ダブルロール:死骸人形(マリオネット)の罪科

彗星無視

文字の大きさ
4 / 25
Chapter1:死骸人形と欠けた月

第三話:偽物

しおりを挟む
「噛まれたと言っていたが……ほとんど『喰われかけた』、だな。これは」
「治るのか?」
「傷は深いが、幸いにして神経は無事だ。これなら問題はないだろう。……本来、ガルディごときに遅れを取るようなキミでもないだろうに」

 ノルトはそっと傷口に両手をかざして目を閉じた。
 なにをするつもりなのか、男にはまるでわからなかった。男の不安をよそに、ノルトはその唇から、普段と変わらない平坦な声で魔術詠唱をそらんじる。

「慈悲深き主よ。高き空にて雲に腰掛ける女神よ。憐れむのなら、安らぎの息吹を恵みたまえ」

 温かな光がノルトの手から発せられ、傷口を包む。するとみるみるうちに傷は塞がり、跡も残らなくなってしまった。

「傷が治った……!」
「アーリア治癒魔術が特別得意な方ではないけれど、傷を塞ぐくらいはできる。とはいえ中身はさして再生していないはずだ、しばらく無理は控えることだな」
「アーリア……? 花の名前か?」
「……自分が通っていた学院の名前さえ忘れているようだったが、本当に知識の欠落が著しいな。こんなのは子どもでも知っていることだぞ」

 身を離し、向かいの椅子に座り直すノルト。
 治療も終わり、その目は負傷した患者を診る医者の労りではなく、怪しい男の本性を見定めんとする審問官インクイジターの鋭さを帯びていた。
 それに対し、男は自身の身に起きたことを正直に話すしかなかった。

「オレは……なにもわからないんだ。自分のことも、ほかのことも。ノルトの言うリアンってのが、オレなのか?」
「どうだろう、現時点ではなんとも。ただ、ワタシの知るリアンは自分のことを『オレ』とは呼ばなかった」

 ノルトの言葉に、男は、ミアが自分を拒絶した理由の一端を捉えた気がした。
 自分の振る舞いはミアが知る『リアン・ムラクモ』からはかけ離れていたのだろう。たとえ、その顔かたちがまったくの同様だったのだとしても。

「そういった意味で、キミはリアンではない。けれど、その顔はリアンだ。赤い目も、キミたちムラクモの一族に遺伝する形質だったはず。……キミは、本当に誰なんだ?」
「そんなの、こっちが聞きてえよ! 洞窟の奥で目が覚めて——そこにいた意味も、自分の名前もわからない……オレは一体なんなんだ?」

 自分が何者かもわからず、夜をさまよってここまで来た。
 不安を感じないはずがない。それでもこの村までたどり着けば、すべてがよくなると思っていた。そう漠然と考えていた。
 あの少女に——かけがえのない妹に、出会うことさえできれば。
 その結果がこれだ。妹には拒絶され……実際、自分に兄と名乗る資格があるのかも怪しい。
 唯一鮮明なこの記憶さえ疑わしく思えてくる。名前もなく記憶もないこの身には、本物のものなど、なにひとつとして備わっていないのではないかと。

「洞窟? どこのことだ、それは」
「え? どこって言われても、名前なんてわかんねえよ。でも、たぶん北の方の……山の近くにあるところだ」
「フェルダ山か……なぜそのような場所に……いや、それよりも! あの辺りの洞窟に生息する魔導生物には、確か——」

 男の言葉のなにが気になったのか、ノルトはいきなり乱雑な机の上をひっくり返し始めた。
 邪魔な紙の束を払い、目的と違う本をどけ、乳白色の軟膏が詰まった小ビンを落っことして危うく割りそうになりながら、急いでなにかを探している。

「……ノルト、今言うことじゃないかもだけど、もうちょっと机の上は整理しておいたほうがいいと思うぞ」
「それは以前にもキミによく言われた!」

 手狭な机の上を台風の通った後みたいにしたところで、ノルトは埋もれていた書籍を探り当てた。

「これだ。寄生型は後半の方に……」

 分厚いその本を手に取り、一心不乱にページをめくる。
 表紙に書いてある文字を男は読むことができた。
——『魔導生物図鑑』。
 幸い、識字能力は失っていないようだった。

「……あった。生息地は……ふむ、あの山の麓であれば、いてもおかしくない。やはり……」
「なんだ、なにが書いてあるんだ? ひとりで納得してないでオレにも教えてくれよ」
「もちろん。だがその前に確証が欲しい」
「確証?」
「この本によれば——ふむ。治療は終わったので、本当はもう服を着てもらってもよかったのだが……結果的に都合がよくなったな」
「なんの話を……おい、ノルト? なんだよっ?」
「じっとしていろ。すぐに終わる」

 上半身裸のままの男へ、ノルトは再び椅子から腰を浮かせて身を寄せる。その手は先とは違い、傷のあった男の腕ではなく、健康的に引き締まる胸板へと向かった。
 伸ばされた手の繊細な指が、つっ、となぞるように、かすかに肌に触れる。胸の中心のやや左。ちょうど脈打つ心臓がある辺りを、上から指先で撫でられる。
——ノルトはやはりオレの体が目当てだったのだろうか?
 男がそんな滑稽なことを思った、その瞬間。

「————っ!!?」

 背筋に悪寒を覚え、身を震わせる。
 否——悪寒と呼ぶのも生ぬるい。それはもはや痛みさえ覚えるほどの、脊髄に冷えた氷柱を差し込まれるような、形容のできない根源的な恐怖だった。

「は……ぁっ? あ……」

 咄嗟に椅子から跳ね上がり、ノルトから距離を取ろうとする。だが両足がガクガクと震え、男はみっともなく転倒した。床に尻をしたたかに打ち付ける。
 気づけば全身に嫌な汗をかいていて、呼吸も荒い。
 瞳孔は定まらず、心臓は狂ったように脈を打ち、わけもない焦燥が精神という精神を引っ掻いて平静さを奪う。

「防衛反応を確認……決まりだな。なるほど、そうか。ああ、やはり、そういうことだったのか」

 そんな、挙動不審とも取れる男の有様を見て、ノルトは想定通りだとうなずいた。
 冷えた青の目が男を見下ろし、白衣の手が差し出される。男はしばらく呼吸を整えて、動けるようになってからその手をつかむ。

「今……オレに、なにをした?」
「なにも。ただ少し触れただけだ」

 思いのほか男が重かったのか、ノルトは両腕を使って引っ張り上げる。

「そんなはずがあるか! 触れられただけで、心臓がおかしくなって……息が苦しくなるようなこと、普通じゃない!!」
「そう、まさに。だからおかしいのは、ワタシではなくキミの方なのだ。——これを見ろ」
「あ……!?」

 目の前に突きつけられたのは、さっきの本——『魔導生物図鑑』だった。
 すっ、とノルトの指が添えられる。ページの中に描かれた、細長い魔導生物を指していた。

「ヘルツェ……ガヌム?」
「ああ。寄生型魔導生物の一種で、洞窟、あるいはごく稀に川辺なんかにも生息する。大抵の魔導生物がそうであるように体色は真っ黒く、体長は五センチ程度から大きくて五十センチほどと多岐にわたる」
「ま……待て、なんの話だいきなり! 魔導生物……ってのは、オレが洞窟の外で出会った犬みたいやつと同じだろ!?」
「魔導生物という広いくくりで見ればな。その生態はまったくの別物だ。見ろ、ヘルツェガヌムは主に動物の死骸に耳や鼻から侵入し、やがて心臓にたどり着くとぐるぐると巻き付いて寄生する。それから魔法によって心臓を賦活することで、強引に肉体を乗っ取るのだ」

 ヘルツェガヌム。そのような名前のようだ。
 ページにはその黒いミミズのような生物の見た目と、それが死んだ猫の耳へうぞうぞと侵入する際の様子がスケッチされていた。

「……ノルト、お前、まさか」
「そして、ヘルツェガヌムは時に人間にも寄生する。こうした寄生型の魔導生物によって死体が動き出すことが、各地に伝わる活動死体ゾンビ伝説の由来だと言われている……」
「お前っ——」

 中々結論を話さないノルトがじれったく、男は急かすように詰め寄ろうとする。それをノルトの手が制した。
 ただ胸のそばで手のひらを向けられるだけで、男はさっきの恐慌を思い出した。頭の中を混乱が染め上げ、一切の意思が肉体に通じなくなるような、世にも恐ろしい体験を。
 その間に、ノルトは滔々とうとうと語り続ける。

「……本によれば、ヘルツェガヌムに寄生された動物や人間は、特定の条件下で同じ反応を示すそうだ」
「——」

 やめてくれ、と叫びたかった。
 その先を言わせてはならない。この白衣の女は、言ってはならないことを言おうとしている。気づいてはならないことを気づかせようとしている。
 だが……同時に、男にはわかっていた。
 自分はリアン・ムラクモではない。それはミアの反応が証明している。
 では自分は何者なのか? この意識はどこから生まれたのか?
 それをはっきりさせなければ、自分は何者でもない、ただのリアン・ムラクモの偽物のままになってしまう。

「胸の表面に触刺激を受けると、心臓に寄生するヘルツェガヌムは強い身の危険を感じ、宿主の脳に危険信号を送る。これを、防衛反応と言う。つまり——」

 しかし現実は残酷で、事実はその『偽物』をことさらはっきりとさせただけだった。
 ぱたん、とノルトは本を閉じる。
 海の底を思わせる深い青のが、男をまっすぐに見据える。

「——キミはリアン・ムラクモの死体に寄生した、ヘルツェガヌムだ」

 遠慮も、容赦も、欺瞞も、憐憫もなく。ただ端的に、医者はそう診断を下した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

万物争覇のコンバート 〜回帰後の人生をシステムでやり直す〜

黒城白爵
ファンタジー
 異次元から現れたモンスターが地球に侵攻してくるようになって早数十年。  魔力に目覚めた人類である覚醒者とモンスターの戦いによって、人類の生息圏は年々減少していた。  そんな中、瀕死の重体を負い、今にもモンスターに殺されようとしていた外神クロヤは、これまでの人生を悔いていた。  自らが持つ異能の真価を知るのが遅かったこと、異能を積極的に使おうとしなかったこと……そして、一部の高位覚醒者達の横暴を野放しにしてしまったことを。  後悔を胸に秘めたまま、モンスターの攻撃によってクロヤは死んだ。  そのはずだったが、目を覚ますとクロヤは自分が覚醒者となった日に戻ってきていた。  自らの異能が構築した新たな力〈システム〉と共に……。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

俺だけ“使えないスキル”を大量に入手できる世界

小林一咲
ファンタジー
戦う気なし。出世欲なし。 あるのは「まぁいっか」とゴミスキルだけ。 過労死した社畜ゲーマー・晴日 條(はるひ しょう)は、異世界でとんでもないユニークスキルを授かる。 ――使えないスキルしか出ないガチャ。 誰も欲しがらない。 単体では意味不明。 説明文を読んだだけで溜め息が出る。 だが、條は集める。 強くなりたいからじゃない。 ゴミを眺めるのが、ちょっと楽しいから。 逃げ回るうちに勘違いされ、過剰に評価され、なぜか世界は救われていく。 これは―― 「役に立たなかった人生」を否定しない物語。 ゴミスキル万歳。 俺は今日も、何もしない。

俺だけ永久リジェネな件 〜パーティーを追放されたポーション生成師の俺、ポーションがぶ飲みで得た無限回復スキルを何故かみんなに狙われてます!〜

早見羽流
ファンタジー
ポーション生成師のリックは、回復魔法使いのアリシアがパーティーに加入したことで、役たたずだと追放されてしまう。 食い物に困って余ったポーションを飲みまくっていたら、気づくとHPが自動で回復する「リジェネレーション」というユニークスキルを発現した! しかし、そんな便利なスキルが放っておかれるわけもなく、はぐれ者の魔女、孤高の天才幼女、マッドサイエンティスト、魔女狩り集団、最強の仮面騎士、深窓の令嬢、王族、謎の巨乳魔術師、エルフetc、ヤバい奴らに狙われることに……。挙句の果てには人助けのために、危険な組織と対決することになって……? 「俺はただ平和に暮らしたいだけなんだぁぁぁぁぁ!!!」 そんなリックの叫びも虚しく、王国中を巻き込んだ動乱に巻き込まれていく。 無双あり、ざまぁあり、ハーレムあり、戦闘あり、友情も恋愛もありのドタバタファンタジー!

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

処理中です...