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第二章 カスガイくんは、新居で一緒に暮らしたい
2-14 ばあちゃんは俺に対してひどすぎるっ!
「で、結局あの屋敷に住むことになったのかい?」
フロンスファからムーンヘーベンにとんぼ返りすると、ちょうどランチタイムということもあって店内は客でいっぱいだった。どうやらユラのほかに決まった従業員はいないらしく、そのユラも今はカウンターでイリスと仲良く並んで座っている。手伝いを申し出たものの、ぴしゃりとはねつけられてジュースを置かれてしまった。
カフェは、いわゆるフードコートのモバイルオーダーシステムを採用しているようで、イリスの心配をよそに、ブレンゼルのワンオぺ状態でも問題なく回っている。六本の腕を高速で動かしながら注文をさばいていくメンダコの魔物は、まるで熟練の大道芸人のようだ。客はできあがった料理をカウンター脇で受け取りがてら、そんなブレンゼルの姿に目を輝かせている。ひょっとしたらこのパフォーマンスこそが、店の一番の人気商品なのかもしれない。
「よかったじゃないか。こんなに早く新居が見つかって」
「はい! ギルモンテさんも、いつでも来ていいって言ってくれたので、早速これから行くことにしました!」
大きなグラスに注がれたオレンジジュースの甘みが、乾いた喉に優しく染み渡る。そんなごきげんなイリスとは対照的に、ユラはブルーベリージュースの氷をストローの先でつつきながら、なんとも形容しがたい顔をしていた。一度は消し飛んだかに思えたマリッジブルーが、ブレンゼルを目の前にして再び発動してしまったらしい。ちなみにマオは、すぐ近くのアパートメントに戻って荷物を取ってくるということで別行動中である。
「……まあ、ばあちゃんが『どうしてもここにいてくれ』って言うなら? 俺だけ? もうちょっと? ここに残っても? いいんだけど?」
「そうかい。なら、どうしてもここを出ていっとくれ」
「ばあちゃんは俺に対してひどすぎるっ!」
わっと、両手で顔を覆って俯くユラの頭を、イリスはここぞとばかりによしよしと撫でる。こんなに幼くて愛らしいユラを見られるのは、現状ブレンゼルの前でだけだと思うと、ほんの少しの寂しさを覚えると同時に熱意も湧いてくるというものだ。これから一緒に暮らしていくうえで、自分たちにも――主にマオに――こんなふうに甘えてくれたらうれしい。いや、絶対にそんな存在になってみせる! なってもらう! そのために全力で頑張るのだ! レッツエンジョイニューライフ!
「わかってる、わかってますよ。俺だって、いつまでも子どものままでいるつもりはないし。自立するタイミングが来たんだなって、ちゃんとわかってる。――だから、その、なんていうか……」
言いづらそうに、もごもごと。ブルーベリージュースの最後の一口を、ストローでずずっと吸い込んで。こほんと、小さく咳払い。
「……今まで、ホントにあり――」
ジャー! ジャー!
ユラの照れとデレに満ちたウルトラレアな永久保存ボイスを、肉の焼ける豪快な音が完全にかき消した。あ、おいしそう。すっごくいい匂い。けど、今じゃなかった。今じゃなかったなあ。
「あ? なんか言ったかい? ほら、こっちは忙しいんだ。いつまでもそんなところで邪魔してないで、とっとと荷物をまとめて出て行きな」
「ばあちゃんのばかっ! きらい! うそっ! ふんだっ、引っ越したってカフェの手伝いは続けてやるんだからね!」
ユラがぷんすかしながら勢いよく立ち上がり、居住スペースにつながる扉へ向かおうと足を踏み出したところで、なにかを思い出したように振り返る。「そうだ、ばあちゃん。あのさ、これなんだけど――」
そう言って左手の薬指にはめられた指輪をブレンゼルに向けて見せるユラを見て、イリスはごふっとせき込んだ。オレンジジュースが豪快に鼻に入ったが、そんな痛みなど気にしていられない。
(そうだった! 結婚の報告がまだだった!)
いったいどんなふうにブレンゼルに伝えるのだろう。ひょっとして赤くなってもじもじするハイパーウルトラレアなユラが見られるかもしれないと、わっくわくで見守るイリスの目の前で、ユラがおもむろに指輪を抜き――そして、そのまま。
はい、と。
ブレンゼルに。
差し出した。
「……ん?」
指輪を渡される側のブレンゼルよりも先に、イリスの口から疑問の声がすぽんと飛び出す。
ん? んえ? どういうこと? この世界では結婚指輪を親に渡す風習でもあるの? いや、待て。落ち着くんだ。ただじっくりとデザインを見せたかっただけかもしれない。あるいは、その指輪にどれくらいの価値があるか確認してもらうことで遠回しに結婚相手の経済事情を伝え、今後の結婚生活を送っていくうえでのひとつの指針と――「なんだい、この指輪は」「魔王さまの私物だよ。空間転移ができる超貴重な模倣具でもあるから、絶対になくさないでね」
頭の中を洗濯機のようにぐるぐると回しているイリスの上で、祖母と孫の会話が展開されていく。
「そんな大層な代物、なんだってアタシに預けるんだい」
「一種のお守りみたいみたいなものだからさ。まあ、ばあちゃんのというよりは俺にとっての、だけど」
「……」
ブレンゼルは良く言えばさっぱりしていて悪く言えばぞんざいだが、真剣な目をした人の真摯な言葉を茶化すようなひとでは決してない。しばらくユラの顔をじっと見つめたあとで、忙しく動かしていた六本のうちの一本を蛇口から流れ続ける水で洗い、そのままそっとユラへ差し伸べる。
そうして「言い出したらきかないんだからね、この子は」と、呆れたように呟きながら、吸盤のついた触手で丁寧に指輪を受け取った。
「ママママママ!」
目的を達成して「じゃあ俺は部屋で荷物をまとめてくるから、イリスはここでゆっくりしててね」と、もう指輪のない左手をひらひらしながらドアの向こうへと消えていったユラを、イリスは十分ほどたってから猛ダッシュで追いかける。オレンジジュースを飲み干すことと、さきほどのシーンを咀嚼するのに、思わぬ時間がかかってしまった。ついでにブレンゼルに結婚指輪を親に渡す習慣があるのか尋ねてみたところ「知らないけど、他の国にはあるんじゃないかい」という意見をもらえたことを、ここに追記しておく。
「ん? どうしたの、イリス?」
青空が眩しい開放的な部屋の中。てっきり荷物をまとめていると思っていたユラは、フローリングの床の上で大の字に寝そべっていた。
「ママはどうして、パパからもらった指輪をおばあちゃんにあげちゃったんですか?」
「ああ、だってほら、魔王さまも言ってたでしょ? あの指輪は俺が寂しがらないようにするためだって」
「え? え?」
つまり、どういうことなのだろう。さっぱり話が見えないイリスは、大きくて重い頭をサーキュレーターのごとくフリーダムに振り回す。
「ちょっと待ってください、全然わからないです。それは『今度からはパパがおばあちゃんの代わりにそばにいるから、ママを寂しくなんかさせないよ』って意味なんじゃないんですか?」
「ええ? 指輪を渡しながらそんなこと言ったらプロポーズみたいじゃない」
「じゃないんですか!?」
なんということだろう。春日井亮太がイリスになってから、一番の衝撃だ。あんなエモーショナル極まりないやり取りをしておいて、あんな絵になりすぎるイベントを発生させておいて、本人たちはプロポーズのつもりでも結婚式のつもりでもなかった、だと…?
「まっさかあ。あの指輪は転移の模倣具でね。魔力を込めて起動させると、あらかじめ設定しておいたポイントに一瞬で移動できるっていう、めちゃくちゃ便利なアイテムなんだ。魔王さまが昔から愛用していて、ここから少し離れた街にある家への移動に使ってたらしいんだけど――」
「それを結婚指輪として、ママにプレゼントしたってことですよね? それを、どうしておばあちゃんに?」
「うん、まあ、結婚指輪ではないんだけどね。魔王さまが『勇者の好きに使って構わない』って言ってくれたから、お言葉に甘えようと思っただけだよ。さすがに俺も赤の他人にあんな大事なものを預けたりなんかしないけど、ばあちゃんなら絶対になくしたり雑に扱ったりすることもないって知ってるからさ」
「なんで渡したのかはわかりました、でもどうして渡したのかはやっぱりわかりません! そこを! 教えてください!」
寝っ転がったままのユラの近くに正座をして、イリスはぺしぺしと床をたたく。せっかくの結婚指輪なのに! それを誰かに渡しちゃうなんて! そんなのやっぱりおかしいと思うの!
ぷりぷりするイリスを見て、ユラが笑いながら「おいで」と手を伸ばしてくる。どんな状況であろうと、推しに誘われて断れる腐男子がいるだろうか。いや、いるわけがない。
大人しくユラの腕の中へぽふんと飛び込むと、そのまま床の上に横倒しにされたあげく抱き枕にされる。くしくも、きょうの朝に夢見た光景そのままだ。残念ながら、そのときとは配役がまるっきり違うが。
「指輪をくれる前の魔王さまの言葉を覚えてる? 俺は寂しがり屋だってばあちゃんが言ってた、って。でもね、ばあちゃんだってそうなんだよ。ふだんはあんなだけど、本当は繊細なひとなんだ。だから俺は、イリスたちのおかげであの屋敷に住むことには前向きになったけど、ばあちゃんをひとりにすることはやっぱり心配でさ。――魔王さまは、俺のそんな気がかりも全部わかってて、だからあの指輪をくれたんだと思うんだ」
ニンゲンができすぎててちょっと悔しいよね、と。言うほど悔しそうでもなく、むしろうれしそうに、ユラが呟く。
「……あ。だから、おばあちゃんが寂しくなったらいつでもママに会いにこられるようにって意味を込めて、おばあちゃんに指輪を預けたんですか?」
「うん、そういうこと。まあ、絶対に使ってくれなさそうだけどね。それでも、俺が安心するからさ」
(だからさっき、お守りだって説明してたのか)
ブレンゼルが転移の模倣具を持っていてくれているという事実が、ユラにとっては何よりも安心できる『お守り』なのだろう。
その理屈は、わかった。けれど、やっぱりよくわからないこともある。
「あのですね、ママ。パパは本当に、ママがおばあちゃんに指輪を渡すことまで見透かしていたんでしょうか?」
「どういう意味?」
「パパは『ママが寂しくなったら、いつでもおばあちゃんのところに飛んで行けるように』と思って渡したのでは?」
そう。あくまでもユラがブレンゼルのもとに飛べるように指輪を渡したのであって、ブレンゼルがユラのもとに飛べることを想定して渡したのではないと思うのだが。
「……」
「……」
「あっ、それでか! 魔王さまに『指輪をばあちゃんに預けてもいい?』って聞いたら、珍しくきょとんとしてたから何でだろうって思ったんだけど」
ユラは初めて気づいたというように大きな目をぱちぱちと瞬きながら、細く長いため息とともに「そっかあ」と吐き出す。
「それはちょっと頭になかったなあ」
「普通に考えれば、そういうことだと思うんですけど」
「だって、あの屋敷でイリスやギルモンテやタフィーや魔王さまと暮らしてて、寂しいと思う暇なんかあるわけないじゃん」
「ママ……!」
さも当然といったように堂々と言い放つユラに感極まって、イリスはあらん限りの力で抱きつく。ユラが新しい生活に前向きになってくれていることが、うれしい。新しい家族を信じてくれていることが、たまらなくうれしい。
「絶対に! 幸せにします!」
「あはは。なんかイリスのほうが、よっぽどプロポーズっぽいね」
「パパからは、またちゃんとした結婚指輪とプロポーズをもらってください!」
「ああ、まあ、うん、そうだね」
二人で顔を見合わせて笑って、お互いの体温と柔らかい春の日差しに気持ちよくなって、そのまま眠る。
いつの間にかカフェに戻ってきたマオまで一緒になって寝ていたところを「とっとと家に帰りな!」と、ブレンゼルに起こされるまで。
フロンスファからムーンヘーベンにとんぼ返りすると、ちょうどランチタイムということもあって店内は客でいっぱいだった。どうやらユラのほかに決まった従業員はいないらしく、そのユラも今はカウンターでイリスと仲良く並んで座っている。手伝いを申し出たものの、ぴしゃりとはねつけられてジュースを置かれてしまった。
カフェは、いわゆるフードコートのモバイルオーダーシステムを採用しているようで、イリスの心配をよそに、ブレンゼルのワンオぺ状態でも問題なく回っている。六本の腕を高速で動かしながら注文をさばいていくメンダコの魔物は、まるで熟練の大道芸人のようだ。客はできあがった料理をカウンター脇で受け取りがてら、そんなブレンゼルの姿に目を輝かせている。ひょっとしたらこのパフォーマンスこそが、店の一番の人気商品なのかもしれない。
「よかったじゃないか。こんなに早く新居が見つかって」
「はい! ギルモンテさんも、いつでも来ていいって言ってくれたので、早速これから行くことにしました!」
大きなグラスに注がれたオレンジジュースの甘みが、乾いた喉に優しく染み渡る。そんなごきげんなイリスとは対照的に、ユラはブルーベリージュースの氷をストローの先でつつきながら、なんとも形容しがたい顔をしていた。一度は消し飛んだかに思えたマリッジブルーが、ブレンゼルを目の前にして再び発動してしまったらしい。ちなみにマオは、すぐ近くのアパートメントに戻って荷物を取ってくるということで別行動中である。
「……まあ、ばあちゃんが『どうしてもここにいてくれ』って言うなら? 俺だけ? もうちょっと? ここに残っても? いいんだけど?」
「そうかい。なら、どうしてもここを出ていっとくれ」
「ばあちゃんは俺に対してひどすぎるっ!」
わっと、両手で顔を覆って俯くユラの頭を、イリスはここぞとばかりによしよしと撫でる。こんなに幼くて愛らしいユラを見られるのは、現状ブレンゼルの前でだけだと思うと、ほんの少しの寂しさを覚えると同時に熱意も湧いてくるというものだ。これから一緒に暮らしていくうえで、自分たちにも――主にマオに――こんなふうに甘えてくれたらうれしい。いや、絶対にそんな存在になってみせる! なってもらう! そのために全力で頑張るのだ! レッツエンジョイニューライフ!
「わかってる、わかってますよ。俺だって、いつまでも子どものままでいるつもりはないし。自立するタイミングが来たんだなって、ちゃんとわかってる。――だから、その、なんていうか……」
言いづらそうに、もごもごと。ブルーベリージュースの最後の一口を、ストローでずずっと吸い込んで。こほんと、小さく咳払い。
「……今まで、ホントにあり――」
ジャー! ジャー!
ユラの照れとデレに満ちたウルトラレアな永久保存ボイスを、肉の焼ける豪快な音が完全にかき消した。あ、おいしそう。すっごくいい匂い。けど、今じゃなかった。今じゃなかったなあ。
「あ? なんか言ったかい? ほら、こっちは忙しいんだ。いつまでもそんなところで邪魔してないで、とっとと荷物をまとめて出て行きな」
「ばあちゃんのばかっ! きらい! うそっ! ふんだっ、引っ越したってカフェの手伝いは続けてやるんだからね!」
ユラがぷんすかしながら勢いよく立ち上がり、居住スペースにつながる扉へ向かおうと足を踏み出したところで、なにかを思い出したように振り返る。「そうだ、ばあちゃん。あのさ、これなんだけど――」
そう言って左手の薬指にはめられた指輪をブレンゼルに向けて見せるユラを見て、イリスはごふっとせき込んだ。オレンジジュースが豪快に鼻に入ったが、そんな痛みなど気にしていられない。
(そうだった! 結婚の報告がまだだった!)
いったいどんなふうにブレンゼルに伝えるのだろう。ひょっとして赤くなってもじもじするハイパーウルトラレアなユラが見られるかもしれないと、わっくわくで見守るイリスの目の前で、ユラがおもむろに指輪を抜き――そして、そのまま。
はい、と。
ブレンゼルに。
差し出した。
「……ん?」
指輪を渡される側のブレンゼルよりも先に、イリスの口から疑問の声がすぽんと飛び出す。
ん? んえ? どういうこと? この世界では結婚指輪を親に渡す風習でもあるの? いや、待て。落ち着くんだ。ただじっくりとデザインを見せたかっただけかもしれない。あるいは、その指輪にどれくらいの価値があるか確認してもらうことで遠回しに結婚相手の経済事情を伝え、今後の結婚生活を送っていくうえでのひとつの指針と――「なんだい、この指輪は」「魔王さまの私物だよ。空間転移ができる超貴重な模倣具でもあるから、絶対になくさないでね」
頭の中を洗濯機のようにぐるぐると回しているイリスの上で、祖母と孫の会話が展開されていく。
「そんな大層な代物、なんだってアタシに預けるんだい」
「一種のお守りみたいみたいなものだからさ。まあ、ばあちゃんのというよりは俺にとっての、だけど」
「……」
ブレンゼルは良く言えばさっぱりしていて悪く言えばぞんざいだが、真剣な目をした人の真摯な言葉を茶化すようなひとでは決してない。しばらくユラの顔をじっと見つめたあとで、忙しく動かしていた六本のうちの一本を蛇口から流れ続ける水で洗い、そのままそっとユラへ差し伸べる。
そうして「言い出したらきかないんだからね、この子は」と、呆れたように呟きながら、吸盤のついた触手で丁寧に指輪を受け取った。
「ママママママ!」
目的を達成して「じゃあ俺は部屋で荷物をまとめてくるから、イリスはここでゆっくりしててね」と、もう指輪のない左手をひらひらしながらドアの向こうへと消えていったユラを、イリスは十分ほどたってから猛ダッシュで追いかける。オレンジジュースを飲み干すことと、さきほどのシーンを咀嚼するのに、思わぬ時間がかかってしまった。ついでにブレンゼルに結婚指輪を親に渡す習慣があるのか尋ねてみたところ「知らないけど、他の国にはあるんじゃないかい」という意見をもらえたことを、ここに追記しておく。
「ん? どうしたの、イリス?」
青空が眩しい開放的な部屋の中。てっきり荷物をまとめていると思っていたユラは、フローリングの床の上で大の字に寝そべっていた。
「ママはどうして、パパからもらった指輪をおばあちゃんにあげちゃったんですか?」
「ああ、だってほら、魔王さまも言ってたでしょ? あの指輪は俺が寂しがらないようにするためだって」
「え? え?」
つまり、どういうことなのだろう。さっぱり話が見えないイリスは、大きくて重い頭をサーキュレーターのごとくフリーダムに振り回す。
「ちょっと待ってください、全然わからないです。それは『今度からはパパがおばあちゃんの代わりにそばにいるから、ママを寂しくなんかさせないよ』って意味なんじゃないんですか?」
「ええ? 指輪を渡しながらそんなこと言ったらプロポーズみたいじゃない」
「じゃないんですか!?」
なんということだろう。春日井亮太がイリスになってから、一番の衝撃だ。あんなエモーショナル極まりないやり取りをしておいて、あんな絵になりすぎるイベントを発生させておいて、本人たちはプロポーズのつもりでも結婚式のつもりでもなかった、だと…?
「まっさかあ。あの指輪は転移の模倣具でね。魔力を込めて起動させると、あらかじめ設定しておいたポイントに一瞬で移動できるっていう、めちゃくちゃ便利なアイテムなんだ。魔王さまが昔から愛用していて、ここから少し離れた街にある家への移動に使ってたらしいんだけど――」
「それを結婚指輪として、ママにプレゼントしたってことですよね? それを、どうしておばあちゃんに?」
「うん、まあ、結婚指輪ではないんだけどね。魔王さまが『勇者の好きに使って構わない』って言ってくれたから、お言葉に甘えようと思っただけだよ。さすがに俺も赤の他人にあんな大事なものを預けたりなんかしないけど、ばあちゃんなら絶対になくしたり雑に扱ったりすることもないって知ってるからさ」
「なんで渡したのかはわかりました、でもどうして渡したのかはやっぱりわかりません! そこを! 教えてください!」
寝っ転がったままのユラの近くに正座をして、イリスはぺしぺしと床をたたく。せっかくの結婚指輪なのに! それを誰かに渡しちゃうなんて! そんなのやっぱりおかしいと思うの!
ぷりぷりするイリスを見て、ユラが笑いながら「おいで」と手を伸ばしてくる。どんな状況であろうと、推しに誘われて断れる腐男子がいるだろうか。いや、いるわけがない。
大人しくユラの腕の中へぽふんと飛び込むと、そのまま床の上に横倒しにされたあげく抱き枕にされる。くしくも、きょうの朝に夢見た光景そのままだ。残念ながら、そのときとは配役がまるっきり違うが。
「指輪をくれる前の魔王さまの言葉を覚えてる? 俺は寂しがり屋だってばあちゃんが言ってた、って。でもね、ばあちゃんだってそうなんだよ。ふだんはあんなだけど、本当は繊細なひとなんだ。だから俺は、イリスたちのおかげであの屋敷に住むことには前向きになったけど、ばあちゃんをひとりにすることはやっぱり心配でさ。――魔王さまは、俺のそんな気がかりも全部わかってて、だからあの指輪をくれたんだと思うんだ」
ニンゲンができすぎててちょっと悔しいよね、と。言うほど悔しそうでもなく、むしろうれしそうに、ユラが呟く。
「……あ。だから、おばあちゃんが寂しくなったらいつでもママに会いにこられるようにって意味を込めて、おばあちゃんに指輪を預けたんですか?」
「うん、そういうこと。まあ、絶対に使ってくれなさそうだけどね。それでも、俺が安心するからさ」
(だからさっき、お守りだって説明してたのか)
ブレンゼルが転移の模倣具を持っていてくれているという事実が、ユラにとっては何よりも安心できる『お守り』なのだろう。
その理屈は、わかった。けれど、やっぱりよくわからないこともある。
「あのですね、ママ。パパは本当に、ママがおばあちゃんに指輪を渡すことまで見透かしていたんでしょうか?」
「どういう意味?」
「パパは『ママが寂しくなったら、いつでもおばあちゃんのところに飛んで行けるように』と思って渡したのでは?」
そう。あくまでもユラがブレンゼルのもとに飛べるように指輪を渡したのであって、ブレンゼルがユラのもとに飛べることを想定して渡したのではないと思うのだが。
「……」
「……」
「あっ、それでか! 魔王さまに『指輪をばあちゃんに預けてもいい?』って聞いたら、珍しくきょとんとしてたから何でだろうって思ったんだけど」
ユラは初めて気づいたというように大きな目をぱちぱちと瞬きながら、細く長いため息とともに「そっかあ」と吐き出す。
「それはちょっと頭になかったなあ」
「普通に考えれば、そういうことだと思うんですけど」
「だって、あの屋敷でイリスやギルモンテやタフィーや魔王さまと暮らしてて、寂しいと思う暇なんかあるわけないじゃん」
「ママ……!」
さも当然といったように堂々と言い放つユラに感極まって、イリスはあらん限りの力で抱きつく。ユラが新しい生活に前向きになってくれていることが、うれしい。新しい家族を信じてくれていることが、たまらなくうれしい。
「絶対に! 幸せにします!」
「あはは。なんかイリスのほうが、よっぽどプロポーズっぽいね」
「パパからは、またちゃんとした結婚指輪とプロポーズをもらってください!」
「ああ、まあ、うん、そうだね」
二人で顔を見合わせて笑って、お互いの体温と柔らかい春の日差しに気持ちよくなって、そのまま眠る。
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