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奇跡の翌日
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その夜も、桐谷はいつも通り病室にいた。
壁の時計の針が、二十三時を指している。
他の見舞い客も看護師もいない。
ここだけが、世界から切り離されたような静けさに包まれていた。
奏多の呼吸は、変わらず穏やかだった。
その時間が、桐谷の中で、永遠のようにも、一瞬のようにも感じられる。
桐谷は椅子の背にもたれ、目を閉じる。
この半年の間に、幾度となく夢を見た。
奏多が目を開ける夢。
声をかけてくる夢。
――そして、そのたびに目を覚まして、現実の沈黙に打ちのめされる。
桐谷「……今日はもう帰るか」
誰にともなく呟き、立ち上がった。
ジャケットを手に取り、奏多の枕元に視線を落とす。
そのときだった。
ほんの一瞬。
白いシーツの上で、奏多の右手の指先が、かすかに震えた。
最初は、目の錯覚だと思った。
だが次の瞬間、また――
ほんのわずかに、薬指が動く。
桐谷の心臓が、荒々しく跳ねた。
呼吸が詰まる。
視界がにわかに狭まる。
その一挙一動を、見逃すまいと、無意識に身を乗り出していた。
桐谷「……奏多?」
声が震えていた。
呼びかけても、返事はない。
それでも、確かに、もう一度。
今度ははっきりと、人差し指が、ゆっくりと動いた。
桐谷の喉が音を立てる。
熱がこみあげるのに、涙は出ない。
泣くという行為すら、身体が忘れてしまったのかもしれなかった。
桐谷「聞こえてんのか……?」
掠れた声が、白い空間に吸い込まれる。
返事の代わりに、奏多のまぶたがわずかに痙攣した。
その瞬間、桐谷は腰を落とし、片手でその指を包み込んだ。
あたたかい。
血が通っている。
生きている。
確かに――ここに、戻ってきている。
桐谷「おい……おい、奏多……」
もう堪えられなかった。
声が震え、言葉が滲む。
桐谷「……お前、やっと……」
言葉の先が、声にならない。
桐谷はその手を離さず、ただ、震えながらその
指先に頬を寄せた。
何度も何度も確かめるように。
病室のモニターが、規則正しい音を刻む。
まるで心臓の鼓動のように、静かに、確かに。
外では、夜明け前の風が吹き始めていた。
長い夜が、ようやく終わろうとしていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝の光が差し込む病室。
カーテン越しの風がわずかに揺れ、
白い花瓶の中のカスミソウが、ほとんど気づかれないほど小さく震えていた。
桐谷は、眠らずに夜を越えた。
指先に伝わる微かな動き。
まぶたの下で、わずかに光を感じた瞬間から、
心臓が落ち着かなくて仕方がなかった。
桐谷「奏多……?」
いつものように呼びかける。
半年前と同じ声のはずなのに、喉の奥で震えて、掠れていた。
ゆっくりと、まぶたが開く。
その瞳が光を捉える。
灰色がかった瞳が、確かに“開いている”。
だけど――焦点は、どこにも合っていなかった。
桐谷は一瞬、呼吸を忘れた。
見つめても、奏多の目は自分を通り抜けて、
どこか遠くの景色を見ているようだった。
桐谷「奏多。……俺が、わかるか」
言葉を選ぶように、低く優しい声で問いかける。
だが、その瞳は何の反応も示さなかった。
ただ、ゆっくりと瞬きをする。
それだけ。
桐谷は、椅子を引き寄せて傍に座る。
桐谷「……いい。焦んなくていい」
そう言いながらも、声が微かに滲んだ。
桐谷は医者を呼び、ちょっとした検査をして
カルテを手にして、短く桐谷を見る。
医者「……目は覚めています。ただ、意識が……まだ、こちら側に戻ってきていません」
桐谷「どういう意味ですか」
桐谷の声が低く、硬くなる。
医師は少し間を置き、
医者「解離状態です。強い心的外傷で、自分という存在や現実とのつながりを一時的に断っているんです」
と静かに説明した。
桐谷「……つまり」
医者「意識はあります。でも、彼の“心”は、ここにいない」
桐谷の手が、膝の上で強く握られた。
白い包帯の隙間から覗く指先を、彼はどうしようもなく見つめる。
生きている。
なのに、そこに“奏多”はいない。
医師が部屋を出たあと、
桐谷は無言のまま、ベッド脇に座り直した。
奏多は、ゆっくりと首を動かす。
視線が桐谷をかすめる。
けれど、それはまるで、ガラス越しに見ているような、遠い目だった。
桐谷「……帰ってこいよ」
その言葉は、誰に届くこともなく、
ただ空気の中に落ちていった。
桐谷は、伸ばした手で奏多の髪をそっと撫でる。
反応はない。
それでも、触れることをやめられなかった。
桐谷「ここにいる。ずっと、いるから」
小さく、祈るように呟く。
窓の外では、春の雨が降り始めていた。
生きているのに、まだ遠い。
――それが、桐谷の見た“奇跡の翌日”だった。
壁の時計の針が、二十三時を指している。
他の見舞い客も看護師もいない。
ここだけが、世界から切り離されたような静けさに包まれていた。
奏多の呼吸は、変わらず穏やかだった。
その時間が、桐谷の中で、永遠のようにも、一瞬のようにも感じられる。
桐谷は椅子の背にもたれ、目を閉じる。
この半年の間に、幾度となく夢を見た。
奏多が目を開ける夢。
声をかけてくる夢。
――そして、そのたびに目を覚まして、現実の沈黙に打ちのめされる。
桐谷「……今日はもう帰るか」
誰にともなく呟き、立ち上がった。
ジャケットを手に取り、奏多の枕元に視線を落とす。
そのときだった。
ほんの一瞬。
白いシーツの上で、奏多の右手の指先が、かすかに震えた。
最初は、目の錯覚だと思った。
だが次の瞬間、また――
ほんのわずかに、薬指が動く。
桐谷の心臓が、荒々しく跳ねた。
呼吸が詰まる。
視界がにわかに狭まる。
その一挙一動を、見逃すまいと、無意識に身を乗り出していた。
桐谷「……奏多?」
声が震えていた。
呼びかけても、返事はない。
それでも、確かに、もう一度。
今度ははっきりと、人差し指が、ゆっくりと動いた。
桐谷の喉が音を立てる。
熱がこみあげるのに、涙は出ない。
泣くという行為すら、身体が忘れてしまったのかもしれなかった。
桐谷「聞こえてんのか……?」
掠れた声が、白い空間に吸い込まれる。
返事の代わりに、奏多のまぶたがわずかに痙攣した。
その瞬間、桐谷は腰を落とし、片手でその指を包み込んだ。
あたたかい。
血が通っている。
生きている。
確かに――ここに、戻ってきている。
桐谷「おい……おい、奏多……」
もう堪えられなかった。
声が震え、言葉が滲む。
桐谷「……お前、やっと……」
言葉の先が、声にならない。
桐谷はその手を離さず、ただ、震えながらその
指先に頬を寄せた。
何度も何度も確かめるように。
病室のモニターが、規則正しい音を刻む。
まるで心臓の鼓動のように、静かに、確かに。
外では、夜明け前の風が吹き始めていた。
長い夜が、ようやく終わろうとしていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝の光が差し込む病室。
カーテン越しの風がわずかに揺れ、
白い花瓶の中のカスミソウが、ほとんど気づかれないほど小さく震えていた。
桐谷は、眠らずに夜を越えた。
指先に伝わる微かな動き。
まぶたの下で、わずかに光を感じた瞬間から、
心臓が落ち着かなくて仕方がなかった。
桐谷「奏多……?」
いつものように呼びかける。
半年前と同じ声のはずなのに、喉の奥で震えて、掠れていた。
ゆっくりと、まぶたが開く。
その瞳が光を捉える。
灰色がかった瞳が、確かに“開いている”。
だけど――焦点は、どこにも合っていなかった。
桐谷は一瞬、呼吸を忘れた。
見つめても、奏多の目は自分を通り抜けて、
どこか遠くの景色を見ているようだった。
桐谷「奏多。……俺が、わかるか」
言葉を選ぶように、低く優しい声で問いかける。
だが、その瞳は何の反応も示さなかった。
ただ、ゆっくりと瞬きをする。
それだけ。
桐谷は、椅子を引き寄せて傍に座る。
桐谷「……いい。焦んなくていい」
そう言いながらも、声が微かに滲んだ。
桐谷は医者を呼び、ちょっとした検査をして
カルテを手にして、短く桐谷を見る。
医者「……目は覚めています。ただ、意識が……まだ、こちら側に戻ってきていません」
桐谷「どういう意味ですか」
桐谷の声が低く、硬くなる。
医師は少し間を置き、
医者「解離状態です。強い心的外傷で、自分という存在や現実とのつながりを一時的に断っているんです」
と静かに説明した。
桐谷「……つまり」
医者「意識はあります。でも、彼の“心”は、ここにいない」
桐谷の手が、膝の上で強く握られた。
白い包帯の隙間から覗く指先を、彼はどうしようもなく見つめる。
生きている。
なのに、そこに“奏多”はいない。
医師が部屋を出たあと、
桐谷は無言のまま、ベッド脇に座り直した。
奏多は、ゆっくりと首を動かす。
視線が桐谷をかすめる。
けれど、それはまるで、ガラス越しに見ているような、遠い目だった。
桐谷「……帰ってこいよ」
その言葉は、誰に届くこともなく、
ただ空気の中に落ちていった。
桐谷は、伸ばした手で奏多の髪をそっと撫でる。
反応はない。
それでも、触れることをやめられなかった。
桐谷「ここにいる。ずっと、いるから」
小さく、祈るように呟く。
窓の外では、春の雨が降り始めていた。
生きているのに、まだ遠い。
――それが、桐谷の見た“奇跡の翌日”だった。
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