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第十六話 断裂眼球
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あの日から、復讐の火は胸にある。それを果たすために自衛官候補生を目指した。
自然なことだった。
温和な母と寡黙な父と、優しい姉。大好きだった家族はみんな、あの竜によって殺された。永一だけではない。多くの町の人間が家族を失い、親しんだ街の風景は完膚なきまでに砕かれた。
その理不尽に報復を。生き延びた永一は、そうしなければならないのだから。
「殺してやる。この手で」
「グガアアアァァァァァァ————ッ!」
殺意が腰の屈折した短剣を抜かせたのと、火竜がその翼で飛び上がったのは同時だった。
不死と竜、地上と空中の視線が交錯する。その大型種の瞳孔は縦長かった。
「飛ばれるの…………まずい。この階層は……広すぎるから……空中の優位を活かされる」
「それだけじゃない。あれは火竜だ、火を吐く」
「エーイチ様? あの大型種について知っておられて——まさか、あの時の、というのは」
「火を防ぐ手立てはあるか? オレだけなら燃え死のうがどうでもいいが、二人を火の手から守るのはできそうにない」
「あります……どうかおそばに。当然……エーイチ様のことも……お守りします」
「そりゃ助かる。だったら散開せず固まっておくか」
魔物の生態なぞ知りもしない永一だが、こと火竜についてなら別だ。災害の後、少ない記録を何度も何度も漁ってきた。
永一の見立て通り、火竜はばさりと天井近くにまで羽ばたくと、大きく胸部を膨らませ——
「————アァァァァァァァァァァァァッッッ!!」
牙の生えそろう口から、灼熱の業火を吐き出した。
かつて永一の町を焼いた忌むべき炎は、濁流のごとく一直線に永一たちを火だるまにせんと迫ってくる。
「止める……『血を巡るもの。色を持つもの。妨げるべく、黒き堅牢の壁となれ』——二日月」
それを防いだのは、地面からせり上がるようにして現れた真っ黒い壁だった。
色といい、昨日、換金所の前でラクトに見せた束縛の魔術に近しいものがある。しかし帯のようなものを出したあれとは違い、今度は分厚く硬質な壁が形作られた。
黒い壁は炎を受けても、溶けることも燃え移ることもなくしのぎ切る。役目を終えると途端にがらがらと崩れ、跡形もなく消えてしまった。
「攻撃します。『血を巡るもの。力あるもの。形を成し、打ち付ける杭となれ』」
そこへ、壁の崩れるタイミングを見計らって詠唱を初めていたシンジュが、開いた射線に杭の弾丸を撃ち放つ。斜月の魔術だ。
離れた空中を漂う火竜へと、的確な狙いで杭先が直撃する。しかし翼の付け根を穿つはずだったその弾丸は、赤い鱗に覆われた体表に傷のひとつも付けられず、呆気なく弾かれてしまう。
「効かない——距離の減衰があるとはいえ、なんて硬い表皮。一部の魔物が使うとされる詠唱を必要としない魔術……魔法というものでしょうか」
「このまま一方的に火を吐かれ続けたらジリ貧だな」
「はい……いつか……こちらの魔力が尽き、二日月を行使できなく……なるでしょう」
「あ、そういうMP的な感じなんだ。魔術って」
本当の殺意とは怒りのように煮えたぎる感情ではなく、どこまでも冷たいものだ。復讐の黒い火が心の内で燃え上がるのを感じるほどに、永一の思考は落ち着いていった。
——なにはともあれ、この手に握る刃を届かせなければ始まらない。
「シンジュ。コハク。あれを地面に叩き落とすすべはあるか」
「それもあります……が、大がかりな……魔術になります」
「時間がかかります。それに、二度三度と使うのが危険な、消耗の激しい魔術です。避けられてしまえばそれまでです」
ならば、動きを止めて時間を稼げばいいわけだ。
向こうが来ないのであれば、こちらから行くしかない。しかし永一には空を飛ぶ翼もなければ、浮遊する魔術の心得もなかった。
魔術は土台、血の素養が欠かせない技法だ。永一に限らずタカイジンには終生使えまい。
「なら片月を、オレの脚だけに集約できないか。オレが気を引く」
「え……詠唱を変えれば、できなくはないです。けれどそんなことをすれば、筋や骨が無事では済みませんっ」
「なんだ。その程度ならやってくれ、今すぐだ」
「っ——」
肉体の損傷を厭わない永一に、やはりシンジュは顔をこわばらせた。だが決して否やは唱えず、詠唱を始める。
「『血を巡るもの。循環するもの。留まらぬもの。偏りは混沌を生み、戒律に意味はなく、秩序は恒に破られる』——いびつな魔術です、長くは保ちません!」
「わかった!」
それは姉妹でさえ、使用することを避けてきた魔術。禁術と言ってもいい。
片月——肉体の保力を引き換えに、破力を大幅に増す強化魔術。これは、それを永一の両脚だけに集中させるよう指向性を持たせたものだ。
使用機会がないのも当然。もとより欠陥を抱えた魔術、そんなものを肉体の一部にだけ付与すれば、その部位が持つはずがない。腕に使えば腕が、脚に使えば脚が、わずかな時間の絶大な力と引き換えに、行使した暴力の反動でちぎれとぶ。
(——脚に火がついたようだ)
その破滅的な末路を、しかし不死は受容する。どんな欠損も死ねば治る。
火竜は視線の先で翼をはためかせ、口の端から炎の残滓を漏らしている。なにもしなければ間を置かず、次の一発が放たれるだろう。
「おおおおぉぉぉ——ッ!」
手をこまねいているつもりはない。力を込めて地を蹴ると、文字通り永一の体は宙を飛ぶ。同時に超人的な跳躍の負荷に耐えられず、両膝から下の骨が砕け、肉片と骨のかけらが散らばる。
それを、片月の影響で一時的に紫がかった光を帯びた目で確認すると、空中を飛びながらナイフで首をかき切った。
「がふっ」
頸動脈から派手に血が飛び散る。本来、脳に行き渡るはずだった血液が。
血圧の低下により気を失う——ここで死亡の判定だ。意識が完全に消えかかる一歩だけ手前、限りなく自己というものが薄まって薄まって、まるで枯れた湖の底に少しばかり溜まった水のように無意味な液体の集積物になったと感じた瞬間、一気に再生が開始する。
「ガ、ぁ——、よお、見下してくれたな」
再生。意識の再生。そして、肉体の再生だ。
空中に散らばった肉片と骨片はそのままに、千切れた脚の断面からじくじくと肉が溢れるように生まれる。皮膚や筋肉、骨までもが元通りになっていく。
戻らないのは服と靴くらいだ。裸足に半ズボンになってしまった永一は、これ以上なく明晰な意識で、手を伸ばせば届く距離にまで近づいた竜の頭部を睨みつける。
砲弾のように突っ込んできた永一には、竜種もいささか驚いたのか。首に組み付かれ、振り払おうとするも、永一は治ったばかりの足を絡ませて吹き飛ばされないようにしながら、頭部の方へとよじ登る。
そして狙いの場所へ届くと判断すると、自分の血で濡れたククリナイフを手のうちでくるりと半回転させ、逆手にして振り上げ——
「どんだけ硬い鱗を着込んでいても。ここばっかりは、どうしようもねえだろ……!」
赤く染まった切っ先を、竜の眼球へと振り下ろした。
「————ァァガアアァァァッ!?」
眼球が断裂する。
深い森林のむせかえるように濃い自然を思わせる、緑の光彩。縦長の瞳孔。
それを破る湾曲した刃。差し込まれる鋭さに竜は耳をつんざく、悲鳴に似た咆哮を発する。裂けた眼球から噴き出るのは赤色の血液ではなく、魔物の肉体を構成する黒い塵だ。
火竜はなんとか永一を振り落とそうと、翼を狂ったようにはばたかせ、短い足を振り回して暴れ出す。
「うぉ、お……!」
嵐に耐えるような心持ちで、永一は突き立てたナイフと火竜の首を離さないよう力を込めた。
しがみつく体を不意に強い衝撃が叩く。離れない永一を潰そうと、竜が自分の首ごと迷宮の壁に叩きつけたのだ。
とにかく振り落とされまいとしていた永一は予想外の攻撃に晒され、なすすべなく全身を強打し、視界がちかちかと点滅する。頭をぶつけたようで、頭蓋の中で鈍い痛みが反響する。
——放してたまるか。
痛みと吐き気を噛み殺し、朦朧としかかる頭を叱咤して、永一はより強く刃を握りしめる。
ぶつけたところから出血していたのか、どろりとした血液が片目に被さった。血の色が視界を覆い、目に映るものが赤い膜を通したようになる。
ああ、赤色が見える。遠くでばちばちと、燃え盛る炎の音がする。
古い額の傷が、頭蓋をかき回すそれよりもなお強く痛みを訴える。
「放す……ものか」
ナイフの柄を。そして——この、燃えるような意識を。
復讐の火を!
「シンジュッ、コハク! 今だ……やれ! オレごとでいい!!」
痛む頭が、白い広間を地獄の赤と錯覚する。過ぎた日の怒りと、あまりに深い悔恨を心に去来させる。
六年前。真に悔やむものは、怪獣を殺せなかったことではない。
意識を手放したこと。自宅の崩落に巻き込まれ、そのまま、遠く赤い影を視界に収め、気を失ってしまったことだ。
目を覚ましたのは迷宮よりずっと清廉な白色をした病室で、その時にはすべてが終わっていた。災害は過ぎ去り、悲劇としてワイドショーに騒ぎ立てられ、家族は全員瓦礫に潰されてとっくに死んでいた。
もしも永一があの時、意識を手放さず。
亡者のごとく——あるいは不死のごとく、地獄で身を起こしていれば。
家族を救い出すこともできたのではないか。助け出すことも、間に合っていたのではないか?
ああ、だから、本当に復讐を願うのは、怪獣にではなく。あの時なにもできなかった自分自身で——
怪獣を殺せる場所に身を置こうとしていたのも、自身が無力ではなくなったのだと主張する、虚しい証明だったのではないか。
今さらのような気づきは、炎の幻聴と鈍痛にかき消され、閃光じみて消えていく。
「ァ——ガ————ァァッ」
竜の喉がうめきを上げる。抵抗の甲斐なく、その目にはむしろさっきよりも深々とナイフが突き刺さっている。湾曲部分は完全に眼球に埋まり、もはや柄まで触れそうなほどに。
永一の頭は先の衝撃で朦朧としかかっていたが、腕の力だけは緩まなかった。むしろ余計な思考が除かれ、ただ刃を刺し続けることにのみ専心する。
「——」
そんな中。地獄の外、はるか眼下で手をつなぐ、二つの銀色に目を奪われた。
自然なことだった。
温和な母と寡黙な父と、優しい姉。大好きだった家族はみんな、あの竜によって殺された。永一だけではない。多くの町の人間が家族を失い、親しんだ街の風景は完膚なきまでに砕かれた。
その理不尽に報復を。生き延びた永一は、そうしなければならないのだから。
「殺してやる。この手で」
「グガアアアァァァァァァ————ッ!」
殺意が腰の屈折した短剣を抜かせたのと、火竜がその翼で飛び上がったのは同時だった。
不死と竜、地上と空中の視線が交錯する。その大型種の瞳孔は縦長かった。
「飛ばれるの…………まずい。この階層は……広すぎるから……空中の優位を活かされる」
「それだけじゃない。あれは火竜だ、火を吐く」
「エーイチ様? あの大型種について知っておられて——まさか、あの時の、というのは」
「火を防ぐ手立てはあるか? オレだけなら燃え死のうがどうでもいいが、二人を火の手から守るのはできそうにない」
「あります……どうかおそばに。当然……エーイチ様のことも……お守りします」
「そりゃ助かる。だったら散開せず固まっておくか」
魔物の生態なぞ知りもしない永一だが、こと火竜についてなら別だ。災害の後、少ない記録を何度も何度も漁ってきた。
永一の見立て通り、火竜はばさりと天井近くにまで羽ばたくと、大きく胸部を膨らませ——
「————アァァァァァァァァァァァァッッッ!!」
牙の生えそろう口から、灼熱の業火を吐き出した。
かつて永一の町を焼いた忌むべき炎は、濁流のごとく一直線に永一たちを火だるまにせんと迫ってくる。
「止める……『血を巡るもの。色を持つもの。妨げるべく、黒き堅牢の壁となれ』——二日月」
それを防いだのは、地面からせり上がるようにして現れた真っ黒い壁だった。
色といい、昨日、換金所の前でラクトに見せた束縛の魔術に近しいものがある。しかし帯のようなものを出したあれとは違い、今度は分厚く硬質な壁が形作られた。
黒い壁は炎を受けても、溶けることも燃え移ることもなくしのぎ切る。役目を終えると途端にがらがらと崩れ、跡形もなく消えてしまった。
「攻撃します。『血を巡るもの。力あるもの。形を成し、打ち付ける杭となれ』」
そこへ、壁の崩れるタイミングを見計らって詠唱を初めていたシンジュが、開いた射線に杭の弾丸を撃ち放つ。斜月の魔術だ。
離れた空中を漂う火竜へと、的確な狙いで杭先が直撃する。しかし翼の付け根を穿つはずだったその弾丸は、赤い鱗に覆われた体表に傷のひとつも付けられず、呆気なく弾かれてしまう。
「効かない——距離の減衰があるとはいえ、なんて硬い表皮。一部の魔物が使うとされる詠唱を必要としない魔術……魔法というものでしょうか」
「このまま一方的に火を吐かれ続けたらジリ貧だな」
「はい……いつか……こちらの魔力が尽き、二日月を行使できなく……なるでしょう」
「あ、そういうMP的な感じなんだ。魔術って」
本当の殺意とは怒りのように煮えたぎる感情ではなく、どこまでも冷たいものだ。復讐の黒い火が心の内で燃え上がるのを感じるほどに、永一の思考は落ち着いていった。
——なにはともあれ、この手に握る刃を届かせなければ始まらない。
「シンジュ。コハク。あれを地面に叩き落とすすべはあるか」
「それもあります……が、大がかりな……魔術になります」
「時間がかかります。それに、二度三度と使うのが危険な、消耗の激しい魔術です。避けられてしまえばそれまでです」
ならば、動きを止めて時間を稼げばいいわけだ。
向こうが来ないのであれば、こちらから行くしかない。しかし永一には空を飛ぶ翼もなければ、浮遊する魔術の心得もなかった。
魔術は土台、血の素養が欠かせない技法だ。永一に限らずタカイジンには終生使えまい。
「なら片月を、オレの脚だけに集約できないか。オレが気を引く」
「え……詠唱を変えれば、できなくはないです。けれどそんなことをすれば、筋や骨が無事では済みませんっ」
「なんだ。その程度ならやってくれ、今すぐだ」
「っ——」
肉体の損傷を厭わない永一に、やはりシンジュは顔をこわばらせた。だが決して否やは唱えず、詠唱を始める。
「『血を巡るもの。循環するもの。留まらぬもの。偏りは混沌を生み、戒律に意味はなく、秩序は恒に破られる』——いびつな魔術です、長くは保ちません!」
「わかった!」
それは姉妹でさえ、使用することを避けてきた魔術。禁術と言ってもいい。
片月——肉体の保力を引き換えに、破力を大幅に増す強化魔術。これは、それを永一の両脚だけに集中させるよう指向性を持たせたものだ。
使用機会がないのも当然。もとより欠陥を抱えた魔術、そんなものを肉体の一部にだけ付与すれば、その部位が持つはずがない。腕に使えば腕が、脚に使えば脚が、わずかな時間の絶大な力と引き換えに、行使した暴力の反動でちぎれとぶ。
(——脚に火がついたようだ)
その破滅的な末路を、しかし不死は受容する。どんな欠損も死ねば治る。
火竜は視線の先で翼をはためかせ、口の端から炎の残滓を漏らしている。なにもしなければ間を置かず、次の一発が放たれるだろう。
「おおおおぉぉぉ——ッ!」
手をこまねいているつもりはない。力を込めて地を蹴ると、文字通り永一の体は宙を飛ぶ。同時に超人的な跳躍の負荷に耐えられず、両膝から下の骨が砕け、肉片と骨のかけらが散らばる。
それを、片月の影響で一時的に紫がかった光を帯びた目で確認すると、空中を飛びながらナイフで首をかき切った。
「がふっ」
頸動脈から派手に血が飛び散る。本来、脳に行き渡るはずだった血液が。
血圧の低下により気を失う——ここで死亡の判定だ。意識が完全に消えかかる一歩だけ手前、限りなく自己というものが薄まって薄まって、まるで枯れた湖の底に少しばかり溜まった水のように無意味な液体の集積物になったと感じた瞬間、一気に再生が開始する。
「ガ、ぁ——、よお、見下してくれたな」
再生。意識の再生。そして、肉体の再生だ。
空中に散らばった肉片と骨片はそのままに、千切れた脚の断面からじくじくと肉が溢れるように生まれる。皮膚や筋肉、骨までもが元通りになっていく。
戻らないのは服と靴くらいだ。裸足に半ズボンになってしまった永一は、これ以上なく明晰な意識で、手を伸ばせば届く距離にまで近づいた竜の頭部を睨みつける。
砲弾のように突っ込んできた永一には、竜種もいささか驚いたのか。首に組み付かれ、振り払おうとするも、永一は治ったばかりの足を絡ませて吹き飛ばされないようにしながら、頭部の方へとよじ登る。
そして狙いの場所へ届くと判断すると、自分の血で濡れたククリナイフを手のうちでくるりと半回転させ、逆手にして振り上げ——
「どんだけ硬い鱗を着込んでいても。ここばっかりは、どうしようもねえだろ……!」
赤く染まった切っ先を、竜の眼球へと振り下ろした。
「————ァァガアアァァァッ!?」
眼球が断裂する。
深い森林のむせかえるように濃い自然を思わせる、緑の光彩。縦長の瞳孔。
それを破る湾曲した刃。差し込まれる鋭さに竜は耳をつんざく、悲鳴に似た咆哮を発する。裂けた眼球から噴き出るのは赤色の血液ではなく、魔物の肉体を構成する黒い塵だ。
火竜はなんとか永一を振り落とそうと、翼を狂ったようにはばたかせ、短い足を振り回して暴れ出す。
「うぉ、お……!」
嵐に耐えるような心持ちで、永一は突き立てたナイフと火竜の首を離さないよう力を込めた。
しがみつく体を不意に強い衝撃が叩く。離れない永一を潰そうと、竜が自分の首ごと迷宮の壁に叩きつけたのだ。
とにかく振り落とされまいとしていた永一は予想外の攻撃に晒され、なすすべなく全身を強打し、視界がちかちかと点滅する。頭をぶつけたようで、頭蓋の中で鈍い痛みが反響する。
——放してたまるか。
痛みと吐き気を噛み殺し、朦朧としかかる頭を叱咤して、永一はより強く刃を握りしめる。
ぶつけたところから出血していたのか、どろりとした血液が片目に被さった。血の色が視界を覆い、目に映るものが赤い膜を通したようになる。
ああ、赤色が見える。遠くでばちばちと、燃え盛る炎の音がする。
古い額の傷が、頭蓋をかき回すそれよりもなお強く痛みを訴える。
「放す……ものか」
ナイフの柄を。そして——この、燃えるような意識を。
復讐の火を!
「シンジュッ、コハク! 今だ……やれ! オレごとでいい!!」
痛む頭が、白い広間を地獄の赤と錯覚する。過ぎた日の怒りと、あまりに深い悔恨を心に去来させる。
六年前。真に悔やむものは、怪獣を殺せなかったことではない。
意識を手放したこと。自宅の崩落に巻き込まれ、そのまま、遠く赤い影を視界に収め、気を失ってしまったことだ。
目を覚ましたのは迷宮よりずっと清廉な白色をした病室で、その時にはすべてが終わっていた。災害は過ぎ去り、悲劇としてワイドショーに騒ぎ立てられ、家族は全員瓦礫に潰されてとっくに死んでいた。
もしも永一があの時、意識を手放さず。
亡者のごとく——あるいは不死のごとく、地獄で身を起こしていれば。
家族を救い出すこともできたのではないか。助け出すことも、間に合っていたのではないか?
ああ、だから、本当に復讐を願うのは、怪獣にではなく。あの時なにもできなかった自分自身で——
怪獣を殺せる場所に身を置こうとしていたのも、自身が無力ではなくなったのだと主張する、虚しい証明だったのではないか。
今さらのような気づきは、炎の幻聴と鈍痛にかき消され、閃光じみて消えていく。
「ァ——ガ————ァァッ」
竜の喉がうめきを上げる。抵抗の甲斐なく、その目にはむしろさっきよりも深々とナイフが突き刺さっている。湾曲部分は完全に眼球に埋まり、もはや柄まで触れそうなほどに。
永一の頭は先の衝撃で朦朧としかかっていたが、腕の力だけは緩まなかった。むしろ余計な思考が除かれ、ただ刃を刺し続けることにのみ専心する。
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