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第十一話 銀の月、巡り合う復讐者たち

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「……なにしてんだ?」
「ご奉仕に……参りました」
「夜伽のお相手も、下僕の務めです」

 銀の髪の姉妹は、左右から永一へ覆いかぶさるように身を乗り出した。脚を絡ませ密着する姉妹の体温が伝わってきて、心臓の鼓動が早くなる。
 永一も男だ。起き抜けに美麗な少女二人に息のかかるほど近くまで迫られ、平静を保てるはずもない。
 柔らかな肉の感触と甘い香りに頭がくらくらとする。思考は凍り付き、真夜中の静けさは時間まで止めてしまったかのようだった。
 そんな静止した時の中で、自身の心臓と、吐息と衣擦れの音を聞く。

「さあ……力をお抜きください。わたしたちに身を任せて……奉仕のすべは……十全とは言えずとも、心得ております」
「勇猛なる殿方に尽くすことこそ、ワタシたちセレイネスの本懐なれば——」
「本懐、だと?」

 そっと伸ばされる腕。窓から差す月光が、シンジュの赤らんだ頬を暴く。
 その顔を見て永一は、むしろ逆に、溶けかけた理性が氷に触れたように冷え固まるのを自覚した。

「こんなに震えているのにか?」

 気が付かないほど、永一も愚鈍ではなかった。
 声こそ柔らかで蕩けるようだったが、照らされる表情は硬く。黄金の目に浮かぶのは、恋慕でもなければ、畏敬でもなく。
 不安と羞恥。年相応の、ただそれだけの簡単な感情だった。

「————っ」

 向かってくる腕がぴたりと止まる。
 触れた肌から伝わるのは体温だけではない。震えもまた、同じように。

「やめろ。オレはこんなこと望まない。ふたりも、自分をもっと大切にしろ」

 姉妹は小さく息を呑み、身を離す。その熱を心のどこかでは名残惜しいと感じながらも、永一も体を起こし、ベッドの端に寄った。

「……わたしたちの夜伽は、お嫌……ですか……?」
「少なくとも、嫌々されるのはこっちが嫌だ」

 コハクに震えはなかったが、やはり身を捧げるようなことを望んでいるはずがない。
 勘違いを正す必要があった。
 あの平野で、永一に助力を願って来た時から。姉妹は常に丁重で、永一を敬うかのような姿勢を続けてきた。従順な態度を取ってきた。
 それは代償だ。助力を請う代わりに、身を捧げる。

「ワタシたちはエーイチ様に、命を使い潰す戦い方を強いています。エーイチ様の死を頼りに……迷宮の果てに登り詰めようと。すべての傷と苦痛を、押し付けて」 

 セレイネスの欠陥魔術——片月。その効力は凄まじく、コハクに借りたクナイは魔力的な意味でなんの変哲もないものだったが、力任せに降り抜くだけで魔物の肉体は容易く崩壊した。
 力が増す。しかし欠陥として、肉体の保力が低下する。よって死にやすくなる。そのメリットとデメリットを逆手に取り、実質的にメリットのみを甘受できる不死アンデッド転生特典ギフトを有した永一が前線に立つ。

 この戦法を、平野で永一が蘇るのを見た瞬間、姉妹はそろって思い描いていた。大した戦術眼と言える。
 しかしこれは言うまでもなく、死を前提とした戦法だ。
 何度も死ぬ。命が潰え、意識が消失する寸前にまで薄れ、死の冷たさが精神を撫でていく形容しがたい苦痛を何百、何千と通る狂気の道だ。そんな道は人間の通るものではない。
 それを強いているのだと。強く強く、引け目を感じてしまうのが、銀の姉妹の優しさだった。
 
「勘違いだって言ってんだよ、それが。不死である以上、死になんの重みもありはしない」

 されど。転生特典ギフトは、その転生者タカイジンの魂に根差す力。行使を忌避するようであれば、初めからそんな風にはなっていない。
 姉妹の、特にシンジュの罪悪感は見当はずれと言ってよかった。
 惨たらしく絶命することも。意識がかすれ、思考が枯れる瞬間に訪れる精神の寂寞せきばくも。死神がそばを過ぎていく冷温も。
 永一にとっては、さしたる苦痛でもない。目をつぶればすぐに遠ざかっていく程度の不快だ。

「……生き返るから……ですか?」
「そうだよ。どうせ元通りになるんだから——だったら初めから、死んでいないのと同じだろ?」

 姉妹は言葉を失った。狂気の道を平然と歩める者こそ、真に狂っているに違いないのだ。

「同じのはずがありません。いくら蘇るとはいえ……一度死んでいるのですよ!? 苦痛も伴うはずですっ」
「そりゃあ無駄に死にたくはないが、こんな転生特典ギフトだ。死を前提にして戦術に組み込んだ方がいいに決まってる。ならそうするまでだ」

 問題なのはどう向かうかという過程ではなく、どこへ至るかという結果だ。結果をよりよくするためならば、身を焼くことになっても構わない。

「それにオレにも目的がある。魔物に怒りを覚えているのは、里を滅ぼされたお前たちだけじゃない。だから代償を払おうとなんてしなくていいんだ」
「エーイチ様も……? ですが……エーイチ様のいた世界に……魔物は……」
「異世界のことだし、あまり広まってないのかな。オレの暮らしていた地球では怪獣災害ってのがたびたび起きていた。これは前触れなく、ゲートって亀裂みたいなのが出来て、そこからバカデカい化け物が出てくる災害だ」
「それは……まるで……」
「似ています。泛溢ポップ、あるいは大泛溢マッドポップと」

 頷きを返し、永一は自らの額に触れる。そこには未だに傷跡があった。今となっては傷とは無縁の体だが、幼い日についたものだ。

「六年前。一番最初の怪獣災害で、オレの家族は死んだ」

——地獄に放り込まれたことがある。
 火竜顕現ファースト・インベージョンと称される史上初の怪獣災害は、永一の住んでいた逆月さかつきという田舎町に未曾有の混乱と被害をもたらした。
 家は壊れ、大地は燃え、人は死んだ。
 赤い竜は緊急出動した自衛隊に殺されるまで、すべてを壊し続けた。その無数の被害の列の中に、永一の大好きだった母と大好きだった父と大好きだった姉が並んでいた。

 永一もまた死に瀕した。赤く燃える地獄の中で、自宅の崩落に巻き込まれたのだ。家族も皆そうやって死んでおり、災害の犠牲者は大体が、現れた火竜による直接的な殺傷ではなくそうした副次的な死因で亡くなっていた。
 しかし、建材に押しつぶされながら意識を失った永一が目を覚ました時、待ち受けていたのは天国でもなければ地獄でもなく、単なる無機質な白い病室の天井。すべてが終わった後、幸運にも救助隊に発見された永一は助かったのだった。
 既にこと切れていた家族たちを置いて、ただひとりだけ。

 それから六年。怪獣災害が世界中で起きるようになり、未だに原因はわからず、解析も進んでいない。だが国家に属さず突如として顕現する巨大な怪物に対し、国防は必須だった。
 日本において怪獣を討伐するのは自衛隊の役割となった。家族を怪獣に殺された永一が自衛隊に志願するのは、当然の成り行きと言えた。
 そうして願いを募らせていたものの、高校を卒業するまでまだ一年以上を残したある日——昨日と同じように自室で眠りについたはずの永一は、見知らぬラセンカイの平野で目を覚ましたのだ。

「オレの世界の怪獣とこの世界の魔物は、きっと同じものだ。あいつらはオレの家族を殺した。たくさんの人たちの命を奪い、人生を壊した。その報いをやつらに与えてやれるなら、オレは何度死のうが構わない」

 なにせ。生き返る永一と違い、みんなは、そのまま死の常闇へと沈んでいってしまったのだから。
 何度死のうが生へ浮上する不死アンデッドの自分が、ただ痛いだけの死に怯えるなど、彼らに合わせる顔がない。彼らをさらっていった暗闇に比べれば、蘇生の確約された死などぬるま湯同然のはずだ。

「エーイチ様も……魔物に……家族を……」
「ふたりは確か、螺旋迷宮の核を壊すんだって言ってたな」
「はい。それこそが、ワタシたちの復讐なのです」

 アテルに螺旋迷宮のことを教えてもらった今なら、永一にもその意味と道理がはっきりと理解できた。
 螺旋迷宮は成長を続ける塔だ。その核を破壊することで、言わば螺旋迷宮を殺す。魔物は螺旋迷宮で生まれてその根から各地に送られるため、螺旋迷宮が死ねば魔物が世に現れることはなくなる。同時に世界の拡大も止まることになるだろう。
 魔物に部族を滅ぼされた姉妹の復讐とは、魔物を生み出すシステムそのものを殺すことだった。

「オレも世界は違えど、魔物へ報復を望んできた。ふたりの復讐に、オレを噛ませてはくれないか」
「……エーイチ様がそう言ってくださるのなら。どうあれワタシは、エーイチ様の意向に従うつもりです」
「かたくなだな、シンジュは。コハクはどうだ」
「わたしも……姉さんと同じ思いです。不死の……エーイチ様がいてくだされば……復讐の完遂に、より近づきます。……ですが本当に夜伽はよいのですか?」
「いいって言ってるだろうがっ、そこは掘り返すな」

 小首をかしげるコハクはどうやら、まだ永一が姉妹に協力する理由に納得しきっていないらしい。あるいは今、納得をしている途中。

「付け加えるなら、オレはこれでもふたりには本当に感謝してんだ。シンジュとコハクのおかげで、オレはなにも知らない世界でこうして宿にまで泊まれてる。金も常識もなくて文字さえ読めないんだ、オレひとりじゃきっとこうはなってない。恩返しはさせてくれ」

 命だけはあるだろう、不死なのだから。しかしこのように雨風しのげる部屋の中で、柔らかなベッドの上にいることはなかったに違いない。野宿が妥当だ。

「恩返し。確か一度、そう言っていましたね」
「そうだ。オレにとって大切なことなんだよ。……死んだ姉さんが、なにかと言っていた」

 三つ上の姉は、いつの間にか三つ下になってしまっている。
 坂水美緒さかみずみお。優しく綺麗な姉だった。目を閉じれば今でも、幼い日に言われ続けた言葉を思い出す。

『いい? 永一、恩返しっていうのはとっても大事なの。受けた恩を忘れない美徳こそ、人が一番大切にするものなんだよ』

 姉が幼くして、どうしてそんな考えを持っていたのか、永一にはわからない。案外、童話かなにかに影響されただけかもしれない。
 とにかくこの教えはいつしか永一の中で芯となった。これを守ることで、姉のことを忘れまいとするように。

「家族を失くしたオレは、幼馴染の家に引き取られてな。……あいつも、七菜ななも同じ災害で父親を失った。なのにオレみたいなのを置いてくれたあの家の恩に、オレは報いなくちゃいけない」
「元の世界に戻って、果たすべき返礼ということですか」
「ああ、復讐とは別にな。で、同じようにオレはシンジュとコハクに助けられた。だから、オレにできることならふたりの力になりたいって思う」
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