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二章 商品企画部のエリート部長は独裁者?
36話 損得勘定抜きで。
しおりを挟む「見せ物じゃないので!」
本当である。走るならば、一番ぶれないのが、顔だった。
人壁が割れていく。
細い一本道ができたら、あとは希美の得意種目だった。百メートルほどの短距離、希美は、大きなスライドで地面を上から蹴って駆け抜ける。階段は三段飛ばしで駆けて、入店するなりキッチンへと向かった。
青白くなった店員たちの顔が、一斉にこちらへ向く。憔悴しきっていて、希美の姿に言及するものはいない。
「これを使ってください! 昨日、本部で作ったものなので、衛生面も問題ありません!」
顔の紐をほどいて、器を差し出す。
中身を見た店長は、なにごとかは分かっていなさそうながらも、さくらんぼ水まんじゅうをもう出来上がっていたパフェに乗せた。店長以下数名はホールへと出て行く。もうタレントは来ているようだった。
希美は、はっと右腕の甲を返す。アナログ時計が示すは、十一時五十九分。
「間に合った~…………!」
一気に身体中から力が抜けた。肩の荷が降りた感じがする。
「……ナイスラン、よくやったよ、後輩。ギリギリセーフだ」
そんな言葉に視線を移せば、背後に鴨志田が立っていた。
その手が背の高い男性の首に回っている。鴨志田の隣で、黙り込んで不服そうに目を閉じていたのは、仲川部長だった。
「どうしてここにいるんですか」
希美は驚き近寄る。仲川が提げている小袋に膝頭が当たった。黙り込むだけで、答えようとしない。
「水まんじゅうだよ」
意地悪そうに笑みながら、鴨志田が代わりに返事をする。
「本部のデスクにも、後輩が受けたのと似たような電話が現場に行ってた職員から入ったらしい。それでここまできたんだとよ、こいつ。でも後輩が先に着いてたから、そそくさ帰ろうとしてたみたいでな。だから捕まえたんだ」
仲川は、希美と目を合わせようとしなかった。
よく見れば、背広がまだら模様に変色している。襟もはみでていた。乱れに気が付いたのか、鴨志田を振り払うと、ジャケットを脱いで腕にたたむ。
「駅からは少し距離がありました。もう暑くなってきましたから、汗をかいてしまっただけですよ」
「……メガネも曇ってますけど。走ったんじゃ?」
恥ずかしいのかなんなのか。シャツを手繰って拭いながら、
「私は汗っかきなんです。それに、緊急時にこれくらいの行動ができなければ役職者は務まらないんです。加えるなら──」
言い訳がましいことをぐだぐだと並べる。
希美には、そんなのものはどうでもよかった。
どんな理由であれ、この人はここにきたのだ。普通なら部下にに行かせるところだろう。
けれど、立場や役割を振り捨てて、自分の足でやってきた。
それで十分、希美には彼の思いが伝わった。思ったとおり、この人は損得勘定を抜きにできる熱い心を持ち合わせている。
「やりましたねっ、仲川さん!」
希美はぐっと右の拳を、彼の胸元へと突き出す。
「企画の修正、うまく行ってよかったです。これできっと昇進もできますよっ!」
「……気が早いですね、あなたという人は」
こんな注文をつけつつも、こつんと拳が重ねられた。
やっと心が通じた、そう思える瞬間だった。希美の顔に笑みが溢れる。
どういうわけか、仲川は先ほどまでより頬を赤くしていた。今さら暑くなってきたのだろうか。
不思議に思っていたら、鴨志田が間に手を割り入れた。
「そこまでにしとけよ。見てるだけで疲れる、暑苦しい」
つまらなさそうに口を尖らせる。ピンときた希美は、二人の腕を持ち上げると、拳を引き合わせた。
「……おーい後輩。なんだよ、これは」
「仲直りしたいんじゃないんですか? 同期の絆、復元です!」
仲川と鴨志田の呆れ顔が揃う。
思ったより、息は合っているようだ。微笑ましく麗人二人を見ていた希美だったが、
「ふざけてる暇はないぞ。まだなんにも終わってないんだ」
鴨志田の一言で、気を引き締め直した。
言うとおり、これからが大事だ。テレビ番組も、企画の変更も、店の売上に貢献するための一歩でしかない。
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