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第二章 カスガイくんは、新居で一緒に暮らしたい
2-11 レディがロップイヤーになっております!
ユラという名のまさかの壁が、イリスの隣で立ち上がる。マシュマロソファのすばらしい弾力を利用して、ぼよよんと勢いよく。そのまま背中を向けて部屋を出て行こうとするユラの両腕を、イリスとギルモンテがすかさず両サイドからがしっと掴んでぶら下がった。
「待ってください、ママ! どうしてですかっ!?」
「や、やっぱりワタクシでは駄目なのでしょうか? 確かに皆様のようなキラキラオーラはございません、分不相応なのは百も千も承知しております! ですが、そこを何とか是非! せ、せめて面談の場を! ワタクシのなけなしのスキルを存分にアピールさせていただくことができれば、万に一つの勝機が――!」
「必要ないよ。君もタフィーも好き。一途で健気で献身的なところが特に。今みたいに強かなところもすごくいい」
「アワワワワ、ワ、アリガトウゴザ……ごふっ!」
ホンキバタンの執事は白い顔を赤く点滅させたかと思うと、すぐにドカンと冠羽を爆発させた。ユラによる「好き」の破壊力を目の当たりにしたイリスは、むしろ冷静になって真顔で頷く。わかる。あんなとんでもないものまともにくらったらそうなっちゃう。わかる。
「……で、ではなぜ!? この屋敷ですか? この屋敷のことがお気に召しませんでしたか!?」
「それもない。きれいだし、あったかくて優しいし、すごく居心地がいいと思う。……だからかな。だからこそ、やだって言うか。うん、とりあえずそういうことにしておいて」と、何やら煮え切らない発言をしてから、ユラは精霊と、その精霊の頭の上にいる半精霊をじっと見つめる。
「君たちは今までどおり、ここにいて。ずっといてくれるほうがうれしい。でも俺たちは――というか俺は、ここには住まない。イリスにも、ごめんだけどね。でもイリスが来たいって言うなら、いつでも遊びにくるよ。これからも君たちの幸せのための助力は惜しまないから、遠慮せずに何でも頼って」
「で、でしたら、それなら今ここで、お言葉に甘えさせていただけないでしょうか! ワタクシとレディの一番目の前にある幸せは、皆様と一緒にここで暮らすことですっ!」
「ギルモンテさん……!」
精霊が言葉に込めた確固たる意志が、イリスの胸と目頭を熱くさせる。そしてどうやら心を打たれたのは自分だけではなかったらしい。捕まえていた腕からゆっくりと力が抜けるのを感じて、イリスは反射的にユラを見上げる。
あ、めちゃくちゃ困った顔してる。視線を泳がせながら「あー」とか「うー」とか唸ってる。かわいい。一生見てたい。でも、残念ながら今がチャンスだ! このまま押し切れ!
「わかりました! では――えーっと、その、アレです! 勝負しましょう、ママ!」
「え、勝負? 俺と誰が?」
「ボクとギルモンテさんとタフィーさんの連合チームがです! ルールは簡単! ママがこのお屋敷から出られたらママの勝ち! ママがここを出る前に、ボクたちがママを捕まえたらボクたちの勝ち! 負けたほうは勝ったほうの意見に従う!」
「ふふん、なるほど。おもしろいこと考えるね、イリス」
ユラの赤い目が、好奇心できらりと揺れる。よし、餌に食いついた! あとは釣竿を引っ張り上げるだけ!
(でもその条件のままじゃ、圧倒的にこっちが不利だ)
ギルモンテとタフィーの魔法を使ってもらうことを前提としてはいるものの、それでも明らかにチームイリスの敗色が濃い。ユラの脅威的な身体能力は知り尽くしている。確実に勝利するためには、それなりのアドバンテージが必須だった。
どうやらユラも同じことを思っていたらしく、軽く首を傾げながらにこりと笑う。
「でも、いいの? それだと俺に有利すぎない?」
「ですよね! ではハンデをつけさせてくださいもちろんですよありがとうございます! まず、ゴールは一階の玄関ホールの扉です。そこ以外から出ちゃだめです。三階や二階の窓から飛び降りるとかは禁止です」
「お、ショートカットを封じられた。やるね、イリス」
「そしてママがボクたちやタフィーさんのぬいぐるみに抱きつかれたら、その時点でアウトです。あ、ママのほうから触ったり殴ったり蹴ったりする分にはオッケーです」
「さすがに殴ったり蹴ったりはしないけど。――うん、わかった。いいよ、やろうやろう。あ、じゃあ俺からもひとつ」と、子どものように無邪気に手を打って、ユラが笑う。
「扉の鍵は開けておいてね。壊したくないからさ」
それは明らかな勝利宣言だった。妨害だろうと何だろうと全て蹴散らして、当たり前のようにゴールするつもりでいる。とてもユラらしい。さすが推し。そういうところも大好きだ。だからこそ、こちらも全力で戦う。
「望むところです! 勝負です、ママ!」
行儀悪くもユラに指先を突きつけながら宣言したイリスの隣に、タフィーが音もなく降り立った。そのまま、しゅっしゅっとシャドーボクシングをする。軽快なステップ。流れるようなアッパー。鋭くひねる腰にチャンピオンベルトの幻が見える。
そしてすっかりできあがった三人を「え、えっ? 勝負、ですか? 本気で? ワタクシも?」と、光の速さで交互に見つめるギルモンテ。
とにもかくにもそういうことで、謎の鬼ごっこが始まったのだった。
「ギルモンテさん、もっと壁! 壁をどんどん生やしちゃってください! 落とし穴も、いっそ床ごと消しちゃう勢いで!」
「はい、それはもう頑張っております! ですが作ったそばから突破されてしまって、とてもじゃないですが追いつけません!」
「ぬいぐるみ弾幕が薄いですよ、タフィーさん! フルコンボを決める勢いでガンガン畳みかけないとママは止められません!」
「ああ、レディが! レディがロップイヤーになっております! なんということでしょう、魔法を使いすぎて耳が垂れるほど疲弊しているレディを見たのはワタクシ初めてでございます! ユラ様、恐ろしいお方……!」
二階へ降りて玄関ホールに続くバルコニーへとダッシュするユラを、イリスを腕に抱えてタフィーを肩に載せたギルモンテが追う。
『廊下自体をどこまでも長く伸ばす』という、初めて見るギルモンテの魔法がなければ、おそらくものの数分で勝負は決まっていただろう。
それほどユラが速い。あまりにも速すぎる。先ほど一緒に屋敷を探索していたときとは、まるで比べ物にならない。
立ちはだかるマシュマロブロックを一瞬で一掃し、さらにぬいぐるみアタックを紙一重で避け続ける。床を蹴り、壁を蹴り、天井までも蹴りながら、スーパーボールも真っ青な軌道で駆け抜ける。
本当に勇者なのだ。最強の。そして、最速の。
必死で追わなければいけないはずなのに、ついつい見とれて思考力が鈍ってしまう。それはほかの二人も同じだったらしい。「本当に雷のように激しい輝きを放つ方ですね……」という、ため息とともにはき出された執事の言葉に、イリスと淑女はこくこくと何度も頷いた。
「そしてここで大変残念なお知らせがっ、ホッホッポー! 廊下を長く伸ばす魔法にもっ、ホッホッポー! 限界が、ございましてっ」
「だ、大丈夫ですかギルモンテさん? 呼吸がラマーズ法みたいになってます!」
ぜーはーぜーはーしながら必死に走ってきたギルモンテだったが、その速度が目に見えて落ち始めた。そうだ、いつもは最強の魔王にばかり頼っていたから気づかなかったが、普通の人間――ギルモンテは精霊だが――は、こうやってちゃんと普通に疲れるものなのだ。
そう考えて、イリスはマオが追ってこないことに気づく。どうしたんだろう。ひょっとして寝ているのだろうか。
「ごめんなさい、ギルモンテさん。ボク降りますから、ちょっと休んでください。ギルモンテさんはこのお屋敷の中なら、どこからでも魔法を使えるんですよね? それならボクひとりでママを追いかけます」
「いえいえ、とんでもないことでございますホッホッポー! ぜひ最後までお供させてくださいホッホッポー!」
おかしな語尾みたいになっているし、なんならホンキバタンじゃなくてハトになっているが、精霊はその足を止めない。むしろ加速している。
「それにワタクシ、楽しくてっ」
「楽しい、ですか?」
「はい! ワタクシ、生まれて初めて走りました! とっても息が切れます、なんて大変なんでしょう!」
ホッホッポー! と、さけぶ声が本当にうれしそうだったので、つられてイリスも笑ってしまう。
「そうなんです、大変なんです。パパとママは、魔王と勇者ですから。とっても強い人たちだから、とっても大変なものを背負っていて、だからこそ一緒にいると、とってもとっても楽しいんです」
「ああ、それはとてもとてもすばらしいですホッホッポー! ぜひワタクシもレディも、その恩恵の一端にあずかりたく――あー! ユラ様がもう二階のバルコニーを降りていかれました! レディレディ、玄関ホールにぬいぐるみを敷き詰めてください! 最後の抵抗です、バリケードをつくってしまいましょう! ほらほら頑張って! 耳ぴーんとして!」
「バリケード……」
ギルモンテの言葉に引っかかりを感じたイリスは、その部分を脳内で復唱する。
ぬいぐるみのバリケード。ユラを止められるぬいぐるみ。
そんなものがあるとしたら、それは。その形は、きっと――。
「タフィーさん、お願いがあります!」
「待ってください、ママ! どうしてですかっ!?」
「や、やっぱりワタクシでは駄目なのでしょうか? 確かに皆様のようなキラキラオーラはございません、分不相応なのは百も千も承知しております! ですが、そこを何とか是非! せ、せめて面談の場を! ワタクシのなけなしのスキルを存分にアピールさせていただくことができれば、万に一つの勝機が――!」
「必要ないよ。君もタフィーも好き。一途で健気で献身的なところが特に。今みたいに強かなところもすごくいい」
「アワワワワ、ワ、アリガトウゴザ……ごふっ!」
ホンキバタンの執事は白い顔を赤く点滅させたかと思うと、すぐにドカンと冠羽を爆発させた。ユラによる「好き」の破壊力を目の当たりにしたイリスは、むしろ冷静になって真顔で頷く。わかる。あんなとんでもないものまともにくらったらそうなっちゃう。わかる。
「……で、ではなぜ!? この屋敷ですか? この屋敷のことがお気に召しませんでしたか!?」
「それもない。きれいだし、あったかくて優しいし、すごく居心地がいいと思う。……だからかな。だからこそ、やだって言うか。うん、とりあえずそういうことにしておいて」と、何やら煮え切らない発言をしてから、ユラは精霊と、その精霊の頭の上にいる半精霊をじっと見つめる。
「君たちは今までどおり、ここにいて。ずっといてくれるほうがうれしい。でも俺たちは――というか俺は、ここには住まない。イリスにも、ごめんだけどね。でもイリスが来たいって言うなら、いつでも遊びにくるよ。これからも君たちの幸せのための助力は惜しまないから、遠慮せずに何でも頼って」
「で、でしたら、それなら今ここで、お言葉に甘えさせていただけないでしょうか! ワタクシとレディの一番目の前にある幸せは、皆様と一緒にここで暮らすことですっ!」
「ギルモンテさん……!」
精霊が言葉に込めた確固たる意志が、イリスの胸と目頭を熱くさせる。そしてどうやら心を打たれたのは自分だけではなかったらしい。捕まえていた腕からゆっくりと力が抜けるのを感じて、イリスは反射的にユラを見上げる。
あ、めちゃくちゃ困った顔してる。視線を泳がせながら「あー」とか「うー」とか唸ってる。かわいい。一生見てたい。でも、残念ながら今がチャンスだ! このまま押し切れ!
「わかりました! では――えーっと、その、アレです! 勝負しましょう、ママ!」
「え、勝負? 俺と誰が?」
「ボクとギルモンテさんとタフィーさんの連合チームがです! ルールは簡単! ママがこのお屋敷から出られたらママの勝ち! ママがここを出る前に、ボクたちがママを捕まえたらボクたちの勝ち! 負けたほうは勝ったほうの意見に従う!」
「ふふん、なるほど。おもしろいこと考えるね、イリス」
ユラの赤い目が、好奇心できらりと揺れる。よし、餌に食いついた! あとは釣竿を引っ張り上げるだけ!
(でもその条件のままじゃ、圧倒的にこっちが不利だ)
ギルモンテとタフィーの魔法を使ってもらうことを前提としてはいるものの、それでも明らかにチームイリスの敗色が濃い。ユラの脅威的な身体能力は知り尽くしている。確実に勝利するためには、それなりのアドバンテージが必須だった。
どうやらユラも同じことを思っていたらしく、軽く首を傾げながらにこりと笑う。
「でも、いいの? それだと俺に有利すぎない?」
「ですよね! ではハンデをつけさせてくださいもちろんですよありがとうございます! まず、ゴールは一階の玄関ホールの扉です。そこ以外から出ちゃだめです。三階や二階の窓から飛び降りるとかは禁止です」
「お、ショートカットを封じられた。やるね、イリス」
「そしてママがボクたちやタフィーさんのぬいぐるみに抱きつかれたら、その時点でアウトです。あ、ママのほうから触ったり殴ったり蹴ったりする分にはオッケーです」
「さすがに殴ったり蹴ったりはしないけど。――うん、わかった。いいよ、やろうやろう。あ、じゃあ俺からもひとつ」と、子どものように無邪気に手を打って、ユラが笑う。
「扉の鍵は開けておいてね。壊したくないからさ」
それは明らかな勝利宣言だった。妨害だろうと何だろうと全て蹴散らして、当たり前のようにゴールするつもりでいる。とてもユラらしい。さすが推し。そういうところも大好きだ。だからこそ、こちらも全力で戦う。
「望むところです! 勝負です、ママ!」
行儀悪くもユラに指先を突きつけながら宣言したイリスの隣に、タフィーが音もなく降り立った。そのまま、しゅっしゅっとシャドーボクシングをする。軽快なステップ。流れるようなアッパー。鋭くひねる腰にチャンピオンベルトの幻が見える。
そしてすっかりできあがった三人を「え、えっ? 勝負、ですか? 本気で? ワタクシも?」と、光の速さで交互に見つめるギルモンテ。
とにもかくにもそういうことで、謎の鬼ごっこが始まったのだった。
「ギルモンテさん、もっと壁! 壁をどんどん生やしちゃってください! 落とし穴も、いっそ床ごと消しちゃう勢いで!」
「はい、それはもう頑張っております! ですが作ったそばから突破されてしまって、とてもじゃないですが追いつけません!」
「ぬいぐるみ弾幕が薄いですよ、タフィーさん! フルコンボを決める勢いでガンガン畳みかけないとママは止められません!」
「ああ、レディが! レディがロップイヤーになっております! なんということでしょう、魔法を使いすぎて耳が垂れるほど疲弊しているレディを見たのはワタクシ初めてでございます! ユラ様、恐ろしいお方……!」
二階へ降りて玄関ホールに続くバルコニーへとダッシュするユラを、イリスを腕に抱えてタフィーを肩に載せたギルモンテが追う。
『廊下自体をどこまでも長く伸ばす』という、初めて見るギルモンテの魔法がなければ、おそらくものの数分で勝負は決まっていただろう。
それほどユラが速い。あまりにも速すぎる。先ほど一緒に屋敷を探索していたときとは、まるで比べ物にならない。
立ちはだかるマシュマロブロックを一瞬で一掃し、さらにぬいぐるみアタックを紙一重で避け続ける。床を蹴り、壁を蹴り、天井までも蹴りながら、スーパーボールも真っ青な軌道で駆け抜ける。
本当に勇者なのだ。最強の。そして、最速の。
必死で追わなければいけないはずなのに、ついつい見とれて思考力が鈍ってしまう。それはほかの二人も同じだったらしい。「本当に雷のように激しい輝きを放つ方ですね……」という、ため息とともにはき出された執事の言葉に、イリスと淑女はこくこくと何度も頷いた。
「そしてここで大変残念なお知らせがっ、ホッホッポー! 廊下を長く伸ばす魔法にもっ、ホッホッポー! 限界が、ございましてっ」
「だ、大丈夫ですかギルモンテさん? 呼吸がラマーズ法みたいになってます!」
ぜーはーぜーはーしながら必死に走ってきたギルモンテだったが、その速度が目に見えて落ち始めた。そうだ、いつもは最強の魔王にばかり頼っていたから気づかなかったが、普通の人間――ギルモンテは精霊だが――は、こうやってちゃんと普通に疲れるものなのだ。
そう考えて、イリスはマオが追ってこないことに気づく。どうしたんだろう。ひょっとして寝ているのだろうか。
「ごめんなさい、ギルモンテさん。ボク降りますから、ちょっと休んでください。ギルモンテさんはこのお屋敷の中なら、どこからでも魔法を使えるんですよね? それならボクひとりでママを追いかけます」
「いえいえ、とんでもないことでございますホッホッポー! ぜひ最後までお供させてくださいホッホッポー!」
おかしな語尾みたいになっているし、なんならホンキバタンじゃなくてハトになっているが、精霊はその足を止めない。むしろ加速している。
「それにワタクシ、楽しくてっ」
「楽しい、ですか?」
「はい! ワタクシ、生まれて初めて走りました! とっても息が切れます、なんて大変なんでしょう!」
ホッホッポー! と、さけぶ声が本当にうれしそうだったので、つられてイリスも笑ってしまう。
「そうなんです、大変なんです。パパとママは、魔王と勇者ですから。とっても強い人たちだから、とっても大変なものを背負っていて、だからこそ一緒にいると、とってもとっても楽しいんです」
「ああ、それはとてもとてもすばらしいですホッホッポー! ぜひワタクシもレディも、その恩恵の一端にあずかりたく――あー! ユラ様がもう二階のバルコニーを降りていかれました! レディレディ、玄関ホールにぬいぐるみを敷き詰めてください! 最後の抵抗です、バリケードをつくってしまいましょう! ほらほら頑張って! 耳ぴーんとして!」
「バリケード……」
ギルモンテの言葉に引っかかりを感じたイリスは、その部分を脳内で復唱する。
ぬいぐるみのバリケード。ユラを止められるぬいぐるみ。
そんなものがあるとしたら、それは。その形は、きっと――。
「タフィーさん、お願いがあります!」
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