ダブルロール:死骸人形(マリオネット)の罪科

彗星無視

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Chapter1:死骸人形と欠けた月

第十四話:星に願いを

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 細い肩を震わせ、声を抑えて泣くミアの姿。いても立ってもいられず、ヤトは彼女のそばへ駆け寄る。
 寝ているはずのヤトがいきなりやって来たことに、ミアはいささか驚いているようだった。

「どうかしたのか……もしかして、どこか痛むのか!? 待ってろ、すぐ診療所まで行ってノルトを呼んで——」
「ま、待ってっ。待ってください、そうじゃないです、大丈夫ですから……」
「大丈夫つったって、お前っ」

 ミアが泣いていると、それだけでヤトの心はどうにも落ち着かない。浮き足立つ彼の手首をミアがつかみ、焦りのあまり診療所に向かおうとするのを止めた。
 月明かりが照らすミアの赤い瞳には、大粒の涙があふれている。頬にも涙の跡が残り、それを見てヤトは、初めて会った時のことを思い出した。
 初めてと言っても村に戻ってきた直後ではない。診療所に連れられ、ノルトと言い争いになっていた折、喧嘩をやめろと割って入ってきた時のことだ。
 あの時もミアの頬には泣いた跡があった。……直前にヤトと会ったことを思えば、そのせいで泣き出したのは明らかだ。

「……ヤトさんは、わたしのことが心配ですか?」
「当たり前だ! ミアになにかあったら、オレは——」
「それは……どうして? なんでヤトさんは、わたしのことを大事に思ってくれるんですか?」
「——っ、それは……オレが」

 リアンの肉体を、そして感情をも奪い取った、醜い魔導生物だからだ。
 冷えた夜を融かすような赤い目が、潤みながらもヤトを見つめる。
 ああ、彼女は責めるつもりでいるのだろうか? 兄と同じ顔をしていながらも兄とは決定的に別人のヤトを——きっとそこにいるだけでリアンの死を実感してしまう、悪趣味で不出来な偽物を糾弾したいのだろうか?
 それなら、それでもいい。
 もしミアが、ヤトという存在を赦さないのであれば。ここが終わりだとしても、未練はあっても後悔はない。

「ヤトさんは兄さまじゃありません。……粗雑で、喋り方も全然違う……なのになんで、同じように優しいんですか? 違うのに、違うはずなのに、おんなじところもあって」
「……ミア?」

 しかしヤトが思っている以上に、ミアの感情は混濁していた。
 許否きょひのように明確な白黒を付けられるものではなく。渾沌と混じり合った灰色の、ヘドロのように重く粘ついた、決して割り切れない心の波。
 それがぽつりぽつりと、彼女の唇から漏れていく。

「わたしを心配する顔も、歩き方も、好きな味も、考えるときに首の骨を鳴らす仕草も、長風呂なところも! 別人だって思いたいのに、たまにどうしても兄さまが重なって……わたしの中で混ざるんです!」

 悲痛な叫びには、明確な恐れがあった。
 ヤトそのものへの恐怖ではない。ヤトと接することで——兄と同じ顔をした誰かといっしょにいることで、リアンのことを忘れてしまうことへの恐れ。

「あなたといると、兄さまがまだ生きているような気がして、だけど兄さまはもういなくって。記憶の中の兄さまが、知らない間にあなたに塗りつぶされていく!」
「オレは……この家のこともほとんど思い出せないままだし、親なんて顔もわからない。体が同じでも、リアンとは別人だ」
「そんなことわかってます! ああ……だけど。あなたがいっそ、完全に兄さまとおんなじか、それともまったくの別人だったらよかったのに」

 小さな手がヤトの胸へすがりつくように伸ばされ、服をぎゅっと掴んだ。
 寂しがりのミアにはまだまだ頼るべき兄が必要で、しかしヤトと兄を重ねれば重ねるほど、彼女の中でリアンの記憶は薄れていく。ヤトという偽物に塗りつぶされていく。

「あなたは誰なんですか? 兄さまなんですか? それとも……違う人なら、どうしてそんなに、同じくらい優しくしてくれるんですか?」
「——っ」

 胸に顔をうずめ、すすり泣くミア。小さな背がその軽い体重をすべて預け、握る手に力が籠もり、服の生地といっしょにその下の皮膚まで巻き込んでつかむ。
 わずかに痛みを感じながらも、ヤトはミアを振りほどこうとはせず、かといってその肩を抱こうともしなかった。

「うぅ、う……っ、ひぐっ、ぁ」

 胸の中で泣きじゃくる少女を、慰めることもできず。
 掛ける言葉などなくて当然だ。そもそも本当の意味でヤト自身から発せられる言葉など、なに一つとしてありはしないのだから。
 ヤトという人間のふりをしたなにか。その正体とは、リアン・ムラクモの心臓に今も絡みつき、止まったはずの拍動を再開させた、黒く小さい、不気味で不吉な生き物。
 虫けらは意識を持たない。持っていたとしても、それは限りなく本能そのものに近い、単純極まりないただの分類パターンだ。

 ゆえに発する口も、参照する記憶も経験も借り物で、意識さえも宿主の脳によって演算されるヤトに、自分自身で語れることなどあるはずもない。
 本当のヤトは、死骸に寄生しなければろくにものを考えることさえできない、惨めに蠢く虫のような生物でしかないのだから——
 肩を抱いて慰める資格など、あるはずがないのだ。
 ヤトは両腕を垂らし、少女が泣き止むまでの間、口を噤んで待ち続ける。
 遠く暗い空では、無数の星が瞬いていた。
 そのどれかひとつにでも、ミアの願いを叶えてほしい。ぼんやりと、そんな不可能を想った。



 翌朝早く、ヤトとミアは屋敷を発つ。
 今日はヤトが目覚めた洞窟を見てみることになっていた。
 診療所へ着くと、ノルトはちょうど奥の部屋から出てくるところだった。見慣れた白衣姿。

「来たか。ずいぶん早いが、朝食はもう摂ったのか? まだであれば、今日もワタシが振る舞っても——」
「いや、いい」
「えっ、遠慮します!」
「——そうか……。まあ、きちんと食べたなら問題はない。では早速行くとしよう」

 声色に変化はなく、だが少しだけ肩を落とした様子でノルトが二人を先導する。特に地図を持っているようでもなかったので、近辺の地形はすべて頭に入っているらしい。
 そしてその手に地図はなかったが、代わりに握りこぶしほどの黒い石が収められた、奇妙なランタンのような手提げの道具がある。
 それがなんとなく、ヤトは気になった。

「あの、ヤトさん。昨日のこと……」
「ん?」

 道具について問いただす前に、隣を歩くミアが言いづらそうに切り出してくる。
 昨夜、泣き疲れたミアを布団へ運んでから、ろくに会話も交わしていない。朝もどこかぎくしゃくした感じだった。

「すみません、わたし、ひどいことを言ってしまって」
「そんなことか。気にするなよ、オレは平気だ」
「……ごめんなさい」

 ミアはしゅんとうつむき、まだ申し訳なさそうに唇を引き結む。
 事実ヤトは気を遣っていて、昨夜の出来事は深く心に残っている。
——あなたがいっそ、完全に兄さまとおんなじか、それともまったくの別人だったらよかったのに。
 リアンの死骸に寄生したヘルツェガヌムによって生じた意識である以上、ヤトの中から、リアンに継いだものを捨てきることはできない。
 だが、逆ならば——

(オレが、本当にリアンになれたら……)

 だからこそ、ともすると足取りが早くなってしまいそうになる。
 気が急いて仕方がない。
 しかしミアに合わせてやっているのか、ノルトの歩調は遅い。ヤトもそれを追い越すわけにもいかなかった。
 昨日は、幼少期のことをわずかにだけ思い出せた。だがまだまだ、記憶の空白を埋めるには足りない。断線した多くの記憶をつなぎ直すには至らない。
 目が覚めたあの場所に出向けば、もっとより多くを思い出せるかもしれない。
 否、ヘルツェガヌムのヤトがリアン・ムラクモになるには、そうでなくてはならない。
 そうでないと、いけないのだ。
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