龍の檻と青年

はる

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声の届くところ

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昼下がりの病室は、いつものように穏やかだった。

外の木々が風に揺れ、カーテンの影が壁に揺らめく。

モニターの電子音が、微かなリズムを刻む。

桐谷は、無言のまま奏多の隣に座っていた。

声をかけても、目を合わせても、何の反応もない。

それでも、来ない日を作らなかった。

“今日こそは”と願うことを、もう何度繰り返したかわからない。

けれど、その日――ほんの僅かな変化が起きた。

桐谷「……奏多」

いつものように名前を呼ぶ。

掠れた低音が空気を揺らす。

その瞬間、
奏多のまつ毛が、ほんのわずかに震えた。

桐谷は息を呑む。

目を凝らすように顔を寄せると、
その指先が、かすかに動いた。

桐谷「……今、わかったか?」

そっと問いかける。

反応はない。

けれど、まぶたの下で何かが蠢くように、小さく痙攣した。

医師が言っていた「外界と遮断された意識」――

その奥で、確かに何かが反応している。

桐谷は知らない。

その瞬間、奏多の内側では、
言葉にならない“ざわめき”が確かに生まれていた。

⸻ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

──暗い。

でも、完全な闇じゃない。

どこかで光が揺れている。

遠くから声がする。

低くて、あたたかくて、心臓の奥に触れるような声。

(また……呼ばれてる)

その声が届くたびに、
身体の奥の“何か”が、小さく脈打つ。

忘れてはいけない、大切なもの。

名前を呼ばれるたび、それを思い出しそうになる。

でも――怖い。

その声に応えたら、何かが壊れてしまうような気がする。

心の奥で、誰かが囁く。

「戻ったら、また傷つく」と。

それでも、声がやさしい。

その声だけは、痛みじゃなく、温もりを運んでくる。

だから、少しだけ、指を動かしてみた。

(……ここにいるよ)

本当はそう言いたかった。

けれど、唇は動かない。

ただ、胸の奥に“知っている感情”が広がる。

あの人の声を聞くと、息が楽になる。

冷たい世界が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

(あなたの声、……好きだ)

言葉にならないまま、また意識が沈む。

けれど、その“音”だけは、確かに耳の奥に残った。

⸻ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

桐谷は、動かない奏多の手を握ったまま、
震える息を静かに吐いた。

桐谷「……お前、また痩せたな。」

独り言のように呟き、伸ばした指先で頬に触れる。

やわらかな皮膚の下で、確かな温もりがある。

それだけが、桐谷をこの世界に留めていた。

桐谷「……もう半年だぞ。
 いつまで寝てる気だ、奏多」

声をかけるたび、胸の奥が軋む。

無反応のままの瞳。動かない唇。

それでも桐谷は、諦めなかった。


目の前の彼は何も返さない。
だが、その小さな指の動きだけが、
唯一の“生きている証拠”だった。

桐谷「ゆっくりでいい。……でも、ちゃんと戻ってこい、奏多」

その言葉が空気に溶けた瞬間、
微かにまぶたが震えた。

それは偶然ではなく、確かな反応だった。

それを見て、桐谷は目を閉じ、

その温もりを胸に刻み込むように、手を強く握った。

病室の窓から、午後の日差しが差し込み、
淡く二人の影を重ねた。

その静けさの中で、
奏多の心の奥で、
もう一度“現実へ向かう扉”が、ゆっくりと軋みを上げ始めていた。
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