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第一章 黎明を喚ぶもの

第二十九話 『鷹の功罪』

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「これは……」

 戦線を離れ、町へと戻ってきたアレンたち。
 やはり転移者プレイヤーたちは戦線へ出払っているようで、無人と化した街中を駆け、昼間も訪ねた<和平の会>のギルドハウスへとやってくる。
 その門は開けられ、扉も強引に破られた跡があった。

「そ……外から破られてますね。それに、中から音もします」
「レーヴンをはじめ、<和平の会>は戦線に加わってるはずだ。本当に<エカルラート>がいるのか……?」

 中から響くのは尋常のそれではなく、まさしく強盗の真っ只中のような、慌ただしい足音や、なにかを引っ剥がしたり動かしたりする音だった。
 あの男の言う通り<エカルラート>かはわからないが、外部の人間が複数侵入しているのは事実だと思われた。

(あの向こうに……いるのか?)

 マグナ。ジークを殺した、かつての戦友チームメイト
 そして<エカルラート>は<和平の会>でさえ手を焼く一大PKギルドだ。ジーク個人など、彼ら<エカルラート>の手によって殺された膨大な犠牲者の全数における氷山の一角に過ぎない。
 さまざまな感情がアレンの中に湧く。それはジークを殺した怒りであり、アレンのチート疑惑を生ませた憎しみであり、かつて同じチームで苦楽をともにした仲間に裏切られたという悲しみであり、仲間だったからこそ自分が暴走する<エカルラート>を止めねばならないという使命感でもあった。

「あ……ま、待ってくださいアレンさんっ」
「先陣を切る。マグナさんがいたら——その時は、俺がやる」

 そういったものに背を押され、アレンは破られたドアから中へと入る。
<和平の会>の『余裕』によって飾られた、コリント式の太い柱が立ち並ぶ吹き抜けのエントランスホール。
 その二階。男はエントランスを一望できる高みにて、青白磁の手すりに片手を置きながら、一階と二階のあちこちで駆けずり回る<エカルラート>の構成員らしき転移者プレイヤーたちを不機嫌そうなしかめ面で見下ろしていた。

「テメェら、ギルドフラッグの捜索はどうだ! ギルドハウスに入ってもう二十分は経つぞ、まだ進展ねェのか!!」
「す、すいませんマグナ様……なにぶん<和平の会>のギルドハウスは広くて。部屋も多く、思いのほか入り組んでおり……一階だけで人手が足りていないのが現状です」
「だったら急ぎやがれ! モタモタしてると襲撃イベントが終わってレーヴンどもが戻ってきやがる。もちろんそうなったとてオレは負けねえが、フラッグを得てギルドハウスごと乗っ取ることがキメラ支配の結実には必要だ」
「は……はいっ! ただちに!」
「チィッ、やはりこのギルドハウスにも隠れた地下室が設けられているのか? レーヴンの野郎、さんざん誠実を気取ってるくせにその実——あァ?」

 赤いコートに身を包む彼は、入り口から現れた、金髪碧眼の幼女と片目を隠す黒髪の少女の姿を認める。
 そしてアレンもまた——

「マグナさん……マグナァッ!」
「アレンッ! なァんだよ、ずいぶん早いじゃねェか!!」

 見上げる者と見下す者。遠い距離を隔て、二者の視線が交錯する。
 広間を行き交う忙しない<エカルラート>の構成員数十人も、弾かれたようにアレンたちの方を振り向いた。

「だがアレン。単身で乗り込むたぁ、ちィと無謀にもほどがあるんじゃねえのか? <エカルラート>のメンバーは23人。そして、そのどれもが倫理の壊れた選りすぐりのイカれ転移者プレイヤーだぜ?」
「単身じゃないさ。自慢の目が曇ってるんじゃないのか?」
「眼が自慢なのはテメェだろ? そこのいかにも根暗そうな女のことを言ってるんだろうが、一般の転移者プレイヤーなんざ脅威になるかよ」
「い、いかにも根暗そう……うぅ。あ、あんまりです」
気圧けおされるなミカン。確かにミカンは暗い上にドジだが、頼りになる仲間だ」
「それ追い打ちかけてます……?」
「仲間。仲間ねェ。<Determiデタミネnationーション>を追い出されて以降ずいぶん滅入ってたみたいだったから、そういうぬるい関係とは決別したモンかと思ってたがなァ。アレン、テメェはやっぱり甘ったれだ」

 広間に一瞬だけ、しんとした静寂が満ちた。
 静まり返る<エカルラート>の構成員たち。躾のされた犬のように指示を待つ彼らに、マグナの号令が下される。

「——野郎ども! ギルドフラッグは後回しだ! まずはあの二人を始末しろ!!」
「おぉ————!!」

 その手にボーナスウェポンがインベントリより現れ、アレンたちへ向かって殺到する。

「こっちだミカン!」
「ひゃあっ」
「屋内戦は俺の土俵だ……! 来い、『キングスレイヤー』!」

 アレンはミカンの手をつかんで引っ張り、ともに溝の彫られた柱身の裏へと転がり込む。遮蔽物を確保したアレンは愛銃を取り出し、柱から半身を出して射撃を開始する。

「ぐあっ」
「うぅッ」

 ただまっすぐ向かってくるだけの相手など、的と大差ない。冷静な射撃により、一人また一人と敵を倒す。時折、矢のような飛び道具が飛んでくることもあったが、柱をうまく使って立ち回るアレンには届かない。射線の管理という基礎を『鷹の眼』はこれ以上なく最適化してくれる。
 だが流石に相手の数が多い。ダブルアクションとはいえ、リボルバー銃の一挺でさばき切るのはいくらアレンでも至難の業だ。

「わたしが守ります……! アレンさんは射撃に集中してくださいっ」
「ああ、任せた!」

 倒しきれず接近してきた敵を、ミカンが彼女のボーナスウェポン——銀の大盾、『ナイツオナー』で防ぐ。その間にアレンが仕留める、理想的な連携だ。
 ミカンの横顔に、アレンは拭いきれない緊張が張り詰めているのを見た。
 恐れはある。あって当然だ。デスゲームの中で、自分を殺そうとしている相手の攻撃を盾一枚で防ごうというのだ。
 それでも——今のミカンは、恐怖に負けて足を震わせるだけだった数日前とは違う。怖くとも、震えていようとも、盾を手に前へと踏み出せる心の強さを得た。

「リロードに入る。四秒耐えてくれ」
「はいっ!」

 バレルを折られ、むき出しになった弾倉から六発分の空薬莢がこぼれ落ちる。薬莢は汚れひとつない大理石の真っ白い床へ落ち、甲高い音を立てて跳ねた。
 アレンは転がっていくそれらには目もくれず、再装填リロードを念じ、手に現れた実包カートリッジを親指と人差し指で次々と弾倉へ送り込む。今のアレンの小さな手と指では取り落としかねない繊細な動作だが、失敗しないよう日夜練習済みだ。

「完了」

 再装填を終え、射撃を再開する。
 敵もアレンを警戒し、立ち並ぶ柱を使ってなるべく射線を阻みながら動いてくる。
 しかし、素人の浅い工夫が通用する相手ではない。柱を使い、身を屈め、盾を構え、壁を伝い、向かってくるすべての外敵——
 そのどれもが、アレンの視界に入っている。
 物理的な視界ではない。あえて言うならば、意識の視界だ。
 鳥瞰する眼。盤面をはるか高みから把握する、どれほど細やかな動きさえも見落とさぬ鷹のそれ。

(右から二枚。左から一枚。回り込もうとするのが一枚。遅れて向かってくるのは盾持ち、右奥の柱裏に弓。ユニークスキルらしきものを使おうとしてるのが一人。逃げ出そうとしてるやつは放っておこう。普段から連帯してないんだろう、連携もバラバラで単独の動きばかりだ。対処は容易い。しかしミカンの位置取りがよくないな。先にそっちをカバーしつつ——)

 身を預ける柱と、盾を構えてくれるミカンをうまく活かし、多人数との戦闘を局所的に一対一のやり取りに変える。その繰り返しだ。
 撃つ。隠れる。覗くピークする。撃つ。隠れる。
 今夜のエイムは冴えている。
 瞬く間に、<エカルラート>の半数が光の粒子となって消えた。その有り様に首魁であるマグナは苛立ちを隠せない。

「『鷹の眼』ェ……! チッ、場所が悪いか、室内じゃミニマップも大した役には立たねえだろうに。オレの手下どもをボットでも撃つみてェに殺しやがって!」
「マ、マグナ様! なんなんですかあれは——あのガキは! なんであいつ、隠れながらなのに、全部見えてるみたいに……!」
「視えてるんだよ。超高精度の予測……あいつの頭の中には、自分を鳥瞰する視界があるみてェなモンだ。テメェら、遮蔽物に隠れようが常に位置は把握されてると思え!」

 同じチームメイトだっただけに、マグナはその並外れた予測能力について知っている。
 予測するのは位置だけではない。場所や目的、所持する武器や道具といった状況シチュエーションから、次にどう動くのかという思考までも読み取るのだ。それも多人数の敵を同時に。
 こういった『読み』はFPSプレイヤーなら誰もが備えるべき当然の思考。しかしアレンの特異性は、その桁外れの処理能力だ。
 ミニマップといったUユーザーIインターフェースを含めた目に入る情報、耳から入る音の情報を一瞬にして精査し、敵の思考を読み、位置を把握し、盤面を掌握する。
 このプロセスがアレンはシンプルに早く、並列に行うことができた。

「皮肉な話だよなァ。そのずば抜けた把握力のせいで、丸っきりデマのチート疑惑はすんなり受け入れられた。一般プレイヤーの雑魚からしてみりゃァ、そいつはウォールハックのチートも同然に見えたんだろうよ」

 つまり『鷹の眼』の本質とは、得られる情報を一つ残らず拾い上げる目や耳ではなく、それらの情報すべてを一瞬にして精査して盤上に散る変数を読み取り、状況に応じた適切な判断を即座に下す、異常なまでの脳の処理速度にある。
 マグナのように優れた腕を持つプレイヤーであれば、その原理は理解できる。同じことを、同じだけの精度ではないにしろ、一定のラインより高みにいるプレイヤーであれば誰しもがやっている。
 しかしアレンの超人的な盤面の掌握力は、一般人から見れば、チーティングのそれと同じに映った。

 あまりに優れたプレイヤーの逆転劇クラッチプレイが、その機械じみた精度の視点移動によってオートエイムじみて見えるように。
 遮蔽物越しに、見えてもいない敵に照準を合わせ、見えるや否や撃つ。そんなアレンの卓越した読みは、一般的な人間にとっては、壁の向こうにいるプレイヤーを透けて表示されるチートを入れていると思わせるには十分だった。プレイ動画にあたかもチーティングを行っているような加工を施せば、もはや疑いの余地など生じない。
 マグナの言う通り、皮肉と言えばそうかもしれない。アレンがもし『鷹の眼』などと呼ばれるほどの予測能力を持たなければ、チート疑惑を晴らすことは容易だったろう。
 もっともその場合、アレンが<Determiデタミネnationーション>に入ることもなかっただろうが。
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