11 / 40
第1章:花ひらく頃、三条大橋にて
指先の熱
しおりを挟む
征次は深く息を吐き、池の縁に置き去りにされている古い床几に腰をかけた。隣に座るように手招かれるが、中弥はそうしなかった。真正面に立つと、そっと指先を握られた。
「俺は独身だ。結婚の予定もない」
適当な相槌や返しが見つからなくて、清潔な月代と濃い睫毛をただ見つめていた。
「中弥」
征次が視線を上げた。その瞳はやはりわずかに緑がかっている。
自分から呼びかけたのに征次はそれ以上何も言わない。握ったままの指先を引かれる。征次はまた視線を落として、手の甲に唇を寄せた。
普段人に触れられることのない場所に柔らかな熱を感じて、中弥は息を止めた。
祈るように伏せられた征次の瞼。睫毛が羽ばたくように震えている。
「征次」
甲への口づけなんて、寝屋でも見たことがない。触れられてもいない頬が熱い。
行為の意図が分からず、助けを求めるように名を呼んだ。
征次は唇を離し、視線を挙げて破顔した。
「なんて顔してるんだよ」
「征次が変なことするからだろ!」
手を引っ込めようとするが、それは許してもらえなかった。
征次は意地悪く笑って中弥の手を握り込む、今度は指先に口を寄せた。
「っ……!」
関節を固い歯で固定されて濡れた舌でなぶられて、感覚なんてないはずの爪がうずく。ぞくりと背筋が震えた。
晩秋の冷気で冷え切った手の人差し指の先だけが熱を持つ。脈を測るように指の腹で手首を撫でられ、また震えが走る。
産毛が逆立つような未知の感覚が恐ろしくて、中弥は力まかせに指を引き抜いた。勢いで姿勢がふらつく。何故だか視界が滲んだ。
「なに、すんだよ」
「悪い、つい」
「何がついだ! 二度とするなよ」
語気を強めるとあからさまに傷ついた顔をされて、こちらの良心が痛んだ。理不尽だ。
「嫌だったか?」
「嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて、汚いだろ」
「おまえはどこも汚くない」
「何言ってんだ。人間は汚いもんなんだよ。それに、絵具の原料の植物や鉱物には毒性があるものも多いんだ。うっかり口にしたら身体に毒なんだぞ。ああいうことはせめて手を洗ってからにしろ」
勢いでまくしたててしまってから、あれと気づく。そうじゃないだろ、俺。
案の定、征次はにまにまと嬉しそうにしている。
「分かった。今度からは、まず手を洗ってやろう」
「今度からじゃねえよ、もうすんなって話をしてるんだ」
征次は床几から立ち上がり、裾を払った。甘い香が冷気の中で匂い立つ。ひどく真剣な顔をして、同じ問を繰り返した。
「俺に触れられるのは、嫌だったか?」
「嫌、とかじゃなくて」
「では、それほど過剰に反応する理由は何だ」
「性格悪いな」
「よく言われる。それで?」
中弥はたじろぐ。きちんと答えるまで逃がしてくれそうにない。
顔を見るのも見られるのも恥ずかしくて、征次の胸元、濃紺の生地に散る細かな菱模様に目を凝らした。
「触られるのは、知らない感じがして、怖い。ぞわぞわして、背筋とか肩とか鳥肌みたいに総毛立つし、なんか、いたたまれなくて。嫌っていうよりは、キャパを超えてて、無理」
「中弥」
「なんだよ」
「それは、気持ちよかったってこと?」
「は? 気持ちよくなんか。え、あれ?」
気持ち、よかったのか? 経験がなさすぎて分からない。
確かに、いつか爺が小姓と戯れる姿を描いた時、剥かれた小姓が「なんか、びくってしてぞくぞくします」とか口走ってて、なんだこいつキモいなとか思ったけど、あれと俺は同じだったってことか? いや、違うだろ。違うと思いたい。
「……仕事に、戻ります」
逃げることにした。
「俺は独身だ。結婚の予定もない」
適当な相槌や返しが見つからなくて、清潔な月代と濃い睫毛をただ見つめていた。
「中弥」
征次が視線を上げた。その瞳はやはりわずかに緑がかっている。
自分から呼びかけたのに征次はそれ以上何も言わない。握ったままの指先を引かれる。征次はまた視線を落として、手の甲に唇を寄せた。
普段人に触れられることのない場所に柔らかな熱を感じて、中弥は息を止めた。
祈るように伏せられた征次の瞼。睫毛が羽ばたくように震えている。
「征次」
甲への口づけなんて、寝屋でも見たことがない。触れられてもいない頬が熱い。
行為の意図が分からず、助けを求めるように名を呼んだ。
征次は唇を離し、視線を挙げて破顔した。
「なんて顔してるんだよ」
「征次が変なことするからだろ!」
手を引っ込めようとするが、それは許してもらえなかった。
征次は意地悪く笑って中弥の手を握り込む、今度は指先に口を寄せた。
「っ……!」
関節を固い歯で固定されて濡れた舌でなぶられて、感覚なんてないはずの爪がうずく。ぞくりと背筋が震えた。
晩秋の冷気で冷え切った手の人差し指の先だけが熱を持つ。脈を測るように指の腹で手首を撫でられ、また震えが走る。
産毛が逆立つような未知の感覚が恐ろしくて、中弥は力まかせに指を引き抜いた。勢いで姿勢がふらつく。何故だか視界が滲んだ。
「なに、すんだよ」
「悪い、つい」
「何がついだ! 二度とするなよ」
語気を強めるとあからさまに傷ついた顔をされて、こちらの良心が痛んだ。理不尽だ。
「嫌だったか?」
「嫌とか嫌じゃないとかじゃなくて、汚いだろ」
「おまえはどこも汚くない」
「何言ってんだ。人間は汚いもんなんだよ。それに、絵具の原料の植物や鉱物には毒性があるものも多いんだ。うっかり口にしたら身体に毒なんだぞ。ああいうことはせめて手を洗ってからにしろ」
勢いでまくしたててしまってから、あれと気づく。そうじゃないだろ、俺。
案の定、征次はにまにまと嬉しそうにしている。
「分かった。今度からは、まず手を洗ってやろう」
「今度からじゃねえよ、もうすんなって話をしてるんだ」
征次は床几から立ち上がり、裾を払った。甘い香が冷気の中で匂い立つ。ひどく真剣な顔をして、同じ問を繰り返した。
「俺に触れられるのは、嫌だったか?」
「嫌、とかじゃなくて」
「では、それほど過剰に反応する理由は何だ」
「性格悪いな」
「よく言われる。それで?」
中弥はたじろぐ。きちんと答えるまで逃がしてくれそうにない。
顔を見るのも見られるのも恥ずかしくて、征次の胸元、濃紺の生地に散る細かな菱模様に目を凝らした。
「触られるのは、知らない感じがして、怖い。ぞわぞわして、背筋とか肩とか鳥肌みたいに総毛立つし、なんか、いたたまれなくて。嫌っていうよりは、キャパを超えてて、無理」
「中弥」
「なんだよ」
「それは、気持ちよかったってこと?」
「は? 気持ちよくなんか。え、あれ?」
気持ち、よかったのか? 経験がなさすぎて分からない。
確かに、いつか爺が小姓と戯れる姿を描いた時、剥かれた小姓が「なんか、びくってしてぞくぞくします」とか口走ってて、なんだこいつキモいなとか思ったけど、あれと俺は同じだったってことか? いや、違うだろ。違うと思いたい。
「……仕事に、戻ります」
逃げることにした。
0
あなたにおすすめの小説
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる