ペンと羅針盤

ナムラケイ

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10:焼肉を食べた後の

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「有馬、ここ焼肉屋なのか?」

 席に着いて開口一番尋ねると、先に到着してお茶を飲んでいた有馬は不思議そうに首を傾げた。

「焼肉屋だよ。看板に書いてあったでしょ。ねえ、村田さん」

 有馬はおしぼりを運んできた店員を巻き込む。
 店員は「焼肉店でございます。ようこそお越しくださいました」と笑って、航平のジャケットを預かってくれる。
 焼肉店なのに店員が和服だ。
 テーブルは艶めく朱色だし、椅子は白の革張りだし、黒の衝立には銀河のような模様が描かれている。何より空気が綺麗で油っぽさが皆無だ。
 航平が普段同僚と行くような焼肉店とは次元が違う。
 ザ・高級店だ。

 生ビールで乾杯してからメニューを開き、航平はまばたきをする。
 冗談だろ、この値段設定。
 肉1皿が、航平の普段の宴会代1回分くらいする。
 マスコミはそんなに景気がいいのか。

「御礼だから、好きなもの頼んでいいよ」
「あんた、いつもこんなとこでメシ食ってんの?」
「まさか。特別な時だけだよ」

 本当かよ。店員の名前まで知ってたせに。
 航平はメニューを有馬に返した。

「俺、好き嫌いないし、あんたに任せる。こんな高級な店慣れてないし、値段見たら頼みづらくなった」

 正直に言うと、有馬は珍しいものでも見るような目つきになった。

「航平って、自然体だよね。カッコつけたりとかしないし、ありのままって感じ」
「女の子の前でもあるまいし。あんたみたいなきらっきらした男の前で下手にカッコつけても仕方ないだろ」
「きらきら? 航平にはそう見えるの?」
「イメージの話を詰めるな。ほら、早く注文しろよ」

 結局コース料理を注文した。値段は訊かないことにした。
 熱した網に肉を置くと、じゅわっといい音がして、油が跳ね、煙が立ち上がる。
 匂いだけで美味そうだ。

「昔、彼女とのデートで焼肉に連れていったら怒られたことある」

 焼き加減を見張りながら話題を振ると、有馬は女声を出してみせた。

「やだー、匂いがついちゃうじゃない!ってやつだ」
「まさにそれな。あと、この後のこと考えてないでしょって言われた」
「この後?」
「ちゅーとかの話だよ、言わせんな。そこまで考えてメシ食ってないっつうの」
「ああ。焼肉の後でキスできるかどうかって、街角アンケートとかでよくテーマになるよね。航平はどっち派? あ、タン、そろそろいいんじゃない」

 立派な厚切りのタンにレモンと塩を振って口に入れる。
 美味い。これまで食べてきたタンと風味も歯ごたえも別物だ。
 しばし無言で咀嚼する。

「すげえ美味い。どっち派かは、どうだろうな」

 美味いメシの前ではそんな話はどうでもいい。
 考えもせずに適当に答えると、有馬は自分の唇を指した。

「試してみる?」

 薄めの唇は、男なのに乾燥とも荒れとも無縁そうだ。

「遠慮しとく。馬鹿言ってないで、食おうぜ」
「だね」

 有馬はあっさり引き下がると、残りのタンを焼き始めた。
 当たり前だが、肉はべっくら美味かった。
 最初のタンで食欲に火が付き、コースの5皿目くらいまではほとんど会話もせずに平らげた。
 自分の食べたい分だけど焼きたいように焼いて食う。男同士だと気を遣わなくていいから楽だ。
 腹が膨れてペースダウンしたタイミングで、有馬が礼儀正しく本題に入った。

「番組、いい出来だったよ。番組スタッフも完成度に満足していたし、テレビ局内での評判も上々だった。改めて、協力してくれてありがとう」
「こちらこそ」

 航平は軽く頭を下げる。
 放送日当日は恐る恐るテレビの前に座ったが、テレビに映る自分は予想よりも自然でこなれていた。
 喋りも分かりやすくスムーズだった。否、そういうふうに編集されていた。

「編集って魔法みたいだよな。ナレーションと音楽と、あとテロップっていうのか? ああいう効果が入るだけで、映像のインパクトが全然違うし。俺の喋りも、適当に喋ってただけなのに、良いエピソード風に仕上がってたし。流石映像のプロだよな」

 興奮気味に語ってしまったが、有馬は頷きながら聞いてくれる。

「ありがとう。スタッフが聞いたらすごく喜ぶと思う」
「うん。あとさ、マスメディアって凄いのな。放送の後、全然連絡を取ってなかった同期とかからメールが来たりして、それは結構嬉しかった」
「はぴモニは、視聴率から単純計算すると、全国1,500万人が見てるからね」
「1,500万人。そんなに見てんのか」
「出演者に応援レターを送ってくれる人もいるから、もし届いたら連絡するよ。あ、女の子からのファンレターは僕が握りつぶすけど」

 有馬はしれっとした顔で非情な発言をしている。

「いや、それは送り主に失礼だろ」

 突っ込んでから、改めて礼を述べた。

「最初は嫌がってたけど、今は、出てみて良かったと思ってる。良い経験になったし、テレビの世界を垣間見られたし。だから、サンキューな」
「どういたしまして。じゃあ、他にも良い番組があったら声かけるね」
「それは丁重にお断り申し上げる」

 締めの冷麺とデザートのメロンまで平らげた頃には、すっかりお大尽の気分だ。
 約束どおり、会計は有馬が持った。

「有馬様。いつもありがとうございます。またご贔屓にしてくださいね」

 和服姿の年配の店員が現れ、黒革の伝票ばさみを有馬に差し出した。
 やっぱり常連なんじゃねえか。
 との言葉は心に留め、航平は「美味かったです。ご馳走様でした」と手を合わせた。

「ありがとうございます。当店は初めてでいらっしゃいますよね。また是非お越しくださいませ」
「だってさ。女将に頼まれたら、また来ないわけにいかないよね」

 有馬は冗談めかして言い、伝票ばさみからクレジットカードを抜いて財布にしまった。
 外に出ると、夏の夜風が酩酊に心地よい。 
 女将の丁重な見送りが見えなくなったところで、航平は有馬を引き留めた。

「いくらだった? 半分払う」
「経費って言ったでしょ」
「領収書なしで請求できんの」

 会計の時、有馬は領収書の発行を頼まなかった。レシートさえ受け取らなかった。
 目ざといなあ、と有馬は肩をすくめる。

「折角のデートを経費で落とすなんて野暮なことはしたくなかったんだよ」
「デートじゃねえだろ」
「僕にとってはデートだよ。君がどう思おうと勝手だけど、反論は受け付けない」
「だったら、最初から経費なんて嘘つくなよ」
「そう言わないと来てくれないかと思って」

 赤坂の交差点で立ち止まる二人の横を、どんどん人が流れていく。
 航平は道のわきに寄ると、腕を組んで、有馬を見上げた。

「あのなあ。そういう姑息な真似せずに、正々堂々と誘えよ」
「誘ったら、来てくれるの」
「友達としてなら」
「友達ね」
「文句あんのか」
「アリマセン」
「よし。んじゃ、今日は奢られてやるけど、次回からは割り勘な」
「航平って、男前だよね」
「黙れ。ほら、もう行こうぜ」

 歩き出す航平の袖をひいて、有馬が呟いた。

「ま、今は友達で勘弁してあげるけど」
「なに? よく聞こえなかっ…んっ」

 振り向きざまにキスをされた。
 今度は、唇に。

「隙あり」

 合間に囁き、有馬が何度か唇を啄んだ。
 ニンニクと酒とミントが混じった匂い。匂いは不快だけれど。
 でも、柔らかな感触が気持ちいい。
 じゃなくて!

 我に返った航平が突き飛ばす前に、有馬はさっと身を引いた。

「できる派だったね」

 と笑っている。
 路上で何してくれんだ。
 航平は、有馬に見せつけるように唇を拭った。


 それから有馬とは、週1くらいで会っている。
 メシを食って、酒を飲んで、酔いに任せて別れ際にキスをする。それだけ。
 有馬はそれ以上は求めてこない。好意を駄々洩れにさせてくるが、航平に関係の進展を迫るような真似はしない。
 有馬との時間は思いのほか居心地がよくて。不本意だが、この関係に慣れてしまった。
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