壮真理人のサードアイ

狗嵜ネムリ

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 こんなにも張り詰めた空気の中、握り合った手には不思議と汗をかいていなかった。
「とっとと片付けてすぐに戻る。それまでリオ達を頼んだぞ、國安」
「お、おう。あんた達も気を付けろよ」
 非常階段を駆け下りながら、煌夜は理人の背中を見つめていた。いつだって自分を守ろうとしてくれていた、この大きな背中。あのフロアで、いや、欲望に塗れたこの街で……煌夜が唯一無条件で信頼し愛すことができる男。
「り、ひと……」
 それが理人だ。壮真理人という男だ。
「――理人っ!」
「どうした?」
「一階にいます。柳田悠吾です。恐らく一人だと思います」
「分かるのか、煌夜」
 振り返った理人に、煌夜は額の汗を拭いながら強く頷いてみせる。
「理人を待ってます。音楽と、スポット。……黒服の手下はいません。隠れてる様子もない。正真正銘、一人です」
「煌夜、お前……」
「行きましょう理人。思ったより早く終わりそうです」
 煌夜の瞳孔がおかしい。焦点もどこか合っていない。きっと理人はそう思っただろう。
 煌夜自身、一階のフロアに佇む悠吾の姿をこの顔についている二つの目で見た訳ではない。頭のてっぺんから額、そして眉間の辺りに激痛が走り、ビジョンはそこで捉えていた。
 ――恐らく、「開き始めている」のだ。そうとしか形容できない痛み、そして現実だった。
「っ、……」
 煌夜は割れるように痛む額を押さえながら、それでも理人のために走り続ける。吉か凶か分からない、今も開眼し全てを見据えようとしているこの「第三の目」を利用して。
「國安達は無事です。リオはまだ眠ったままですけど、上手く隠れられてる。グループの奴らがVIPにいる様子もありません。あの場にいた客も皆避難したようです」
「よっしゃ。それじゃ後はボスを倒すだけだな」
「あ」
「な、何だよ? 煌夜、どうした」
「……いえ、何でもありません。大したことじゃないです」
 眠り続けるリオに國安がキスをしたのは、一応黙っているべきか。煌夜は口元を弛めて笑い、三階フロアへ向けていた目を閉じた。

 理人の言う通り、残るは柳田悠吾ただ一人だ。

 一階の非常扉を前に、煌夜は理人の背中に手を置いて囁いた。
「この向こうにいます。理人が来ると分かっていて待っています。突然何をされるか、未来のことまでは俺には見えません。……気を付けて下さい」
「いきなり撃たれる可能性もあるってことか」
「奴の性格上、それは無さそうですが……」
 扉の向こうでは客に放置されたままの音楽が未だ鳴り続けている。重低音のサイケトランスが足の裏から体中へと這いずり、まるで自身の血肉となって行くような不思議な感覚に、理人は深呼吸して少しだけ笑った。
「行くぞ、煌夜。お前は俺の後ろにいてくれ」
 鉄製のドアを開いた先に広がっていたのは、まさしく宇宙だった。
 飛び交う色とりどりのフラッシュライト、ミラーボールからまき散らされる細かな白い光の粒、そして空間さえも激しく震わせるバックミュージック。
 柳田悠吾は、そんな宇宙空間で理人が来るのを待っていた。
「何だよ、俺がいるって分かっていたような顔しやがって」
 つまらなそうに目を細めて理人を睨む悠吾。始めから自分のことは眼中にないのだと煌夜は悟り、ならばと理人の邪魔にならないよう閉じたドアに背をつけた。
「………」
 理人は一言も発さない。ただ目の前の敵を睨み付け、だけどいつでも切り込めるように、悠吾の最初の行動にすぐさま対応できるように、体中の神経を研ぎ澄ませながら構えている。
「……ふ、……」
 悠吾が微笑とも溜息ともつかない息を漏らした瞬間、理人が床を蹴り暗闇の宇宙へと飛び込んだ。
「っ──!」
 振り上げた拳が的確に悠吾の左頬を捕らえる。鈍い音がして悠吾がよろめいたが、第一撃で体を床へと吹っ飛ばすことはできなかった。
 バランスを立て直した悠吾が鋭い拳を理人の腹へと叩き込む──が、素手での殴り合いでは流石に理人の方に分があるようだった。子供の頃から常に守られてきた悠吾と違い、理人は自身の力とその拳で今日までの人生を勝ち取ってきたのだ。
 鳩尾の奥へと悠吾の拳が到達するより前に、理人はその腕を制していた。
 そのまま頭を仰け反らせ、──勢いよく悠吾の顔面へと頭突きを喰らわせる。
「ぐっ、……ク、ソがぁ……!」
 溢れ出る鼻血を押さえながら悠吾が理人から離れた。「いってぇ……」理人自身も赤くなった額を押さえて天を仰いでいる。
 煌夜は祈る思いでその光景を見つめていた。素手でのまともな格闘なら理人は負けはしないだろう。だけど悠吾は得体のしれない不気味さを持つ男だ。それに、理人よりもずっと多くの物を強引に手にしてきた。人生において思い通りにならないことなど一度だってなかった。だからこそ許せないのだ、面と向かって刃向かってきた男の存在が。
 恐らくは理人も言っていた通り、武器を隠し持っているはずだ。どうにかしてそれを抜くタイミングさえ読めれば──煌夜は少しだけ痛みが引いてきた額へ、今一度意識を集中させる。
「てめぇ、壮真理人。……タダで済むと思ってんじゃねえぞ」
「別に、何とも思ってないけど。アンタが俺を気に入らないように、俺もアンタが気に入らない。ただそれだけだ」
「下っ端の雑魚風情が、調子に乗りやがって」
「だから俺はアンタのグループから出る。それはアンタも認めてたはずだ。……これで対等だろ」
「………」
「柳田悠吾。てめえは絶対に許さねえ」
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