龍の檻と青年

はる

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君の心

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テレビの音が小さく流れていた。

奏多はソファに座り、湯気の立つマグカップを両手で包んでいた。

外は雨。

ぽつ、ぽつ、と窓を叩く音が、静かに続いている。

桐谷はまだ帰っていない。

時計の針が十時を指す。

奏多「……遅いな」

独り言のように呟いた声が、部屋に吸い込まれていった。

少し前まで、病院の白い天井しか見ていなかった。

こうして“待つ時間”があるのが、不思議だった。

――この人を、待っていた気がする。

そんな感覚だけが、心の奥にあった。

玄関の鍵が回る音。

桐谷「ただいま」

桐谷が黒いコートを脱ぎながら入ってきた。
肩にかかった雨のしずくが光る。

奏多「寒かったでしょう。タオル、持ってきます」

奏多が立ち上がると、桐谷は小さく笑った。

桐谷「おまえ、ほんと世話焼きだな」

奏多「なんか、こうしてる方が落ち着くんです」

タオルを差し出しながら、奏多は少しためらう。

奏多「……あの、僕、働かなくていいんですか?」

桐谷の手が止まった。

桐谷「なんでそんなこと言う」

奏多「だって、ずっと家にいるだけで……
 桐谷さんばかり忙しそうで。僕、何してた人なんだろうって」

少しの沈黙。
時計の音だけが部屋を刻む。

桐谷がソファに腰を下ろすと、部屋の空気が少し落ち着いた。

奏多は彼の隣に座る。

桐谷「今はまだ、無理すんな。落ち着くまでは、ここでゆっくりしてりゃいい」

奏多「でも……僕、何してたんですか? 前は、どんな仕事を?」

その問いに、桐谷の表情がわずかに曇る。

桐谷「……色々だ。雑用みたいなもんだよ」

奏多「雑用……?」

奏多はその言葉を繰り返しながら、首を傾げる。

胸の奥で、違う何かが引っかかる。

“雑用”という響きが、どこか現実と違う気がしてならない。



奏多「じゃあ、桐谷さんとは、どういう関係だったんですか?」

桐谷「……どういう、って?」

奏多「僕……ずっと一緒に住んでて、
 なんか、他の人と話すより、桐谷さんの前だと落ち着くんです。
 その……」

言葉が詰まる。
けれど、聞かずにはいられなかった。



奏多「――僕たちって、恋人……だったんですか?」



沈黙。
秒針の音だけが響く。
桐谷はすぐには答えなかった。
煙草の箱を指先で軽く弾き、視線を逸らす。


桐谷「……そういう関係じゃねぇ」


声は低く、しかしどこか掠れていた。
奏多の胸が、きゅっと痛む。

奏多「……そう、ですか」

その返事の小ささに、桐谷はわずかに眉を寄せる。

桐谷「おまえがここにいるのは、そういう理由じゃねぇよ。
守るって決めたからだ。それだけだ」

その言葉が真実であるほど、
奏多の胸の中で何かが軋んだ。
“それだけ”なのに、どうして涙が出そうになるんだろう。

奏多「……じゃあ、僕は、桐谷さんにとって何なんですか?」

桐谷「……。」

桐谷は奏多の頭を撫でた。

その手が優しすぎて、奏多はもう何も言えなかった。

俯いた瞳の奥で、ぼんやりと光が滲む。

記憶はなくても、
その手の温度だけは、どうしても忘れられない。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

奏多はソファの端で、膝を抱えていた。
さっきの会話が、頭から離れなかった。

――“そういう関係じゃねぇよ”

桐谷の声が、耳の奥で何度も響く。

その言葉を聞いてから、胸の奥がずっと締めつけられている。

(どうして、そんなに苦しいんだろう)

理由なんてわからない。

でも、あの人がいないと呼吸が浅くなる。

不安が、皮膚の下でじわじわ広がっていく。

桐谷がシャワーを終えて部屋に戻ってきたとき、奏多はまだそこに座っていた。

目を上げると、濡れた髪から落ちた水滴が頬を伝う。

その一瞬の仕草すら、なぜか目が離せなかった。

桐谷「まだ起きてんのか」

奏多「……眠れなくて」

桐谷はバスタオルを肩にかけたまま、
少し戸惑ったように息をつく。

桐谷「さっきのこと、気にしてるだろ」

奏多は小さく頷いた。
視線を逸らせば、
胸の奥のざらついた感情が零れそうで。

奏多「俺、どうしても……桐谷さんのこと、
 特別に感じてしまうんです」

桐谷の目が、ほんの一瞬、柔らかく揺れた。

彼は無言で奏多の隣に腰を下ろす。

距離は、手を伸ばせば届くほど近い。

でも触れたら、もう戻れない気がして――

奏多は、膝の上で指をぎゅっと握った。

桐谷「……“特別”ってのは、どういう意味で言ってる?」

奏多「わかりません。
 でも、誰かに守ってほしいと思うのに、
 桐谷さん以外じゃだめなんです」

その言葉に、桐谷は小さく息を吸った。
どこか諦めにも似た、深い呼吸。

桐谷「……おまえは、ほんとに無防備だな」

奏多「無防備……?」

桐谷は目を伏せて、
濡れた髪を後ろへ撫で上げた。

桐谷「俺みたいな人間を“特別”なんて言うもんじゃねぇ。ろくなことにならねぇ」

奏多「それでもいいです」
その声は震えていた。
でも、まっすぐだった。

奏多「……もう、ひとりでいるのが、怖いんです。
 誰かに触れられるのも、
 誰かに置いていかれるのも、怖い。
 でも、桐谷さんなら、怖くない」

桐谷の喉が動いた。
しばらくの沈黙のあと、
彼はそっと奏多の頬に手を伸ばした。

桐谷「……どういう意味で言ってるのか、自分で分かってるのか。」

奏多「はい」

その返事と同時に、
桐谷の手が頬に触れる。

温かくて、荒い指先。

そこに込められたのは、
欲でも同情でもなく――ただの“想い”だった。

桐谷「……もう、離れねぇから」

奏多「……ほんとに?」

桐谷「ああ。……だから、これからは俺の隣にいろ」

桐谷の言葉が、
小さく、雨音に溶けて消える。

奏多は泣きながら笑った。
その涙は、悲しみの形をしていなかった。
確かにそこにある温もり。

外の雨は、静かに強さを増していた。
まるで、二人を包み込むように。








「愛してるよ」
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