いや。ひとつある。
 ならば、この男の逃走経路とは——
 神の国。雲の上へ向かうイドラに同行し、そのまま地上には戻らないつもりなのだろうか?

(その方が……納得はいくか。でも神の国なんてどうなってるかわかったもんじゃない。本当にそんなのあるのか? 神なんて……いるのか?)

 情報が足りず、考えはどうにもまとまらない。
 聖堂の一件でも今でも、レツェリという男の考えはまるで見透かせない。
 堂々巡りに陥りつつある思考の渦からイドラを引き上げたのは、くいと服の袖を控え目に引っ張ったソニアの手だった。

「あ、あの……イドラさん」
「なんだ、どうした」

 その橙色の目があまりに真剣だったので、イドラもつい声のトーンを落として訊き返す。
 彼女もレツェリの思惑について考えていたのだろうか。いや、そうに違いない。ソニアはレツェリに対して思うところも多々あるはずだ。
 そして考えの結実しない自分に、なにかを伝えてくれようとしているのではないか——?
 幼くとも頼りになる、何度もイドラの窮地を救ってくれた小さな少女。
 ソニアが言うことを決して聞き逃すまいと、イドラは耳に意識を集中させる。すると、今やイドラが身近にいる誰よりも全幅の信頼を寄せる彼女は、緊張さえ漂わせながらそっと目線で皿の上を示した。

「この……葉っぱでくるんである料理——思ったよりとってもおいしいです……っ!」
「…………」

——そんなに?
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