上 下
31 / 39
第一章 黎明を喚ぶもの

第三十話 『銀の栄光』

しおりを挟む
「あ……アレンさん! あの人が逃げようとしてます!」
「なに?」

 射撃の手を止め、アレンは二階を見上げる。ミカンの指摘の通り、マグナは手すりから離れ、廊下の方へ移動しようとしていた。
 エントランスを出れば、その姿を見失うことになる。

「待て……逃げるな!」
「逃げる? とんだ勘違いだな、アレン。オレは元々ギルドフラッグを探しに来てんだ。テメェのことは手下どもに任せて、オレは今のうちに二階を捜索させてもらう」
「……! <和平の会>が戻ってくる前にフラッグを奪い取るつもりか!」

 マグナは足を止めず、廊下へと消える。
 その刹那。一度だけ、ちらと横目に、アレンのことを見下ろした。
——追ってこれるものなら、追ってこい。
 そんな挑発じみたつぶやきを、アレンは確かに聞いた気がした。

「——っ」

 今すぐにあの背中を追いかけたい衝動に駆られるアレンだったが、それはミカンを未だ敵のはびこるこの空間に放置していくことを意味する。
 それはできない。彼女を見捨てるなどありえない。
 だが、このままではマグナを逃してしまいかねない。去りゆく背を、千載一遇の好機を、みすみす逃していいのか——

「アレンさんっ。わたしを置いて、行ってください」

 煩悶するアレンの手を、ミカンの手が優しく包んだ。アレンよりも少しだけ大きく、少しだけ温かな手。

「なにを……ミカンを見捨てて行けるわけないだろ!!」
「わっ。そこまで大声出すくらいわたしのこと思っててくれたんですね。嬉しいですっ」
「な——恥ずかしくなるようなこと言うな、こんな時に!」
「ご、ごめんなさい。でも、なにもわたし、自分を犠牲にしようだとか、そういうんじゃないです。アレンさんがずいぶん減らしてくれましたし、このくらいなら、倒すのは無理でも耐えることならできるんじゃないか……って」

 ややあたふたしながらの説明に、アレンはようやくミカンの意図を正しく理解した。
 見捨てるのではない。信頼して、託して行くのだ。
 眼前の少女が数日前の、足を震わせて守られるだけのか弱い存在ではないのだと思い出す。

「——?」

 頭が冷えるとアレンは、自身の手とそれを包むミカンの手の間に、なにか小さなものが挟まっている感触がすることに気が付く。
 ミカンはその輪っか状のものを、アレンの手に握らせるようにしながら、自身の手を離した。
 手のひらを上に向け、アレンはその正体を確認する。それは深緑の宝石があしらわれた、美しい指輪だった。

「……これは?」
「お守り、です」

 ミカンはそれだけ言って微笑む。
 記憶の糸をたどるまでもなく、アレンには指輪に見覚えがあった。<アーミン>のギルドハウスへ攻め入る日、カズラから買っていたものだ。
 特殊効果が備わっている、とかなんとか言っていた。

「なら、ありがたく受け取っておこうかな」
「はいっ、そうしてください」

 どの道、キングスレイヤーは片手で撃つ。左手に着けていれば邪魔にもなるまい。
 そう判断し、アレンは左手の人差し指にそれをはめた。

「ふふ。やっぱりアレンさんの方が似合います! 長い金髪に映えますよ」
「ん……それは……喜んでいいのか微妙な気分になる」
「いいじゃないですか。せっかく褒めてるんですから、素直に喜んでくださいよ」
「でもなぁ。俺、男だし……。髪も邪魔くさいからどっかのタイミングで切ろうかなって思ってて」
「ええー!? だ、だめですって。せっかく綺麗な髪なのに……さらさらでツヤもあって、切るなんて絶対もったいないです!」
「でも洗ったりするのめっちゃめんどいし……」

 思いのほか全力で止められたので、アレンは「余計なことを言ってしまった」と細い肩をすくめる。
 そんな緊張感のない二人に、広間に残った<エカルラート>の構成員たちは、怒り心頭のていで襲いかかろうとしていた。

「乳繰り合ってんじゃねえぞ、ガキどもが! 死ねぇ——!」
「邪魔だ」

 剣と同じくらいの刃の厚さをした、ボーナスウェポンらしきバトルアックスを手にした男がその獲物を振りかぶる。
 振り下ろすより先に弾丸が額を撃ち抜き、男はバトルアックスもろとも光の粒になって消滅した。
 だがその後ろから、次々とマグナの手下たちが押し寄せようとする。

「さあ、時間がありません。行ってくださいアレンさん……わたしなんかでも、なんとなくわかります。このフロアの転移者プレイヤーの全員を束ねてもアレンさん一人に敵わないように——あのコートの人も、ほかの敵の全員を集めるよりもずっと強い」

 FPSのプロゲーマーとは、このようなゲームの世界で限って言えば、人殺しのプロも同義。
 アレンとマグナ。かつて同じプロチームに属したこの二人と渡り合える転移者プレイヤーなど、この広いキメラの中にもそういまい。いるとすれば、それはまた別のプロチームに所属するFPSプレイヤーくらいだ。
 そのことを、ずっとアレンのそばにいたミカンは理解していた。そのために1%でも勝率上がればと、あの指輪を託したのだ。
 マグナという不吉な男が、ほとんど唯一、アレンと対等の力を持つ転移者プレイヤーだから。

「あの高慢ちきな気取り屋をぶっ倒したら、すぐに助けに戻る。それまで持ちこたえてくれ」
「ふふ……はい、待ってますね。約束ですよ」

 交わる視線が離れる。アレンは少しでも身軽になるために一度、キングスレイヤーをインベントリに仕舞った。
 そして柱の陰から飛び出し、エントランスの端に設置された、二階に続く階段へと走る。

「マグナ様を追うつもりだ!」
「させるかよ、てめぇ!!」

 それを止めようとする<エカルラート>の者たち。
 しかしアレンは意に介さず、振り返ることもせず走り続けた。この箱庭の世界で誰よりも信頼する少女が、背を守ってくれるとわかっていたからだ。
 そして案の定、追いすがる敵の行く手を阻むように、背後で凛とした声がする。

「『イージスプロトコル』————展開っ!!」

 盾のふちを大理石の床で打ち鳴らす音が、広々としたエントランスに力強く響いた。



 戦闘の喧騒を背に、助けに入りたいと思う気持ちを胸の底に押し込め、アレンは階段を駆け上がる。
 マグナを追い、廊下へ。
 そこまで来ると、階下の音もほとんど届かなくなった。
 後にしてきたエントランスホールの広さにそぐうだけの幅を有した、長い直線上の通路。
 突き当たりの角まで、身を遮るものはなにもなく。等間隔で設けられたアレンの身長以上に大きな窓から、月光の代わりと言わんばかりの星明かりが注がれ、エントランスと同様の大理石の床を冷たく照らしている。

「ん……追ってきたか。やはりなァ」
「——!」

 マグナはまるでそのギルドハウスの主のような、ある種のふてぶてしさを備えた自然さで、窓の逆側にいくつも並んだドアの一つから姿を現した。アレンから遠く数十メートルほど離れた、突き当たりのそばのドアだ。

「おォっと、そう怖い顔をするなよ! まだ全部の部屋を回ったわけじゃあないが、おそらく二階にフラッグはねえ。この辺はどうやら寄宿舎を兼ねてるみてェだ。こいつはオレのカンだが……十中八九地下だな。それも、ギルドハウスの規模から考えて地下室も相当な広さに違いない」

 アテが外れた、とわざとらしくため息を吐く。
<和平の会>のギルドフラッグを奪い、彼らのSPの半分と、このギルドハウスを奪取する。それがマグナの目的だが、肝心のフラッグが見つからなければそれも果たせない。
 彼もまた、その純粋な敷地面積の巨大さを甘く見ていたのかもしれない。ギルドフラッグは例外なくギルドハウスの内側に存在する。そのため、ギルドハウスの場所がわかれば、ギルドフラッグの位置もおおむねわかる……通常ならば。
 このギルドハウスはあまりに大きすぎた。一体どれだけのSPを注いだのか——それはキメラの中でもトップクラスの規模を誇る<和平の会>のギルドマスターであるレーヴンの名が、しかしSP保有量のランキング上位に刻まれていないことからも甚大さを察するべきだ。

「マグナ。あんたに銃口を向ける前に、一つだけ訊いておきたい」
しおりを挟む

処理中です...