落ちこぼれの【無属性】魔術師、実は属性そのものを定義する「概念魔法」の創始者だった

風船色

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第二話

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王立魔導学院を追放され、王都を離れてから数日。アリスティア・レイロードの足は、地図上で「空白」として描かれる場所に到達していた。

「最果ての森」――別名、忘却の監獄。 そこは、数千年にわたって蓄積された高濃度の魔力が変質し、生物にとって有毒な「瘴気」として漂う、人跡未踏の地である。既存の魔導士がこの森に入れば、数分と持たずに体内のマナが暴走し、内側から弾け飛ぶと言われていた。

だが、アリスティアの足取りに躊躇はない。 彼の瞳に映るのは、不気味に揺らめく紫色の霧ではなく、その奥に潜む「世界の構造」である。

「なるほど、不快な環境だ」

アリスティアは独り言ち、立ち止まる。 一歩先からは、大気を構成するマナの組成が急激に変化している。通常、生命維持に必要な酸素の循環が、この高濃度エネルギーによって阻害されているのだ。

「生存確率、現状の定義では0.02%未満。……非合理的だ。呼吸という基本的な生命維持活動に、これほどのコストを強いる環境は、設計思想に欠陥があると言わざるを得ない」

彼は淡々と指を動かし、空中に「見えない数式」を記述し始める。 彼が扱うのは、既存の「風属性魔法」による空気清浄ではない。事象の前提そのものを書き換える権能である。

「定義(ディフィニション):[大気中の魔力含有量] および [毒性物質の生理的影響] の再構成」

彼の思考が、世界の深層意識にアクセスする。 アリスティアの脳内では、複雑な数式が幾何学的な模様を描きながら、この領域の「ルール」をハッキングしていく。

「術式展開:[酸素] = [生命維持の触媒] から [マナ] = [直接エネルギー源] への変換プロセスの定義。この領域において、呼吸は栄養摂取と同義とする」

カチリ、と。 世界が更新されたような音が、彼にだけ聞こえた。

一歩、踏み出す。 肺に流れ込んできたのは、本来ならば死をもたらす猛毒の瘴気。しかし、アリスティアの体はその成分を「酸素以上に効率的なエネルギー源」として認識し、細胞の一つ一つが活性化していく。

「ふむ、悪くない。むしろ王都よりも活力が湧く。この環境を『呪い』と定義した先人たちの、観察眼の欠如には驚かされるな」

アリスティアは、まるで散歩でも楽しむかのような足取りで、森の深部へと入り込んでいった。

森を進むほどに、現象は歪みを増していく。 重力が局所的に反転し、植物は知性を持っているかのように蠢く。 だが、アリスティアにとってはそれらすべてが「論理的に解釈可能なバグ」に過ぎなかった。

襲いかかる巨大な食人植物には「定義:[可燃性] の付与」を行い、指先一つ触れずに内部から発火させて処理した。 物理法則を無視した底なし沼には「定義:[表面張力:無限]」を適用し、水面をアスファルトのように踏みしめて渡った。

そして、森の最深部。 一際巨大な、水晶の樹木がそびえ立つ広場に出たとき、彼は「それ」と出会った。

「…………人間?」

低く、しかし鈴を転がすような透明感を持った声が響いた。 水晶の樹の根元。そこに、無数の「光の鎖」に縛り付けられた巨大な龍がいた。 鱗は雪のように白く、銀色の煌めきを纏っている。伝説に謳われる「銀嶺竜」である。

しかし、その威厳ある姿とは裏腹に、彼女の瞳には深い絶望と、そして何百年もの孤独が宿っていた。

「ここに来てはいけない……。この場所は『断絶』の概念で守られている。一度入れば、神ですら出られぬ監獄……。早く、死ぬ前に立ち去りなさい……」

アリスティアは、龍の警告を無視して数歩近づいた。 「『断絶』、ですか。興味深い」

彼は龍を見上げ、眼鏡の奥の瞳を細める。 「興味深いのは貴方の存在だ。これほどの質量の高純度マナを維持しながら、その封印を内側から破壊できないのは、力の不足ではなく、論理の欠陥によるものですね」

「な……何を言っているの? これは古代神話の時代に打たれた、絶対の封印なのよ……」

「『絶対』などという言葉を、安易に使うべきではありません」

アリスティアは無造作に、封印の鎖に手を触れた。 瞬間、衝撃波が走り、広場の空気が凍りつく。封印は侵入者を拒絶し、アリスティアの存在を抹消しようと膨大なエネルギーを放出した。

だが、アリスティアは眉一つ動かさない。 「解析完了。この封印の定義は……『内側にあるものを外側へ移動させる確率を0に固定する』。そして『概念的重量を無限とし、物理的破壊を無効化する』。……実に古臭い。IF文のネストが深すぎて、論理的な隙だらけだ」

「な、何を……触れているのに、なぜ貴方は消滅しないの!?」

龍は驚愕に目を見開く。 アリスティアの指先は、封印のエネルギーを「ただの背景放射」として受け流していた。

「僕が今、僕自身の存在確率を『100%』で固定していますから。どれだけ世界が僕を否定しようと、計算式が正しい限り、僕はここに居続ける」

アリスティアは、鎖の結合点を見つめた。 「さて。銀嶺竜、貴方に提案がある。僕はこれからこの森に研究所を建てる。だが、一人で研究を進めるには、並列演算能力が少しばかり足りない」

「提案……?」

「僕がその欠陥品(ふういん)を書き換えて、貴方を解放してやる。その代わり、僕の助手(ツール)になれ。貴方のその膨大なマナと処理能力を、僕の魔法理論の計算資源として提供してもらう」

「……あ、貴方は、自分が何を言っているのか分かっているの!? 私は龍なのよ? 人間に従うような存在では――」

「拒否するならそれでもいい。ですが、その場合はこの論理矛盾の塊の中で、あと数千年は無駄な時間を過ごすことになりますね。それは、極めて非効率的な選択だと思いませんか?」

龍は言葉を失った。 目の前の人間は、自分を畏れていない。自分を「龍」という超越的な存在としてではなく、ただの「高性能な計算機」として評価している。

だが、その無機質な瞳の中に、何者にも屈しない圧倒的な「真理への渇望」を見た。

「……いいわ。もし本当に、この絶望を解けるというのなら。私は貴方のものになりましょう」

「契約成立です」

アリスティアは、深く息を吐き、意識を深層へと沈める。 これまでの「石ころを硬くする」ような単純な干渉ではない。神代の魔術体系を丸ごと上書きする、大規模な再定義だ。

(定義:この鎖は『檻』ではない) (数式展開:座標 X, Y, Z における空間的拘束のベクトルを、対象者の意志に基づく『指向性魔力供給路』に再定義する)

アリスティアの指が、光の鎖に食い込む。

「世界の定数に異議を申し立てる(オーバールール)。――解放せよ」

バキィィィィィィィンッ!!

空間そのものが砕けるような轟音が響いた。 絶対と謳われた光の鎖が、アリスティアの意志に従い、その定義を変えていく。 龍を縛り付けるための枷は、瞬時にして彼女へ膨大な魔力を還元する「供給源」へと変質し、霧散した。

「ああ……ああああああ!」

龍の咆哮が森を震わせる。 自由を得た彼女の身体が、純白の光に包まれて小さくなっていく。

光が収まったあと。 そこにいたのは、銀色の髪を腰まで伸ばした、14歳ほどの少女だった。 白磁のような肌、神秘的な蒼い瞳。そして、どこか幼さを残した顔立ち。

「……本当に、外に出られた。何百年も、誰も壊せなかったのに。……貴方、一体何者なの?」

少女――ルナは、自分の手を見つめ、震える声で尋ねた。 しかし、アリスティアはすでに彼女の方を見ていなかった。彼は手元のノートにペンを走らせ、封印を解除した際の数値データを記録していた。

「アリスティア・レイロード。ただの研究者ですよ。さて、ルナ。立ち止まっている時間は惜しい。まずは拠点となる家の建設だ。君には、建築資材の質量制御と、空間拡張魔法の演算を並列で担当してもらう。……できるな?」

ルナは呆然としたあと、思わず吹き出した。 伝説の龍を助手にした直後の第一声が、これである。

「……ふふっ。本当に変わった人。いいわよ、アリスティア。私の全てを使って、貴方の凄さを世界に証明してあげる!」

「自慢は不要だ。……あ、それから。家を建てる前に一つ定義しておこう」

アリスティアは森の奥、日当たりの良さそうな場所を指差した。

「定義:この半径1キロメートル以内において、僕の睡眠を妨げるあらゆる騒音、および不快な害虫の侵入を禁ずる」

その瞬間、騒がしかった森の魔物たちの鳴き声が、ピタリと止んだ。 世界で最も危険な森の最深部に、世界で最も「静寂で快適な」空間が誕生した瞬間だった。

「さあ、始めようか。魔法を『才能』の呪縛から解き放つ、僕たちの研究を」

アリスティアの傍らで、ルナは楽しそうに、そして誇らしげに頷いた。
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