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第十二話 月が観る再誓約

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 怪獣災害の頻度は世界的に見て、年に一度や二度程度だ。日本にピンポイントで再度訪れる可能性は短期的に見れば低い。だがだからといって対策を怠るわけにもいかず、自衛隊は必然的に人員の拡充を強いられた。
 反対する団体もあるが、永一はそこへ飛び込もうとする側だ。早く隊の仕事に就いて、永一のことを本当の家族のように扱ってくれたあの温かな家庭にお金を入れ、出来る限りの恩を返したかった。
 姉に教えられた恩返しの心得が、期せずして怪獣への復讐に囚われることを防いだ面もあったかもしれない。

「もったいないお言葉です。ワタシとコハクは初めから……。コハク?」
「…………すぅ」
「マジかよ」

 返事がないと思えば、コハクはベッドの上で胎児のように丸まって安らかな寝息を立てはじめていた。
 あまりに突然すぎる入眠に永一も驚く。というか、こんなところで寝られてどうすればいいのだろうか。

「どうやら夜伽がなくなって、張っていた気が緩んだようです。どうかお許しください。この子は……コハクはこのところずっと、神経を尖らせていましたから。反動で疲れが出たのでしょう」
「……。それは、死に場所に近づいていたからか」
「気付いて、おられたのですね」
「馬鹿にするな。元々シンジュたちは、姉妹ふたりだけで螺旋迷宮に挑もうとしてた。そんなのは誰が見たって自殺行為だろうよ」

 片月と不死のシナジーは凄まじい。それは今日一日の迷宮探索でわかった。
 けれど彼女らが永一と出会ったのは、まったくの偶然、もしくは神の思し召しだ。本来であればシンジュとコハクは、二人だけで迷宮に潜っていた。
 そこに片月はあっても、不死はない。そうなれば保力の低下は打ち消すことのできないデメリットとして襲い掛かる。
 命がいくつもあれば足りるが、二つだけでは足りないだろう。

「そう思われるのは、仕方のないことです。そして事実……そうなっていたでしょう。無論ワタシたちは死力を尽くし、螺旋迷宮を踏破するつもりでいました。しかし意志だけで現実の問題をすべてねじ曲げられるはずもありません。たったふたりでは、いずれ……」
「それが道理だ。はっきり言うが、お前たちがしようとしていたのは自殺と変わらねえ。今日迷宮に潜って、わかった。あれでも中型種ウィズノルとかいうのに遭遇しないだけマシだったんだろ」
「……はい。エーイチ様の仰る通りです。ですが……ワタシにはどうすることもできませんでした。コハクを助けたいと願いながらも、その手段を見つけられないままホシミダイのすぐ近くにまで来てしまったのです。愚かなことに」

 シンジュは穏やかな寝顔を浮かべる妹の頭をそっと、優しい手つきで撫でた。それからコハクを起こさないためか、ベッドを下りて窓のそばまで歩いて言う。
 永一もその隣に行き、赤い満月を見るともなしに見る端整な横顔へと問いかけた。

「シンジュは、どうしたかったんだ?」
「螺旋迷宮の核を壊し、魔物を世から根絶するのは紛れもないワタシとコハクの願いです。……でもワタシは、それがもしも叶わないのであれば、コハクには生きてほしい。生きて——幸せになってほしいのです」
「復讐を、里を魔物に滅ぼされた恨みを忘れてか」
「あるいはそれもいいでしょう。今やただひとりの同胞……そしてなによりも、最愛の妹です。ですがコハクはワタシよりも強く、鉄のような心で魔物を憎んでいます。そんなコハクの復讐の火を消す方法はとても見つけられませんでした。見つかるはずがないのです、ワタシの心にも、同じ火は燃えているのですから」

 シンジュは血をため込んだ袋のような月から目を離し、曇りひとつない窓に反射する、ベッドで丸まった自身のかたわれを見つめた。窓の中のシンジュの眼差しは温かで、永一は記憶の深いところにある亡くなった姉の顔をつい思い出す。
 ホシミダイに着いた時、路銀が尽きているのも納得だ。そこで命を使い切るつもりだったのなら、財布にいくら残していようが関係ない。

「姉ってのは大変だな、いつだって下の面倒を見なきゃいけない。……シンジュのこともコハクのことも、死なせるつもりはないからな。死ぬのはオレだけでいい」
「ありがとうございます。ワタシも、エーイチ様がいてくださる今、死ぬつもりは毛頭ございません。エーイチ様がその転生特典ギフトを使うのも出来る限り少なくする所存です。……ええ、恩と言うのなら、ワタシたちこそエーイチ様に救われている」

 シンジュは小さく微笑んで——思えば彼女の笑みを見るのはこれが初めてだった——振り向いた。窓を通る月光は赤く、永一の知るそれとはいささか違ったが、それでも凛とした光の冷たさだけは変わらない。
 月が長い銀髪を濡らす。赤紫がかった幻想的な色が、その艶やかな髪を魔法のように染めた。

「代償はいらないと、エーイチ様は言いました。ですけれど……恩返しならば、受け取ってくださいますね」
「物は言いようだな……恩返し合戦でも始めるつもりかよ」
「ふふっ。いいですね、それ。ワタシも、エーイチ様の姉君の主義に則りたく思います。恩を返すことを第一とする……素敵な考えです。復讐に囚われて自分を顧みないよりは、恩を返しあってるほうがずっといいです」
「そうか? いや、シンジュが言うならそうなのかも」

 簡単な話。つまるところ、永一たちは助け合っていたのだ。
 永一は異世界に放り込まれて右も左もわからないところを、姉妹に助けられ。姉妹は不死を宿した永一がいることで迷宮踏破にいくらかの現実味が生まれ、復讐は自殺じみた無謀な挑戦ではなくなった。
 それを再確認したうえで、シンジュはなお従者のようにあり続けようとする。

「今一度、誓います。——ワタシは復讐のため、エーイチ様にすべてを捧げます。代償ではなく……命を救われた恩として」
「やっぱりかたくなだよ、シンジュは。だったらオレは尽きない命のすべてを懸けて、その復讐に手を貸そう」

 誓約は密やかに。人知れず、月だけが見つめている。
 偶然で結ばれた縁は、恩によってつなぎ止められた。仮にそれがなくとも、行動をともにすることはできるだろう。それでも永一とシンジュは、恩をよりどころにすることを選んだのだった。
 恩とは情だ。人間性を根拠とすることが、復讐の炎に身を投げる者には必要のはず。

「……あれ? エーイチ様、その腕」
「え?」

 静かな契りを終え、もう夜も遅いので部屋にも戻ってもらうべきだと永一が考えたところで、ふとシンジュは永一の腕に目をやる。
 なにか変なものでも付いているのかと見てみると、腕の外側、手首の辺りに細い傷があった。

「なんだこの傷。一体どこで……死ねば治るはずだから、迷宮を出てからか。なら——あ、ラクトとかいうあの小物」

 魔石換金所のやり取りを思い出す。コハクが剣で斬りかかられたとき、永一は強引にその手を押さえつけて止めたのだ。その際、刀身が軽く腕に触れてでもいたのだろうと思われた。
 しかし決して深手ではない。血もとうに止まっている。けれどシンジュは心配性なのか、その傷がどうも気になるようだった。

「痛みますか? 傷口から病のもとが入り込んでもいけません。処置すべきです」
「大げさだな。まあ、でもそう言うなら治した方がいいか。ええと、手軽に自殺できるものは……」
「ナチュラルに自殺しようとしないでください! エーイチ様っ! おもむろに窓の下の高さを確かめないでください!」
「なんだよ大声出して。道具がないんで、ちょっと飛び降りようとしただけだ。……うーん、二階程度じゃ死にづらそうだが、頭から落ちればイケるか?」

 傷があるとよくないと言い出したのはコハクなのに、彼女は永一が転生特典ギフトによってそれを治そうとするとやけに反対してきた。

「切り傷を治すのに死ぬのはどう考えてもおかしいと思いますっ。大丈夫です、ほかの方法がありますから!」
「ほかの方法?」

 窓に近づくのをシンジュに阻まれながら、永一は訊き返す。

「そのくらいの傷であれば治癒魔術で癒せますっ。ですからどうか、そんなバンソーコー感覚で自殺しようとしないでください!」
「あるんだこの世界、バンソーコー……」

 シンジュは永一の腕を取ると、傷口に片手を添えた。

「『血を巡るもの。乱れゆくもの。過剰を欠かし、不足を満たせ』——盈月えいげつ
「おお。すごい」

 温かな感覚が広がったと思うと、腕の傷は綺麗さっぱりなくなってしまった。
 戦いに使う以外の魔術は初めて見た。魔術については未だにわからないことだらけの永一だったが、これは中々に便利そうに思えた。
 さりとて、術者としてはそうでもないらしい。

「セレイネスの血は、こうした治癒魔術は苦手です。この程度の怪我しか治せませんが……逆に言えば、この程度の怪我であれば問題なく治せます。ですからエーイチ様、どうかお体を大切にしてください」
「いちいち治してもらうのか? それはでも、悪いな。オレは怪我するたび首切ればいいし」
「駄目です。転生特典ギフトを使わずに済むときは使わないべきですっ。ワタシたちに、自分をもっと大切にしろ、とおっしゃったのはエーイチ様ではありませんか」
「む……それは、怪我の話とはまた別でだな……」

——ダメじゃない、永一。もっと人をおもぱかるようにならなくちゃ。
 叱るようなシンジュの言い方に、懐かしい声が耳奥で響く。反論の気勢は自然と削がれた。

「……わかったよ。緊急時を除いて、治せる怪我はシンジュに治してもらう。あ、コハクも使えるのか。同じだけ魔術を使えるって言ってたもんな」
「はい。ありがとうございます、エーイチ様……あら?」
「ん……っ。…………わたし、いつの間に……申し訳ありません、エーイチ様」

 やや騒いでいたからか、丸まっていたコハクがベッドの上で身を起こす。体に帯びた女性的な丸みとは裏腹に少しの幼さを面影として残すその顔は、まだ少し眠たげだった。

「起きたかコハク。眠そうだな、部屋に戻ったらまたゆっくり寝ればいい」
「は、はい……」

 琥珀色の目をこすり、彼女はぱちぱちと瞬きをしながら窓際の二人を見つめ、それからやや不思議そうに口を開く。

「……なんだか、エーイチ様と姉さん……近い。……仲良しになった?」
「——、は」
「ふ……っ。ふふ」

 永一とシンジュは顔を見合わせ、互いに笑った。
 仲良しという表現はあまりに素朴で、関係性を表すのに適切とは言い難く。けれど、あながち間違いでもない——そう永一は思い、きっと隣で銀の髪を揺らす少女も同様に感じていた。
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