マカオの男 - O Homem di Macau -

ナムラケイ

文字の大きさ
1 / 20

真夏のマカオ

しおりを挟む
 同期入省の村岡が結婚した。
 相手は才色兼備で評判の二期上のキャリア女性。
 ダブルインカムの二人は当然のように海外挙式を選び、当然のようにそれぞれの同期を式に招待した。
 働き方改革を掲げながらもまだまだ休暇が取りにくい経済産業省だが、エリート夫婦が声を上げて参列を呼びかけたおかげで、同期連中は週末プラス有給3日という贅沢な休暇にありつけたわけだ。


「川が流れてる」
 日向夏野ひむかいなつのはぼんやりとホテル内を流れる川を見つめた。
 スノッブな新郎新婦が挙式に選んだのは、マカオのタイパ地区にあるザ・ベネチアン・マカオ・リゾートという一流ホテルだった。
 客室の内装は落ち着いていてベッドも信じられないほどふかふかだったが、ロビーやショッピングアーケードは金ぴかのゴシックな装飾が目に痛い。
 天井画は青空に天使が飛んでいるし、アーケードには人工の川が流れ、ゴンドラまで浮かんでいる。
 なんというか、斜め上を行く偽物くささが逆に潔い。そして人が多い。

「お、ゴンドラじゃん。乗りてー」
「ヴェネツィアといえばゴンドラだからな。サンタールチアー♪」
 同期の笹川と松井は、本気でゴンドラに乗り込みそうな勢いで、カンツォーネを歌っている。
 入省4年目。仮にも中央省庁のキャリア官僚だが、同期で集まると言動が低能だ。
「日向ー、俺ら朝飯食ったらカジノ行くけど、おまえどうする?」
 笹川の誘いに、夏野は首を振った。
「昨日飲みすぎたから、メシもカジノもパス。俺、ちょっと散歩してくる」
「りょ。おまえ、相変わらずマイペースだよな」
「ほっといてくれ」
 昨夜の披露宴と二次会で飲みすぎたのは本当だ。頭が少し痛い。
 夏野はギャンブルにも興味はない。


 ホテルの無料シャトルバスに乗り込み、夏野は窓の外に目をやった。
 マカオ、正確には中華人民共和国マカオ特別行政区は、ポルトガルの海外領土だったが1999年に中国に返還された。
 現在のマカオは、中心となる半島部とタイパ島、コロアネ島から成る。世界遺産がひしめくのが半島部で、夏野たちが止まる高級ホテルやカジノが多いのがタイパ島だ。
 シャトルバスは半島部の港付近で止まった。
 夏野は人の流れに沿って街中を歩き始める。夏休み期間とあって観光客も多い。
 まだ10時前だが、8月上旬の気温はぐんぐん上がっていて、汗がにじんでくる。
 IRとして近代的に開発されたタイパ島と違って、半島部は古い建物が雑然と立ち並び、ごみごみしている。
 はためく洗濯物に食べ物の匂い、着古した半パンにサンダルで行きかう人々。
 初めての街だが、生々しい生活の様子に夏野は逆に落ち着きを覚える。

 街並みが楽しくてきょろきょろしているうちに、結構な距離を歩いていたらしい。
「あれ、どこだ、ここ」
 オフラインの地図アプリを開くが、細い路地が入り組んでいて正確な位置がよく分からない。 
 思わず頭を掻くと、量の多い髪の地肌が汗でしっとりと湿っていた。癖の強い猫っ毛なので、くるんくるんになっていることだろう。
 マカオは勾配が激しく、曲がりくねった坂が多いので、簡単に道を失う。 
 建物の壁には道の名前が表示されているが、広東語かポルトガル語でよく分からない。

 立ち止まって地図を見ていると、近くを歩いていたおじいさんが近寄ってきた。
 暑いのか、Tシャツの腹の部分だけをまくり上げている。日本で同じことをしたら確実に失笑を買うだろうが、ここでは普通のスタイルだ。
 何やら熱心に話しかけてくるが、広東語はさっぱりだ。
 夏野は首をかしげて分かりませんのポーズを取るが、おじいさんはノンストップトークだ。
「Excuse me, do you speak English?」
 英語で返すと、おじいさんはそこでようやく夏野が外国人だと気づいたのか、ゆっくりと英語を話した。
「The Ruins of Saint Paul's is over there.」
 The Ruins of Saint Paul。ああ、聖ポール天主堂跡か。
 マカオの代名詞とも言える、教会のファサードだ。
 有名な世界遺産を探して迷っていたと思ったのだろう。
 ぶらぶら街歩きをするだけの予定だったが、せっかくだから行ってみようと夏野は頷いた。
「Thank you. I will go there.」
「Enjoy.」
 おじいさんは満足したように立ち去っていく。良い人だった。

 よく見ると、街のあちこちに天主堂跡に導く案内板が立っていた。
 汗をぬぐいながらたどり着いた世界遺産を見て、夏野は唸った。
「んー」
 正直、がっかり感がある。
 当時はアジア最大の教会だったらしいが、今はファサードだけが心もとなく残っている。
 細やかな装飾がなされたファサードは綺麗は綺麗だが、残念なことに、夏野はマカオの歴史にも建築にも宗教にも意匠にも全く詳しくない。
 見ても、ふーんと言うだけだ。
 観光地だけあって、大勢の観光客が写真を撮りまくっているが、そこまでのものだろうか。
 折角来たので一応スマホに写真を収めておく。不意にどっと疲れて、夏野は近くの階段に腰かけた。

 座ると、急にめまいが襲ってきた。
 なんだ、これ。
 脇の下を脂汗が流れる。その感触が気持ち悪い。頭が痛い。
 そういえば、水分も取らずに歩き回っていた。
 夏野はあたりを見回すが、日本のようにどこにでも自販機があるわけではない。コンビニも見当たらない。

 吐き気をやり過そうと、頭を押さえてうつむくが、気持ち悪さは増すばかりだ。
 うなだれていると、ぽんと肩を叩かれた。
「有冇事呀(どうかしましたか)?」
 また広東語だ。
 答えるのが面倒で応じずにいると、顎先を掴まれ半ば無理やりに顔をあげさせられた。
 エリート然とした若い男と目が会う。
 男は夏野を見ると驚いたように目を見開き、それから心配そうに眉根を寄せた。
 見知らぬ男にいきなり触れられたのに、不思議と怖さはない。というか、警戒する気力もない。
「Japanese?」
 こくりと頷くと、男は日本語に切り替えた。
「大丈夫? 具合が悪い?」
 母国語の響きに、夏野は安心して息をつく。
「気持ち悪い。多分、熱中症」
 それを聞くと、男はビジネスバッグから取り出したペットボトルを夏野に渡した。
「飲みかけで悪いけど、これ、全部飲んで」
 飲みさしとか気にしている余裕もなかった。
 一口飲むと、自分の体がカラカラに渇いていたことに気づいた。
 夏野はほとんど一気にペットボトルを空にした。砂漠に水が染み込むようだ。食道から胃まで、水の流れがありありと分かる。
 ふうっと息をつくと、男も安心したように息をついた。
「落ち着いた?」
「はい。ありがとうございます。五臓六腑に染み渡りました」
 答えると、男は面白そうに笑った。
「その言葉、生で聞いたの初めてだ」
「はあ」
 だからなんなのだと思ったが、聞き返すのも億劫なのでスルーする。
「さて。ここは暑いから移動したほうが良い。観光客? 帰り道、分かる?」
 帰り道は分からないが、有名なホテルだ。タクシーに乗ればなんとかなる。 
「大丈夫です」
 夏野は立ち上がる。
 あれ?
 その瞬間、急に寒気に襲われて、目の前が暗くなった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

処理中です...