桜通りの殺人

月森朱音

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第四章 桜の下の追跡

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 事件発生から四日め。春の空は、相変わらず青かった。少し霞がかっているところに、風情を感じる。
 
 その日もわたしたちは、カフェ・アンテールに集まった。昨日と同じ、奥のボックス席で顔を突き合わせる。オーダーも同じ。わたしはココア、将流はコーヒー。ただし今日はアメリカンだ。昨日は、ブレンドだったのに。まぁ、その違いは、わたしにはよくわからないが。

「被害者の詳細、わかりましたよ」

 コーヒーを飲むなり、手帳を開いて将流が言った。そうして、タブレット端末を、わたしに押し付けてくる。
 画面は写真フォルダ。SNSのスクリーンショットが並んでいる。

「……被害者のSNSです」
「佐伯の?」
「そうです。最後の更新は一週間前……遺体発見の三日前、ですね」
「よくアカウントが残っていたな」
「現在は閲覧できません。警察が調べてるんで。これは、その前にユーザーが撮っておいたスクショを集めたものですね」
「ほう」

 なかなかに暇な奴らだ。だが、おかげでこうして情報を入手できるのだから、悪くない。

「それで、佐伯のアカウントから、交友関係を洗いました」

 将流は手帳を繰りながら、落ち着いた声で言う。

「それなりのフォロワーはいましたが、特に親しいのはこのグループ」

 将流は、身を乗り出してタブレットを操作し、複数のアカウントを表示した。どれも似たような印象のアイコンばかりだ。プロフィールには意味のある文字列は見つけられない。
 
「かなり、悪いことしてたみたいですね」
「悪いこと」

 わたしは、繰り返す。
 なんとも歯切れの悪い言い方だ。

「暴行、恐喝、危険運転……かなり、危ないことしてたみたいです」
「グループで、か?」
「そうですね」
「逮捕されたのか」
「何件かは」
「起訴は」
「されていません」
「なぜ」
「メンバーに、大物議員の息子がいて」
「……ああ、それで」

 わたしは、納得した。
 つまり、もみ消した、ということだ。

「…………」

 将流が、何か言いたげな顔でわたしを見てる。

「なんだ」
「いえ……なんでもありません」

 てっきり、実家のことを聞かれると身構えていたわたしは、肩透かしをくらった気分になった。まぁ、聞かれない方がありがたいのだが。

 なんでもかんでも突っ込んでくるタイプではないのか。だとしたら、助かる。
 
「こいつら、探ってみましょうか」

 将流が、タブレットを見ながら聞いてきた。
 わたしは、うなずく。

「そうだな、いい作戦だ」
「誰から調べます?」
「手あたり次第でいいだろう」
「そんな、無計画な……」

 将流は呆れたように天を仰ぎ、手帳のページを見せてきた。そこには、グループメンバーの名前と住所が書かれている。そのうちの一人を指して、将流が言った。

「こいつ、どうですか。住所が近い。電車で一本です」
「いいだろう」

 こうして、わたしたちの次の行動が決まった。それぞれのドリンクを飲み干し、席を立つ。ベルの音とともに外に出ると、春の日差しがまぶしかった。
 
 
* * *


 その男――槇原雄二の家は、最寄り駅から電車で一本、二十分ほどの距離だった。わたしたちはICカードをタッチして改札を抜け、ホームに向かう。
 やがてやってきた快速急行に、二人で乗り込んだ。車内はガラガラで、並んで座ることができた。……いや、並ばなくても構わないのだが。
 
「可南子さん、通学はなにで?」

 暇だったのだろう、将流が聞いてきた。
 わたしも暇だったので、答えてやる。
 
「歩きだ」
「自転車じゃ、ないんですね。結構、距離ありません?」
「……誰もが乗れると思うなよ」
「え、自転車、ですか」
「…………」
「すいません、二度と聞きません」

 わかればいいのだ。

「おまえこそ、なにで通ってる。馬車か。ヘリコプターか」
「んなわけありますか。電車ですよ。ちょうど次の駅です」

 その瞬間、タイミングよく電車は止まった。ホーム側のドアが開く。数人の人が降りていき、数人が乗ってくる。そして扉が……閉まらなかった。

「あれ?どうしたんだろう」

 将流がつぶやいた、その時。

「ご乗車のお客様にご案内申し上げます。さきほど、下桜駅にて人身事故が発生した影響で、この電車はしばらく当駅に停車いたします。現在のところ、復旧のめどはたっていません。お急ぎのところご迷惑をおかけします」

 なんと。電車が、止まったか。

「どうしましょうね」
「歩いていくか」
「どれだけ距離があると思ってるんですか」
「だが、待っていても時間の無駄だ」

 わたしが立ち上がりながら言うと、将流は意外な一言を口にした。

「車で、行きましょう」

 ――くるま?
 
 一瞬、脳内がフリーズする。 
 
「タクシーは嫌いだ。断る」
「違います。俺の車ですよ。ちょうど、ここから家、近いし」
「おまえ……持っているのか?車を?」

 正直、驚いた。大学生のはずだ。記者とはいえ、見習い。そんな二十歳そこそこのこんな若僧が、車を所持している……だと?

 わたしの驚きと戸惑いが伝わったのか、将流は困ったように笑った。

「軽、ですけど。内定祝いにって、親が」

 ああ、なるほど。それならばわかる。優しい両親が、記者の内定をとったかわいい息子にプレゼントしたわけか。

「では、そうしよう」

 わたしは、うなずいた。
 利用できるのなら、利用させていただこう。

 
* * *


 将流の家は、駅から徒歩十分ほどだった。決して新しくはない二階建てのアパートだが、ゴミ捨て場をはじめ、どこも綺麗に整えられている。管理者がしっかりしているのだろう。

「駐車場、こっちです」

 アパートの裏手に、小さな駐車場があった。月極、と書かれた大きな看板がたっており、何台かの車が止まっている。地面には白いラインと番号が書かれていた。

「その茶色いのです、俺の愛車」

 言われた方を見ると、3番のスペースに、小さな丸いフォルムの車があった。本体はダークブラウン、屋根の部分がベージュのツートンカラー。正面には「HUSTLER」とシルバーで書かれている。ハスラー、と読むのだろう。いい名前だ。

 ぴ、という音がした。将流がカギをあけたようだ。運転席のドアを開け、乗り込もうとしている。わたしは助手席側のドアを開け、同じように乗り込んだ。

「それで……目的地はどこだ」

 シートベルトを締め、尋ねる。
 しかし。
 
「…………」

 将流はというと、未だに車内に入らず、中腰のまま覗き込み、なにやら言いたげな視線を向けてきていた。

「……なんだ」
「可南子さん」

 ため息交じりに、ひとこと。

「だから、なんだ」
「気を付けてくださいよ」
「なにがだ」
「いえ、俺だからいいんですけど……」

 言いながら、大きな体を小さな車に潜り込ませてくる。
 
「迂闊に、男の車に乗り込まないこと!危ないですからね」

 それだけ言い切ると、将流はエンジンをかけた。ブルン、という音と振動が車内に響く。

 なんと返信していいかわからずにいるうちに、ブラウンのハスラーは発車した。こじんまりとした車内は、不思議と居心地がよかった。


* * *

 
 目的地までは、二十分ほどでついた。郊外の住宅地。あたりは緑が多く、静かな町だ。家屋は少し古めのものが多い。
 
 コインパーキングに車を停めて、槇原雄二の家に向かう。わたしは地図が読めないので、将流のスマホが頼りだ。おとなしくついていく。弁えている、わたしは、おとな。
 
 やがて、わたしたちは古い木造家屋の前にたどり着いた。石の塀に鉄の門扉。ふた昔前の建物だ。その奥、ガラス引き戸の玄関に貼られた紙に、目がとまった。

 ――忌中

 誰か、亡くなっている?

「どうしますか」

 将流が聞いてきたけれど、返事は決まっている。
 わたしは無言で、呼び鈴を押した。

 ぴんぽーん、と家の中に音が響いたのがわかった。
 しばらく、待つ。
 しかし、なんの音もしない。
 もう一度、ぴんぽーん。
 ……気配すら、ない気がする。

「いませんね」
 
 将流がつぶやいた。
 確かに、この家には、誰もいないようだ。

「お隣に、聞いてきます」

 言うが早いか、将流は隣家のベルを押した。
 今度はすぐに反応があり、中年の女性が出てきた。

「ああ、お隣さん?亡くなったのよ、ちょっと前に」

 女性は噂好きの様子で、表情豊かに話してくれた。

「なんでも、建設中のビルから落っこちたって。自殺なのか事故なのか知らないけど、怖いわよねぇ。なんでそんなとこにいたのかしら。それで、奥さんと子供は実家に戻っちゃってねぇ。だから、今はだれもいないってわけ」
「亡くなったのは、ご主人なんですか」
「そうそう、槇原さんのご主人。穏やかそうないい人だったのにねぇ」
「お仕事は、なにを」
「運送業だったみたいね。車の運転が好きで、よく家族でドライブしてたわ」
「奥さんのご実家は、遠いんですか」
「都心のM区にあるらしいわよ。奥さんはほら、いいとこのお嬢さんだったから。今頃ご実家で、のんびりしてるんじゃないかしらね。うらやましいわぁ、ふふ」

 伴侶が亡くなったのに、うらやましいもないだろう。そう思ったが、言わないでおいた。 

 嬉しそうに笑う女性に、将流が写真を見せる。

「この人、ご存じですか」
「さぁ……誰かしら。見たことないわ」
 
 それはスーツケースの被害者、佐伯俊也の写真だった。

「どなた?やだ、もしかして……槇原さんの奥さん、浮気でもしてたの?」
「そういうわけじゃ、ありません」
「あら、そうなの?ほら、亡くなった槇原さんのご主人は、こう言ったらなんだけど、冴えない人だったから。奥様はすごくおきれいな方でね、不釣り合い……っていうの?美女と野獣ってやつよ。まぁ、なんでも奥様が惚れ込んで結婚したらしいけど……やっぱり《格》ってあったと思うのよねぇ。だからね……」

 だめだ。どうして主婦というのは、こうもゴシップネタが大好きなんだ。

「ありがとうごさいました。何かあったら、ご連絡いただけると助かります」

 わたしは話を遮って言った。
 将流が頭を下げ、名刺を渡す。

「記者さんなの?まぁ!それならそうと言ってよ。写真撮る?」
「いえ、今日はお話だけで……」

 テンションの高い隣人に手こずりつつ、わたしたちは車に戻った。
 時刻は、午後三時前。春の陽が、まぶしい時刻だ。

 助手席に身を沈め、わたしはつぶやく。

「……二人め」

 将流が「え」、と小さな声を上げた。

「佐伯が殺された。槇原も死んでいる……偶然だと思うか」
  
 意外そうな表情。
 
「いや、そんなこと……」
「言い切れないだろう」

 じっと瞳を見つめると、将流も真顔になった。

「偶然じゃ……ない、なら……計画的?」
「その可能性も、おおいにある」

 かつて悪さをしていたグループのうち、二人が死んでいる。しかも、近い時期に。槇原は事故、自殺かもしれない。けれど、佐伯はバラバラの状態で遺棄されている。これが、無関係であると言い切れるだろうか。

 わたしはシートベルトを締めながら、思考を巡らせた。
 
 まだなにか、見えていないものが、きっとある。
 そんな気がして、たまらなかった。


* * *


 その足で、わたしたちは桜見坂署へ向かった。

 車内で、スマートフォンを確認する。公式発表の記者会見映像。ニュースサイトの記事。どれをみても、内容はほぼ同じだった。

「……おまえが集めた情報と一致しているな」
「そうでしょう」

 将流は運転しながら、少しだけ得意げにうなずく。

「でも、全部じゃありませんよね」
「ああ、一部だけだ」

 情報が、伏せられている。
 あるいは――警察自身が、まだ気づいていないのか。

 時折信号で止まる以外は渋滞することもなく、車は桜見坂署に到着した。駐車場に停めてから、入り口に向かう。歩哨の警官が、こちらをちらりと見た。

 将流が肩をすくめ、小声で言った。

「なんだか、緊張しますね」
「おまえは、犯罪者か」
「まさか」
「それなら、堂々としていろ」
「可南子さん、どんだけ神経太いんですか……」

 失礼なことを言う将流をギリと睨みつけ、受付に向かわせる。担当刑事の名前は、あらかじめ伝えてある。
 
「刑事課の久坂刑事か、三島刑事はいらっしゃいますか」
「どのようなご用件ですか」

 将流が一瞬こっちを見たが、黙っていた。
 がんばれ。

「昨日の事件のことを、お聞きしたくて」
「情報のご提供?」
「あー、そんな感じなんですけど」

 受付担当の警官が、不審そうな視線を向けてくる。
 うむ……ここまでか。さて、どうするべきか。
 
 そのとき。

「あれ」

 背後から、低い声がした。

 振り返ると、立っていたのは、久坂刑事。おお、ナイスタイミング。外から戻ってきたところらしい。疲れた顔をしているが、視線は鋭い。

「瑪瑙さんとこのお嬢さんか」
「久坂刑事、お疲れ様です」

 全開の笑顔を向ける。美人と笑顔は使いよう、だ。
 しかし、久坂刑事には効果がなかったようで、さらに難しい表情になった。大きなため息とともに、厭味ったらしい口調で言われる。

「探偵ごっこもほどほどにしろよ」
「ですよね、すいませ……」
「ごっこではない」

 迂闊に謝ろうとした将流を遮り、わたしはきっぱりと言った。

「わたしは、探偵なので」
「遊びじゃねぇんだ。素人はひっこんでろ」
「警察は、どこまで調べたんですか」
「情報を漏らすわけねぇだろうが」
「目撃者、見つかったんですか」
「教えねぇよ」
 
 わたしたちの間に、火花が散る。
 将流が、とりなすように言った。

「あ、あの、俺、こういう者なんですけど」

 低姿勢のまま、名刺を差し出す。

「記者ぁ?」
「見習いですけど」
「お遊び探偵と見習い記者。お似合いじゃねぇか」

 嫌味な口調に腹が立ったが、反論はしない。こんなところで、こんなことで、争うだけ無駄だ。わたしは、おとな。

 そんなわたしをよそに、将流は真面目な表情で尋ねる。
 
「バラバラの遺体って、全身分あったんですか」
「あ?」

 久坂刑事が厳しい視線を投げてきた。

「いえ、指があったのは知っているんですけど、見つかったのは一部だったのかな、って」
「……それが、どうした。こっちは目撃者探しで忙しいんだよ」

 イライラした口調でぼやく久坂刑事に、わたしはきっぱりと告げた。
 
「見つからないはずだ」

 刑事の眉が、ぴくりと動く。

「なんだって?」
「大胆な犯行、しかも《見られる前提》でやっている。犯人は、早朝の桜見坂が、ほとんど無人になることを知っている。毎朝、同じ時間に走る医師の存在も。発見される時刻まで、計算している」

 久坂刑事は舌打ちした。

「……考えすぎだ」
「だと、いいですね」

 わたしは、それ以上言わなかった。
 一瞬の沈黙の後、久坂刑事は歩きだした。

「ありがたすぎるアドバイスだな。素人はお家に帰ってろ」

 吐き捨てるように言って、古いエレベーターの中に姿を消した。
 見送った後、将流がポツリと言う。

「……可南子さん」
「なんだ」
「喧嘩して、どうするんですか」

 失礼な、喧嘩などしていないではない――

 そう反論しようとしたが、将流に背中を押され、わたしは桜見坂署を後にした。
 
 
* * *


「最近、よく出かけるね」

 夕食後、コーヒーを淹れながら、叔父様に言われた。食器も片づけ終わり、のんびりとイチゴを食べているときだった。

 穏やかな口調ではあったが、脳内に警報が鳴り、わたしは瞬時に思考を巡らせる。勝手に捜査をしていることを知られたら、止められることはわかりきっている。
 
 わたしは、とっさに嘘をついた。

「散歩に、ハマりました」
「へぇ、いいね」

 叔父様はそう言って、マグカップを持ったまま、定位置――わたしの正面の席――に腰を下ろした。その表情には、どこか楽し気な色が見え隠れしている気がする。
 
「あの青年と、かな?」
「……!」

 思わず、動きが止まってしまった。
 
 なぜだ。なぜ、わかった。叔父様には見られないように、気を張っていたのに。将流か?あいつの背が無駄に高いから、だから目立っているのか?

「東雲将流くん……だったかな」
「…………」

 わたしは、なにも言えなくなった。

 叔父様は微笑みながら、私を見ている。

 誤解している。ぜったいに、誤解している。
 
「大学の……先輩だったから」

 かろうじて、それだけを言った。
 けれど、叔父様の笑みは消えない。それどころか、嬉しそうですらある。

「いい傾向、かな」

 叔父様は、コーヒーをひとくち飲んで、言った。

「ずっと篭って本を読んでいるより、健康的だ。若い頃のツケは、あとから払うことになるからね」

 腰をおさえながら、おどけたように言っているけれど……楽しさが隠せていない。絶対に、面白がっている。

 誤解している。やっぱり、誤解している。

 けれど、否定すればするほど沼にはまりそうだし、なにより出歩いている本当に理由を知られるわけにはいかない。

 わたしは適当に笑ってごまかし、イチゴをまとめて頬張った。口の中に広がる甘酸っぱい果汁は、すべてを押し流してくれるような気がする。

 その様子を見て、叔父様は心配そうに言った。

「果物の食べ過ぎには気をつけて。また入院なんて嫌だろう?」
 
 数年前の悪夢が蘇った。
 
 そう、わたしは入院したことがある。まだ高尾の家に引き取られてすぐの頃だ。叔父様が留守の間の偏食がたたったのか、一週間ほど入院したのだ。果物だけを食べていたのが原因と言われたが、いや、今思うと、あれは環境の変化による緊張やストレスであって、果物のせいではない。だんじてない。……と、思いたい。

「君までいなくなったら、僕は本当に独りになる」

 叔父様は、しみじみとつぶやく。わたしは、言葉が出なくなった。

 叔父様の奥様――わたしの叔母様にあたる人――は、若くして亡くなっている。わたしが、まだ実家にいる時の話だ。自殺だったらしいが、詳しいことは聞いていない。叔父様の過去を掘りほこして聞き出すことも、躊躇われた。

「気をつけます」
「まあ、果物は、ほどほどに」

 叔父様は楽しそうに笑った。わたしはイチゴをさらに頬張り、冷蔵庫の扉を閉めた。モーターの音が、キッチンに小さく響いていた。
 

* * *


「叔父様に……ばれそうになった」

 翌日――5日めの午後。カフェ・アンテールで、わたしは言った。辺りをうかがうような小声だったのは、わざとではない。状況は、深刻だった。それなのに。

「そうですか」

 将流は素知らぬ顔で、コーヒーを飲んで「うま」などとつぶやいている。
 こいつ、状況がわかっていないのか?
 わたしは身を乗り出した。

「聞いているのか!」
「はい」
「……どうする」
「べつに、どうもしませんよ」 
「なにを平和なことを!叔父様にばれたら、どうなるか……」
「どうなるんです?」
「捜査を止められる」
「……そうでしょうねぇ」

 のんびりとした口調だ。
 やはり、状況がわかっていない。
 くってかかろうとしたわたしをちらりと見て、将流は言った。 

「でも、まぁ、勝手にやればいいだけですし」
「なに?」

 勝手に……だと?
 予想外の言葉に、固まってしまった。
 驚きが表情に出たのだろうか、将流は苦笑しながら言う。
 
「いえ、可南子さんだって大人なわけですから、そこまで気にしなくていいと思いますよ」

 ……確かに。わたしは、おとな。

「ま、危ないことになったら、とは心配でしょうけどね。今のところ、大丈夫ですよ」

 その言葉で、肩の力が抜けた。
 
 そうか、言われてみれば、そうかもしれない。ほんとうのところ、わたしは成人しているわけだし、何もかも叔父様の言いなりになる必要はない。とはいえ、叔父様の世話になっているのは事実で、心配をかけるのは本意ではない。それも、ほんとうだ。
 
「どうしますか?捜査、やめます?」
「……うぅ」

 やめるわけがない。しかし、なんだか居心地が悪い。
 わたしは、八つ当たりするように言い放った。

「おまえが!おまえが、無駄に目立つからだ!」
「可南子さん、それ、濡れ衣です」

 うう……その通りだ。くやしい。

「それで……次は、どうしますか」
 
 将流は言いながら、わたしの前にあるココアを指した。
 ぬるくなったそれを、少しだけ飲む。柔らかな口当たりが、脳をほぐしてくれる。

「まずは、情報をまとめてみましょう」

 将流はそう言って、手帳を開いた。綴られた几帳面な文字を追いながら、わたしたちは今までの情報をひとつずつ確認していく。

 事件現場は、坂下公園。前夜、不審なものは置かれていなかった。
 赤いスーツケースはファスナー式、桜見坂を転がってきた。
 第一発見者はジョギング中の医師。彼は毎日同じ時間にその場所を通る。
 通報時刻は五時七分、警察の到着が五時十五分ごろ。
 バラバラにされた遺体、のぞいていたのは指。
 被害者は佐伯俊也、トラブルだらけの二十八歳。犯罪紛いのことをしても、裁かれなかった男。
 仲間の一人が槇原雄二、建設中のビルから落下して死亡。自殺か事故かは、はっきりしない。

「……こんなところ、ですかね」
「そうだな」

 こうしてまとめてみると、やはり違和感がある。悪事を働いていたグループのうち二人が、近い時期に死んでいる。偶然で片づけるには……
 
 考えこんでいると、将流が、ふと思いついたように言った。

「動機は、なんだろう」

 顔を上げて、将流の目を見る。視線が合うと、将流は真顔で続けた。

「恨みなのかな、とは思うんですけど。バラバラにするくらいの」
「……なるほど」

 わたしは、もう一度、手帳に視線を落とした。

「確かに、相当な感情がありそうだ」
「一時的な怒り、恨み……それなら、もっと衝動的ですよね」
「そうだな。今回の事件は、緻密な計画のもと実行されている」
「だったら……時間をかけて育った?」
「育つ、恨み……」

 わたしは言葉を反芻するように、小さく呟いた。考え込みながら、思考を言葉にする。
 
「佐伯は、さまざまな悪事をはたらいていた」
「ええ」
「槇原も同じだ。けれど、彼らは、裁かれていない」
「そうです」
「……裁かれていない側の、仲間。恨みを持つ側から見れば、二人とも同じ」

 脳裏に、光が走る。
 
「誰かにとっては……事件は、終わっていない」

 将流が、はっとしたように息をのんだ。
 
「被害者が、加害者だった?」
「そうだ」
「佐伯と槇原が起こした事件の被害者……」

 手帳をバラバラと捲りながら、将流は言う。

「そこまでは調べていません」
「それなら、調べろ」
「……ですね」

 文句を言うかと思ったが、将流は真剣な顔で頷いた。

「いい着眼点だと思います」

 そして、続ける。

「少し、時間をください。調べてきます」
「では、また明日、ここで」

 春の陽は傾き、橙色を落としている。肌寒い風が並木道を吹き抜けていった。








――
ここまで読んでくださってありがとうございます。
続きも楽しんでいただけたら嬉しいです。
――
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