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一章 開店直後に客足が伸びない?
10話 閉店危機
しおりを挟む反応する声は、『やっぱり本部は現場を分かってない』と同調するものばかりだ。
明らかに、希美たちを糾弾するような内容だった。そしてこれを知り得るのは、この店の人間しかいない。
阪口でないとするなら、もう一人の社員だろう。たしか、昼のシフトには入っていない。
「……どうしよ」
希美はだんだん事態の大きさが掴めてきて、先の言葉を失った。
潰そうだなんて、もちろん事実無根である。だが実際に本部からの警告が来てしまった以上、呟きの信憑性が増してしまう。先ほど店員に睨まれたのは、これが原因だったわけだ。
「すいません、お二人とも。こんなことになるだなんて」
阪口が心苦しそうに言うのに、鴨志田はにかっと笑う。
「いえ、阪口さんの謝ることではありませんよ。こちらの不手際です」
「いえ。あの、ですから今日はもう……」
「はい、失礼させていただきます」
頭を下げた鴨志田に、希美もならった。
ちらりと横を見てみれば、そこにあったはずの笑顔は、しかめ面にすり替わっていた。
半ば追い出される形で、店を出る。
「ま、なんつーか、急だな。ここまでの逆風は想定外だ」
青々しい空を見上げながら、鴨志田は大きく腕を広げた。
すでにシャツは第二ボタンまでが開いて、ネクタイもしっかり緩んでいる。
もうやりきったとでも言わんばかりの言動が、希美には引っかかった。
「なんですか、その晴れやかそうな感じは」
「そうでもしてないと、やってられないだろ」
「諦めたわけじゃないんですね」
やや間があってから、まぁな、と鈍い返事がある。
希美は少し安堵して、それから自分を奮い立たせた。
どんな不利な状況になろうと、諦めることだけは、もうしたくないのだ。不条理に、大事な夢を捨てさせられた身としては。
だがそんな思いとは裏腹に、社へ帰り着いた頃、事態はさらに悪化していた。
「……やってくれたわね、木原さん」「困るよぉ、二人とも」
課長と部長に、狼狽しきった様子で詰め寄られる。
「さっき総務部がきたんだ。はれるや、ネットで炎上騒ぎになってるそうじゃないか。それも本部が店を潰すとかって」
希美のため息が、鴨志田のそれと重なった。
「君たち、なにかしたんじゃないだろうねぇ」
希美たちの顔を交互に見て、どうなんだ、と早川部長は不安げな表情になる。
鴨志田は無言のまま、席へついた。
「なにも。むしろ財務がなにも連絡よこさなかったせいですよ」
何枚ものクッキーを、一度に口へ詰め始める。
クズがボロボロ落ちているが、そんなものに気を取られている場合ではない。
「それで、総務はなんて言ってるんですか?」
「まだ上で対応が決まってないそうだ。だから週明けまではマニュアル通りの処理で様子を見るらしいけど、沈静化しないようなら、店を一旦休ませたうえで、公式に噂を否定する声明を出すみたいだね。ただその場合……」
一旦が百年になるだろうな、そう抑揚のない声で言ったのは、鴨志田だった。
「……要は即閉店ですか」
「ほぼ決まりだろうな、その場合。でなければ、会社の信用、株価下落まで連鎖しかねない」
どくん、と釘を打たれたように胸が痛む。店に関わる人間にとって、最も重い言葉だった。
今みたく売上不振であえでいるうちはまだいい。盛り返すチャンスが毎日訪れるからだ。
けれど、シャッターが下りてしまえば、それさえできなくなる。
全てが、終わってしまう。なにも考えられなくなって突っ立っていると、
「ほら、ぼさっとすんな。まだ決まったわけじゃないんだ」
鴨志田に新聞紙で背中を叩かれた。
「とりあえず、阪口に伝えてこい」
言われるまま、希美は執務室を出た。
誰もいない、レストルームへと入る。散々躊躇った末、店へ電話をかけた。阪口は、もう用件をおよそ分かっていたようだ。
伝え終わると、彼は窮屈そうに喉を詰めて言う。
「……脱サラして、夢だった自分の店持って。これからって時だったのになぁ」
電話口でさえ、その心痛は希美にもありありと伝わってきた。
彼は、ぽつりと来歴を話し出す。
「私、京都の出身でして。和食屋に囲まれて育ったもんですから、本当は昔から、料理人に興味がありました。でもお金もなければ腕もないで、諦めて銀行勤めをしてました。未練はなかったはずなんです、行員もやりがいがありましたから。
でも、子どもができて、その子にご飯を作るようになって、気付いてしまったんです。やっぱり、私は誰かに料理を食べて笑顔になってほしいんだと」
それからというもの、仕事終わりに夜間の調理師学校に通ったり、休みの日には他店で修行をするなど努力を重ねた。
そして十年越しでついに、開店にこぎつけたのが今の店だそうだ。家族との時間など、夢の実現のために、犠牲にしてきたものも多かったと言う。
「短い夢だったなぁ。……いや、それだけじゃないか。家族や従業員の生活まで預かってるのに。ほんと恥ずかしい限りです」
阪口は、力なく笑い漏らす。
「そうか、だめかぁ……」
頭に浮かんでいたのは、小さな傷のたくさん入った彼の手だった。
あれは、包丁傷だったのだ。
今の年齢からして彼が料理を始めたのは四十歳前後。だとすれば、物を覚えるのはかなり大変だったろう。それでも失敗に失敗を重ねた末に、あの高いクオリティまでたどり着いていたわけだ。
それが料理への信念でなくてなんだろう。ただの好きでは到底たどり着けない域の話だ。人生をかけているに等しい。
それが、こんな最悪の形で潰えようとしている。
希美はどう声かけていいか分からず、聞く一方に回った。
けれど、思いは徐々につのっていって最後、ついに限界に達した。
「まだ、閉店が決まったわけじゃありません」
「……もういいんですよ」
「時間はあと少しありますから! あなたが諦めないでください!」
「炎上のことがなかろうと、数ヶ月後にはこの運命だったんです。お気遣いありがとうございました」
一方的に通話が切られる。
かけ直しても、二度出てくれることはなかった。静かな部屋に、コール音だけが響く。
なにをすればいいのか、希美にできることがあるのか、なにも分からなかった。
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