ダブルロール:死骸人形(マリオネット)の罪科

彗星無視

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Chapter1:死骸人形と欠けた月

第十六話:軍帽

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「……! ここは」
「どうやら最深部のようだな。広々とした場所だ……湿気も感じる。どこかに水でも貯まっているのか」

 魔術具の灯りが、その地下の広間を占める闇へと淡い光を投げかける。天井は高く、向かい側の壁も、照らしきれない暗闇に阻まれて拝めはしない。
 ヤトにとって、どことなく覚えのある空間だった。
 ここで目を覚まし、今の自分が始まったのだ。心臓に寄生するヘルツェガヌムによって起き上がった、いびつな死骸人形としての生が。

「早速、調べてみましょうっ」
「そうしよう。あの時は周りを見る余裕なんてなかったし、だいいち灯りもなくて手探りで進むしかなかった。……今なら、なにか見つかるかもしれない」

——否、見つけなくては。
 ノルトの灯りを頼りに、三人で広間を見て回る。
 地面にしゃがみ込み、ごつごつとした壁面に触れ、岩の合間からか細く流れる湧き水に目を落とす。
 一時間近く、静寂の広間を右往左往していただろうか。
 ヤトの焦燥とは裏腹に、必死の調査も虚しく大したものは見つからなかった。
 発見できたのは、せいぜい地面の隅をうにょりうにょりと這う黒い環形動物くらいのものだ。ヘルツェガヌムはやはりこの洞窟に生息しているらしい。

「……くそっ!」

 成果のない苛立ちから、ヤトは思わずその虫を踏み潰してやりたい衝動に駆られたが、それが一種の同族殺しだとすぐに気が付き、八つ当たりの気勢さえ削ぐやるせなさに苛まれた。

「足跡らしきものは辛うじて確認できたが、あまり動き回ったという感じではない。リアンの死体をここまで運んで、遺棄をしてすぐに帰っていった……か。余計な痕跡を残さない、周到な人間だったのかもしれない」
「思えば、兄さまの遺体にヘルツェガヌムが寄生してヤトさんが目を覚まさなければ、ここに遺体があったことも誰も気づかなかったんですよね……。偶然、だったんでしょうか?」
「ワタシも同じ疑念を抱いている。リアンを遺棄した者は、この洞窟にヘルツェガヌムが生息していることを知っていたのかもしれない」
「そんな——どうしてそんなことをしたんでしょう? 兄さまを殺めておいて、なのに魔導生物を寄生させる……ああでも、その二つが同じ人に画策されたと決まったわけでもないんですよね」

 ある種の蘇りだ。もっとも記憶を失い、その性格や話し方が大きく異なるが。

「別人だとしても、魔導生物を利用して人を蘇らせるなどまともな発想ではない。なにを思ってそんなことをしたのかわからないが——」
「ノルトさん?」

 ノルトは、先と同じくどこか冷気を帯びた声で返答をしながら、ヤトの方へと視線を移す。

「——ヤト。念のため訊いておくが、なにか思い出したことはないか?」
「……いや、なにも。なにも、思い出せない」
「そうか。訃報を受けた以上、リアンが学院で死んだのは確実だ。この洞窟に遺棄された時、既に絶命して意識はなかった……記憶にないのは道理だ。仕方がない」
「仕方がない? んなこと言っても——オレはっ!」

 知らず声を荒げる。しかし虫を踏み潰すのと同じで、ノルトに当たり散らしたところでなんら意味はない。
 記憶の復元。現在の自分を破棄した、本物のリアン・ムラクモの復活。
 長い時間を過ごしてきた村の屋敷でそれが果たせなかった以上、ここが生前のリアンを探るための糸口をつかむ数少ないチャンスの場だった。
 しかし、もとよりそれはか細く、どこまでも頼りない糸だ。空振りに終わるのも不思議ではない。
 そもそもリアンは死んだのだ。

「くそ……くそ! 思い出せ、思い出せ、思い出せ。同じ体、同じ脳みそのはずだろうが……!」

 奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めながら、あまりに堅牢な記憶の蓋をこじ開けようとする。だがこんなものは単なる悪あがきに過ぎず、気合いでなんとかなるくらいなら、とっくにヤトはリアンの聡明さも泰然さも体現できている。
 同じ肉体、同じ脳。しかし心臓が違う。魔力を宿す血流を送り出す心の臓には、今や一匹の黒い虫が絡みついている。
 それ以前に、ヒトの人格とは多分に偶発的だ。
 後からその人間に成り代わることなど、土台不可能な話なのだ。仮に喪失した記憶の大部分を取り戻そうとも。

(ミア……!)
 
 どうしようもない焦燥感に駆られながら、横目で同じ血を引く少女を見る。
 兄を失ったミアが不憫で、同じ体を持つにもかかわらず力になれない、偽物の自分がひたすらに情けなかった。
 なぜ自分はリアンになれない? どうして、ミアを苦しませてしまう?
 兄がいなければミアは独りだ。両親も既に他界し、親戚もいない。
 誰かがそばにいなければ。彼女を守らねば。

(でも……オレじゃ駄目なんだよ!)

 ヤトでは役目を果たせない。中途半端にリアンに近しいヤトでは、ミアはいっしょにいても辛くなるばかりだ。
 だから、ヤトは完璧にならなければならなかった。虫の意識を消し去り、完璧なリアン・ムラクモに——
 しかし記憶は戻らず、彼の行動をたどる手がかりも得られない。
 もはや、断念するしかないのだろうか。

(……考えてみれば、ミアにはノルトがいてくれる。家族じゃないが、家族同然の友人が。なら……)

 ミアを苦しめるだけの偽物は、とっとと退場するのが彼女のため。
 断腸の思いで、ミアのそばを離れる決意を固めかけた時。

「ふむ。どうやらここまでのようだな……残念だよ。ヤト」
「……あ?」

 思考さえ凍り付かせるような温度で、白衣の女が言う。

「実に残念だ。ワタシとしても、リアンが最期になにを思ったのかなんとしてでも知りたかった。だが、もはや真実は闇の中に消えたようだ」
「ノルト、さん?」

 それはヤトも、ミアもおそらくは聞いたことがないほど、ぞっとする声色だった。
 いつもの淡々とした口調でさえ、彼女なりの温かみがあったのだと、その冷え切った声に理解する。

「突然なんだよ? お前、なに言って……」
「しかし残念ながら、キミに記憶が戻り、リアンが死に至った理由がわかったとしても——リアン当人が還ってくることはない。ならばワタシもいよいよ、本懐を果たすべきだろう」
「……っ!」

 ノルトはにわかにその手に持つ発光する黒い石のランタンを掲げると、ゆらゆらと揺らしてみせた。
 灯りの動きを合図に、入り口の暗闇からいくつもの足音が響いてくる。どこか威圧的なその合奏は、すぐに広間の中へと侵入を果たす。
 闇からなだれ込むように現れたのは、総勢五名の、背景に溶け込む濃紺の詰め襟を着た者たち。

「誰だお前ら……ミア! こっちに来い!!」
「はっ、はい!」

 豹変したノルトの雰囲気といい、突然現れた五人組といい、なにかがおかしい。
 異常な危険さを察知したヤトは、即座に悩むのも落ち込むのも止め、とにかくミアの安全を確保するべく彼女をそばへ呼ぶ。
 そしてかばうようにして前に立つと、詰め襟たちを睨みつけた。
 彼らはまったく同じ制服で、制帽も被っている。また、一様に腰には剣も佩いていた。
 ヤトも学院の制服を着用しているが、現れた者たちのそれはポラリス魔術学院のものとは色も違えば意匠も違う。心なしか、より相手を威圧するような風情があった。

「物騒なものを提げてなんのつもりだ! それにその制服……村の人間じゃないな!?」

 詰め襟たちはヤトの詰問に沈黙で返した。そこへ、背中越しのミアが代わりに答える。

「あれは軍服です。軍人です、あの人たち……!」
「軍だとっ?」
「はいっ! 帝国軍人の……所属まではわかりませんが、サーベルを帯びているということは魔術師ではなさそうです。たぶん、ですけど」

 軍の人間がなぜこんな場所に?
 疑問が頭に噴出したヤトだったが、案外類推は可能だった。
 そもそもこの場に赴いた三人には、ひとり、軍と関係のある人物がいる。

「ノルト……お前、まさか」

 フェルゼン村で医師として診療所を持つ、白衣の女。
 それはノルト・アロナブランという人物が持つ側面の一つに過ぎない。
 医師ではなく魔術技師。そして診療所ではなく、魔術通話機のある駐在所。
 ノルトの本分はあくまで、帝国の各所に派遣されては、連絡と魔術通話機の調整を行う魔術技師なのだから。
 つまりは軍部の一員。彼女ら軍お抱えの魔術技師たちは、ここベイン帝国の極めて重要な目であり、耳であり、口でもある。
 そして今回、その耳にはリアン・ムラクモの情報が届き、その目がヤトという蘇ったリアンの死体を発見し、その口が存在を軍部の中枢へリークした。

「そのまさかだ。悪いな、ヤト……それにミアちゃん。キミたちには本当に、心底から、悪いと思っている」

 氷の声で、ノルトは白衣の中から濃紺の薄いものを取り出し、頭へ被る。
 軍帽だった。

「やっぱりノルト、お前が軍の人間を呼んだのか。思えばここへ来る提案をしたのもお前だった。オレたちの後をつけさせて……つまりオレたちは罠にまんまと誘い込まれたわけだ」
「罠? そんな……嘘ですよね?」
「残念ながら本当だよ、ミアちゃん。浅からぬ付き合いだ、ことのいきさつくらいは話すとも。——キミたちも、それくらいはいいだろう?」

 軍帽を被ったノルトは、同じ帽子のひとりに呼びかける。どうやらその男が五人の中ではリーダー格のようだ。

「あまり時間を取らないでいただけますと」
「わかっているさ、少しだけだ。彼らにもそれくらいの権利は与えられて然るべきだろう」
「では」

 五人はノルトのそばで直立する。不用意に動かず、無駄口も叩かない姿は、まさに厳しい規律の中で鍛え上げられた兵士の姿だ。
 そんな人間を五人もヤトたちに隠して連れてきた。その時点で、彼女の語る『いきさつ』が穏便なものではないことは容易に察せられた。
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