龍の檻と青年

はる

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はじまり

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古びたビルの前に立つと、

時間そのものが止まってしまったような静けさがあった。

外壁には黒ずんだ雨跡。

割れたガラスの隙間から、冷たい風が通り抜ける。

奏多は喉を鳴らし、
息を整えながら、ドアの前に立った。

重い扉を押し開けると、
中は薄暗く、空気が淀んでいた。

足音がコンクリートに響く。

その音が、異様なほど大きく聞こえた。

一歩進むたびに、背中を何かが撫でるような感覚。

記憶のどこかで、この場所に似た空気を感じた気がした。

「……来たんだな」

声がした。

奥の影から、数人の男がゆっくりと姿を現す。

黒いスーツ、無表情。

その中に――ひとりだけ、ゆっくりと歩み出る影。



整った顔立ち。
だが、その微笑みは温度を持たない。
瞳の奥には、どこまでも冷たい光が宿っていた。

如月「久しぶりだな、奏多」

その声を聞いた瞬間、
体の奥で何かが軋んだ。
記憶の底に沈んでいた音が、再び鳴り出す。

奏多は唇を噛みしめ、視線を逸らした。
奏多「……来ました。言われた通りに」

如月は口元をゆがめて笑う。
如月「素直だな。あの男に似合わないほどに」

奏多「桐谷さんには、何もしないって……約束ですよね」

その言葉に、如月は楽しそうに眉を上げた。

如月「約束? ああ、そう言ったな。
 だが――お前の“来方”次第では、話が変わるかもしれない」

男たちの視線が、静かに奏多を囲む。

圧迫感。

逃げ場はない。

息を吸うたびに、喉が焼けるように乾く。

奏多「……俺が来た。だから、もう桐谷さんには――」

如月「どうしてお前は、そんなにあの男を庇う?」

如月が一歩近づく。
靴音が床に響き、
奏多の胸の奥が跳ねた。

如月「俺は気づいたんだよ。お前の弱点を」

奏多「……弱点?」

桐谷「そう。桐谷だ。
 あいつがいる限り、お前は強くなれない。
 お前は“守るために壊れる”タイプだ」

如月の声は低く、
それでいてどこか愉しんでいるようだった。


如月「なぜ俺が“完全には壊さなかった”と思う?」

その言葉に、奏多の呼吸が止まる。

「……」

如月「お前の中の“痛み”を残しておいた方が、よく響くからだ。
あの男の前で、お前がどんな顔をするか――見たかった」

如月の指が、奏多の頬のすぐ前で止まった。

触れることなく、空気だけをなぞるように。

その距離の近さに、心臓の音が耳の奥で跳ねる。

奏多「…どういうことですか?…やめてください」

如月「ははっ笑そうか、記憶がなかったんだっけ?でも、分かるだろ?やめる? じゃあ、代わりにあの男をどうすればいい?」

如月の声は穏やかだった。

だからこそ、怖かった。

その穏やかさが、まるで“決められた痛み”のように冷たく感じた。

奏多は小さく震える手を握りしめた。

奏多「……俺に、何をさせたいんですか」

如月はゆっくりと微笑み、



如月「見せてみろよ。
 本当に“あの男を守れる”って顔を」
と囁いた。

すると、如月は誰かに合図するように目配りする。

奏多「…?」


ガツンッッ

後ろから男が鉄パイプで奏多の後頭部を殴った。

視界が揺れる。
頭の奥で、鈍い痛みが広がっていた。

奏多「な……に……?」

声にならない。

喉が焼けるように乾いて、息を吸うのもやっとだった。

如月は淡々とした表情で、
懐から小さなガラス瓶を取り出した。
中の液体が光を反射して、わずかに青く輝く。

如月「少し、眠ってもらうよ」

そう言った瞬間、

背後から腕が回され、奏多の口元に布が押し当てられた。

薬品の匂い――

甘いような、鉄のような、鼻を刺す香りが広がる。

奏多「……や、め……」

言葉は途中で途切れた。

力が抜け、膝が崩れ落ちる。

世界が、ゆっくりと斜めに傾いていく。

如月が手を伸ばし、
倒れかけた奏多の顎を軽く支えた。

如月「ほんと、単純だな」

その声はまるで恋人に話しかけるように優しい。

如月「もう俺のものだー。」

耳の奥で、その言葉がこだまする。

遠ざかっていく意識の中、
誰かが名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

――桐谷さん。

その名前を思い出した瞬間、
瞼がゆっくり閉じ、
音も光も、すべてが途切れた。

……
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

どれくらい時間が経ったのか分からない。

車のエンジン音、タイヤがアスファルトを擦る音、

そして――何かが軋む重いドアの音。

如月「ここだ。降ろせ」

如月の声がした。

誰かが奏多の体を担ぎ上げ、建物の中へと運び入れる。

コツコツコツコツ

奏多『…かい、だん?』

またコンクリートの匂い。
かすかな血と薬品の混ざった空気。

足音が遠のく中、
如月はゆっくりと手をポケットに入れ、
外を見上げた。

夜の空は曇っていて、月は隠れている。
その暗闇を見ながら、
口の端をわずかに吊り上げた。

如月「さぁ――はじめようか。
堕ちてこい、奏多」

静かに、ドアが閉まる。

重たい音が響き、
その場所は再び、沈黙に包まれた。
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