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第三話 銀の月の姉妹

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「今……あの人……確かに頭を噛みちぎられたはず……!?」
「蘇りの魔術なんてありえない、ひょっとして転生特典ギフト……だったら! 『血を巡るもの。循環するもの。留まらぬもの。調和を乱し、偏在せよ』!」
「——! これは……なんだ、体の調子が」

 姉妹は逃げておらず、姉のシンジュが永一に向けて手をかざし、なにごとかの文言を発する。
 永一は突然、体の底から湧き出てくる力を知覚した。肉体を突き動かすエネルギーが、心の深いところにある泉から滾々こんこんと湧いてくるような、そんな感覚。

「片月をかけました。保力ほりょくを引き換えに、破力はりょくを強化するセレイネスの魔術です!」
「ホリョク……? なんだかわからないが」

 これまでに感じたことのないくらい永一の体には力が満ち溢れている。その活力を刈り取るべく、あまりに巨大な魔の爪が迫ってくる。永一は避けようとしたが避けきれず、爪の先が体を薙いだ。かすっただけだと思ったが傷は思いのほか深く、赤い血が噴き出た。
 だが死ぬほどではない。そして、仮に死んでも死にはしない。はずだ。

「おい! あれを貸してくれ!」
「あれ……?」

 流れ出る血を気にもかけず永一は振り向き、琥珀色の目を見て問う。永一の目には紫がかった輝きが宿っていた。

「クナイだ! オレが怪獣を倒す!」
「——! カイジュウっていうのは……わからない、けどっ」

 少女の手から黒い暗器が投げ渡される。刃物を受け止めるのは難しく、手のひらを少し切ってしまったものの、永一はクナイを逆手に収めた。

「ァァァァ————ッ!」
「クソ怪獣が。ぶっ殺されてもぶっ殺してやる」

 獲物を捉え、剥き出しの殺意を浴びせる赤い双眸。積年の恨みを乗せるように、永一はそれをにらみ返す。
 始まったものは、殺し合いではあっても戦闘ではなかった。永一にはセレイネスの魔術がかけられているが、それだけで一方的に勝てるわけがない。存在としてのスケールが違いすぎる。
 持ち慣れないクナイを手に突っ込むも、取っ組み合いにさえならず、巨大な爪がはらわたを裂く。



 鋭い牙が脳を貫く。



 胴体を踏まれ、圧倒的な質量でつぶされる。



「肉体が再生している。つまり、不死身。この力なら——」
「……運命。きっと、そう」

 死んで死んで、そのたびに意識が消えかかり、しかし目が覚める。肉体の損傷も元通りになり、失った血が補充される。
 そして捨て身の特攻を繰り返し、夢中でクナイを突き刺した。

「『血を巡るもの。力あるもの。形を成し、打ち付ける杭となれ』」

 姉妹どちらかの声がして、どこからか放たれた真っ黒な杭が獣の肩に突き刺さる。致命的な一撃ではなかったが、巨獣はうめき声を上げてひるんだ。
 そこへ我が身を顧みず、懐へ潜り込む永一。クナイの表面には黒い脂じみたものがべったりと付着し、ぬめっていた。

「死ね! 怪獣がぁっ!」

 その脂光りした刃先を、太い首の下へ強引にねじ込む。獣は血を流さず、代わりに傷口から黒い砂のようなものが散る。
 それでようやく、巨獣は倒れた。やはり死体はすぐに塵になって消えてしまい、黒い石だけがぽつんと草の上に残される。

「ようやく……倒したか」

 死ぬときが呆気ないのはどんな生き物も変わらない。それが血の流れない、異形の獣であってもだ。
 安堵の息を吐き、永一はその場に座り込んだ。クナイを持つ手は力を込めすぎてびりびりと痺れ、服もぼろぼろになってしまっている。
 しかし体の調子はよかった。怪我もなかった。死んで蘇るたびに、もろもろがリセットされているようだった。
 疲労があるのは精神だけだ。短い呼吸を繰り返し、暴れる心臓をなだめていると、永一の前に二人の影が回り込んできた。

「——どうか」
「あ?」

 銀の髪の姉妹はどこか恭しささえ感じる所作で、ゆっくりと永一の前までやってくると地面に片膝をつき、目線を合わせる。
 心まで通じ合うような、一糸乱れぬ動きだった。
 黄金と琥珀の双眸が永一を見る。その内には仕えるべき誰かを見出した喜びと、固い決意が宿っている。

「どうか。不死のあなたの力を、ワタシたちにお貸しください」
「螺旋迷宮を……踏破するために。あなたがいれば……きっとできます」
「なに?」

 訊き返す永一に、黄金の目が言葉を重ねる。

「復讐のために——異世界から来たあなたの特別な力が欲しいのです。それが叶うのなら、ワタシたち姉妹はどうなっても構いません」

 犯しても殺しても、と琥珀の目の妹が付け足す。
 当然ながら永一の胸中には困惑が広がったが、姉妹が冗談や狂言ではなく、本気で永一に助力を頼み込んでいることはその真剣な瞳から伝わってきた。
 それに異世界。その言葉は、ひどくしっくりと来る。

「目が覚めてから、どうにも異常なことばっかりだ。オレは、あれか。要は……異世界転生。そういうのをしたわけだ」
「はい。このラセンカイに、女神パードラが呼び寄せたのです」
「転生者は……タカイジンと呼ばれます。その誰もが……なんらかの転生特典ギフトを持ち、あなたはおそらく……再生。不死身」
不死アンデッド、か。ギフトってのはよくある展開だが、神サマもまたけったいなものを……いやそれに救われたのは事実だけど」

 前例はざらにあるらしい。
 事実は小説よりも奇なりと言うが、こうして虚構のような世界に放り込まれてしまえば、認めるほかなかった。
 襲ってきたのは怪獣ではなく、魔物で。目の前にいる銀の髪をした人形じみた美しい姉妹は、魔術なんてファンタジーの産物を扱える違う世界の人間で。自分は死んでも生き返る、ゾンビみたいになっていて。
 目が覚めたこの地は、日本でもなければ地球でさえない別の遠い場所なのだと。

(——だが六年前から、奇怪なのは今の地球も同じことだ。加えて言えば、さっきの魔物とやらは大きさこそ小さいものの、やはり怪獣災害の怪獣と本質は変わらないように感じる。ならば……)

 考えを少し整理する。それから永一はすっくと立ち上がると、半身で後ろを振り向いた。
 風は止んでいた。草の揺れが収まった平野の向こうで、街道とつながった大きな町らしきものがある。そしてその中心からは、白い、ねじくれた樹木のような奇妙な塔が空に届けとばかりに高く高く伸びていた。

「螺旋迷宮ってのは、あれのことか。どう見ても人が造れるようなものじゃないな」
「……そうです。この世界、ラセンカイの中心にそびえる……伸び続ける塔」
「あの螺旋迷宮が魔物を生みます。あれを踏破し、その頂にある核を破壊することこそが、魔物に部族を滅ぼされたワタシたちの復讐なのです」
「魔物に殺されたのか。仲間を」
「はい。母も父も、友人も祖父母も皆、あの邪悪な獣に命を奪われました」
「だから……残されたわたしたちは、復讐しなければならない」

 永一は琥珀の瞳に、昏い光がよぎったのを見る。あるいはそれは、鏡の内にひどく見慣れた色をしていた。

「お願いします。ワタシたちの命と尊厳、そのすべてを捧げます——ですからどうか。部族の報復に、不死の力添えを」
「わかった。協力しよう」

 その色を見たからではないと、永一は言い訳のように心の内で呟く。
 異世界転生を受け入れた永一の当面の目的は、『元の世界へ帰る方法を探す』だ。なにせ、返すべき恩をまだ返していない。
 そのためにも、このラセンカイという世界について色々と探ってみる必要がある。あの螺旋迷宮は明らかにいわくつきだし、そうなればどうあれ調べてみなければならないだろう。
 それに——

「いくら不死つったって、二人がいなけりゃオレもただじゃ済まなかった。あと百回は死ぬハメになっただろうし、生きたまま巣に連れてかれたりする可能性もあったはずだ。……さっきは助かった。シンジュとコハク、とか言ったっけ」
「よいの、ですか?」
「来て……くれますか」
「そうだ。助けられたからには、オレは恩を返す必要があるからな——」

 まずは、この恩に報いなければ。
 右も左もわからない異世界で、一番初めに出会ったのだ。これからもたくさんのことを教えてもらうだろう。
 協力できる事柄があるなら是非もない。
 受けた恩は、それこそ命を懸けてでも、必ず返さなければならないのだから。

「——オレは坂水永一さかみずえいいち、善良な一般小市民だよ。頭もよくないんで体力くらいしか取り柄はなかったが、どうやら特技が増えたらしい」

 二本の手をそれぞれ、跪く少女らに差し伸べる。
 姉妹は似た色の瞳を丸くすると、迷いなくその手を取った。

「双子の姉のシンジュです。これからなんなりとお申しつけください、エーイチ様」
「双子の妹のコハク……です。……復讐のためでしたら、わたしはなにもかもを捧げます」
「もうちょい気楽でいいよ。ま、長い付き合いになるかはわからないが、よろしく頼む」

 永一が軽く腕に力を入れて引き上げると、二人はその勢いに従って立ち上がった。再び穏やかに吹いた風が、姉妹の銀の髪をかすかになびかせる。
 方針は決まった。この場に留まれば、また魔物がやってくるかもしれない。姉妹は魔物が落とした黒い石だけ探して拾い上げると、すぐに永一を先導して町の方へと歩き始める。
 不死の転生特典ギフトを魂に宿した異世界転生者タカイジンと、大泛溢マッドポップにより魔物の群れに滅ぼされたセレイネスの生き残りしまい
 三者の門出を祝福するかのように、うららかな昼の陽光が草に覆われた大地を一面の金色に染めていた。
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