幽霊部員は本物の幽霊でした。~オカルト部の日常と非日常~

風船色

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第14話:境界線を越える手

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 俺は、光の奔流の中にいた。

 いや、光ではない。これは呪いであり、祈りであり、数万人の人間の記憶と感情がごちゃ混ぜになった混沌(カオス)だ。  赤い濁流に触れた瞬間、俺の思考は白く染まった。  痛みすら感じない。神経が焼き切れ、肉体の感覚が消失していく。

 (……ああ、これが「死ぬ」ってことか)

 どこか他人事のように思う。  体中の細胞が悲鳴を上げ、魂が肉体から剥がれ落ちそうになる。

『やめろ、小僧! 貴様ごときが扱える力ではない!』

 濁流の中から、雨宮の声が聞こえた。  彼はすでに肉体を失い、このエネルギーの一部として取り込まれてしまったようだ。

『この力は私の陽子のためのものだ! 返せ! 返せぇぇぇッ!』

 雨宮の怨念が、俺の意識を侵食しようとする。  甘い匂い。腐臭。  俺は歯を食いしばった。  うるさい。ノイズだ。俺は、ノイズには慣れてるんだよ。

「……掴む」

 俺は意識を集中させた。  消失しかけている両腕の感覚を、無理やり呼び覚ます。  俺には「視える」。この混沌の中にある、エネルギーの核が。

「ぐ、おおおおおおッ!!」

 俺は両手を突き出し、暴れ狂う龍の首根っこを掴むイメージで、エネルギーの奔流を鷲掴みにした。  バチバチバチッ!!  凄まじいスパークが散り、俺の霊体と肉体が同時に焼き焦がされる。

 重い。熱い。  街一つ分の質量が、俺の両腕にのしかかる。  骨がきしみ、筋肉が断裂する音が体内で響く。

 だが、掴んだ。  俺の「干渉能力」は、この規格外のエネルギーに対しても有効だった。

「アースだ……俺の体を通って……全部、外へ出ろッ!」

 俺は自らを導管とし、掴んだエネルギーを足元から――地下深くの大地へと流し込もうとした。  だが、量が多すぎる。  俺の「器」のキャパシティを遥かに超えている。  このままでは、放電しきる前に俺の体が爆発して終わりだ。

(……くそっ、ここまでかよ)

 意識が遠のく。  暗闇が迫る。  その時。

『――一人で格好つけてんじゃないわよ、馬鹿部員!』

 声がした。  温かい光が、俺の背中に触れた気がした。

2

 石舞台の上で、凛は呪符を構えながら叫んでいた。

「瑞希! 行くわよ! あの馬鹿が消し炭になる前に!」

「う、うん! でも、どうやって!?」

 凛が、瑞希の手を掴んだ。  そして、その瑞希の手を、石舞台の端から濁流に向かって突き出させた。

「貴方は『幽霊』よ! 霊的エネルギーへの親和性は彼より高いはず! 彼の負担を肩代わりしなさい!」

「えっ、でも……」

「『生きたい』んでしょう!? 彼と一緒にいたいんでしょう!? だったら、彼の手を離さない覚悟を見せなさいよ!」

 凛の叱咤。  瑞希はハッとして、眼下の赤い濁流を見つめた。  その中心で、苦悶の表情で耐えている零士の姿。

「……うん。私、もう逃げない!」

 瑞希は覚悟を決めた。  彼女は手を伸ばした。  濁流の中へ。  零士の手へと向かって。

3

 暗闇の中で、俺は何かに触れられた感覚があった。  冷たいけれど、温かい。  あの、雨の日の水族館で繋いだ手の感触。

「……瑞希?」

 俺が薄目を開けると、濁流の外から差し伸べられた小さな手が、俺の腕を掴んでいた。

『零士くん! 私も持つよ! 半分こしよう!』

 瑞希の声が、ノイズを掻き消して直接心に響く。

「馬鹿! 離せ! お前まで巻き込まれる!」

『嫌だ! 絶対に離さない!』

 瑞希の手から、俺の体へ、新たな霊力のパスが繋がる。  彼女が俺の負担を引き受けようとしている。幽霊である彼女の体は、俺の肉体よりも霊的エネルギーの通過に適しているのだ。

『私も、零士くんも、誰も死なせない! 二人で、オカルト部に帰るの!』

 彼女の強い意志が流れ込んでくる。  それが、俺の消えかけた意識を呼び覚ます。  そうだ。帰るんだ。  あの埃っぽい部室へ。くだらない日常へ。

「……ああ。帰ろう、瑞希」

 俺は彼女の手を握り返した。  強く、強く。

「凛! 先輩! 援護を頼むッ!!」

 俺は石舞台の上にいる二人に叫んだ。

「任せなさい! 九条院流退魔術奥義――万象浄化・白銀の楔!」

 凛が自身の霊力を全て注ぎ込んだ、巨大な光の槍を生成し、濁流の中心へと撃ち込む。  それはエネルギーを「浄化」し、暴走性を弱めるための楔だ。

『おうよ! ホームランかっ飛ばすぜぇぇぇッ!』

 先輩幽霊が、どこからか持ち出したバットをフルスイングする。  彼の放った霊的な衝撃波が、濁流の流れを物理的に変え、地下深くへのルートをこじ開ける。

「今だッ!!」

 俺と瑞希は、声を合わせて叫んだ。  二人の体がリンクし、巨大なエネルギーの塊を制御下に置く。

「墜ちろォォォォォォォッ!!!」

 俺たちは掴んだエネルギーを、全力で地下の底――先輩がこじ開けた大地の裂け目へと叩きつけた。  ズドォォォォォォン!!!  赤い濁流が渦を巻きながら、奈落の底へと吸い込まれていく。

 雨宮の怨念も、街の人々の記憶も、すべてが地下深くの霊脈へと還っていく。  石舞台が崩壊し、地下空洞全体が光に包まれる。

 俺の意識が、白い光の中に溶けていく。  最後に感じたのは、最後まで離さなかった、瑞希の手の温もりだけだった。

4

 気がつくと、俺は校舎の屋上にいた。

 朝日が昇ろうとしていた。  東の空が、美しい茜色に染まっている。  風が、頬を撫でる。  甘い匂いも、腐臭も、もうしない。澄み切った朝の空気の匂いだけがした。

「……終わった、のか?」

 俺は体を起こした。  全身が痛い。両腕はボロボロで、制服は焦げている。だが、生きている。

「八雲くん!」

 屋上の入り口から、凛が駆け寄ってきた。彼女もまた、満身創痍といった様子だが、その表情は晴れやかだった。

「やったわね。街の結界、正常に戻ったわ。地下のエネルギーも安定した。……私たちの勝ちよ」

 凛が俺の手を取り、助け起こしてくれた。  俺は周囲を見渡した。  屋上には、俺と凛しかいない。

「……瑞希は?」

 俺の声が震えた。  まさか。  あの濁流の中で、力を使い果たして――。

「……あそこよ」

 凛が指差した先。  給水塔の影に、一人の少女が立っていた。  彼女は朝日を背にして、こちらを見ていた。  その体は半透明で、向こう側の景色が透けて見える。

「瑞希……!」

 俺は駆け寄った。

「……あ、零士くん。おはよう」

 瑞希は恥ずかしそうに微笑んだ。  その笑顔は、いつもの屈託のないものだった。

「私、消えなかったみたい。でも、ちょっと力が抜けちゃって……うまく実体化できないや」

 彼女が申し訳なさそうに手を差し出す。  俺はその手を、そっと握った。

 すり抜けた。

 俺の指は、彼女の掌を空しく通過した。  あの温もりは、もう感じられない。  俺の「干渉能力」が失われたのか、それとも彼女の霊体としての性質が変わったのか。

 俺は愕然とした。  俺は彼女を守った。だが、その代償に、もう彼女に触れることはできないのか。

 しかし、瑞希は笑った。  とても嬉しそうに。

「でもね、零士くんの手、すごく近く感じるよ」

 彼女は、俺の手と重なる自分の手を見つめた。

「触れなくても、繋がってる気がする。……不思議だね」

 俺は彼女の顔を見た。  朝日の中で、彼女の半透明な体は、宝石のようにキラキラと輝いていた。

「……ああ。そうだな」

 俺は自分の手を引いた。  物理的な接触がなくても、俺たちには確かな絆がある。  あの地獄のような夜を越えた、二人にしか分からない絆が。

「帰ろう、瑞希。オカルト部へ」

「うん! 帰ろう、部長!」

 俺たちは並んで歩き出した。  俺の隣には、誰もいないように見える空間がある。  だが俺には、そこに確かに存在する少女の笑顔が、はっきりと「視えて」いた。

 オカルト部の長い夜が明け、新しい日常が始まろうとしていた。
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